「あなたたち、そんなところに突っ立っていないで、準備をしてください。あと五分で本番すよ」
僕たちが集まっていたところへ、久遠先生が一際厳しい一言を放つ。
気にするなということだろう。
全然納得なんてできなかったけれど、久遠先生の言う通り、これからすぐに三年生たちの晴れ舞台である。僕たちが足を引っ張るわけにはいかないのだ。
僕たちは不安な気持ちのまま、それでも今日一日頑張ろうとみんなで意気込んだ。
帛紗を腰につけて、正座でお客さんが入ってくるのを待機する。二年生の先輩たちがお客さんを茶室の中へと案内すると、いよいよ僕たちの出番だった。
「和泉、頑張って」
朝比奈さんに背中を押され、僕は大きく頷いて、お盆にお菓子を乗せて持ち、茶室へと入っていく。普段は菓子器の中にお菓子を入れてお客さん同士で回していくスタイルだが、今日は不慣れなお客さんが多いということで、一人一人にお菓子をお出しするというやり方だった。
茶室に足を踏み入れた途端、ずらりと十人ほど並んだお客さんの視線が自分に向いたのが分かった。
お菓子やお茶を運ぶぐらい、どうってことないと思っていた。
でも、いざ大勢のお客さんを目の前にすると、足が震えて手が滑りそうになる。
「どうぞ」
とお菓子を一つずつ差し出すだけでも、緊張してどうにかなりそうだった。
無事になんとか全員分のお菓子を出し終えると、僕は水屋に戻る。
「ありがとう、和泉。行ってくるわね」
お道具を持って待機していた深草先輩が、僕を見つめてしっかりと頷く。
「お薄茶を一服差し上げます」
お稽古の通りに茶室へと入っていく先輩の麗しい背中を見つめながら、僕はまだ震えが止まらなかった。
その後も、先輩がお点前をしている間、僕は二年生や他の一年生と一緒に、給仕役を務める。お茶を運ぶ際に本気で手を滑りそうになり、思わず「あっ」と声を上げてしまった。
「し、失礼しました」
声を上げてしまっても、お点前をしている深草先輩はこちらを見向きもしない。「失敗だと思うな」と先輩から言われているようで、僕は胸がつんとした。
僕のせいで、先輩の大事な本番を台無しにしてしまった——。
痺れるような心地で水屋へと戻る。こんな時に蒼がいてくれたら——と余計胸が苦しくなって、動悸が止まらなかった。
「和泉、大丈夫……?」
朝比奈さんが声をかけてくれる。僕は「だ、大丈夫」と掠れた声で答えるけれど、誰がどう見ても動揺していることは明らかだ。
「和泉くん」
ふとそこへ、落ち着いた先生の声が降ってきた。
「なんですか、先生」
茶室でのことを怒られるのだと思って、僕は身構えた。けれど先生は僕を怒るのではなく、静かにこう言った。
「今のきみに必要なのは、“空っぽ”ではない。空っぽになった心に、何を入れるかです。茶の道を極めて空っぽになったきみの心が欲しているものを考えるといい」
「空っぽになった心に、何を入れるか……」
——いいでしょう、茶道は。日常が忙しくてストレスフルでも、茶室に入ればすべて忘れて心を空っぽにできる。
初めて茶道部に見学に来た時に先生が言っていた言葉がフラッシュバックする。あの時の先生の言葉を魅力的に感じて、僕は茶道部に入ったんだ。
もう一人、一緒に心を空っぽにしたいと願う友人と一緒に。
「きみの心が欲しているもので、空っぽになった心を満たしてきなさい」
その言葉が合図のようだった。
僕は、「朝比奈さん、みんな、ごめん」と真っ先に仲間たちに謝ると、一目散に部室から出た。
「ちょ、ちょっと和泉!?」
朝比奈さんが僕の名前を呼ぶ。でも、久遠先生が部室から出て行こうとする僕を止めないので大丈夫と思ったのか、僕は久遠先生に頭を下げて、部室を後にした。
自分のクラスである一年四組の教室に行くと、そこに蒼の姿は見えなかった。
僕は散々迷ったあと、クラスメイトの女子に「蒼、知らない?」と聞いた。
話しかけられた女子は僕が話しかけてきたことにも、蒼を下の名前で呼んでいることにも驚きつつ、「帰ったよ」と教えてくれた。
「帰った?」
「うん。体調が悪いから早退するって、さっき」
「そ、そうなんだ……。ちなみに蒼の家ってどこか知ってる?」
「詳しくは知らないけど、近くって言ってたよ。先生に聞いてみれば?」
「……分かった。ありがとう」
僕は女子にお礼を伝えると、そのまま職員室までダッシュした。担任の先生を捕まえて事情を話し、蒼の自宅の住所をなんとか聞き出すことに成功した。
蒼の家は本当に学校からほど近くだった。走れば五分とかからないだろう。
僕は、文化祭の熱で浮かされている校舎を駆け回り、学校から飛び出していった。
僕たちが集まっていたところへ、久遠先生が一際厳しい一言を放つ。
気にするなということだろう。
全然納得なんてできなかったけれど、久遠先生の言う通り、これからすぐに三年生たちの晴れ舞台である。僕たちが足を引っ張るわけにはいかないのだ。
僕たちは不安な気持ちのまま、それでも今日一日頑張ろうとみんなで意気込んだ。
帛紗を腰につけて、正座でお客さんが入ってくるのを待機する。二年生の先輩たちがお客さんを茶室の中へと案内すると、いよいよ僕たちの出番だった。
「和泉、頑張って」
朝比奈さんに背中を押され、僕は大きく頷いて、お盆にお菓子を乗せて持ち、茶室へと入っていく。普段は菓子器の中にお菓子を入れてお客さん同士で回していくスタイルだが、今日は不慣れなお客さんが多いということで、一人一人にお菓子をお出しするというやり方だった。
茶室に足を踏み入れた途端、ずらりと十人ほど並んだお客さんの視線が自分に向いたのが分かった。
お菓子やお茶を運ぶぐらい、どうってことないと思っていた。
でも、いざ大勢のお客さんを目の前にすると、足が震えて手が滑りそうになる。
「どうぞ」
とお菓子を一つずつ差し出すだけでも、緊張してどうにかなりそうだった。
無事になんとか全員分のお菓子を出し終えると、僕は水屋に戻る。
「ありがとう、和泉。行ってくるわね」
お道具を持って待機していた深草先輩が、僕を見つめてしっかりと頷く。
「お薄茶を一服差し上げます」
お稽古の通りに茶室へと入っていく先輩の麗しい背中を見つめながら、僕はまだ震えが止まらなかった。
その後も、先輩がお点前をしている間、僕は二年生や他の一年生と一緒に、給仕役を務める。お茶を運ぶ際に本気で手を滑りそうになり、思わず「あっ」と声を上げてしまった。
「し、失礼しました」
声を上げてしまっても、お点前をしている深草先輩はこちらを見向きもしない。「失敗だと思うな」と先輩から言われているようで、僕は胸がつんとした。
僕のせいで、先輩の大事な本番を台無しにしてしまった——。
痺れるような心地で水屋へと戻る。こんな時に蒼がいてくれたら——と余計胸が苦しくなって、動悸が止まらなかった。
「和泉、大丈夫……?」
朝比奈さんが声をかけてくれる。僕は「だ、大丈夫」と掠れた声で答えるけれど、誰がどう見ても動揺していることは明らかだ。
「和泉くん」
ふとそこへ、落ち着いた先生の声が降ってきた。
「なんですか、先生」
茶室でのことを怒られるのだと思って、僕は身構えた。けれど先生は僕を怒るのではなく、静かにこう言った。
「今のきみに必要なのは、“空っぽ”ではない。空っぽになった心に、何を入れるかです。茶の道を極めて空っぽになったきみの心が欲しているものを考えるといい」
「空っぽになった心に、何を入れるか……」
——いいでしょう、茶道は。日常が忙しくてストレスフルでも、茶室に入ればすべて忘れて心を空っぽにできる。
初めて茶道部に見学に来た時に先生が言っていた言葉がフラッシュバックする。あの時の先生の言葉を魅力的に感じて、僕は茶道部に入ったんだ。
もう一人、一緒に心を空っぽにしたいと願う友人と一緒に。
「きみの心が欲しているもので、空っぽになった心を満たしてきなさい」
その言葉が合図のようだった。
僕は、「朝比奈さん、みんな、ごめん」と真っ先に仲間たちに謝ると、一目散に部室から出た。
「ちょ、ちょっと和泉!?」
朝比奈さんが僕の名前を呼ぶ。でも、久遠先生が部室から出て行こうとする僕を止めないので大丈夫と思ったのか、僕は久遠先生に頭を下げて、部室を後にした。
自分のクラスである一年四組の教室に行くと、そこに蒼の姿は見えなかった。
僕は散々迷ったあと、クラスメイトの女子に「蒼、知らない?」と聞いた。
話しかけられた女子は僕が話しかけてきたことにも、蒼を下の名前で呼んでいることにも驚きつつ、「帰ったよ」と教えてくれた。
「帰った?」
「うん。体調が悪いから早退するって、さっき」
「そ、そうなんだ……。ちなみに蒼の家ってどこか知ってる?」
「詳しくは知らないけど、近くって言ってたよ。先生に聞いてみれば?」
「……分かった。ありがとう」
僕は女子にお礼を伝えると、そのまま職員室までダッシュした。担任の先生を捕まえて事情を話し、蒼の自宅の住所をなんとか聞き出すことに成功した。
蒼の家は本当に学校からほど近くだった。走れば五分とかからないだろう。
僕は、文化祭の熱で浮かされている校舎を駆け回り、学校から飛び出していった。



