それからの蒼は、まるで人が変わったかのように、表情に翳りが生まれるようになった。それが、僕があの手紙を見てしまってせいだと分かっていたので、気になって仕方がなかった。
「お薄茶を一服差し上げます」
文化祭までの練習期間も大詰めにさしかかり、お稽古は常に三年生が優先されるようになった。僕や蒼、他の一年生、二年生の先輩たちはお客さん役か、当日と同じように給仕役として参加する。亭主役のお稽古がないからと言って、気を抜くことはできない。お客さんにだって作法はあるし、お客さんにお茶やお菓子を出す役目は、亭主の三年生のお点前を台無しにしてしまわないように、毎度緊張感が伴う。
「香月くん、お茶碗を回す方向が逆ですよ。基本的なミスはおやめなさい」
「すみません……」
久遠先生に普通はしないようなミスを指摘されて、蒼は顔を青くして正しいやり方に戻していた。
「和泉くん、きみも最近集中力が散漫になっているようですね。“静心”を忘れたのですか」
今度は僕が指摘されて、ドキリと心臓が鳴る。
確かにここ最近の僕は、蒼のこともあって、お客さんとして茶室に入っている最中も、常に考え事に耽ってしまっていた。僕は小さく「すみません」と謝る。
「何か心配事でもあるのですか」
みんなの前でそんなふうに聞かれて面食らう。
心配事は確かにあった。でも、今この場所で話せるような内容ではない。
僕は、隣に座る蒼をちらりと見ながら、視線を泳がせる。
「なるほど、香月くんのことですか」
久遠先生は僕の心中を察したようにため息を吐く。先生の言葉に、蒼がはっとして僕を見やる。
「友達のことを想うのは結構ですが、今は目の前のことに集中しなさい」
「……はい。申し訳ありません」
蒼を巻き込むかたちで注意されることになり、僕は申し訳ない気持ちが募る。
その回のお稽古が終わると、僕はお手洗いに行くために部室を出た。すると、後ろから誰かがついてくる気配がする。すぐに蒼だと分かった。
「宗貴、俺のことで心配事ってなんだ?」
蒼が僕の腕をがっしりと掴んでそう問いかけてきた。語気は強く、やっぱり普段の飄々とした彼からは想像ができないような声だ。
「そりゃ……僕がこの前蒼のお母さんの手紙を見てしまったから。そのせいで、蒼は様子が変になったのかな……って」
ずっと気にしていたことを、言葉にして絞り出す。蒼は「そんなこと」と吐き捨てるように言った。
「お前にあの手紙を見られたぐらいで、べつにどうってことねえよ」
「じゃあなんで最近、蒼は浮かない顔してるの」
ずっと静かに凪いでいたはずの心の中で荒波が立ち始める。
「べつに浮かない顔もしてねえ。そう見えたならたぶん、気のせいだわ」
「……」
あくまでシラを切るつもりの蒼に、僕はとうとう何も言えなくなって黙り込んだ。
そうか……僕には教えたくないってことか。
蒼となら、上手くやれると思っていた。
人と関わることを避けて、高校三年間、ただ雑草のようにそこにいるだけの存在としてじゃなくて、友達と部活に励む日々を、蒼となら楽しめると思った。
でも……そんな考え自体、間違っていたのかもしれない。
口を閉ざす僕を見て、蒼の表情にだんだん苛立ちが滲むのをはっきりと感じた。
「お前さ、何考えてるか全然分かんねえよ。本当は茶道なんて興味ないんだろ?」
蒼が僕を試すような口調でそう言った。僕は、はっと蒼の目を見つめる。
「……なんでそう思うの」
僕にしては冷たい声だった。やめようと思っても、どうしても怒りのような感情が沸々と湧き上がってくる。
「俺のことばっか気にして、茶道に集中してねえからだよ」
「……っ!」
そんなふうに言われる筋合いはないと思った。僕はただ、蒼のことを純粋に心配していただけだ。それなのに、蒼は僕の気持ちを違うように受け取っている。
元はといえば、蒼が僕を茶道部に誘ったんじゃないか。
そう言ってやりたい。でも、友達とぶつかることに慣れていない僕は、思うように言葉が出てこなかった。
「僕は……ただ、空っぽでいたかった」
静かな空間で、何も考えずに茶の道に集中したかった。
久遠先生が、僕には向いていると言ってくれた。
蒼のことも、先生は認めてくれていたじゃないか。
だから僕は蒼と一緒に茶道部に入って、この道を極めようと思った。
それなのに蒼は、僕が茶道に興味がないなんて疑っているの?
僕はこんなにも、きみと茶道部のことを気に入って——。
「その“空っぽ”っていうのも、“空っぽ”に逃げてるだけだろ。そう言っておけば面倒なことは何も考えなくて済むもんな。茶道からも、久遠先生からも——自分のおばあちゃんからも、そうやって目を逸らしてるんだろっ」
蒼が激昂するように叫ぶ。こんなにも敵意に満ちたまなざしを僕に向ける蒼を、僕は見たことがなかった。でも、それ以上に、蒼が「自分のおばあちゃんからも」と言っていることの意味が理解できず、しばらく呆けたように彼を見つめてしまっていた。
「お薄茶を一服差し上げます」
文化祭までの練習期間も大詰めにさしかかり、お稽古は常に三年生が優先されるようになった。僕や蒼、他の一年生、二年生の先輩たちはお客さん役か、当日と同じように給仕役として参加する。亭主役のお稽古がないからと言って、気を抜くことはできない。お客さんにだって作法はあるし、お客さんにお茶やお菓子を出す役目は、亭主の三年生のお点前を台無しにしてしまわないように、毎度緊張感が伴う。
「香月くん、お茶碗を回す方向が逆ですよ。基本的なミスはおやめなさい」
「すみません……」
久遠先生に普通はしないようなミスを指摘されて、蒼は顔を青くして正しいやり方に戻していた。
「和泉くん、きみも最近集中力が散漫になっているようですね。“静心”を忘れたのですか」
今度は僕が指摘されて、ドキリと心臓が鳴る。
確かにここ最近の僕は、蒼のこともあって、お客さんとして茶室に入っている最中も、常に考え事に耽ってしまっていた。僕は小さく「すみません」と謝る。
「何か心配事でもあるのですか」
みんなの前でそんなふうに聞かれて面食らう。
心配事は確かにあった。でも、今この場所で話せるような内容ではない。
僕は、隣に座る蒼をちらりと見ながら、視線を泳がせる。
「なるほど、香月くんのことですか」
久遠先生は僕の心中を察したようにため息を吐く。先生の言葉に、蒼がはっとして僕を見やる。
「友達のことを想うのは結構ですが、今は目の前のことに集中しなさい」
「……はい。申し訳ありません」
蒼を巻き込むかたちで注意されることになり、僕は申し訳ない気持ちが募る。
その回のお稽古が終わると、僕はお手洗いに行くために部室を出た。すると、後ろから誰かがついてくる気配がする。すぐに蒼だと分かった。
「宗貴、俺のことで心配事ってなんだ?」
蒼が僕の腕をがっしりと掴んでそう問いかけてきた。語気は強く、やっぱり普段の飄々とした彼からは想像ができないような声だ。
「そりゃ……僕がこの前蒼のお母さんの手紙を見てしまったから。そのせいで、蒼は様子が変になったのかな……って」
ずっと気にしていたことを、言葉にして絞り出す。蒼は「そんなこと」と吐き捨てるように言った。
「お前にあの手紙を見られたぐらいで、べつにどうってことねえよ」
「じゃあなんで最近、蒼は浮かない顔してるの」
ずっと静かに凪いでいたはずの心の中で荒波が立ち始める。
「べつに浮かない顔もしてねえ。そう見えたならたぶん、気のせいだわ」
「……」
あくまでシラを切るつもりの蒼に、僕はとうとう何も言えなくなって黙り込んだ。
そうか……僕には教えたくないってことか。
蒼となら、上手くやれると思っていた。
人と関わることを避けて、高校三年間、ただ雑草のようにそこにいるだけの存在としてじゃなくて、友達と部活に励む日々を、蒼となら楽しめると思った。
でも……そんな考え自体、間違っていたのかもしれない。
口を閉ざす僕を見て、蒼の表情にだんだん苛立ちが滲むのをはっきりと感じた。
「お前さ、何考えてるか全然分かんねえよ。本当は茶道なんて興味ないんだろ?」
蒼が僕を試すような口調でそう言った。僕は、はっと蒼の目を見つめる。
「……なんでそう思うの」
僕にしては冷たい声だった。やめようと思っても、どうしても怒りのような感情が沸々と湧き上がってくる。
「俺のことばっか気にして、茶道に集中してねえからだよ」
「……っ!」
そんなふうに言われる筋合いはないと思った。僕はただ、蒼のことを純粋に心配していただけだ。それなのに、蒼は僕の気持ちを違うように受け取っている。
元はといえば、蒼が僕を茶道部に誘ったんじゃないか。
そう言ってやりたい。でも、友達とぶつかることに慣れていない僕は、思うように言葉が出てこなかった。
「僕は……ただ、空っぽでいたかった」
静かな空間で、何も考えずに茶の道に集中したかった。
久遠先生が、僕には向いていると言ってくれた。
蒼のことも、先生は認めてくれていたじゃないか。
だから僕は蒼と一緒に茶道部に入って、この道を極めようと思った。
それなのに蒼は、僕が茶道に興味がないなんて疑っているの?
僕はこんなにも、きみと茶道部のことを気に入って——。
「その“空っぽ”っていうのも、“空っぽ”に逃げてるだけだろ。そう言っておけば面倒なことは何も考えなくて済むもんな。茶道からも、久遠先生からも——自分のおばあちゃんからも、そうやって目を逸らしてるんだろっ」
蒼が激昂するように叫ぶ。こんなにも敵意に満ちたまなざしを僕に向ける蒼を、僕は見たことがなかった。でも、それ以上に、蒼が「自分のおばあちゃんからも」と言っていることの意味が理解できず、しばらく呆けたように彼を見つめてしまっていた。



