〇病院・個室・静まり返った病室。3月29日夜。
ベッドには琴乃が横たわっている。 肌は透き通るように白い。
無数の管が繋がれているが、心音を刻む音は弱々しい。
医師と話す琴乃の両親。隣には蓮人が立っている
医師「……残念ですが」
医師「生命力が……蝋燭(ろうそく)の火が消えるように、尽きかけています」
医師「今夜が、峠でしょう」
医師が首を振り、部屋を出て行く。
蓮人は、琴乃の冷たい手を握りしめ、動かない。
蓮人「……嘘だろ」
蓮人「1万本……咲かせたんだぞ。全部、お前の手柄だぞ」
蓮人「なんで…その報いがこれなんだよ……ッ!」
蓮人の涙が、琴乃の白い頰に落ちる。
蓮人「俺は、お前なしでは生きていけない」
〇六道珍皇寺・閻魔王宮・玉座の間(4月1日) 審判の日。
朱塗りの広間に、候補者たちが集められている。
西園寺、アリス、烏丸、白川。 そして、やつれ果てた顔の蓮人。
アリスM(九条さんは、欠席なのね)
西園寺M(こんな大事な日に、来れないなんて何があったんだ?)
閻魔「……定刻だ。厳正なる審査の結果を発表する」
閻魔大王が、玉座から告げる。
その横で、紫門が巻物を広げる。
紫門「まずは、それぞれの『通信簿』を読み上げる」
紫門「覚悟して聞きな」
紫門が西園寺を見る。
紫門「西園寺。……お前の疏水工事、完成間近だ。まさに京の近代化の象徴になるだろう」
紫門「琵琶湖から水は流れ、水力発電所も稼働する。数年後には文句なしの偉業となる」
西園寺「……当然の結果です」
西園寺、自信満々に胸を張る。 しかし、紫門の声色が低くなる。
紫門「だがな。……その陰で、17人の作業員が死んでしまったな?」
西園寺「……ッ!」
紫門「難工事だ。犠牲が出るのは仕方ねえかもしれん」
紫門「だがお前は、殉職者の慰霊も、遺族への補償も……
全部、工事責任者の田邉朔郎氏(たなべさくろう)に丸投げしたそうじゃねえか」
西園寺「……僕は全体指揮官です。感傷に浸っている時間はない。
現場のことは現場(田邉)さんに任せるのが合理的だ」
紫門「そこだよ」
紫門「田邉は私財を投じて慰霊碑を建てたぞ?お前はどうだ。線香の一本もあげたか?」
紫門「人の命を『コスト』としか見てねえ奴に、現世救済官は務まらねえ。……減点だ」
西園寺、言葉を失い、悔しそうに拳を震わせる。
図星を突かれた合理主義者の敗北。
紫門「次、鹿鳴館アリス」
アリス、扇子を持つ手に力が入る。
紫門「路面電車、画期的だ。西園寺と同じくまだ未完成だが、まさに京の大動脈だ……だが、そのレールは血塗られている」
紫門「線路を通すための強引な地上げ。…そして、職を奪われると抗議した『人力車組合』を、親の権力で黙らせたな?」
アリス「……ッ!それは……!」
アリス「文明の発展には痛みが必要ですわ!古い職業が消えるのは歴史の必然……!」
紫門「痛みを負うのは、いつだって弱い連中だ」
紫門「お前は彼らの『声』を聞こうともしなかった。……ただ踏み潰しただけだ」
紫門「お前は彼らとしっかり向き合い、路面電車で雇用するなどの配慮が必要だった」
紫門「民の恨みを乗せて走る電車に、未来なんてねえよ。……不合格だ」
アリス、扇子を落としそうになるほど動揺し、顔を伏せる。
紫門「烏丸、白川。……お前らは論外だ」
紫門「時代を逆行させるな。以上」
烏丸・白川「ぐぬぬ……!」
そして最後に、紫門は蓮人を見る。
紫門「天宮蓮人と九条琴乃」
紫門「九条琴乃はここにはいねえが」
紫門「お前らは……金もねえ、人脈もねえ、コネもねえ。何もねえ」
紫門「だが、誰よりも人を巻き込み、誰よりも汗をかいた」
紫門「何より……あの『桜』だ」
紫門が、珍しく穏やかな顔をする。
紫門「あれを見た時の、京の人間の顔を見たか?…久しぶりに見たぜ、あんな幸せそうな民の顔は」
紫門「おまえらは、誰も、何も犠牲にしていない」
閻魔「うむ」
閻魔が頷き、扇子を掲げる。
閻魔「京の街は蘇るはずだ。1万本の桜は人々の心を動かし、死に体だったこの街に『血』を通わせた」
閻魔「これから数百年先も、桜の名所として、全国から京へ人々が押し寄せるだろう」
紫門「さあ、閻魔大王から合格者の発表だ」
閻魔「文句なし。……第40代・現世救済官は、天宮蓮人・九条琴乃のペアとする」
西園寺「……完敗だ」
アリス「ええ。あの桜には敵わないわ」
ライバルたちも、潔くその結果を受け入れる。
合格したはずの蓮人は、顔を上げない。
閻魔「……どうした?天宮、喜ばぬのか」
蓮人「……俺は素直に喜べない……」
紫門「まあいい。では今まで内密にしていた報酬を発表する」
一同、紫門と閻魔の発言に注目する。
閻魔が指を鳴らすと、空中に虹色に輝く光の玉が出現する。
閻魔「これが、歴代の現世救済官に与えてきた『万能の力』だ」
閻魔「金を生むもよし、人を操るもよし。能力を有効に使えば、お前の一族は未来永劫、繁栄を約束される」
閻魔「天宮、お前の希望する能力を言え」
紫門「ただし、お前の元々、備えている性質に適応した能力しか、大王は与えることはできないぜ」
蓮人の目の前に、光が漂う。
これがあれば、天宮家は復活する。父の借金も消える。かつての栄光が戻ってくる。
しかし、蓮人はその光を見ようともしない。
蓮人「…報酬をもらうより先に、大事なお願いがあります」
閻魔「あん?」
蓮人、その場に土下座する。 額を床に擦り付ける。
蓮人「琴乃を……あいつを助けてください!!」
静まり返る広間。
蓮人「あいつは、俺が登用試験に合格するために命を削ったんです!俺のせいで……!」
蓮人「閻魔大王様なら、あいつを救えるんじゃないか?琴乃を死なせないでくれ!」
驚く紫門。
蓮人の慟哭。 西園寺たちが息を呑む。
閻魔は、表情を変えずに蓮人を見下ろしている。
紫門「……おいおい、大王様よ」
紫門が、キセルをくゆらせながら口を開く。
紫門「琴乃ちゃんの病状……知ってんだろ?治せるのか?」
閻魔「……ああ、知っている」
閻魔「だが、それを治すには……天宮、貴様にとって『究極の選択』が必要になるぞ」
蓮人「なんでもします!助ける方法を教えてください!」
閻魔「よかろう。……まずは知るがいい。順を追って話してやる」
閻魔「なぜ九条琴乃が、あのような能力を持ち、そして衰弱したのか」
閻魔「そこには……貴様の一族、天宮家と九条家の、深き因縁があるのだ」
閻魔が手をかざすと、空間に過去の映像が浮かび上がる。
〇回想・閻魔王宮(70年前 / 1813年 / 文化10年)
閻魔王宮、玉座の間にて、会話している九条隆仁と閻魔大王。
閻魔『かつて、彼女の曾祖父……九条隆仁は第35代目の現世救済官だった。そして彼女と同じ能力を持っていた』
閻魔『琴乃の能力は、突然変異による、この隆仁からの隔世遺伝だった』
九条家の立派な屋敷の映像
閻魔の声『九条隆仁は優秀な現世救済官だった。特殊能力により、この頃は、九条家も繁栄していた』
閻魔「そして、今から66年前、1817年 文化14年」
閻魔「京の都で、悪い流行り病(疫病)が蔓延した」
〇回想・寺の隔離堂・ 薄暗いお堂の中。(過去・1817年)
病に倒れた人々が、布団を並べて寝かされている。
その一角に2人の女性が隣り合って寝ている。
閻魔「この2人の女性、一人は九条隆仁の妻・静子。 もう一人は身重の妊婦。名を八重と言った」
2人とも顔色は悪く、咳き込んでいるが、布団の間でしっかりと手を繋いでいる。
八重「……静子さん。……苦しいね」
静子「ええ。……でも、頑張りましょう」
静子「八重さんには、お腹の赤ちゃんがいるもの。……きっと、元気な男の子よ」
八重「ふふ。……静子さんは、優しいね」
八重「もし私が助からなくても……この子だけは…助けたい…」
静子「どちらもきっと助かるわ。希望を持って」
静子は、八重の膨らんだお腹を優しく撫でる。
閻魔「彼女ら2人には、確かな友情と、未来への願いがあったのだ」
〇寺の隔離堂・深夜(過去・1817年) 急変。
静子と八重、同時に容態が悪化し、呼吸が困難になる。
隆仁「静子!!」
九条隆仁が、妻の元へ駆け寄る。
静子は喀血し、虫の息となっている。
隣では、妊婦・八重もまた苦しみにのたうち回り、今にも心臓が止まりそうだ。
隆仁「くそっ……!薬は……薬はないのか!」
医師「手遅れです……。奥様は今夜が峠でしょう」
医師が諦めて去っていく。 隆仁は拳を握りしめ、決意の表情で立ち上がる。
隆仁「……まだだ。俺は現世救済官。救済官である俺だけの特権があるはずだ」
隆仁は静子の手を1度強く握ると、部屋を飛び出す。
〇六道珍皇寺・冥土通いの井戸、隆仁が井戸の縁に手をかける。
彼は生身のまま、冥界へと飛び込む。
〇閻魔王宮・玉座の間(過去) 閻魔大王が、執務机で書き物をしている。
そこへ、泥だらけの隆仁が駆け込んでくる。
隆仁「大王様!頼む、助けてくれ!」
隆仁「静子を……俺の妻を助けてくれ!何でもする!」
閻魔「……騒々しいな、救済官」
閻魔「寿命は変えられん。それが理(ことわり)だ」
隆仁「あんたなら出来るはずだ!俺の『生物の成長促進』…この特殊能力を放棄する!」
隆仁「だから……頼む!」
隆仁が額を床に叩きつけて懇願する。 閻魔は筆を止め、冷ややかな目で隆仁を見下ろす。
閻魔「……ふむ。その『能力』と引き換えならば、特例を認めてやらんこともない」
隆仁「本当か?」
閻魔「しかし…よく考えろよ。能力を失うという、その意味を」
隆仁「俺には…考えている時間もないんだ」
閻魔「わかった。どうするか?お前が判断しろ」
閻魔「万病に効く『奇跡の薬草』を1株だけ授けよう。……ただし」
閻魔「それで救える命は『1つ』だけだ」
隆仁「1つ……!それで十分だ、恩に着る!」
隆仁は光り輝く薬草を受け取り、現世へと急ぐ。
〇寺の隔離堂
隆仁が戻ってくる。息を切らしている。
隆仁「静子!大丈夫だ、助かるぞ!」
隆仁は静子の枕元に跪く。
隆仁「閻魔と取引してきた。俺の特殊能力と引き換えに、お前を治せる!」
静子「……あなた……」
静子は薄く目を開ける。
彼女の視線は隆仁ではなく、隣のベッドに向けられる。
静子「……八重さんは?」
隆仁が隣を見る。
八重もまた、苦しみにのたうち回り、呼吸が止まりかけている。
隆仁「……」
静子「あの方も…赤ちゃんも…助けてあげて……」
隆仁は唇を噛み、首を横に振る。
隆仁「無理だ。……薬は1人分しかない」
隆仁「俺は、お前を救う。迷いはない」
隆仁が薬を使おうとする
静子の冷たい手が、隆仁の手首を掴む。
静子「……いけません」
隆仁「静子!?」
静子「あの方には……お腹に赤ちゃんがいるのよ?」
静子「私を助けても、救えるのは『一つの命。でも、あの方を助ければ、『二つの命』が救われる」
隆仁「そんな理屈、関係ない!俺にとってはお前が全てだ!」
静子「……あなたは『現世救済官』でしょう?」
静子「私情で命を選ばないで。…より多くの未来を救うのが、あなたの務めのはずよ」
隆仁「嫌だ!俺は神様じゃない、ただのおまえの夫だ!」
静子、最後の力を振り絞って、隆仁の頬に触れる。
静子「……お願い」
静子「私の愛したあなたは……誰よりも優しくて、誇り高い人だった」
静子「私のために、その誇りを捨てないで。……あの母子を救って」
静子の瞳には、揺るぎない覚悟と、深い愛が宿っていた。
隆仁の手が震える。 妻の愛と、救済官としての使命。
隆仁「……くっ……うぅ……ッ!」
隆仁は慟哭し、薬を握りしめたまま立ち上がる。
隆仁は叫ぶ。 血を吐くような絶叫。
隆仁「閻魔ァァァーーッ!!」
隆仁「契約だ!!俺の能力(すべて)を持って行け!!」
隆仁「その代わり……救え!!」
隆仁「俺の妻じゃなく……隣の妊婦を救ってくれ!!」
『奇跡の薬草』を八重に食べさせる隆仁.
寺の隔離堂 その瞬間。
八重の体に淡い光が降り注ぐ。 苦悶の表情が消え、
顔色に赤みが戻っていく。お腹の子の鼓動も力強くなる。
それを見届けた静子は、満足そうに微笑んだ。
静子「……ありがとう。……愛しているわ」
静子の手が、ガクリと布団に落ちる。 その瞳は永遠に閉じられた。
隆仁は動かなくなった妻を抱きしめ、獣のように吠えた。
隆仁「うぉーーーー」 隆仁の慟哭。
〇閻魔庁・執務室(現在 明治17年(1884年)
映像が消える。 蓮人は、腰が抜けたように座り込んでいる。
閻魔「隆仁は、自分の愛よりも『他者の未来』を選んだ。その代償として能力を失った。
同時に最愛の妻も失い、彼もまた抜け殻のようになった。結果、九条家は没落した」
閻魔「そして……その時、救われた妊婦と腹の子こそが」
紫門「……天宮八重と天宮継人(あまみや つぐと)と言う」
蓮人「…まさか…お、俺の、じ、じいちゃん……」
紫門「そうだ。天宮家の血は、九条家の犠牲の上に繋がったのだ」
蓮人の目から、大粒の涙が溢れ出す。
蓮人M(琴乃が自分に向けていた笑顔。時折見せていた寂しげな表情)
蓮人M(その全てが、この因縁の上に成り立っていた)
蓮人「俺は……なんてことを……」
蓮人「九条家はずっと……俺たちの恩人だったんだ……」
蓮人「俺たち天宮家は、九条家に……命レベルの借金があったんだ……!!」
蓮人「そしてまた九条家を犠牲にして、俺は天宮家を繁栄させようとしている」
蓮人は床を拳で殴りつけ、慟哭する。
蓮人は床を拳で殴りつける。
閻魔「さて、天宮蓮人。少々、状況は異なるが……歴史は繰り返すか」
閻魔「貴様はどうする?一族の繁栄か、それとも……」
閻魔の冷徹な瞳が、蓮人の決断を待っている。

