〇平安院学舎・廊下・夕方(12月・冬)
雪がちらつく窓の外。 廊下ですれ違う蓮人と琴乃。
二人の間には、目に見えない分厚い氷の壁がある。
琴乃「……」
蓮人「……」

目を合わせず、一言も交わさずに通り過ぎる。
蓮人は、琴乃の背中を振り返る。
その足取りは重く、後ろ姿は以前よりも一回り小さくなったように見える。

蓮人M(……痩せたな)
蓮人M(顔色も悪い。……本当に、大丈夫なのかよ)

〇岡崎・疏水沿い散歩道(1月・昼)
一人で雪の中を歩いている琴乃
琴乃「はぁっ……はぁっ……」
琴乃の息が白い。 手甲を外した左手は、凍傷になりかけ、赤黒く腫れ上がっている。
指先はすでに、枯れ木のように茶色く変色していた。

琴乃「……あと、少し。……これで、9992本目」
琴乃が苗木に触れる。
『星霜の手のひら(せいそうのてのひら)』
淡い光が吸い込まれると同時に、彼女の体がガクンと揺れ、口から血が滲む。
琴乃「うっ……ごほっ、ごほっ……!」
琴乃M(痛い。寒い。……体の中が、空っぽになっていく)
琴乃M(でも、止まるわけにはいかない。……蓮人くんとの約束だから)
琴乃は雪を掴んで口に含み、意識を保つ。

〇同・深夜(数時間後) 雪が激しく降りしきる中。
琴乃が、最後の一本の前で膝をついている。
琴乃「……これが、最後。……1万本目」
琴乃は震える手を、最後の苗木にかざす。
琴乃「『星霜(せいそう)の手のひら』……。お願い、春を連れてきて」
最後の光が、苗木に宿る。 その瞬間。
ドサッ!
糸が切れた操り人形のように、雪の中に倒れ込む琴乃。
もう、指一本動かせない。
琴乃「はぁ……はぁ……。できた……。やったよ、蓮人くん……」
琴乃の視界が霞む。
雪の上に投げ出された自分の左手を見る。
完全に老婆のように干からびている。
琴乃M(これでいい。……私は、私の全てを出し切った)
琴乃は薄れゆく意識の中で、雪空を見上げた。
何とか起き上がり、ふらふらと歩きだす琴乃

〇嵐山・山中・昼(2月下旬)
蓮人が一人、各植樹エリアの最終確認に回っている。
蓮人「……!」
蓮人が足を止める。 目の前の光景に、言葉を失う。
数ヶ月前までひょろひょろの苗木だった桜が、
見上げるほどの立派な成木へと成長し、無数の蕾(つぼみ)をつけていたのだ。

蓮人「……やっぱり」
蓮人M(あいつは、たった1人でやり遂げたのか?)
蓮人は幹に触れる。 確かに、数年の時を経たような太さと力強さがある。
蓮人は、馬を飛ばして他のエリアも確認に向かう。

〇琵琶湖疏水・散歩道・昼(同日)
疏水沿いの桜並木。ここも同じだった。 数百本の桜の木が成長し、蕾を揺らしている。

〇鴨川堤防・夕方(同日) 最後に訪れた鴨川。
夕日に照らされた堤防に、どこまでも続く桜並木のシルエットが浮かび上がっている。
その蕾のすべてが、不自然なほど急激に成長し、開花の時を待っていた。
蓮人は、土手の上で呆然と立ち尽くす。

蓮人M(1万本……。全部、育ってやがる)
蓮人M(あいつ……琴乃は、本当に大馬鹿野郎だ)
蓮人の脳裏に、紅葉の嵐山で見た琴乃の変色した指先が蘇る。

蓮人M(琴乃。おまえ!これだけの「時間」を進めるのに、どれだけの命を削ったんだよ……!)
蓮人は自分の顔を両手で覆う。
蓮人M(あいつの壮絶な覚悟。それを1人で背負わせてしまった俺。不甲斐ない男だ)
蓮人「……琴乃。俺にも同じ能力があればよかった…代わってやりたかった…」
涙をこぼす蓮人

〇数日後、琵琶湖疏水散歩道・深夜(2月下旬)
雪が降っている。
蓮人が一人、ランタンの明かりを頼りに、植樹した苗木を見て回っている。
手には、藁(わら)や縄を持っている。

蓮人M(くそっ……寒波が来やがった。このままじゃ根が凍っちまう)
蓮人は、一本一本の苗木の根元に藁を敷き、幹に菰(こも)を巻いていく。
蓮人M(琴乃が命を削って「時間」を進めた苗木を、寒さから守る)
蓮人M(あいつの能力は、成長を早めるだけだ。……寒さや害虫から守るのは、俺の仕事だ)
ナレーション
蓮人は凍える手で作業を続ける。
意地を張って口は利かないが、行動で彼女を支え続けていた。


〇琵琶湖疏水・散歩道・昼(3月中旬) 審判の日まで、あと半月。
琴乃が一人、疏水沿いを歩いている。 その足取りはふらつき、時折、咳き込んでいる。
琴乃M(……あと、少し。あと少しで、春が来る。桜が咲くはず)
琴乃は立ち止まり、桜の枝を見上げる。 まだ硬い蕾(つぼみ)が、小さく膨らみ始めている。

琴乃「……頑張って。みんな、待ってるから」

琴乃がふらふらと歩いていると、前方に蓮人の姿を発見。
彼は地面に膝をつき、真剣な表情で何かをしている 。

琴乃M(……蓮人くん?)
よく見ると、蓮人は小さなハケとピンセットを使い、
桜の幹に張り付いた害虫(カイガラムシなど)を一匹一匹、丁寧に取り除いている。

蓮人「……よし、これでいい」
蓮人が汗を拭いながら立ち上がり、次の木へ向かう
琴乃琴乃は反射的に身を隠す。
琴乃M(話しかけたい。謝りたい)
でも、あの紅葉の日の「二度と私の前に現れないで」という自分の言葉が、呪いのように足を縛る。

琴乃M(…ごめんね、蓮人くん)
琴乃M(今はまだ、会えない。…ちゃんと本当に、桜が咲いたら謝ろう)
琴乃は逃げるようにその場を離れる。

〇京都市中・昼(3月29日) 審判の日まで、あと3日。
街中が、異様な興奮に包まれている。
新聞記者「号外!号外じゃー!」

威勢の良い声と共に、新聞の号外が配られる。
見出しには*京の奇跡!一夜にして万の桜、七分咲き!』の活字が躍る。
街の人々「咲いた……!桜が咲いたぞ!」
「見てみい、あんなに細い木じゃのに、花で枝が折れそうじゃ!」
「これは……神様の奇跡じゃ!」
「去年まであんな場所に、桜の木なんかなかったぞ」
蓮人M(大げさな見出しだな。実際は、植えてから半年以上かかっている)
人々が嵐山や鴨川に押し寄せ、奇跡の光景に酔いしれている。

〇平安院学舎・校庭・同日昼
授業中。蓮人は琴乃の席を見る。
そこだけ誰も座っていない
蓮人M(あいつは、今日も欠席か。どこに行ったんだ)

昼休み。
蓮人M(よし、抜け出して琴乃を探しに行こう)
校門へ向かう蓮人

蓮人が新聞記者に囲まれる。
新聞記者A「君、この植樹の発起人の天宮くんだね!?」
新聞記者B「植物学の権威は『あり得ぬ現象だ』と言っておるが、一体何をした!」
野次馬「西洋の特殊な肥料か?それとも陰陽師のまじないか!?」
無数のマイクと怒号が蓮人に浴びせられる。

蓮人M(くそっ……!どいつもこいつも!)
蓮人M(俺に琴乃を探しに行かせてくれ)
蓮人は脂汗を流しながら、腹を括る。
蓮人「あー、うるさい!どいてくれ」
蓮人は大声で叫び、デタラメな理屈を並べ立てる。
蓮人「これは……そう!大陸伝来の古(いにしえ)の秘術と、
  平安時代から京に伝わる伝説の庭師の秘術を融合させた……『桜開花促進法』だ!」
記者たち「た、大陸伝来……?」「伝説の庭師の秘術……?」
記者たちが蓮人の勢いと謎の単語にひるんだ一瞬の隙を見逃さず、蓮人は人垣を強引に突破する。
記者たち「た、大陸伝来…?」「伝説の庭師の秘術…?」
蓮人「取材なら学校を通してくれ!よろしく」
走り出す蓮人
蓮人M(適当言ってすまん!だが今は琴乃だ……!)
背後で「待て!」という声が上がったが、蓮人はなりふり構わず走る。

蓮人M(咲いた……本当に咲かせやがった。あいつ、自分の命と引き換えに……!)
蓮人M(琴乃は、俺たちが植樹したエリアのどこかにいるはずだ)

〇円山公園の奥(しだれ桜の前) 人混みから離れた、公園の最奥。
満開の「祇園しだれ桜」の下に、琴乃はいた。
幹に背中を預け、力なく座り込んでいる。
その顔色は透き通るほど白く、憔悴した表情

そこへ蓮人が登場。走り回りながら、あたりを見渡している
蓮人「……琴乃~~~!!」
叫ぶ蓮人。
ザッ、ザッ……。
蓮人の声に気づき、琴乃がゆっくりと目を開ける。
琴乃「……あ。蓮人、くん……」
蓮人「……琴乃!!!やっぱりここだった」
琴乃「…蓮人くんなら、見つけてくれると思っていた」

蓮人は琴乃の前に膝をつく。
怒鳴ろうとしたが、言葉にならなかった。
蓮人M(心配させやがって。無茶ばかりして。)
琴乃が、困ったように眉を下げて笑う。
琴乃「ふふ。……すごい顔。……まだ、怒っている?」
蓮人「当たり前だ! 怒っているに決まってる」
蓮人の声が震える。 琴乃の手を取る。
その手はもう、生きている人間の体温を失いかけていた。

琴乃「……でも、桜、綺麗でしょう?」
琴乃が視線で桜を指す。 蓮人は涙を堪えて、頭上の桜を見上げる。
風が吹き、花びらが雪のように舞い散る。この世のものとは思えない、神々しいまでの美しさ。
琴乃「昔は…この枝垂れ桜だけだった円山公園が、桜で埋め尽くされているわ」
蓮人「ああ。……お前が咲かせたんだ。世界一の桜だよ」
琴乃の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
琴乃「よかった……。蓮人君に、褒めてもらえた……」
蓮人「すまなかった。ずっと、そばにいなくて。……俺が悪かった」
琴乃「ううん、私がわがままだったの。……ねえ、仲直り、してくれる?」
琴乃が、震える小指を差し出す。
蓮人は、自分の小指を力強く絡ませる。
蓮人「ああ。……二度と離さない」
琴乃M(蓮人くんに会えた。また話せた。よかった)
琴乃M(張り詰めていた意地も、死への恐怖も、すべてが消えてゆく)
琴乃は安心して目を閉じる。
琴乃「……よかった。……少しだけ、眠いな」
琴乃「能力(チカラ)、全部、桜の木にあげてしまったから……」

琴乃を抱きしめる蓮人・
琴乃の体から、体温が失われていく。
蓮人M(一万本の桜を咲かせ、京の笑顔を守るために、琴乃は自身の「存在」そのものを使い果たしたんだ)
琴乃「おやすみなさい、蓮人君……」
琴乃の指から力が抜けた。 彼女の体がぐらりと傾き、蓮人の腕の中に崩れ落ちる。

蓮人「……琴乃?」
返事はない。 まるで人形のように動かない。
蓮人「おい……嘘だろ?琴乃!起きろよ!」
蓮人「おい、琴乃ッ!!」
蓮人の絶叫が、満開の桜の下に響き渡った。
美しく残酷な花びらが、動かなくなった二人を埋め尽くすように降り注いでいた。

ナレーション『審判の日まで、あと3日。――奇跡の代償は、あまりにも大きすぎた』