〇平安院学舎・校長室・6月昼 。
蓮人、琴乃、西園寺、アリス、烏丸、白川の6名が、校長室に呼び出されている。
校長の花山院が静かに紅茶を飲んでいる
隣で六角紫門(御前)が煙管(キセル)を燻らせている。
紫門「若人(わこうど)たち。……ずいぶんと『らしく』なってきたじゃねえか」
紫門が紫煙を吐き出す。
その煙が、まるで生き物のように生徒たちにまとわりつく。
西園寺「…時間は有限だ」
アリス「ええ。無駄話なら帰らせていただくわ」
紫門「ククッ、せっかちだねえ。……ま、いいだろう」
紫門が煙管を置き、ニヤリと笑う。
紫門「進捗状況の確認だ。……まずはエリート組、どうだ?」
西園寺「琵琶湖疏水の第一期工事は順調だ 。来春には通水し、日本初の水力発電所の稼働も視野に入れている 。
京都に新たな水とエネルギーの革命が起きるだろう 」
アリス「私の路面電車(電気鉄道)敷設の計画も順調よ 。すでに市内で軌道の敷設が始まっているわ。
これが完成すれば、街の『動脈』として人と物の流れが劇的に改善されるはずよ 」
烏丸「警察組織の改革も進んでいる!西洋式の訓練と装備を導入し、街の治安は劇的に改善した! 」
白川「私のサロンも、完成間近ですわ!華族や文化人の交流拠点となり、新しい文化の発信地として機能しています! 」
4人が自信満々に報告する。 紫門はつまらなそうに鼻を鳴らす。
紫門「ふーん。……で?『数字』はそれでいいとして、肝心の『人』はどうなんだ?」
西園寺「人? どういう意味だ」
紫門「お前らの作った立派な箱物や設備で、京の人間は幸せそうに笑うのかって聞いてんだよ」
西園寺「と、当然 そうなるだろう」
紫門「まあ、京に活気を取り戻せるなら、それでいい」
紫門「効率、効率ってこだわりすぎるなよ。地獄の釜茹でだって、じっくり煮込むから良い出汁が出るんだぜ?」
西園寺たちが言葉に詰まる。 紫門の視線が、蓮人と琴乃に向く。
紫門「……そっちの『泥んこ組』はどうだ?」
琴乃「私たちは、京都中を桜で、埋め尽くします。全国から人が集まる桜の名所にします」
蓮人「……順調です。市民の協力も得て、植樹は計画通りに進んでいます」
琴乃「……きっと、京都中に綺麗な桜を咲かせます」
二人が力強く答える。 紫門は目を細め、煙を吐く。
紫門「……『桜』か。悪くねえが、咲かなきゃただの枯れ木だぜ?」
紫門「ま、精々、気張んな。……期待はしてねえがな」
紫門は立ち上がり、窓の外を見る。
花山院「紫門さん、では発表してください」
紫門「そうだ。登用試験の結果発表日が決定した」
紫門「審判の日時は、来たる4月1日」
紫門「場所は地獄、閻魔大王の玉座の間にて行う」
生徒たちに緊張が走る。
琴乃「4月1日。……桜が満開になる頃だ」
紫門「その日に、テメェらの運命が決まる。……せいぜい、悔いのないようにな」
紫門は煙のように部屋から消える。
残された6人は、それぞれの思惑を胸に沈黙する。
〇嵐山・昼(8月・夏)
強い日差しが照りつける中、市民や学生たちが汗だくで苗木を植えている。
源蔵が、手ぬぐいで汗を拭いながら指示を出している。
源蔵「こらっ! もっと深く掘らんか! 根が張らんと倒れてしまうぞ!」
学生「は、はいっ! すみません!」
〇円山公園・昼(同月) 多くの人々が作業に汗を流している。
蓮人が、市民たちに声をかけている。
蓮人「ここは水はけが悪いので、少し盛り土をしてください!お願いします!」
市民「おう、任せとき! 天宮ちゃん!」
〇琵琶湖疏水付近・昼(同月) 工事中の琵琶湖疎水のそばで、琴乃が女性たちに丁寧に教えている。
琴乃「苗木は、優しく扱ってくださいね。……赤ん坊を抱くように」
女性「あら、琴乃ちゃんったら。……でも、本当に熱心で可愛いわ」
〇鴨川堤防・夕方(9月中旬・晩夏)
夕暮れの河川敷に、源蔵、蓮人、琴乃、
鷹司ら学友12名、市民20名が集まっている。
全員、泥だらけだが、その顔は達成感に満ちている。
源蔵「……皆の者、よくやった!」
源蔵の声が響く。
琴乃「みなさん、これを見てください」
琴乃が地図を広げる
円山公園、嵐山、鴨川堤防
琵琶湖疏水予定地周辺(銀閣寺~岡崎)
蓮人「俺たちは、この4つのエリアに植樹をしてきた」
源蔵「そして本日をもって、目標の1万本!すべての植樹が完了した!」
おおーっ!と歓声が上がる。
学友たちが蓮人の肩を叩き、市民たちが琴乃の手を取って喜ぶ。
鷹司「やったな、天宮!お前、本当にやり遂げたんだな!」
蓮人「ああ。……みんなのおかげだ」
源蔵「ここでひとつ、朗報がある」
源蔵「わしの見立てでは、本来は、この苗木たちが花を咲かせるのは早くて3年後……のはずなんじゃが」
源蔵が首を傾げる。
源蔵「なぜか、もっと早く咲きそうだ。……この『熱気』のせいかのう?」
源蔵「原因は、わしにもわからんが、来年の春には咲いているかもしれん」
市民たち「ええっ!?来年に咲くのかい!?」
「そりゃあ楽しみだ!」
「絶対に花見をしような!」
鷹司「そんなこと、ありえるのか?」
人々がざわめき、期待に胸を膨らませる。
その喧騒の中で、琴乃だけが静かに俯いている。
〇同・帰り道・夜
二人で夜道を歩く。 月明かりが、二人の長い影を落としている。
蓮人「……やったな、琴乃。1万本だぞ」
琴乃「うん。……すごいね、夢みたい」
蓮人「…源蔵さんと3人だけじゃ、無理だった」
琴乃「蓮人くんの人を巻き込む力、さすがだわ」
蓮人「そうだろう???俺ってやっぱりすごいわ」
琴乃の声に元気がないことに、蓮人は気づかない。
蓮人「みんなが植えてくれた苗木。…10月からひとつずつ、お前の『星霜の手のひら』で触れていこう」
蓮人「来年の春、一斉に満開になるように」
琴乃「……うん。私、頑張るわ」
琴乃は、不安そうに自分の左手をそっと握りしめる。
琴乃M(きっと大丈夫。私自身がどうなっても、絶対にやり遂げる)
〇嵐山・紅葉の季節・昼(11月下旬・秋) 季節は巡り、秋が到来。
嵐山の山肌は、真っ赤な紅葉が埋め尽くしている。
蓮人と琴乃が、1本1本苗木を確認しながら歩いている。
しゃがみ込む蓮人と琴乃
蓮人「これで9000本目、残り1000だ」
『星霜の手のひら(せいそうのてのひら)』
植えられた苗木に優しく手を添える琴乃
琴乃「……お願い。来年の春に、咲いて」
琴乃は素手で凍てつく苗木に触れる。
淡い光が、彼女の手から苗木へと吸い込まれていく。
ドクン。 琴乃の心臓が、嫌な音を立てる。
一つ触れるたびに、体から熱が奪われ、視界がぐらりと揺れる。
蓮人「……琴乃、もういい。休息しよう」
蓮人が、琴乃の肩に手を置いた時だ。
琴乃がビクリと体を震わせ、反射的に手を袂(たもと)に隠した。
蓮人「……?」
琴乃「……平気よ。まだ今日はあと50本は頑張る」
蓮人「平気なものか。顔色が悪いぞ」
蓮人は強引に彼女の手首を掴み、隠していた手を引き出した。
蓮人「!」
蓮人は驚く。真っ白な琴乃の手のひら。
蓮人M(氷のように冷たい。感覚がまるで硬い樹皮のようだ)
茶色く変色し始めている琴乃の手のひらを見つめる蓮人。
蓮人「何だ、これは……」
琴乃「……少し冷えただけ。温めれば治るわ」
琴乃は笑顔を作って誤魔化そうとする。
蓮人の手を振りほどこうとする琴乃。
蓮人はその手を離さなかった。
蓮人「ふざけるな!これの何処が『冷えただけ』なものか!」
蓮人の怒声が、静かな山中に響く。
琴乃M(蓮人くんが、初めて怒鳴った)
琴乃が驚いて目を見開く。
蓮人「おまえの体力が削られてるんじゃないのか?だからあんなに弱っていたのか…!」
琴乃「違うの、これは必要なことなの。こうしないと、春に間に合わない……」
蓮人「もう間に合わなくていい!お前にもしものことがあったら???何の意味がある!」
蓮人は琴乃の手を強く握りしめた。
琴乃「私は、蓮人くんの夢、天宮家の再興を叶えてあげたいだけなのよ!」
蓮人「ふざけるな!天宮家も京都も滅びてもいい!…お前がいなくなるくらいなら、俺は世界中を敵に回したっていいんだ!」
蓮人M(復興?名誉?……そんなもの、隣にお前がいなきゃゴミクズだ!)
蓮人「もう登用試験などどうでもいい。合格などしなくていい!お前がこんな体になってまで咲かせる桜など、俺は見たくない!」
バチンッ! 琴乃が、蓮人の手を乱暴に振りほどいた。
琴乃「……どうでもよくなどないわ!」
琴乃の瞳には、今まで見せたことのない、暗く激しい炎が宿っていた。
琴乃「蓮人君には分からないわ!ずっと日陰で、誰からも期待されずに生きてきた私の惨めさが、
何でもできる蓮人君に分かるはずがない!」
蓮人「何だと……?」
琴乃「これは私が決めたことよ!才能もない、力もない落ちこぼれの私が、この世に生きた証を残すには、これしかないの!」
琴乃の目から大粒の涙が溢れ、苗木の上に落ちた。
琴乃「邪魔をしないで……。桜のために死ねるなら本望よ。そんなことも分からない蓮人君なんて……大嫌い!」
鋭利な刃となって蓮人の胸を突き刺した琴乃のセリフ。
蓮人の内側でも、何かがプツリと切れた。
心配が、焦燥が、裏返って黒い怒りとなる。
蓮人「……そうかよ。そんなに死にたいなら勝手にしろ」
蓮人M(言っちまった…)
蓮人「俺だって、もううんざりだ。お前のその『悲劇のヒロイン』気取りの自殺行為には、付き合いきれん」
琴乃「っ……!」
蓮人「好きにすればいい。俺はもう降りる」
琴乃の顔が絶望に歪むのを、蓮人は見ようとしなかった。
琴乃「私は、昔の、人気者で自信にあふれていた蓮人くんを取り戻したいだけなの」
琴乃は唇を血が滲むほど噛み締め、背を向けた。
琴乃「……さようなら。二度と、私の前に現れないで」
拒絶の言葉と共に、琴乃は走り去っていく。 一度も振り返ることなく。
蓮人は一人、嵐山の河川敷に取り残された。
追いかける足が動かなかった。
蓮人「お前と2人で見る桜だから、俺にとっては大きな価値があるんだよ!!!」
蓮人「お前がいなくなるなんて、俺は絶対に許さない!認めないぞ!」
琴乃が去ったあと、叫ぶ蓮人
ただ冷たい風だけが吹き抜けていく。
ナレーション『春まで、あと4ヶ月。――2人の時間は、ここで凍りついた』
蓮人、琴乃、西園寺、アリス、烏丸、白川の6名が、校長室に呼び出されている。
校長の花山院が静かに紅茶を飲んでいる
隣で六角紫門(御前)が煙管(キセル)を燻らせている。
紫門「若人(わこうど)たち。……ずいぶんと『らしく』なってきたじゃねえか」
紫門が紫煙を吐き出す。
その煙が、まるで生き物のように生徒たちにまとわりつく。
西園寺「…時間は有限だ」
アリス「ええ。無駄話なら帰らせていただくわ」
紫門「ククッ、せっかちだねえ。……ま、いいだろう」
紫門が煙管を置き、ニヤリと笑う。
紫門「進捗状況の確認だ。……まずはエリート組、どうだ?」
西園寺「琵琶湖疏水の第一期工事は順調だ 。来春には通水し、日本初の水力発電所の稼働も視野に入れている 。
京都に新たな水とエネルギーの革命が起きるだろう 」
アリス「私の路面電車(電気鉄道)敷設の計画も順調よ 。すでに市内で軌道の敷設が始まっているわ。
これが完成すれば、街の『動脈』として人と物の流れが劇的に改善されるはずよ 」
烏丸「警察組織の改革も進んでいる!西洋式の訓練と装備を導入し、街の治安は劇的に改善した! 」
白川「私のサロンも、完成間近ですわ!華族や文化人の交流拠点となり、新しい文化の発信地として機能しています! 」
4人が自信満々に報告する。 紫門はつまらなそうに鼻を鳴らす。
紫門「ふーん。……で?『数字』はそれでいいとして、肝心の『人』はどうなんだ?」
西園寺「人? どういう意味だ」
紫門「お前らの作った立派な箱物や設備で、京の人間は幸せそうに笑うのかって聞いてんだよ」
西園寺「と、当然 そうなるだろう」
紫門「まあ、京に活気を取り戻せるなら、それでいい」
紫門「効率、効率ってこだわりすぎるなよ。地獄の釜茹でだって、じっくり煮込むから良い出汁が出るんだぜ?」
西園寺たちが言葉に詰まる。 紫門の視線が、蓮人と琴乃に向く。
紫門「……そっちの『泥んこ組』はどうだ?」
琴乃「私たちは、京都中を桜で、埋め尽くします。全国から人が集まる桜の名所にします」
蓮人「……順調です。市民の協力も得て、植樹は計画通りに進んでいます」
琴乃「……きっと、京都中に綺麗な桜を咲かせます」
二人が力強く答える。 紫門は目を細め、煙を吐く。
紫門「……『桜』か。悪くねえが、咲かなきゃただの枯れ木だぜ?」
紫門「ま、精々、気張んな。……期待はしてねえがな」
紫門は立ち上がり、窓の外を見る。
花山院「紫門さん、では発表してください」
紫門「そうだ。登用試験の結果発表日が決定した」
紫門「審判の日時は、来たる4月1日」
紫門「場所は地獄、閻魔大王の玉座の間にて行う」
生徒たちに緊張が走る。
琴乃「4月1日。……桜が満開になる頃だ」
紫門「その日に、テメェらの運命が決まる。……せいぜい、悔いのないようにな」
紫門は煙のように部屋から消える。
残された6人は、それぞれの思惑を胸に沈黙する。
〇嵐山・昼(8月・夏)
強い日差しが照りつける中、市民や学生たちが汗だくで苗木を植えている。
源蔵が、手ぬぐいで汗を拭いながら指示を出している。
源蔵「こらっ! もっと深く掘らんか! 根が張らんと倒れてしまうぞ!」
学生「は、はいっ! すみません!」
〇円山公園・昼(同月) 多くの人々が作業に汗を流している。
蓮人が、市民たちに声をかけている。
蓮人「ここは水はけが悪いので、少し盛り土をしてください!お願いします!」
市民「おう、任せとき! 天宮ちゃん!」
〇琵琶湖疏水付近・昼(同月) 工事中の琵琶湖疎水のそばで、琴乃が女性たちに丁寧に教えている。
琴乃「苗木は、優しく扱ってくださいね。……赤ん坊を抱くように」
女性「あら、琴乃ちゃんったら。……でも、本当に熱心で可愛いわ」
〇鴨川堤防・夕方(9月中旬・晩夏)
夕暮れの河川敷に、源蔵、蓮人、琴乃、
鷹司ら学友12名、市民20名が集まっている。
全員、泥だらけだが、その顔は達成感に満ちている。
源蔵「……皆の者、よくやった!」
源蔵の声が響く。
琴乃「みなさん、これを見てください」
琴乃が地図を広げる
円山公園、嵐山、鴨川堤防
琵琶湖疏水予定地周辺(銀閣寺~岡崎)
蓮人「俺たちは、この4つのエリアに植樹をしてきた」
源蔵「そして本日をもって、目標の1万本!すべての植樹が完了した!」
おおーっ!と歓声が上がる。
学友たちが蓮人の肩を叩き、市民たちが琴乃の手を取って喜ぶ。
鷹司「やったな、天宮!お前、本当にやり遂げたんだな!」
蓮人「ああ。……みんなのおかげだ」
源蔵「ここでひとつ、朗報がある」
源蔵「わしの見立てでは、本来は、この苗木たちが花を咲かせるのは早くて3年後……のはずなんじゃが」
源蔵が首を傾げる。
源蔵「なぜか、もっと早く咲きそうだ。……この『熱気』のせいかのう?」
源蔵「原因は、わしにもわからんが、来年の春には咲いているかもしれん」
市民たち「ええっ!?来年に咲くのかい!?」
「そりゃあ楽しみだ!」
「絶対に花見をしような!」
鷹司「そんなこと、ありえるのか?」
人々がざわめき、期待に胸を膨らませる。
その喧騒の中で、琴乃だけが静かに俯いている。
〇同・帰り道・夜
二人で夜道を歩く。 月明かりが、二人の長い影を落としている。
蓮人「……やったな、琴乃。1万本だぞ」
琴乃「うん。……すごいね、夢みたい」
蓮人「…源蔵さんと3人だけじゃ、無理だった」
琴乃「蓮人くんの人を巻き込む力、さすがだわ」
蓮人「そうだろう???俺ってやっぱりすごいわ」
琴乃の声に元気がないことに、蓮人は気づかない。
蓮人「みんなが植えてくれた苗木。…10月からひとつずつ、お前の『星霜の手のひら』で触れていこう」
蓮人「来年の春、一斉に満開になるように」
琴乃「……うん。私、頑張るわ」
琴乃は、不安そうに自分の左手をそっと握りしめる。
琴乃M(きっと大丈夫。私自身がどうなっても、絶対にやり遂げる)
〇嵐山・紅葉の季節・昼(11月下旬・秋) 季節は巡り、秋が到来。
嵐山の山肌は、真っ赤な紅葉が埋め尽くしている。
蓮人と琴乃が、1本1本苗木を確認しながら歩いている。
しゃがみ込む蓮人と琴乃
蓮人「これで9000本目、残り1000だ」
『星霜の手のひら(せいそうのてのひら)』
植えられた苗木に優しく手を添える琴乃
琴乃「……お願い。来年の春に、咲いて」
琴乃は素手で凍てつく苗木に触れる。
淡い光が、彼女の手から苗木へと吸い込まれていく。
ドクン。 琴乃の心臓が、嫌な音を立てる。
一つ触れるたびに、体から熱が奪われ、視界がぐらりと揺れる。
蓮人「……琴乃、もういい。休息しよう」
蓮人が、琴乃の肩に手を置いた時だ。
琴乃がビクリと体を震わせ、反射的に手を袂(たもと)に隠した。
蓮人「……?」
琴乃「……平気よ。まだ今日はあと50本は頑張る」
蓮人「平気なものか。顔色が悪いぞ」
蓮人は強引に彼女の手首を掴み、隠していた手を引き出した。
蓮人「!」
蓮人は驚く。真っ白な琴乃の手のひら。
蓮人M(氷のように冷たい。感覚がまるで硬い樹皮のようだ)
茶色く変色し始めている琴乃の手のひらを見つめる蓮人。
蓮人「何だ、これは……」
琴乃「……少し冷えただけ。温めれば治るわ」
琴乃は笑顔を作って誤魔化そうとする。
蓮人の手を振りほどこうとする琴乃。
蓮人はその手を離さなかった。
蓮人「ふざけるな!これの何処が『冷えただけ』なものか!」
蓮人の怒声が、静かな山中に響く。
琴乃M(蓮人くんが、初めて怒鳴った)
琴乃が驚いて目を見開く。
蓮人「おまえの体力が削られてるんじゃないのか?だからあんなに弱っていたのか…!」
琴乃「違うの、これは必要なことなの。こうしないと、春に間に合わない……」
蓮人「もう間に合わなくていい!お前にもしものことがあったら???何の意味がある!」
蓮人は琴乃の手を強く握りしめた。
琴乃「私は、蓮人くんの夢、天宮家の再興を叶えてあげたいだけなのよ!」
蓮人「ふざけるな!天宮家も京都も滅びてもいい!…お前がいなくなるくらいなら、俺は世界中を敵に回したっていいんだ!」
蓮人M(復興?名誉?……そんなもの、隣にお前がいなきゃゴミクズだ!)
蓮人「もう登用試験などどうでもいい。合格などしなくていい!お前がこんな体になってまで咲かせる桜など、俺は見たくない!」
バチンッ! 琴乃が、蓮人の手を乱暴に振りほどいた。
琴乃「……どうでもよくなどないわ!」
琴乃の瞳には、今まで見せたことのない、暗く激しい炎が宿っていた。
琴乃「蓮人君には分からないわ!ずっと日陰で、誰からも期待されずに生きてきた私の惨めさが、
何でもできる蓮人君に分かるはずがない!」
蓮人「何だと……?」
琴乃「これは私が決めたことよ!才能もない、力もない落ちこぼれの私が、この世に生きた証を残すには、これしかないの!」
琴乃の目から大粒の涙が溢れ、苗木の上に落ちた。
琴乃「邪魔をしないで……。桜のために死ねるなら本望よ。そんなことも分からない蓮人君なんて……大嫌い!」
鋭利な刃となって蓮人の胸を突き刺した琴乃のセリフ。
蓮人の内側でも、何かがプツリと切れた。
心配が、焦燥が、裏返って黒い怒りとなる。
蓮人「……そうかよ。そんなに死にたいなら勝手にしろ」
蓮人M(言っちまった…)
蓮人「俺だって、もううんざりだ。お前のその『悲劇のヒロイン』気取りの自殺行為には、付き合いきれん」
琴乃「っ……!」
蓮人「好きにすればいい。俺はもう降りる」
琴乃の顔が絶望に歪むのを、蓮人は見ようとしなかった。
琴乃「私は、昔の、人気者で自信にあふれていた蓮人くんを取り戻したいだけなの」
琴乃は唇を血が滲むほど噛み締め、背を向けた。
琴乃「……さようなら。二度と、私の前に現れないで」
拒絶の言葉と共に、琴乃は走り去っていく。 一度も振り返ることなく。
蓮人は一人、嵐山の河川敷に取り残された。
追いかける足が動かなかった。
蓮人「お前と2人で見る桜だから、俺にとっては大きな価値があるんだよ!!!」
蓮人「お前がいなくなるなんて、俺は絶対に許さない!認めないぞ!」
琴乃が去ったあと、叫ぶ蓮人
ただ冷たい風だけが吹き抜けていく。
ナレーション『春まで、あと4ヶ月。――2人の時間は、ここで凍りついた』

