〇京都府庁・土木課・昼
書類が山積みの薄暗い部屋。
課長の保科(ほしな・40代)が、面倒くさそうに印鑑を拭いている。
その前に、蓮人と琴乃が立っている。
保科「……却下だ」
保科は、蓮人が出した申請書を、読みもせずに突き返す。
蓮人「ちょっと課長! まだ中身も見てないでしょう!」
保科「見なくても分かる。『前例がない』」
保科「鴨川の堤防に桜?根が張って堤防が弱くなったらどうする。誰が責任を取るんだ」
蓮人「源蔵さん……元皇室御用達の庭師が監修します。土留めの計算もできてます!」
保科「あんな酔っ払いの言うことが信じられるか。却下だ、却下」
保科はあくびをして、新聞を広げる。

琴乃M(典型的な事なかれ主義。 「何もしないこと」が「一番の仕事」だと思っている男)
蓮人「くそっ……この分からず屋が……!」
蓮人が机を叩こうとする。
琴乃がそれを制し、蓮人の袖を引く。
琴乃「(小声)……蓮人くん、ちょっと待って」
琴乃「課長、少しお待ちください。二人で話し合いますね」
保科「勝手にしろ」

保科の机から、少し距離を置く二人。
琴乃「あの人の机……見て」
〇琴乃の視点 保科の机の上。
書類は乱雑だが、一箇所だけ綺麗に整頓されているスペースがある。
書類の山の中に、一枚の「行事予定表」が紛れている。
そこには赤ペンで『明日午前9時 北垣知事、三条大橋付近を査察』と記されている。
保科の視線は、新聞を読んでいるようでいて、チラチラと「知事室(天井)」と、その予定表を気にしている。
さらに、保科の視線は、新聞を読んでいるようでいて、チラチラと天井の一点を気にしている。

琴乃M(あの上は、知事室)
琴乃M(あのおじさん、自分の意見なんてない。…常に「上」の顔色だけを伺ってる)
琴乃M(『判断基準は「正しいか」じゃない。「知事と同じ意見か」だけでは?)
琴乃「(小声)……蓮人くん。あの人、たぶん北垣知事の意向であれば、話を聞くよ」
蓮人「……!」
琴乃「(小声)彼は『知事が喜ぶこと』なら、何でもやるはず。明日、知事は三条大橋付近を査察するみたい」
蓮人「……!」
蓮人、ニヤリと笑う。 「策士」のスイッチが入る。

〇琴乃の視点 市役所の壁。
市役所の壁には「新聞記事の切り抜き」が額に入れて飾られている。
見出しは『北垣知事、京都の未来を語る』。 琴乃の目が、ある一文を捉える。
『我々は工場やダムを作るが、それによって古都の美観を損ねてはならない』
『潤いのない乾いた街に、繁栄はない。私は、花と緑溢れる京都を取り戻したい』

琴乃M(……この課長、知事の記事を飾ってるけど、中身を理解してない)
琴乃M(知事は「開発」だけじゃなく、「景観(花)」を求めてる)
琴乃M(そして……明日、三条大橋付近を通る)
琴乃「(小声)……蓮人くん。あそこの記事、読める?」
蓮人「(小声)あん?『花と緑を取り戻したい』……?」
琴乃「(小声)そう。知事は今の殺風景な工事現場を、良く思ってないはずよ」
琴乃「もし明日、そこに見事な『花』があったら……どう思うかな?」

蓮人「(小声)……なるほどな」
蓮人「(小声)じゃあ、知事に『喜んで』もらえばいいわけだ」
琴乃「(小声)へへ。私、よく観てるでしょう」
蓮人「(小声)……ああ、さすがだ」

蓮人、保科に向き直り、再び、彼の席の近くまで行く。
蓮人、芝居がかった声で言う。
蓮人「分かりました!では、出直します!」
蓮人「いやあ、残念だなあ。明日の『知事の査察』に合わせて、少しでも景色を良くしようと思ったんですが」
保科「……あん? 知事だと?」
蓮人「ええ。実は明日、知事が鴨川付近の視察をされるそうで」
保科がピクリと反応する。
蓮人「殺風景な川縁(かわべり)のまま、知事をお通しすることになりますね。……では!」
保科「な、何っ!?」
蓮人「では、失礼!」
蓮人と琴乃はさっさと部屋を出て行く。

〇鴨川堤防・夜(深夜) 月明かりだけの河川敷。
蓮人と琴乃が、スコップで穴を掘っている。 源蔵も手伝っている。

源蔵「おい若造。本当にやるんか?」
蓮人「ああ。既成事実を作っちまうんだ」
蓮人「琴乃、いけるか?」
琴乃「……うん」
琴乃の目の前には、一本の若木。
まだ花もついていない、ひょろりとした桜の苗木。
琴乃は手袋を外し、深呼吸する。
琴乃M(あのときの実験を思い出せ。イメージするのは「5年分の成長」)
『星霜(せいそう)の手のひら』
琴乃「……咲いて」
琴乃が苗木の幹に触れる。
ボウッ……。
淡い光と共に、苗木が脈打つ。
幹が太くなり、枝が伸び、蕾が膨らむ。 そして――。
バッッ!!
静寂の中に、満開の桜が爆ぜるように咲き誇る。 闇夜に浮かぶ、一本の奇跡。
源蔵「おぉ……! こりゃあすげえ……!」
腰を抜かす源蔵
源蔵「狐につままれたようじゃが……見事な桜じゃ」

琴乃、ふらついて膝をつく。
顔色が青白い。
琴乃M(……なに、これ)
琴乃M(体が……鉛みたいに重い』
琴乃M(指先の感覚がない。……体の中身が、ごっそり抜け落ちたみたい』
そして、月明かりの下、肩にかかる黒髪の数本が、わずかに白くなっている。
琴乃「……っ!」
琴乃、白くなった髪を見て息を呑む。
琴乃M(髪が……白く……?)
琴乃M(大木の「時間」を急激に進めた代償に、私の「体力も」が奪われたの?)
蓮人「琴乃!」
蓮人が慌てて支える。
琴乃「……っ」
琴乃はハッとして、すぐに白い髪を内側に隠し、精一杯の笑顔を作る。
琴乃M(言えない。……絶対に)
琴乃M(知られたら、蓮人くんはもう二度と、私に能力を使わせてくれない)
琴乃M(そうか。今まで触ったものは全て小さな生物や植物だった。だから影響は小さかったんだ)

琴乃「だ、大丈夫……。ちょっと立ちくらみしただけ……」
蓮人は琴乃の体を支えながら、満開の桜を見上げる。

蓮人「上出来だ。……これで『舞台』は整った」
源蔵「若造!これはどういうこった???」
蓮人「まあまあ、源蔵さん。細かいことは気にしない。気にしない」
源蔵「庭師としては、気になるぞ。説明しろ」
蓮人「偶然です。偶然。たまたま特殊な品種だったんですって」
源蔵「そんなわけあるか」
蓮人「夜桜を見ながら、飲みましょう」
源蔵に酒を注ぐ、蓮人。
蓮人M(酔わせて、忘れさせればいいだろ)

〇翌朝・三条大橋(午前九時)
一台の馬車が、橋をゆっくりと渡っていく。
中には、髭を蓄えた威厳ある男性――北垣国道知事。
そして、その横で揉み手をしながら案内する保科課長。

保科「……ええ、この橋の補修も順調に進んでおりまして……」
北垣「うむ。……ん?」
北垣知事が、ふと窓の外を見る。
殺風景な河原の中に、ポツンと一本だけ、満開に咲き誇る桜がある。
朝日に照らされ、そこだけ別世界のように美しい。

北垣「おお……。見事な桜だ」
保科「えっ?」
北垣「しかしもう五月だろ。これは珍しい。」
保科、慌てて窓の外を見る。
昨日は影も形もなかった場所に、巨大な一本桜が咲いている。
保科「な、ななな……ッ!?」
保科M(なんだあれは!?昨日はなかったぞ!?)
北垣「殺風景な河原に、1本だけ植樹していたのか」
北垣「無粋な工事現場の中に咲く、一輪の花。……風流だな、保科君」
保科「は、はひっ!?」
北垣「誰の計らいだろう?なかなか粋なことをする」
北垣「……やはり、京には花が必要だ。もっと桜を増やしてもいいかもな」

知事は満足そうに微笑む 。
保科は、開いた口が塞がらないまま、その場に取り残される。

〇数日後・京都府庁・応接室
蓮人が呼び出されている。 対面する保科は、バツが悪そうに咳払いをする。
保科「……コホン。検討した結果だ」
保科「知事が……いや、私が!君たちの熱意に免じて、特別に許可を出そう」
保科、ドンと許可証の束を置く。
保科「鴨川だけじゃない。嵐山、岡崎、円山公園……申請のあった全箇所だ」
保科「その代わり!すべて『私の指導のもとに行われた事業』として報告するからな!いいな!」
蓮人、許可証の山を手に取り、ニヤリと笑う。
蓮人「ええ、もちろんですとも」
蓮人「保科課長の『英断』に、感謝します」

〇鴨川堤防 1週間後
琴乃と蓮人が、並んで「季節外れの桜」を見ている。
蓮人の手には、4箇所すべての「植樹許可証」。

琴乃「……すごい。全部、許可もらっちゃった」
蓮人「ああ。あの課長、保身と手柄のためなら見境なかったな」
蓮人、許可証をヒラヒラさせる。
蓮人「権威に弱い奴ほど、扱いやすい手駒はいねえ」
蓮人「これで『場所』の問題はクリアだ。……あとは、植えるだけだ」
蓮人、琴乃の手(手袋)をそっと握る。
蓮人「無理させたかな。…美味いもん食わせてやるから」
琴乃「ふふ。……うん、楽しみ」

〇三条大橋
二人の背後で、あの1本桜が風に揺れ、花びらを舞い散らせる。
その花びらが、川面をピンク色に染めて流れていく。
蓮人が遠くを見つめる。
蓮人「よし、琴乃。これで資金、技術、植樹場所…全てが整った」
ナレーション『第3の壁・植樹場所。――完全突破』