ナレーション
――明治6年(1873年)・京都。
東京遷都から数年、かつての王城の街は静かに衰え始めていた。
〇焼け落ちたまま放置された古い寺の門。
その足元で、職を失った着物姿の元士族が、うつろな目で座り込んでいる。
その古びた寺の境内
人気のない、寂れた神社の境内。
木漏れ日が揺れている。
本堂の縁側に、幼い天宮蓮人(あまみやれんと / 7歳)が座り込んでいる。
服は泥だらけ、膝は擦りむけ、頬には殴られたような痣。
蓮人「…ぐすっ…うぅ…初めて喧嘩で負けた」
蓮人、膝に顔を埋めて泣いている。
悔しさと痛みで、肩が震えている。
そこへ、砂利を踏む音。
幼い九条琴乃(くじょうことの / 7歳)がやってくる。
蓮人「……っ!」
蓮人、慌てて涙を拭おうとするが、間に合わない。
蓮人M(一番見られたくない姿を見られた)
蓮人「……なんだよ。あっち行けよ……」
琴乃「…………」
琴乃「…………」
琴乃が蓮人の隣にストンと座る。
そして、くるりと蓮人に背中を向ける。
琴乃「…………」
蓮人「……え?」
背中合わせで座る琴乃
琴乃は、背を向け。空を見上げたまま、動かない。
琴乃「……まだ見ないよ」
琴乃「蓮人くんが泣き終わるまで、空を見てる」
蓮人「…………」
蓮人の目から、堰を切ったように涙が溢れる。
琴乃は背中で、蓮人の嗚咽を静かに聞いている。
風が吹き抜け、木々がざわめく。
蓮人の泣き声が止まる。
琴乃「……もう、見ていいかな?」
蓮人「…お…おう」
琴乃、ゆっくりと振り返る。
蓮人は目を赤くしながらも、強がって鼻をすする。
蓮人M(……誰にも見せたくなかった泣き顔。全部わかってくれてる)
蓮人M(こいつだけになら俺は、弱さも見せられるかも)
琴乃「……はい」
琴乃、着物のポケットから、潰れた駄菓子を取り出し、半分に割って差し出す。
琴乃「半分こ」
蓮人「……サンキュ」
二人、縁側で並んで菓子を食べる。
琴乃「……私たち、授業サボっちゃったね」
蓮人「……ああ」
琴乃「先生に怒られるかな。お父様にも」
誰もいない昼間の境内。
琴乃「悪いことしたから……私たち、地獄行きかな?」
琴乃が不安そうに呟く。
蓮人は口元の砂糖を舐めとり、ぶっきらぼうに言う
蓮人「……お前と一緒なら、地獄でもいいや」
琴乃「え?」
蓮人、顔を赤くしてそっぽを向く。
蓮人「一人じゃ嫌だけど、琴乃がいるなら……地獄も悪くねえってことだよ」
二人の影が、古い神社の床に長く伸びている。
背景に「六道の辻」の古い石碑が見えている。
〇夕焼けのあぜ道・同 幼い二つの小さな影が、手を繋いで長く伸びている。
蓮人M(世界でただひとり。琴乃だけには俺の弱さを見せられる)
蓮人M(あの日、俺の世界は…こいつと共にあると決まった)
〇京都市中・昼 10年後の明治16年(1883年)
蓮人M(あれから10年が過ぎた。俺たちは成長した。けれど、京都は確実に老いていった―)
瓦屋根の古い町家の向こうに、建設中の西洋建築の骨組みやガス灯が見える。
文明開化の音(蒸気や工事の音)と、寺の鐘の音が混ざり合う、歪な風景。
路地裏で、子供たちが手毬をつきながら歌っている。
子供たち「六道の~辻~♪ 地獄の入り口~♪ 篁(たかむら)さんが~♪」
通りがかりの洋装の紳士が、それを聞いて鼻で笑う。
紳士「フン、いつまでそんな迷信を。これだから京都は……」
〇京都市中・同
真新しい西洋風のレンガ造りの工場が建ち、黒い煙を吐き出している。
工場の壁には「文明開化」の張り紙。 その一方で古い寂れた寺院も見える。
「美しさ」と「汚さ」「富」と「貧」が混在する、混沌とした風景。
〇名門校、平安院学舎の教室・昼休み 和洋折衷の豪奢な教室。
ステンドグラスから光が差し込む。 窓際の明るい席には、華やかな生徒たちが集まっている。
その中心にいる西園寺響一郎(16)。
片手には英字新聞、もう片方の手には懐中時計。秒針を睨んでいる。
別の集団の中心にいる鹿鳴館アリス(16)。
レースのハンカチで鼻と口を覆いながら、扇子を使っている。
アリス「オーマイガッ! 窓を開けてくださらない? 空気が『ダスティ』よ!」
アリス「日本の教室はどうしてこう、カビ臭いのかしら。…アンビリーバボーだわ」
〇同・教室の隅(廊下側) 対照的に薄暗い席。
天宮蓮人(16)、机に突っ伏して寝たふりをしている。
その隣の席で、琴乃は小さくなって書物を読んでいる。
ふたりの周りだけ、空気が淀んでいるような疎外感。
蓮人M『ここは選ばれた華族の子息だけが通う平安院学舎。家柄と金がすべてのカースト社会』
蓮人M『俺たち「持たざる者」は、息を殺して嵐が過ぎるのを待つ。……ここでは俺たちはただの「空気」だ』
〇平安院学舎の教室・昼休み
西園寺響一郎の机の上。
西園寺「……遅い」
給仕の生徒「お、お待たせしました西園寺様! 紅茶のお代わりです!」
西園寺「45秒。……紅茶一杯持ってくるのに、君は僕の人生を45秒も浪費させた」
給仕の生徒「も、申し訳ありません!」
西園寺「君のその無駄な動きが、日本の近代化を遅らせるんだ。……去れ」
銀の食器に盛られた、湯気の立つビーフシチューと白パン。
蓮人の机の上。 古新聞の上に置かれた、梅干しだけの冷たい握り飯が二つ。
蓮人はそれを隠すように、急いで口に詰め込んでいる。
食べ終わった蓮人が移動しようとして、西園寺の机の横を通る。
西園寺、新聞から目を離さずに呟く。
西園寺「……10秒」
蓮人、足を止める。
蓮人「へ?」
西園寺「君が僕の視界を横切って、不快な貧乏神のオーラを撒き散らした時間だ」
西園寺「天宮……だったか。5年前に当主が事業で失敗した家柄の」
西園寺「僕の貴重な時間を、君の『存在』で浪費させないでくれたまえ」
教室中が静まり返り、冷ややかな視線が蓮人に集中する。
蓮人、拳をギュッと握りしめる描写。拳アップ・血管浮く
蓮人M (……こいつ、マジでぶん殴りてえ)
蓮人はわざとらしく大袈裟に、ヘラっとした愛想笑いを浮かべる。
蓮人「ひえぇ~! こりゃ失礼しました西園寺様!」
蓮人「俺みたいなゴミが高貴な視界に入っちまって……すぐ消えますんで!換気!換気しときますね~!」
道化のように振る舞い、逃げるように去る蓮人。
西園寺は興味なさそうに「……ふん」と鼻を鳴らし、懐中時計をしまう。
〇同・琴乃の席
その様子を見ていた九条琴乃(16)。心配そうに蓮人を目で追う。
一見、怯えているように見える。
その瞳の奥には、どす黒い炎が宿っている。
琴乃M(……あいつ、死ねばいいのに)
琴乃M(蓮人くんの貴重な演技を、あんな特等席で見ておいて……何その態度?)
琴乃M(眼球くり抜いて洗ってこい)
そこに鹿鳴館アリスの派手なドレスの裾が視界に入る。
アリス「あらあら。天宮が心配なの?お似合いね、没落同士」
琴乃、ビクッとして見上げる。 アリス、侮蔑の眼差しで見下ろしている。
アリス「九条家と言えば……六〇年ほど前の当主の『とんでもない失態』で衰退した一族よね?」
アリス「内容は知らないけれど……あなたを見てると分かるわ。きっと、よほど恥ずかしい事をしたんでしょうね」
琴乃「……っ」
琴乃M(ご先祖様の失態……?何のこと……?)
アリス「天宮家と同じで九条家も、今や悲惨な状態」
琴乃「ご迷惑はおかけしませんから」
琴乃M(そんなドレスで着飾っても無駄よ。蓮人くんは、そんな布きれ一枚で靡(なび)くような安い男じゃないわ)
アリス「目障りよ。化石はミュージアムにお帰りなさい」
アリスの高笑い。 琴乃は何も言い返せず、俯くことしかできない。
〇京都市中・昼(現在・明治八年)
活気のない大通り。 大戸(シャッター)を下ろしたままの商家が並び、
軒先には「貸家」「売家」の札が雨風に晒されている。
路傍には、首の欠けた地蔵や、打ち壊されたまま放置された仏像が転がっている(廃仏毀釈の爪痕)
かつての王城の華やかさは見る影もなく、街全体が灰色に沈んでいる。
〇鴨川の河川敷・夕方 夕暮れの河原。
他に人はおらず、川の流れる音だけが聞こえる。
蓮人は道端の小石を蹴りながら、苛立ちを隠せない様子で歩いている。
琴乃「……蓮人くん」
蓮人「ん?」
琴乃「あんな愛想笑い……しなくていいのに」
蓮人、ぴたりと足を止める。
蓮人「……仕方ないだろ。今の俺たちは『空気』だ。嵐が過ぎるのを待つしかない」
蓮人「あそこで俺がヘラヘラしとけば、お前への被害も減るだろ?」
琴乃「っ……また、そうやって……私のために泥をかぶる」
琴乃「でも……悔しいよ」
琴乃、ギュッと学生鞄を抱きしめる。
琴乃「私なんかが言われるのはいいの。でも、蓮人くんまで……」
琴乃「5年前までの蓮人くんは、あんな奴ら相手にしなかった。…クラスのみんなの中心にいて、
太陽みたいで……いつだって堂々としてた」
琴乃「私……あの頃の蓮人くんに戻ってほしい」
蓮人、バツが悪そうに視線を逸らす。
川面に石を投げる。水切りができず、ボチャンと沈む。
蓮人「…無理だよ。どうやって戻れるんだよ」
蓮人「親父が借金まみれで蒸発して、家も失って……今の俺はただの『血筋だけの貧乏人』だ」
蓮人「ハッタリかまして虚勢張ったって、金と地位がなきゃ誰もついてこない。…それが現実だ」
琴乃、悲しげな瞳で蓮人の横顔を見つめる。
〇河川敷、草むら
「みゃあ……」
一匹の野良猫(子猫)が草むらから出てくる。
琴乃「あ、猫ちゃん」
琴乃、しゃがみこんで手を伸ばす。
子猫は元気よく琴乃の手に頭を擦り付ける。
琴乃「可愛い……。お腹空いてるのかな?」
琴乃、愛おしそうに左手の指先で子猫の背中を撫でる。
蓮人、それを横でぼんやり見ている。
〇同・異変 琴乃が撫でて数秒後。
子猫の動きが止まる。 「……みゃ……ぅ……」
さっきまで元気よく飛び跳ねていた子猫が、急にトロンとした目になり、あくびをして、その場にコテリと横になる。
まるで、急激に老け込んだかのように、動きが鈍くなっている。
琴乃「あれ?どうしたの?急に眠っちゃった」
蓮人M(……なんだ?)
蓮人の目(アップ)。鋭い観察眼が光る。
蓮人M(ただ眠っただけじゃない。……毛艶が、一瞬で悪くなったような……?)
蓮人M(今の猫、まるで『年寄り』みたいな動きじゃなかったか?)
蓮人、琴乃の手と、ぐったりした子猫を交互に見る。
蓮人「……おい、琴乃」
蓮人「お前、今……何をした?」
琴乃「え? 撫でただけだよ?」
キョトンとする琴乃と、得体の知れない違和感を感じて背筋が寒くなる蓮人。
不穏な空気を残したまま、風が強く吹く。
〇六道珍皇寺の前・夕方
「六道の辻」の石碑が夕日に照らされている。
境内からは線香の匂いが漂い、独特の薄暗い空気が流れている。
寺の門前で、町娘たちがひそひそと話している。
町娘A「ねえ、聞いた?夕べ、また『井戸』の中から音がしたんだって」
町娘B「やだ、怖い……。やっぱりあそこ、本当に『地獄』に繋がってるのかしら」
学生C「平安時代の小野篁公の伝説だろ?昼は朝廷、夜は地獄の閻魔庁にお勤めってやつ」
学生C「最近、京の都は物騒だからなぁ……。地獄の釜の蓋が開いて、死人が溢れ出してなきゃいいけど」
その横を通り過ぎる蓮人と琴乃。
蓮人「……くだらねえ。」
蓮人、興味なさそうに吐き捨てる。
蓮人「地獄だの…閻魔だの、そんなの迷信だろ」
蓮人「地獄より怖いのは貧乏だ。……行くぞ、琴乃」
琴乃「……うん」
琴乃、蓮人の背中を追いかけようとするが、ふと足を止める。 閉ざされた山門の奥、闇に沈む境内を見つめる。
蓮人「おい、琴乃。置いてくぞ」
琴乃「あ、待って!」
琴乃、小走りで蓮人を追いかける。 二人の足音が遠ざかっていく。
その場には、夜風の音だけが残る。
〇同・境内(二人が去った後)
一般人は立ち入り禁止の時間帯。 本堂の内部。
静寂に包まれている。 そこに本堂の奥に古びた井戸がある。
その井戸の縁(ふち)に、一人の男が腰掛けている。
着流し姿の男。 月明かりの下、無言でキセルを咥えている。
男「――――」
長く紫煙を吐き出す。 その煙が、生き物のように井戸の底へと吸い込まれていく。
男は表情一つ変えず、音もなく井戸の中へ身を躍らせた。
ドプン……。
男の姿が闇に消える。 あとには、ゆらゆらと揺れる彼岸花が一輪だけ残される。
――明治6年(1873年)・京都。
東京遷都から数年、かつての王城の街は静かに衰え始めていた。
〇焼け落ちたまま放置された古い寺の門。
その足元で、職を失った着物姿の元士族が、うつろな目で座り込んでいる。
その古びた寺の境内
人気のない、寂れた神社の境内。
木漏れ日が揺れている。
本堂の縁側に、幼い天宮蓮人(あまみやれんと / 7歳)が座り込んでいる。
服は泥だらけ、膝は擦りむけ、頬には殴られたような痣。
蓮人「…ぐすっ…うぅ…初めて喧嘩で負けた」
蓮人、膝に顔を埋めて泣いている。
悔しさと痛みで、肩が震えている。
そこへ、砂利を踏む音。
幼い九条琴乃(くじょうことの / 7歳)がやってくる。
蓮人「……っ!」
蓮人、慌てて涙を拭おうとするが、間に合わない。
蓮人M(一番見られたくない姿を見られた)
蓮人「……なんだよ。あっち行けよ……」
琴乃「…………」
琴乃「…………」
琴乃が蓮人の隣にストンと座る。
そして、くるりと蓮人に背中を向ける。
琴乃「…………」
蓮人「……え?」
背中合わせで座る琴乃
琴乃は、背を向け。空を見上げたまま、動かない。
琴乃「……まだ見ないよ」
琴乃「蓮人くんが泣き終わるまで、空を見てる」
蓮人「…………」
蓮人の目から、堰を切ったように涙が溢れる。
琴乃は背中で、蓮人の嗚咽を静かに聞いている。
風が吹き抜け、木々がざわめく。
蓮人の泣き声が止まる。
琴乃「……もう、見ていいかな?」
蓮人「…お…おう」
琴乃、ゆっくりと振り返る。
蓮人は目を赤くしながらも、強がって鼻をすする。
蓮人M(……誰にも見せたくなかった泣き顔。全部わかってくれてる)
蓮人M(こいつだけになら俺は、弱さも見せられるかも)
琴乃「……はい」
琴乃、着物のポケットから、潰れた駄菓子を取り出し、半分に割って差し出す。
琴乃「半分こ」
蓮人「……サンキュ」
二人、縁側で並んで菓子を食べる。
琴乃「……私たち、授業サボっちゃったね」
蓮人「……ああ」
琴乃「先生に怒られるかな。お父様にも」
誰もいない昼間の境内。
琴乃「悪いことしたから……私たち、地獄行きかな?」
琴乃が不安そうに呟く。
蓮人は口元の砂糖を舐めとり、ぶっきらぼうに言う
蓮人「……お前と一緒なら、地獄でもいいや」
琴乃「え?」
蓮人、顔を赤くしてそっぽを向く。
蓮人「一人じゃ嫌だけど、琴乃がいるなら……地獄も悪くねえってことだよ」
二人の影が、古い神社の床に長く伸びている。
背景に「六道の辻」の古い石碑が見えている。
〇夕焼けのあぜ道・同 幼い二つの小さな影が、手を繋いで長く伸びている。
蓮人M(世界でただひとり。琴乃だけには俺の弱さを見せられる)
蓮人M(あの日、俺の世界は…こいつと共にあると決まった)
〇京都市中・昼 10年後の明治16年(1883年)
蓮人M(あれから10年が過ぎた。俺たちは成長した。けれど、京都は確実に老いていった―)
瓦屋根の古い町家の向こうに、建設中の西洋建築の骨組みやガス灯が見える。
文明開化の音(蒸気や工事の音)と、寺の鐘の音が混ざり合う、歪な風景。
路地裏で、子供たちが手毬をつきながら歌っている。
子供たち「六道の~辻~♪ 地獄の入り口~♪ 篁(たかむら)さんが~♪」
通りがかりの洋装の紳士が、それを聞いて鼻で笑う。
紳士「フン、いつまでそんな迷信を。これだから京都は……」
〇京都市中・同
真新しい西洋風のレンガ造りの工場が建ち、黒い煙を吐き出している。
工場の壁には「文明開化」の張り紙。 その一方で古い寂れた寺院も見える。
「美しさ」と「汚さ」「富」と「貧」が混在する、混沌とした風景。
〇名門校、平安院学舎の教室・昼休み 和洋折衷の豪奢な教室。
ステンドグラスから光が差し込む。 窓際の明るい席には、華やかな生徒たちが集まっている。
その中心にいる西園寺響一郎(16)。
片手には英字新聞、もう片方の手には懐中時計。秒針を睨んでいる。
別の集団の中心にいる鹿鳴館アリス(16)。
レースのハンカチで鼻と口を覆いながら、扇子を使っている。
アリス「オーマイガッ! 窓を開けてくださらない? 空気が『ダスティ』よ!」
アリス「日本の教室はどうしてこう、カビ臭いのかしら。…アンビリーバボーだわ」
〇同・教室の隅(廊下側) 対照的に薄暗い席。
天宮蓮人(16)、机に突っ伏して寝たふりをしている。
その隣の席で、琴乃は小さくなって書物を読んでいる。
ふたりの周りだけ、空気が淀んでいるような疎外感。
蓮人M『ここは選ばれた華族の子息だけが通う平安院学舎。家柄と金がすべてのカースト社会』
蓮人M『俺たち「持たざる者」は、息を殺して嵐が過ぎるのを待つ。……ここでは俺たちはただの「空気」だ』
〇平安院学舎の教室・昼休み
西園寺響一郎の机の上。
西園寺「……遅い」
給仕の生徒「お、お待たせしました西園寺様! 紅茶のお代わりです!」
西園寺「45秒。……紅茶一杯持ってくるのに、君は僕の人生を45秒も浪費させた」
給仕の生徒「も、申し訳ありません!」
西園寺「君のその無駄な動きが、日本の近代化を遅らせるんだ。……去れ」
銀の食器に盛られた、湯気の立つビーフシチューと白パン。
蓮人の机の上。 古新聞の上に置かれた、梅干しだけの冷たい握り飯が二つ。
蓮人はそれを隠すように、急いで口に詰め込んでいる。
食べ終わった蓮人が移動しようとして、西園寺の机の横を通る。
西園寺、新聞から目を離さずに呟く。
西園寺「……10秒」
蓮人、足を止める。
蓮人「へ?」
西園寺「君が僕の視界を横切って、不快な貧乏神のオーラを撒き散らした時間だ」
西園寺「天宮……だったか。5年前に当主が事業で失敗した家柄の」
西園寺「僕の貴重な時間を、君の『存在』で浪費させないでくれたまえ」
教室中が静まり返り、冷ややかな視線が蓮人に集中する。
蓮人、拳をギュッと握りしめる描写。拳アップ・血管浮く
蓮人M (……こいつ、マジでぶん殴りてえ)
蓮人はわざとらしく大袈裟に、ヘラっとした愛想笑いを浮かべる。
蓮人「ひえぇ~! こりゃ失礼しました西園寺様!」
蓮人「俺みたいなゴミが高貴な視界に入っちまって……すぐ消えますんで!換気!換気しときますね~!」
道化のように振る舞い、逃げるように去る蓮人。
西園寺は興味なさそうに「……ふん」と鼻を鳴らし、懐中時計をしまう。
〇同・琴乃の席
その様子を見ていた九条琴乃(16)。心配そうに蓮人を目で追う。
一見、怯えているように見える。
その瞳の奥には、どす黒い炎が宿っている。
琴乃M(……あいつ、死ねばいいのに)
琴乃M(蓮人くんの貴重な演技を、あんな特等席で見ておいて……何その態度?)
琴乃M(眼球くり抜いて洗ってこい)
そこに鹿鳴館アリスの派手なドレスの裾が視界に入る。
アリス「あらあら。天宮が心配なの?お似合いね、没落同士」
琴乃、ビクッとして見上げる。 アリス、侮蔑の眼差しで見下ろしている。
アリス「九条家と言えば……六〇年ほど前の当主の『とんでもない失態』で衰退した一族よね?」
アリス「内容は知らないけれど……あなたを見てると分かるわ。きっと、よほど恥ずかしい事をしたんでしょうね」
琴乃「……っ」
琴乃M(ご先祖様の失態……?何のこと……?)
アリス「天宮家と同じで九条家も、今や悲惨な状態」
琴乃「ご迷惑はおかけしませんから」
琴乃M(そんなドレスで着飾っても無駄よ。蓮人くんは、そんな布きれ一枚で靡(なび)くような安い男じゃないわ)
アリス「目障りよ。化石はミュージアムにお帰りなさい」
アリスの高笑い。 琴乃は何も言い返せず、俯くことしかできない。
〇京都市中・昼(現在・明治八年)
活気のない大通り。 大戸(シャッター)を下ろしたままの商家が並び、
軒先には「貸家」「売家」の札が雨風に晒されている。
路傍には、首の欠けた地蔵や、打ち壊されたまま放置された仏像が転がっている(廃仏毀釈の爪痕)
かつての王城の華やかさは見る影もなく、街全体が灰色に沈んでいる。
〇鴨川の河川敷・夕方 夕暮れの河原。
他に人はおらず、川の流れる音だけが聞こえる。
蓮人は道端の小石を蹴りながら、苛立ちを隠せない様子で歩いている。
琴乃「……蓮人くん」
蓮人「ん?」
琴乃「あんな愛想笑い……しなくていいのに」
蓮人、ぴたりと足を止める。
蓮人「……仕方ないだろ。今の俺たちは『空気』だ。嵐が過ぎるのを待つしかない」
蓮人「あそこで俺がヘラヘラしとけば、お前への被害も減るだろ?」
琴乃「っ……また、そうやって……私のために泥をかぶる」
琴乃「でも……悔しいよ」
琴乃、ギュッと学生鞄を抱きしめる。
琴乃「私なんかが言われるのはいいの。でも、蓮人くんまで……」
琴乃「5年前までの蓮人くんは、あんな奴ら相手にしなかった。…クラスのみんなの中心にいて、
太陽みたいで……いつだって堂々としてた」
琴乃「私……あの頃の蓮人くんに戻ってほしい」
蓮人、バツが悪そうに視線を逸らす。
川面に石を投げる。水切りができず、ボチャンと沈む。
蓮人「…無理だよ。どうやって戻れるんだよ」
蓮人「親父が借金まみれで蒸発して、家も失って……今の俺はただの『血筋だけの貧乏人』だ」
蓮人「ハッタリかまして虚勢張ったって、金と地位がなきゃ誰もついてこない。…それが現実だ」
琴乃、悲しげな瞳で蓮人の横顔を見つめる。
〇河川敷、草むら
「みゃあ……」
一匹の野良猫(子猫)が草むらから出てくる。
琴乃「あ、猫ちゃん」
琴乃、しゃがみこんで手を伸ばす。
子猫は元気よく琴乃の手に頭を擦り付ける。
琴乃「可愛い……。お腹空いてるのかな?」
琴乃、愛おしそうに左手の指先で子猫の背中を撫でる。
蓮人、それを横でぼんやり見ている。
〇同・異変 琴乃が撫でて数秒後。
子猫の動きが止まる。 「……みゃ……ぅ……」
さっきまで元気よく飛び跳ねていた子猫が、急にトロンとした目になり、あくびをして、その場にコテリと横になる。
まるで、急激に老け込んだかのように、動きが鈍くなっている。
琴乃「あれ?どうしたの?急に眠っちゃった」
蓮人M(……なんだ?)
蓮人の目(アップ)。鋭い観察眼が光る。
蓮人M(ただ眠っただけじゃない。……毛艶が、一瞬で悪くなったような……?)
蓮人M(今の猫、まるで『年寄り』みたいな動きじゃなかったか?)
蓮人、琴乃の手と、ぐったりした子猫を交互に見る。
蓮人「……おい、琴乃」
蓮人「お前、今……何をした?」
琴乃「え? 撫でただけだよ?」
キョトンとする琴乃と、得体の知れない違和感を感じて背筋が寒くなる蓮人。
不穏な空気を残したまま、風が強く吹く。
〇六道珍皇寺の前・夕方
「六道の辻」の石碑が夕日に照らされている。
境内からは線香の匂いが漂い、独特の薄暗い空気が流れている。
寺の門前で、町娘たちがひそひそと話している。
町娘A「ねえ、聞いた?夕べ、また『井戸』の中から音がしたんだって」
町娘B「やだ、怖い……。やっぱりあそこ、本当に『地獄』に繋がってるのかしら」
学生C「平安時代の小野篁公の伝説だろ?昼は朝廷、夜は地獄の閻魔庁にお勤めってやつ」
学生C「最近、京の都は物騒だからなぁ……。地獄の釜の蓋が開いて、死人が溢れ出してなきゃいいけど」
その横を通り過ぎる蓮人と琴乃。
蓮人「……くだらねえ。」
蓮人、興味なさそうに吐き捨てる。
蓮人「地獄だの…閻魔だの、そんなの迷信だろ」
蓮人「地獄より怖いのは貧乏だ。……行くぞ、琴乃」
琴乃「……うん」
琴乃、蓮人の背中を追いかけようとするが、ふと足を止める。 閉ざされた山門の奥、闇に沈む境内を見つめる。
蓮人「おい、琴乃。置いてくぞ」
琴乃「あ、待って!」
琴乃、小走りで蓮人を追いかける。 二人の足音が遠ざかっていく。
その場には、夜風の音だけが残る。
〇同・境内(二人が去った後)
一般人は立ち入り禁止の時間帯。 本堂の内部。
静寂に包まれている。 そこに本堂の奥に古びた井戸がある。
その井戸の縁(ふち)に、一人の男が腰掛けている。
着流し姿の男。 月明かりの下、無言でキセルを咥えている。
男「――――」
長く紫煙を吐き出す。 その煙が、生き物のように井戸の底へと吸い込まれていく。
男は表情一つ変えず、音もなく井戸の中へ身を躍らせた。
ドプン……。
男の姿が闇に消える。 あとには、ゆらゆらと揺れる彼岸花が一輪だけ残される。

