京都の桜が散り、新緑がまぶしくなり始めた頃、私は再び台北の地に降り立った。
四月の台北はすでに初夏だった。
いつものように桃園空港からバスに揺られ、美玲のアパートへ向かう。
手土産には、彼女が好む京都の抹茶菓子と、私の人生を懸けた言葉を持って。

その夜、台北は激しい雷雨に見舞われた。
亜熱帯特有のスコールだ。
バケツをひっくり返したような雨がアスファルトを叩きつけ、窓の外は白い霧に包まれている。
私たちは夜市で買ってきた夕食―
―魯肉飯(ルーローハン)と青菜炒め――を囲み、缶ビールを開けていた。
湿度は高く、エアコンを除湿にしていても肌がべたつく。だが、不思議と不快ではなかった。
部屋の隅では、平平と安安が追いかけっこをして走り回り、
阿福がいつものクッションの上で、半眼を開けて雨音を聞いている。
この湿気も、騒がしさも、猫の匂いも。すべてが愛おしかった。
「ねえ、美玲」
私は缶ビールを置き、意を決して切り出した。
「そろそろ、日本に来ないか。京都で、一緒に暮らそう」
それは、何度も頭の中でリハーサルをしてきたプロポーズの言葉だった。
美玲の手が止まる。箸がカタリと皿に当たった。
彼女は嬉しそうに笑うか、あるいは驚くだろうと思っていた。
しかし、彼女の大きな瞳から溢れ出したのは、大粒の涙だった。
「……嬉しい。すごく、嬉しい」
美玲は声を震わせながら言った。
けれど、その言葉には拒絶の響きが含まれていた。
「あなたとは一緒になりたい。でも、私にはできない」
「どうして」
「だって、家族を捨てられないもの」
彼女の視線が、足元でじゃれ合っていた猫たちに向けられる。
平平が心配そうに動きを止め、そっくりな顔をした安安も兄の背中に隠れて不安げに鳴いた。
国際結婚をするということは、どちらかが生まれ育った国を離れるということだ。
人間ならば自分の意志で決められるし、パスポート一つで国境を越えられる。
だが、猫はどうだ。
実家に預けるか。里親を探すか。
彼女にとって、それは自分の子供を置き去りにするのと同じ意味を持っていた。
自分の幸せのために、恩人である彼らを犠牲にする。
その罪悪感に、彼女はずっと一人で苛まれていたのだ。
室内に沈黙が落ちる。雨音だけが激しく窓を打つ。
阿福がゆっくりと顔を上げ、金色の瞳で私を射抜いた。
まるで、「お前に何ができる?」と問うているようだった。
私は一度だけ深く息を吸い込み、覚悟を決めた。
迷うことなど、最初からなかったのだ。
「全員だ」
「え?」
「全員、京都へ連れておいで。平平も、安安も、阿福も」
私は美玲の手を取り、強く握りしめた。その手は冷たく震えていた。
「僕がみんなの父親になる。京都で、みんなで暮らすんだ」
美玲の目が大きく見開かれる。
「でも、外国よ?飛行機にも乗るし、気候だって……それに費用や手続きだって大変なはずよ」
「なんとかなる。僕がなんとかする。約束するよ」
根拠などなかった。ただの勢いだったかもしれない。
けれど、私の目を見て、美玲の瞳から涙が溢れ出し、何度も頷いてくれた時、私は確かに契約を交わしたのだ。
3000キロの海を越えて、この小さな家族を守り抜くという契約を。
だが、日本へ帰国した翌日、私は自分の軽率さを呪うことになった。
自宅のパソコンを開き、「猫 台湾 日本 輸入」と検索窓に打ち込んだ私は、
表示された農林水産省動物検疫所のウェブサイトを見て、血の気が引くのを感じたのだ。
そこには、淡々とした文字で、絶望的な事実が羅列されていた。
日本は、世界でも数少ない「狂犬病清浄国」である。
この平和な称号を守るため、海外からの動物の持ち込みには、
世界で最も厳しいレベルの検疫ルールが設けられていた。
特に、狂犬病発生国(台湾も含まれる)からの輸入手続きは、複雑怪奇なパズルのようだった。
まずは関西国際空港の動物検疫所へ電話で相談した。
だが、電話口の説明だけでは、とても全体像を掴みきれない。
「一度、書類をお持ちいただいて直接相談に来られたほうがいいですね」
そう言われ、翌日、私は関西国際空港にある動物検疫所の支所へ向かった。
空港の端にある無機質なオフィスビル。蛍光灯の白い光が、私の不安を浮き彫りにする。
対応してくれた検疫官は親切だったが、その言葉の内容は冷徹なまでに厳格だった。
彼はデスクの上に、辞書のように分厚いマニュアルを置いた。
「書類に一つでも不備があれば、許可は降りません」
検疫官は私の目を見て、淡々と言った。
「マイクロチップの番号、ワクチンのロット番号、接種日。
これらが台湾政府の発行する証明書と完全に一致している必要があります。
スペルミス一つ、日付が一日でもズレていれば、やり直しです。例外はありません」
その「例外はない」という言葉が、重くのしかかる。
ここには、「情」が入る隙間など一ミリもないのだ。
「猫ちゃんたちを守るためのルールです。ご理解ください」
正論だった。狂犬病は発症すれば、致死率ほぼ100%の恐ろしい病気だ。
日本という島国を守るためには、この厳しさは必要なのだ。
だが、当事者にとっては、それはあまりにも高い壁だった。
まず、個体識別のための「マイクロチップ装着」。
次に、二回にわたる「狂犬病予防注射」
これには間隔を空ける必要があり、一ヶ月近くかかる。
そして最大の難関、「狂犬病抗体検査」。
日本の指定検査機関へ血液を送り、
抗体価が基準値(0.5IU/ml)以上であることを証明しなければならない。
もし基準値に達していなければ、やり直しだ。
さらに、私の頭を抱えさせたのは、その後の記述だった。
『抗体検査のための採血日から、180日間以上の待機期間を設けること』
180日。半年だ。
検査をパスしても、すぐには連れて行けない。
潜伏期間を確認するために、半年間も台湾で足止めを食らうのだ。
もし何らかの不備があるまま、日本へ到着すれば、改善までの期間、空港の係留施設に収容されることになる。
コンクリートの檻の中で、飼い主とも会えずに数ヶ月。
そんなことをすれば、繊細な猫たちは間違いなく精神を病んでしまうだろう。
最悪の場合、「送還」または「殺処分」という文字まで踊っている。
「なんてことだ……」
私は帰りの電車の中で、手渡された資料を握りしめて呻いた。
なんとかなる、などと軽く口にした自分が恥ずかしかった。
これは「引越し」ではない。「密輸」を防ぐような厳重な警戒態勢の中に、小さな命を通す作業なのだ。
三匹分の書類。ワクチンのスケジュール管理。証明書の整合性。
たった一つの記載ミス、たった一日の日付のズレで、平平たちが空港の檻に閉じ込められるかもしれない。
あるいは、殺されるかもしれない。
責任の重さが、鉛のようにのしかかってきた。
美玲はまだ、この厳しさを詳しく知らない。彼女に伝えて、果たして耐えられるだろうか。
半年間も、離れ離れのまま準備を続けられるだろうか。
モニターの光が、深夜の部屋を青白く照らしている。
私は震える指で、スマートフォンのカレンダーアプリを開いた。
今からスタートして、最短でも半年後。来年の冬。
気の遠くなるような道のりだ。
だが、やるしかない。
あの雨の夜、阿福の金色の瞳に見つめられながら、私は誓ったのだ。
「僕がなんとかする」と。
私はデスクに向かい、分厚いノートを一冊用意した。
表紙にはマジックで『猫・渡航計画』と書いた。
これは、私と美玲、そして三匹の猫たちが、国境という巨大な壁に挑むための、戦いの記録帳だった。
四月の台北はすでに初夏だった。
いつものように桃園空港からバスに揺られ、美玲のアパートへ向かう。
手土産には、彼女が好む京都の抹茶菓子と、私の人生を懸けた言葉を持って。

その夜、台北は激しい雷雨に見舞われた。
亜熱帯特有のスコールだ。
バケツをひっくり返したような雨がアスファルトを叩きつけ、窓の外は白い霧に包まれている。
私たちは夜市で買ってきた夕食―
―魯肉飯(ルーローハン)と青菜炒め――を囲み、缶ビールを開けていた。
湿度は高く、エアコンを除湿にしていても肌がべたつく。だが、不思議と不快ではなかった。
部屋の隅では、平平と安安が追いかけっこをして走り回り、
阿福がいつものクッションの上で、半眼を開けて雨音を聞いている。
この湿気も、騒がしさも、猫の匂いも。すべてが愛おしかった。
「ねえ、美玲」
私は缶ビールを置き、意を決して切り出した。
「そろそろ、日本に来ないか。京都で、一緒に暮らそう」
それは、何度も頭の中でリハーサルをしてきたプロポーズの言葉だった。
美玲の手が止まる。箸がカタリと皿に当たった。
彼女は嬉しそうに笑うか、あるいは驚くだろうと思っていた。
しかし、彼女の大きな瞳から溢れ出したのは、大粒の涙だった。
「……嬉しい。すごく、嬉しい」
美玲は声を震わせながら言った。
けれど、その言葉には拒絶の響きが含まれていた。
「あなたとは一緒になりたい。でも、私にはできない」
「どうして」
「だって、家族を捨てられないもの」
彼女の視線が、足元でじゃれ合っていた猫たちに向けられる。
平平が心配そうに動きを止め、そっくりな顔をした安安も兄の背中に隠れて不安げに鳴いた。
国際結婚をするということは、どちらかが生まれ育った国を離れるということだ。
人間ならば自分の意志で決められるし、パスポート一つで国境を越えられる。
だが、猫はどうだ。
実家に預けるか。里親を探すか。
彼女にとって、それは自分の子供を置き去りにするのと同じ意味を持っていた。
自分の幸せのために、恩人である彼らを犠牲にする。
その罪悪感に、彼女はずっと一人で苛まれていたのだ。
室内に沈黙が落ちる。雨音だけが激しく窓を打つ。
阿福がゆっくりと顔を上げ、金色の瞳で私を射抜いた。
まるで、「お前に何ができる?」と問うているようだった。
私は一度だけ深く息を吸い込み、覚悟を決めた。
迷うことなど、最初からなかったのだ。
「全員だ」
「え?」
「全員、京都へ連れておいで。平平も、安安も、阿福も」
私は美玲の手を取り、強く握りしめた。その手は冷たく震えていた。
「僕がみんなの父親になる。京都で、みんなで暮らすんだ」
美玲の目が大きく見開かれる。
「でも、外国よ?飛行機にも乗るし、気候だって……それに費用や手続きだって大変なはずよ」
「なんとかなる。僕がなんとかする。約束するよ」
根拠などなかった。ただの勢いだったかもしれない。
けれど、私の目を見て、美玲の瞳から涙が溢れ出し、何度も頷いてくれた時、私は確かに契約を交わしたのだ。
3000キロの海を越えて、この小さな家族を守り抜くという契約を。
だが、日本へ帰国した翌日、私は自分の軽率さを呪うことになった。
自宅のパソコンを開き、「猫 台湾 日本 輸入」と検索窓に打ち込んだ私は、
表示された農林水産省動物検疫所のウェブサイトを見て、血の気が引くのを感じたのだ。
そこには、淡々とした文字で、絶望的な事実が羅列されていた。
日本は、世界でも数少ない「狂犬病清浄国」である。
この平和な称号を守るため、海外からの動物の持ち込みには、
世界で最も厳しいレベルの検疫ルールが設けられていた。
特に、狂犬病発生国(台湾も含まれる)からの輸入手続きは、複雑怪奇なパズルのようだった。
まずは関西国際空港の動物検疫所へ電話で相談した。
だが、電話口の説明だけでは、とても全体像を掴みきれない。
「一度、書類をお持ちいただいて直接相談に来られたほうがいいですね」
そう言われ、翌日、私は関西国際空港にある動物検疫所の支所へ向かった。
空港の端にある無機質なオフィスビル。蛍光灯の白い光が、私の不安を浮き彫りにする。
対応してくれた検疫官は親切だったが、その言葉の内容は冷徹なまでに厳格だった。
彼はデスクの上に、辞書のように分厚いマニュアルを置いた。
「書類に一つでも不備があれば、許可は降りません」
検疫官は私の目を見て、淡々と言った。
「マイクロチップの番号、ワクチンのロット番号、接種日。
これらが台湾政府の発行する証明書と完全に一致している必要があります。
スペルミス一つ、日付が一日でもズレていれば、やり直しです。例外はありません」
その「例外はない」という言葉が、重くのしかかる。
ここには、「情」が入る隙間など一ミリもないのだ。
「猫ちゃんたちを守るためのルールです。ご理解ください」
正論だった。狂犬病は発症すれば、致死率ほぼ100%の恐ろしい病気だ。
日本という島国を守るためには、この厳しさは必要なのだ。
だが、当事者にとっては、それはあまりにも高い壁だった。
まず、個体識別のための「マイクロチップ装着」。
次に、二回にわたる「狂犬病予防注射」
これには間隔を空ける必要があり、一ヶ月近くかかる。
そして最大の難関、「狂犬病抗体検査」。
日本の指定検査機関へ血液を送り、
抗体価が基準値(0.5IU/ml)以上であることを証明しなければならない。
もし基準値に達していなければ、やり直しだ。
さらに、私の頭を抱えさせたのは、その後の記述だった。
『抗体検査のための採血日から、180日間以上の待機期間を設けること』
180日。半年だ。
検査をパスしても、すぐには連れて行けない。
潜伏期間を確認するために、半年間も台湾で足止めを食らうのだ。
もし何らかの不備があるまま、日本へ到着すれば、改善までの期間、空港の係留施設に収容されることになる。
コンクリートの檻の中で、飼い主とも会えずに数ヶ月。
そんなことをすれば、繊細な猫たちは間違いなく精神を病んでしまうだろう。
最悪の場合、「送還」または「殺処分」という文字まで踊っている。
「なんてことだ……」
私は帰りの電車の中で、手渡された資料を握りしめて呻いた。
なんとかなる、などと軽く口にした自分が恥ずかしかった。
これは「引越し」ではない。「密輸」を防ぐような厳重な警戒態勢の中に、小さな命を通す作業なのだ。
三匹分の書類。ワクチンのスケジュール管理。証明書の整合性。
たった一つの記載ミス、たった一日の日付のズレで、平平たちが空港の檻に閉じ込められるかもしれない。
あるいは、殺されるかもしれない。
責任の重さが、鉛のようにのしかかってきた。
美玲はまだ、この厳しさを詳しく知らない。彼女に伝えて、果たして耐えられるだろうか。
半年間も、離れ離れのまま準備を続けられるだろうか。
モニターの光が、深夜の部屋を青白く照らしている。
私は震える指で、スマートフォンのカレンダーアプリを開いた。
今からスタートして、最短でも半年後。来年の冬。
気の遠くなるような道のりだ。
だが、やるしかない。
あの雨の夜、阿福の金色の瞳に見つめられながら、私は誓ったのだ。
「僕がなんとかする」と。
私はデスクに向かい、分厚いノートを一冊用意した。
表紙にはマジックで『猫・渡航計画』と書いた。
これは、私と美玲、そして三匹の猫たちが、国境という巨大な壁に挑むための、戦いの記録帳だった。

