記憶の扉を開けると、そこにはいつだって、
むせ返るような湿気と、スパイスの混じった甘い匂いが漂っている。
2017年、春。
私は、日本と台湾という二つの国の間を行き来する生活を送っていた。
関西国際空港から台湾の桃園国際空港までは、飛行機で約3時間。
映画を一本、見終わる頃には、もう別の国に着いている。
距離にすれば近いものだ。東京へ行くのとそう大差はない。

けれど、空港の自動ドアが開いた瞬間に肌にまとわりつく、
あの重たい熱気を感じるたび、私はここが「異国」であることを思い知らされるのだった。
亜熱帯の太陽。飛び交う中国語の奔流。夜市から漂う八角と臭豆腐の強烈な香り。
そして、道路を埋め尽くすスクーターの群れが奏でる、耳をつんざくような排気音。
その喧騒の渦の片隅にある小さなアパートの一室に、私の恋人である台湾人の美玲(メイリン)は住んでいた。
いや、正確には「彼女たち」が住んでいた。



週末を利用して台北の彼女の部屋を訪ねると、まず出迎えてくれるのは美玲の笑顔ではない。
「ニャア!」
玄関のドアを開けた瞬間に飛んでくる、茶色い弾丸だ。
キジトラ柄の雄猫、平平(ピンピン)。
彼は私が靴を脱ぐ隙も与えず、足元にスリスリと体を擦り付け、あるいは靴紐にじゃれつき、訪問者である私を歓迎する。

その背後、部屋の奥から慎重に様子を窺っているのが、平平と瓜二つの柄をした妹、安安(アンアン)だ。
彼女は平平の実の妹で、並んでいると見分けがつかないほどそっくりなキジトラ柄をしている。
違うのは性格だけだ。
兄が特攻隊長なら、妹は慎重な参謀といったところか。彼女は私が近づくとサッとソファの下に隠れてしまう。
そこから兄と同じ形の金色の瞳だけを光らせて、じっとこちらを観察しているのだ。

そしてもう一匹。
部屋の真ん中、一番座り心地の良いクッションの上で、
微動だにせずこちらを見下ろしているのが、最年長の阿福(アーフー)だった。
阿福は、猫というよりは、何やら徳の高い仙人のような雰囲気を纏っていた。
毛並みはグレーがかった白で、年齢は不詳だが、少なくとも14歳は超えている。
彼が「ニャア」と鳴くことは滅多にない。
私が「ただいま、阿福」と声をかけると、一度だけゆっくりと瞬きをして、また眠りにつく。
それが彼なりの挨拶であり、入室許可証だった。

私が台北に滞在している間、私たちはよく美玲の運転するスクーターの二人乗り(タンデム)で街へ繰り出した。
ヘルメットを被り、彼女の小さな背中にしがみつく。
信号待ちで止まると、隣のバイクのおじさんが大声で何かを叫び、美玲が笑って返す。
熱気を含んだ風が、シャツを通して肌に張り付く。

この街は、生きている。その鼓動のような騒がしさが、私は嫌いではなかった。
士林(シーリン)夜市へ行き、人混みをかき分けながら、
顔ほどもある大きなフライドチキン(大鶏排)や、牡蠣入りのオムレツを分け合った。

赤いプラスチックの椅子に座り、熱々の小籠包を頬張る。
隣のテーブルでは現地のおばさんたちが大声で議論し、向こうでは若いカップルがタピオカミルクティーを飲んでいる。
言葉の壁も、文化の違いも、隣に座って同じものを食べている時は忘れることができた。

ある夜、私たちは猫空(マオコン)へお茶を飲みに行った。
台北の夜景を一望できる山の上だ。眼下に広がる街の灯りは、宝石箱をひっくり返したように美しかった。
茶器にお湯を注ぎながら、美玲がふと言った。
「綺麗ね。でも、ちょっと遠い」
彼女が見ていたのは夜景ではなく、その向こうにある海だったのかもしれない。
私の住む日本は、あの海の向こうにある。
物理的な距離は飛行機で三時間だが、心理的な距離は時として無限に感じられた。
私たちは黙ってお茶を飲んだ。鉄観音の香ばしい香りが、鼻腔をくすぐる。
これからも一緒にいたい。でも、それぞれの生活がある。
そのジレンマを抱えたまま、私たちはまた別々の場所へ帰らなければならない。
日曜の夜には私は日本へ戻り、私たちの世界は再びスマートフォンの小さな画面サイズへと縮小してしまう。

「そっちはどう?寒くない?」
京都の自室に戻り、ビデオ通話を繋ぐ。画面の向こうの美玲は、時折画像が粗くなったり、音声が遅れたりした。
Wi-Fiの調子が悪いと、愛する人の顔がモザイクのように崩れてしまう。
そんなデジタルのもどかしさが、物理的な距離を残酷なまでに突きつけてくる。
そんな時、画面の端から不意に茶色い影が割り込んでくることがあった。

『あっ、ちょっと平平!今いいところなんだから!』
平平がカメラに興味津々で鼻を押し付け、画面いっぱいに猫の鼻の穴が映し出される。
あるいは、キーボードの上を安安が横切り、謎の文字列が送信されてくる。
美玲が慌てて猫たちを退かそうと格闘し、私は画面のこちら側で吹き出す。
気付けば、寂しげだった美玲の顔にも笑顔が戻っている。
阿福はといえば、そんな騒ぎを我関せずといった顔で、画面の奥のソファで丸まっているのが常だった。
まるで「やれやれ、人間というのは騒がしい」とでも言いたげに。

そんな画面越しの逢瀬を重ね、月に1度だけ私は台湾へ向かう。
私が台北へ足を運べたある夜のことだ。

「私が仕事で辛いことがあった時も、一人で風邪を引いて心細い夜も、ずっと傍にいてくれたのはこの子たちなの」
美玲にとって、彼らは単なるペットではなかった。
都会の片隅で一人暮らしをする彼女を守る、小さなナイトたちだったのだ。

ひどい風邪を引いて高熱で倒れた夜のことを、私は後から聞かされた。
意識が朦朧とする中でふと目を覚ますと、枕元に阿福がどっかりと座り、じっと彼女の顔を見つめていたという。
咳き込むたびに、心配そうに眉間にしわを寄せ(そう見えたらしい)、額にそっとざらざらした舌を当ててくれた。
平平は布団の真ん中、ちょうどお腹の上に丸くなって、やや重たい湯たんぽになってくれていた。
安安は足元にぴったり張り付き、冷えたつま先を自分の体で包み込む。
熱でうなされながらも、美玲は「この子たちに囲まれてるから大丈夫」と思えたそうだ。

美玲は愛おしそうに阿福の背中を撫でながらそう言った。
私が台湾を離れている間、彼女を支えていたのは間違いなくこの三匹だった。

ある時、台湾を大型の台風が直撃したことがあった。
窓ガラスが割れるのではないかと思うほどの暴風雨。
停電し、真っ暗になった部屋で、美玲は一人震えていたそうだ。
私は日本にいて、何もしてやれなかった。電話も繋がらない。
ただニュース映像を見て祈ることしかできなかった。
後で聞いた話だが、その闇の中で、阿福はずっと美玲の体にぴったりと寄り添っていたそうだ。
雷が鳴るたびにビクつく美玲の手に、自分の前足を重ねて。
「大丈夫だ、俺がいる」と言うように、ゴロゴロと喉を鳴らし続けてくれたという。
普段はやんちゃな平平と、臆病な安安も、その日は決して騒ぐことなく、彼女の背中と足元を守るように固まっていた。
彼らは知っていたのだ。今、この部屋で一番守らなければならないのが誰なのかを。

海を隔てて暮らす私と、台北で暮らす彼女。
会えるのは月に一度あるかないか。
将来への不安、いつか来るかもしれない別れの予感。
そんな時、美玲の膝には必ず猫たちの姿があった。
平平が彼女の膝に乗り、そっくりな柄の安安がその隣に寄り添い、阿福がその足元で番犬のように控えている。
彼らの体温が、私の代わりに美玲を温めてくれていた。
私にとっては、彼らは恋人であり、同時に「恩人」ならぬ「恩猫」でもあった。
彼らがいなければ、私たちの関係は距離と寂しさに負けて、とっくに壊れていたかもしれない。

そして日曜日の夕方。私は帰国のために荷物をまとめていた。
いつもこの瞬間が一番辛い。楽しい時間は砂のように指の隙間からこぼれ落ちていく。
「また、来月来るから」
私が言うと、美玲は無理をして作った笑顔で頷いた。
その時、私のスーツケースの上に、どすん、と重たいものが乗った。
阿福だった。
彼は閉じようとしたスーツケースの蓋の上に鎮座し、私をじっと見上げていた。
「阿福、どいてくれ。帰れないよ」
苦笑しながら退かそうとするが、彼は岩のように動かない。
まるで「美玲を置いていくのか?」と責めているようでもあり、
「また彼女を泣かせるつもりか」と忠告しているようでもあった。
平平と安安も、私の足元にまとわりついて離れない。
彼らは知っているのだ。私がこの部屋を出ていけば、また美玲が一人になることを。
 
結局、阿福を抱き上げて退かすのに十分近くかかった。
桃園空港へのバスの中で、私は窓の外を流れる南国の風景を見つめながら考えていた。
こんな生活を、いつまでも続けるわけにはいかない。
月に数日だけの逢瀬。画面越しの会話。その繰り返し。
気付けば、数年が経過していた。
私は、いずれ決断しなければならない。
国際結婚、生まれ育った環境は大きく異なる。
本当に彼女を幸せにできるのだろうか。
彼女を守ってくれている阿福たちの瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。
私はスマホを取り出し、カレンダーを確認した。
次回の訪台予定日は、日本の桜が散る頃だ。
その時こそ、言葉にしよう。
中途半端な関係を終わらせて、本当の家族になるための言葉を。

湿った風が、私の背中を押している気がした。