◇ ◇ ◇
炭鉱町に揺れる 二輪のスズラン
〈この調べと ともに〉
ザ・リリーズ
すずらんの花
作詞 : 松本 隆 作曲 : 森田公一
♪
数年前。久々に実家に帰り、そして久々に父の部屋に入った。
これはその時のお話。
やっぱり、私の親世代の部屋って、アナログの世界。
本棚には、びっしりと文庫本、図鑑、横積みになった雑誌や新聞の束。
机の上のブックエンドにもノートやら便箋やらが詰め込んである。
母親がちゃんと手入れしているらしく、埃っぽさはない。
この部屋に入ったのは、むかーし、確か父に貸しっぱなしになっていた英和辞典を返してもらうため。
会社を辞め、翻訳の仕事を始めた。AIの翻訳ツールも出始め、フリーランス受託の登録をしている会社からもそれを提供されていたのだが、中高生時代に使い続け、蛍光のマーカーやボールペンの跡だらけの辞書をこの期に及んで「お守り」として持っていたかったからだ。
それは、机の上にも本棚にもなく、ベッドの頭部の置き棚に乗っていた。父はまさか寝る時に辞書を眺めていたのだろうか。
目的を果たして、部屋を出る前にもう一度ぐるりと見回す。今度ここに来るのは、いったい、いつになるだろう。
パソコンもテレビもなく、アンテナが伸びたままの小型ラジオが机の上にある。
オークションサイトで売ったら、少しは値がつくのかなと邪(よこしま)な考えがよぎる。
壁には振り子の柱時計が架けてあり、短針と長針は六時十二分あたりを指したまま止まっている。壁に架かっているから、柱時計ではなく「壁時計」か? これがいつの六時十二分なのか、午前なのか午後なのか、それが意味のある時間なのかはわからない。これもオークションサイト……いややめておこう。
そして、そうだ。これがあった。
木枠のポスターフレームに飾られた、一枚の写真。
正確にいうと写真ではなく、少年漫画雑誌のグラビア写真。父はピンナップと言っていた。
全体的に赤茶色っぽいトーンなので、長年飾っていて色褪せたのかと思ったが、純白のちぎれ雲が浮かぶ空は、青々としている。
赤茶色っぽい印象を与えているのは、背景となっている線路と、駅舎と思われる建物や関連の施設。
父の説明によると、そこはかつて炭鉱の町として栄えた夕張駅。手前の線路は夕張線。他の路線の支線だったかも知れない。
駅といっても、それは人が乗り降りする建物には見えず、推測に過ぎないが石炭の輸送に関連したものではないだろうか。
雪降るなか、重連のSLが煙を吐きながら停車している姿を妄想する。私が子供の頃、家族で乗った「ばんえつ物語号」という会津若松から新潟行きの観光用SLの記憶に重ね合わせてのイメージだ。父が中学生の頃までは北海道の函館本線は、普通に貨物用のSLが走っていて、重連、三重連がモクモクと煙をあげている様には心躍ったそうだ。
ピンナップの構図としては、写真のやや左奥から複数の赤錆びた線路が手間に伸び、その両脇にやはり赤さび色の建物が並んでいる。
そして。
夕張の線路の左脇を並んで歩く、二人の少女。
この写真の主人公だ。
後ろ手を組んで、うつむき加減で歩いている。
横縞の襟付き・長袖のシャツに、膝丈のスカート。
柄と形状はお揃いだが、一人はやや赤っぽい配色、もう一人はやや薄緑っぽい配色。
背景に溶け込む、くすんだ色合いだ。
恐らく、最盛期はとうに過ぎた、炭鉱町の駅。
変わらない青空。
その下を双子の少女が並んで歩いてくる。
何とも言えない寂寥感がひしひし、ひしひしと伝わってくる。
撮影したのは、時のアイドルや女優を撮り続けてきた大写真家。
そして、そのフレームに収まっている二人は、夕張出身の双子の姉妹。
デュオで歌われた青春ラブソングのメロディーと歌詞は、私も聴いたことがある。
というか、いつも父が口ずさんでいたので刷り込まれたと言った方が正しい。
このデュオは、出身の地にちなんで、スズランからとった名前がつけられていた。
父の机上のブックエンドに挟まれたガラクタの束をよくよく見ると、この二人のシングルレコード盤が二枚とモノクロのブロマイドがはみ出ていた。顔も髪型もそっくりだが、それぞれに個性がある。あどけなさと大人の兆しの微妙なバランスを感じる。
レコードプレイヤー付きのステレオセットは、とうの昔に壊れて処分されているはずだ。再び聴くあてのないシングル盤。
早い話、父は二人の大ファンだったのだ。
少し距離はあるが、彼の出身が旭川で親近感もあったのか、北の町夕張からデビューした同世代の二人を今風に言うと、推しまくっていたんだと思う。親戚に彼女らの親戚(要は超遠い親戚)がいるとかで、なんとか会う機会はないかと画策していたらしいが、どうやらうまくいかなかったようだ。
このピンナップは、私がモノゴコロついた時には既に壁に飾られていたので、父の部屋の「当たり前の風景」として、あまり気にとめたことはなかったが、今こうやって見ると、自分の中のどこかに潜む、郷愁を強く呼び覚ます。
そして。
いつの間にか私自身にとっても心のどこかで、この二人の存在が特別なものとなっていたことに今さら気づく。物語のストーリーを考えている時、双子の姉妹がそっと、私たちの物語を創って欲しいと囁いてきた。それで、出産の際に残念ながら二人で生まれてこれなかった姉妹が、終電の車中や、バーチャル空間で「再会」する話を書いてみた。
姉妹のお一人は、悔やまれるも病いで亡くなってしまい、残されたお一人は今でも歌手としての活動を続けておられるそうだ。
ずっと一緒に人生を歩んできたかけがえのない存在を失ってしまう。その時の悲しみ、喪失感はどんなものなのだろう。双子について、特別視しすぎだろうか。
そういえば以前勤めていた会社に、一卵性双生児の姉妹が新入社員として入ってきた。やはり幼稚園から小中高まで一緒で、しかも職場まで一緒。やがて二人は一年ぐらい前後して職場結婚をしたが(もちろん相手は別々の男性だけど……)、二次会のインタビューなんかを聞くと、双子の姉と結婚したAさんいわく、デートに誘うと必ず妹もついてきて、妹と結婚したBさんいわく、デートに誘うと必ず姉がついてきたとのこと。多少ネタ要素も入っていると思うけど、デートの様子を想像すると笑ってしまう。今でも二組の夫婦はしょっちゅう家族ぐるみで旅行にいったりしているそうだ。
父のように、私自身も夕張出身の姉妹を推しているのか、もっと普遍化した「双子という存在」を推しているのか……それとも夕張駅を背にした情景・状況を推しているのか、正直よくわからない。
家に持って帰ろうか。
一瞬そう思い、私はボロボロの辞書を抱えつつ、このポスターフレームに手を伸ばした。
いや別にオークションサイトに売りに出そうとかではなくて。
でもやっぱり父が寂しがるかなと思い直し、そのまま飾っておくことにした。
だから、今でも、きっと。
振り子の柱時計が六時十二分で時間を止めた、狭い世界の中で。
かつて栄華を誇った炭鉱の駅を背にして。
白い雲の向こうに覗く、孤高の青空の下で。
少女のまま二人は、寂しそうに佇んでいる。



