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口パク
〈この調べと ともに〉
ガブリエル・フォーレ
レクイエムニ短調作品48
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「マッテオ、お歌、うまくなったわね! そろそろ町の合唱団に入ったらどうだい?」
「ははは、やだな、お祖母ちゃん、今歌ったのは僕じゃないよ」
「あら、ジュリアだったの? 本当に二人の歌声はそっくりねえ。そうだ、二人で合唱団のオーディションを受けたらどうかしら」
「マッテオのおばあちゃま、ありがとう。でも、あの合唱団は、少年合唱団だから私を入れてくれるかしら?」
「ジュリア、大丈夫だよ。君は歌が上手いし、僕なんかよりもずっと……それに、最近この町も子供の数が減ってきているから、合唱団の人数をそろえるのも大変だって聞いたことがあるからさ」
こうして僕とジュリアは九歳の時に町の教会の少年合唱団のオーディションを受け、晴れて『神の御言葉の使者』となった。
合唱団は、毎週のミサや礼拝、春の復活祭、そしてクリスマスなど教会の行事があるたびに駆り出され、歌声を響かせた。時には大人の合唱団やオーケストラと一緒に演奏することもあった。
僕はソプラノのパートを歌い、その実力を評価されて二年目にはボーイソプラノのソリストにも選ばれ、パートリーダーとして、ソプラノパートのまとめ役にもなった。
でも、ボクには不満がある。ジュリアも同じソプラノパートだけど、ぼくよりもずっと上手だと思うし、歌声も綺麗だ。この少年合唱団は、三十四人のメンバーがいるけど、女の子はジュリアを入れて三人だけだ。かつてはこの教会では『神の使い』として歌ったり演奏できるのは男性だけだったとお祖母ちゃんが言っていた。
「ジュリア、君は僕なんかよりよっぽど歌が上手いんだから、ソロを歌わせてもらえないか、合唱長さんにお願いしてみるよ」
「マッテオ、いいの。元々女の子は教会で歌っちゃいけなかったみたいだし、こうやってあなたと一緒に歌えるだけで嬉しいの」
僕は彼女に内緒で合唱長さんにお願いしてみた。『とんでもない!』それが答えだった。
僕とジュリアの家は隣同士で、赤ん坊の時から一緒に遊び、ずっと一緒に歌ってきた。彼女は歌が大好きだし、神様のことも大好きだったから、釈然としない。
〇
十二歳になったばかりのころ。僕にはそれが早くやって来た。声変わりだ。まだ周りの仲間や家族にも気づかれていないけど、高い音域の声が出しにくくなってきたし、ふらつくようにもなっていた。何とか騙しだまし歌ってきたけど、もう限界なのは、わかっている。正直に合唱長さんに相談した。
「マッテオ君、残念だけど、こればかりはどうしようもないからね。少し様子を見てアルトかテノールのパートに変更するかい?」
「少年合唱団を続けるかどうか、もう少し考えさせてください。それで一つお願いがあります。ボクの代わりにジュリアをボーイソプラノのパートリーダー、そしてソリストにしてもらえないでしょうか?」
合唱団長さんは、教会の天井を仰いでしばらくしてから答えた。
「確かに彼女は歌がうまい。でもこればっかりは認められない。神様の思し召しだからね……次のリーダーとソリストはレオ君にやってもらうことにする」
僕の願いは聞き入れられなかった。神様は本当にジュリアが歌うことを許してくれないのだろうか。
僕は来月に催される、この町の戦没者の追悼式典での演奏を最後にボーイソプラノ、そして少年合唱団を辞めることを決心した。
式典の当日。
僕らはオーケストラは大人の合唱団やソリスト、オルガン奏者と一緒に配置についた。
演奏するのは、フォーレのレクイエム(死者のためのミサ)。
この曲は、
第一曲 イントロイトゥスとキリエ
第二曲 オッフェルトリウム
第三曲 サンクトゥス
第四曲 ピエ・イェズ
第五曲 アニュス・デイ
第六曲 リベラ・メ
第七曲 イン・パラディスム
と七つの楽曲で構成され、それぞれ異なった楽器や合唱・独唱の編成で奏でられる。
四曲目の『ピエ・イェズ』は、美しく静かな旋律で死者に安らぎが与えられんことを願った一曲だ。これをまるごとボーイソプラノ、つまり僕が一人で通して歌う。この曲は高くて繊細でなおかつ伸びやかな歌声が要求される。練習の間、僕はなんとかかんとか、それをやり通した。
本番が始まり、いよいよ第四曲。
僕は少年合唱団の列から一歩前出る。
慈しみ深きイエスよ、ささげるこの者に安らぎを与えたまえ。
死を怖れず、むしろ穏やかに死に迎えられんことを。
そういう思いを込め……でも、歌っているのは僕じゃない。
僕はただ。
歌声に合わせ、口を動かしていだけ……口パクだ。
歌っているのは、僕の真後ろにいる、ジュリア。
神を愛し。
死者を慈しみ。
その溢れる気持ちを声に乗せて。
真っ直ぐに歌う。
僕はわざと体を横にずらし、口を動かすのを止めた。
合唱長さんは驚きの表情を浮かべながらも指揮棒だけは動かしている。
きっと、目を閉じて静かに歌うジュリアの姿が見えているはずだ。
ごめんなさい。でも神様はきっと赦してくださると思うんだ。アーメン。
〇
それからジュリアは、ボーイソプラノのソリストとパートリーダーを任された。
僕が少年合唱団を辞め、教会を去る日。
「マッテオ、本当にありがとう……でも、あなたと一緒に歌えないのはさみしい」
彼女は僕の両手をつかんでそう言った。
「僕も淋しいよ。でもね、小さい頃から習っていたピアノの練習を続けて、教会のオルガンも弾けるようになりたいんだ」
「……やっぱり、この町を出て行くのね」
「うん、専門の先生がいる、港の町に習いに行く……順調にいけば、三年くらいで帰って来る」
「三年か……待ち遠しいわ」
「きっとすぐだよ……そしたら合唱団の伴奏、そして君の歌の伴奏をする」
「約束よ」
「もちろん」
彼女は僕に抱きついた。
そしてささやく。
「大人になっても。声が変わったとしても。あなたとずっと一緒に歌っていくの」



