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フェルマータ休符の長さと意味

〈この調べと ともに〉
 アントニン・ドヴォルザーク
 交響曲第9番 ホ短調 作品95『新世界より』第2楽章 ラルゴ

新世界の二楽章『ラルゴ(ゆったりと)』は、日本人にとって最も耳馴染みのいいクラシック音楽の一つだろう。僕の場合、幼稚園の音楽教室の発表会でこの曲をエレクトーン合奏で演奏した。
それから九歳の誕生日の時、父親が『クラシック名曲集』という有名なクラシック音楽をダイジェストで集めたCDのセットをプレゼントしてくれ、それで初めて新世界の原曲を知った。イングリッシュホルンとクラリネットが奏でる箇所は、当時長崎に住んでいたこともあり、教会の礼拝堂をイメージさせた。
そして、小学校の下校時間の時にさんざん聴かされたアレ。「そろそろ下校の時刻となりました。校内に残っているみなさん、あと片づけをして、車に気をつけて帰りましょう」というアナウンスのBGMとして流されるアレである。多分、全国津々浦々の学校で採用されていて、耳馴染みどころか耳タコになるくらい聞かされた子供も多いだろう。
この曲のメインのメロディーにアメリカでは歌詞がつけられ、「家に帰ろう!」と歌われ大流行したらしい。日本でも「遠き山に日は落ちて」という歌詞がつけられ、愛されている。だから、『新世界の二楽章=家に帰る夕暮れ時』みたいなイメージを持っているニッポン国民は多いのではないだろうか。

そんな子供の時の『新世界体験』を経てから随分時間が経った今、僕はアマチュアのオーケストラに入り、この曲を何度か演奏している。次のコンサートで、僕はコンサートマスターとしてこの曲を演奏することになった。

「ねえ、二楽章の最後のとこのソリがあるじゃない。あそこの『フェルマータの休符』はどうすればいい?」
譜読みの練習の前、ヴィオラの容子が聞いてきた。
オーケストラの弦楽器は、普段は全員で演奏するが、時々各パートのトップだけで弾く箇所があったりする。それを『ソリ』と言い、この二楽章では、ヴァイオリンの僕とヴィオラの容子で奏でるソリがある。
そのメロディーの中で四分休符にフェルマータ(適度に伸ばす)が三回出てくる。たいていフェルマータは音符の上についていて、『音符の長さの二倍を伸ばす』という原則があるけど、まあ伸ばす長さは演奏者の委ねられている。

「そうだな、指揮の星野先生に相談してみるか」
指揮者は、このフレーズをどう振り、休符にどういう意味をもたせるのだろうか?

で、練習時間となり、一楽章が終わったところで指揮者に聞いてみた。
「そこはさ、ストバイ(ファーストヴァイオリンのこと)の君とヴィオラの容子さんの二人に任せるよ。休符の長さも次に入るタイミングも二人で合わせて、伴奏のセコバイ(セカンドヴァイオリンのこと)とチェロとうまくアンサンブルしてくれる? ボクは振らないから」
とあっさり丸投げされてしまった。

まあ、そういうことなら、と容子とアイコンタクトしながら弾いてみた。

休符前の音の切り。
休符の長さ。
次の音の出だしのタイミング。

まあ、合わないことはない。でも、なんでだろう?
容子と『息が合った感』がない。

帰りの電車の中で容子と一緒になった。
二人とも楽器ケースが邪魔にならないように体の前に置いて、つり革にぶら下がる。

「あのさ、ラルゴのソリ、どんなことイメージして弾いてたの?」
彼女の問いに、そうか、二人のイメージが違うのが原因かもしれないなと気づかされた。
僕は小学校の『新世界原体験』から来るイメージを伝えた。
「やっぱりさ、日が暮れて家に帰るっていうのは、何となく想像しているな」
「……そうすると、あの三つのフェルマータ休符の意味は?」
「難しいことを聞くなあ」
と言いつつも考えていることがあった。
「ためらい……ため息と言ってもいいかな」
「ためらい? ため息?」
「ああ。仕事で疲れ果てて家に帰るだろ?」
「……まあ」
「そうして、自分ちの建物が見えてくる」
「うん……それで?」
「するとだな、このまま沈んだ気持ちで部屋に入るのはやだなって躊躇して足が止まり、ため息をつく」
「……何それ?」
僕の話を聞いて、彼女は明らかに落胆の表情を見せている。
「それってさ、作曲家の意図と全然関係なくない?」
「そう言われれば、そうだな」
「だって、日が暮れて家に帰る、というのは後づけの話らしいし、仕事で疲れて帰るって、それニッポンのサラリーマンの話じゃない」
「まあ、たしかにそうだけど……じゃあ、容子はどんなイメージを持ってるんだよ?」
僕はちょっとムッとして反撃に出る。

「私は、『祈り』」
「祈り?」
そう言えば、子供の頃、長崎の教会のイメージを抱いていたこともあった。なるほど。
「ドヴォルザークは、先住民の英雄にまつわる民話が元になった詩に触発されて二楽章を作曲したって聞いたことがあってね。確かその英雄の鎮魂の思いが込められているらしいから」

なるほど。サラリーマンの仕事帰りのため息と、先住民の英雄への祈りじゃあ、しっくりくるわけがないよな。これはどう考えても僕が妥協して『祈り』をイメージするしかない。

それから何回か練習があって、僕なりのイメージで容子に合わせた。譜読みの時よりはマシになったけど、今一つスッキリとしない。なぜなら『先住民の英雄の鎮魂の祈り』ってどんなイメージかピンと来なかったからだ。

結局そんなモヤモヤを抱えながら、当日のステリハ(ステージ上のリハーサル)を終え、本番を迎えるのみとなった。
昼休みにコンビニのお結びを二つ平らげ、女子控室にいる容子を呼んでもらった。

「何よ、まだBLTサンドが一つ残ってるんだけど」
「……あのさ、容子の『祈り』のイメージ、もうちょっと具体的に教えてもらえるかな?」
「ああ、そのこと……それはもういいんじゃない」
「え?」
彼女は残っているサンドウィッチが気がかりなんだろうか?

「さっきのリハでね、私のイメージもちょっと違うかなって思ったのよね」
「……どういうこと? だってこのままじゃあ」
「大丈夫よ。すべてココのホールとお客さんが解決してくれるから」
それだけ言うと、彼女は控室に引っ込んでしまった。やっぱりBLTサンドが気になってたんだ。


本番が始まった。
前半のヴェルディの序曲とモーツァルトのシンフォニーを無事に終え、休憩を挟んでいよいよメインプログラム、『新世界』。

「旅立ち」「冒険」という言葉が似合う一楽章を終え、雰囲気を一変させて第二楽章へ。

楽章の終盤。憂いを含んだイングリッシュ・ホルンのメロディを引き継ぎ、容子と僕はデュエットを奏でる。

最初の休符フェルマータの前の音。
それをホールが心地いい余韻に変えてくれた。

そして沈黙。

それを十分楽しみ、二人は次の音へ。

そして自分たちが奏でた音の残響を楽しむ。

そして再びの沈黙。

その静けさを感じ取り、チェロがメロディに加わる。

二楽章の終盤の物語は、こうやって創られた。


容子と僕のフェルマータ休符の謎解き。
その答えは、
ホールに身を委ね、聴衆と静寂の時間をともにすることだった。


三楽章に入る前、僕と向かい合って座っている容子は、弓を持ったまま小さなガッツポーズをして僕に微笑んだ。


        おしまい