◇ ◇ ◇
狭い部屋だから、わかること
〈この調べと ともに〉
ZIW
寝言feat.kojikoji
「オー、散らかってるねえ。この散らかりっぷりが落ち着くんだよなあ」
僕の部屋に招き入れるや否や、ナオは嬉しそうにコメントする。
彼女の来訪は三度目になる。いつも直前にLINEが飛んでくるので、部屋を片付ける余裕はない。
「あの……冷蔵庫の中、何にも無いんだけど、外に食べに行く?」
「いーのいーの。ケンタッキー買ってきたからさ」
そう言ってKFCとデカい赤字でロゴが入ったレジ袋をガシャガシャと振り、ワインの入った細い手提げも上げ、二ッと笑う。
こないだは、二人では食べきれないくらいの大判のピザを抱えてきた。朝食もそれになった。
「この部屋はね、罪悪感と背徳感を堪能する部屋」
「え?」
確かにこの部屋に居る間の彼女の振る舞いは、キャンパスでのゼミの授業やサークルでのそれとは違う。罪悪感と背徳感の違いはよくわからないけど、まあ、彼女なりに楽しんでくれているんだろう。
よく食べるし、よく飲んで酔っ払うし、よく笑うし、よく話す。そしてエッチだ。
酔っ払った彼女に、なんで僕なんかとつき合ってくれているのか、聞いたことがある。
「やさしいからに決まってんじゃん」
いつもと変わらない返事が返って来た。
僕が彼女に声をかけたり、何かしてあげると、たいてい「ありがとう。レンはやさしいね」と言ってくれる。
それを聞くと少し後ろめたくなる。
僕が彼女にそうする時はいつも下心があったり、周りの目が気になったり、ただ常識に流されていたり、という理由によることが多い。
彼女が感じている「やさしさ」と僕がしている「やさしさ」とは、大きなギャップ、暗くて深い谷みたいなもので隔てられている。
その晩も、動画配信の映画を観ながらフライドチキンにかぶりつき、ワインを一本空けて笑いあい、シャワーをしてベッドの上で戯れて、その後は入浴剤を入れた狭い浴槽に入って過ごした。
僕は罪悪感というよりも、こんな戯れが続かなくなることの恐さを感じる。
一度、彼女のお母さんからスマホに電話がかかってきて、部屋の隅で「どこに泊っていてもいいでしょ」と小声でかつ鋭く答えていた。
狭い部屋では、電話の声が筒抜けになってしまう。彼女は「罪悪感」を楽しめているのだろうか。
僕のパジャマを着て歯ブラシをくわえると、彼女はソファにもたれて寝落ちしてしまった。
「ねえ、まだ歯磨きの途中だよ?」
そう言うと、うん、とは反応するが、行動が伴わない。
「しょうがないなあ」と彼女を抱っこし、洗面所の前まで連れて行き、立たせる。
ふらつく彼女を支えながら、歯磨きを始めるのを待つ。
「ふぁっふぁ わはひーね、うぇんわ(やっぱやさしいね、レンは)」
鏡に映る瞳は、寝ぼけ眼の割には、ちょっと醒めた印象を与える。
再び彼女を抱え、ベッドに寝かせる。
すぐに寝息が聞こえた。
もう罪悪感なんて、どこにも無いだろう、多分。
〇
五時ごろ。
ナオが寝がえりをうち、ぶつかってきたので目が覚めた。
彼女は何かモニョモニョと呟いていたが、やがてそれは言葉になった。
やさしいね
寝言でも、そう言うのか。
再びナオは寝返りをうつ。
やさしいね、レンは。
わかったわかった。もういいよ。
やさしいね、自分にだけ。
えっ?
今なんて……自分にだけ?
この言葉をどう解釈すればいい?
自分=私(ナオ)? それとも、自分=僕?
どうも後者の気がしてならない。
狭い部屋では、心の声が筒抜けになってしまう。
僕のやさしさの薄皮が剥がされたような気がした。
〇
朝八時ごろ。
戸棚の中にシーフードヌードルのミニが二つあったので(というかそれしか無かったので)お湯を沸かして彼女と食べる。
ローテーブルに座った彼女に小さなカップ麺とフォークを渡す。
「ありがとう、やっぱやさしいね、レン」
「こんなんでやさしいって言われても……」
「気は心ってことよ」そう言って彼女はイヒヒと笑う。
僕は恐るおそる、尋ねる。
「あのさ……夕べ、何か夢見てた?」
少し間が空く。
「夢? そう言えば……」
また間が空く。
宙に浮いていた彼女の視線が僕の顔の前で止まった。
「忘れちゃった。だからもう行かなきゃ」
そう言って彼女は立ち上がり、身支度を始めた。
まるで夢を忘れたことが、僕の部屋から出て行く理由みたいに。
でも、それでいいのかも知れない。
あの寝言を思い出したら。
あの寝言の本当の意味を思い出したなら。
君は二度とこの部屋に戻って来てくれないかもしれないから。
いや、「忘れちゃった」ことにしてくれたのは、彼女のやさしさかも知れない。
これこそ、本当のやさしさ。
ただの時間稼ぎだって、わかっている。
でも僕にはもう少し、君と一緒にいる時間が必要なんだ。
薄っぺらなやさしさしか持てないうちは。
それを赦してくれる人がそばにいてくれないと。
僕は。



