横道寄り道ねこ屋台

***


 身体が暖かい空気に包まれているような心地に、なんだろうと疑問が渦を巻く。まぶたの裏には相変わらず白くて明るい景色が広がっているような感じがしていた。

「美似衣、目を開いて良いにゃ」

 しばらくして、ぶにゃ助の声がしてそっとまぶたを開ける。
 きょろきょろと辺りを見回してみると、何もない、ただ白いだけの空間が広がっていた。暗いトンネルにいるわけではないのに、ちょっとだけぶるりと身を震わせた。

「ここ、どこ……?」

「ここは、“横道ねこ屋台”」

「横道ねこ屋台……?」

 屋台、という言葉を聞いた途端、鼻を掠めるかすかな香ばしい匂いに気づいた。匂いはどんどん強くなっていって、何の匂いなのかはっきり分かるようになった。
 
 出汁の効いたおでんの匂い。
 じゅうじゅうと肉汁があふれる、焼肉の匂い。
 炭火の焼き鳥の匂い。
“お袋の味”を思い起こさせるような肉じゃがの匂い。

 いろんな香りが次から次へと押し寄せる。その刹那、真っ白だった世界にぱああっと明かりが灯るように、視界の中に様々な「屋台」が現れ始めた。不思議な現象にあっと息を飲む。
 まるで地元福岡で有名な中洲(なかす)の屋台のように、さまざまな店がずらりと左右に並んで、真ん中に道ができる。空の風景は夜。結宮神社にいたのは昼間であるはずなのに、この場所では星がちかちかと瞬く夜空が頭上に広がっていた。

 屋台の上の看板には、「北海道ほくほくじゃがいもスープカレー店」「湘南しらす丼屋」「香川さぬきうどん食堂」など、ご当地グルメと分かる店名が軒並み連なっている。
 屋台といえばおでんやラーメンが主流だと思うが、ここではいろんなご当地料理が楽しめるらしい。
 店の中で働いているのは人間ではなく、なんと全員、猫だ。

「ねえ、何なのこれは。というかここ、どこ?」

 突如として目の前に広がった異様な光景に興味を抱きつつもやはり混乱していた。
 足元のぶにゃ助は私を見て、得意げに胸をそらす。

「だから、“横道ねこ屋台”って言ってるにゃ」

 学習能力のない子どもに呆れる母親のような口ぶりで言う。

「その“横道ねこ屋台”がなんなのか、聞いてるの!」

「えー、見て分からにゃい? いろんなご当地グルメが味わえる横道(・・)だにゃ。オレが特別に美似衣を連れてきたにゃ」

「特別に……」

 そうだ。
 ぶにゃ助は結宮神社で、確かに「美似衣をいいところに連れていってあげる」と言っていた。
 さっきから、ぷんぷんとそこかしこに満ちている香ばしい匂いが、私の食欲をそそっている。腹の虫がぐううと鳴って、ぶにゃ助はクククと笑いを噛み殺した。

「な、笑わないでよ。こんだけいい匂いがしたら誰だってお腹空くでしょう?」

「ああ、そうだにゃ。だから美似衣は、この中から好きな店を選んで食べたいものを食べればいいにゃ」

「……本当?」

「本当だにゃ」

 実のところ、いつぶにゃ助がそう言ってくれるかと、心待ちにしていた。
 出汁の香りやスパイシーな香りなどいろんな香りが私を誘いかける。

「ちょっと歩いて決めてもいい?」

「もちろんにゃ。気分で好きなものを選べばいいにゃ」

 気分で好きなものを選ぶ、か。

 最近、私ができていなかったことだ。 
 大事な将来に関わる選択だから、応募先の会社を選ぶのは常に神経をすり減らす作業だった。

 最近、食事はコンビニ弁当で済ませることが多く、自炊をすることもすっかりなくなった。コンビニ弁当だって、なんとなく目についたものを手に取るだけの日々。「食べたいものを好きなように選ぶ」ということさえ億劫に感じられてできていなかった。
 だから、ぶにゃ助から「気分で好きなものを選べ」と促されて、心がすっとやわらかに解けていく感覚がした。

「何にしよっかな〜」

 一人と一匹で、横道を歩いていく。
 それぞれの屋台の席に座っているお客さんも全員猫だった。
 だから今この場所に人間と呼べる存在は私しかいない。
 私は子どもの頃に見た、猫の世界に人間が迷い込むアニメ映画を思い出した。

 ぷらぷらと横道を歩いていると、ファンタジーの世界に迷い込んで困惑しているはずなのに、どんどん足取りは軽くなっていった。
 ここは現実じゃないから。就活のことも将来のことも考えなくていいんだ。
 現実逃避といえばそうかもしれない。でも、今の自分にはこういう時間が必要だったのだと気づく。ぶにゃ助は相変わらず私から少し離れたところを歩いてくれていた。

「ここにしようかな」

 しばらく歩いて、とある屋台の前でふと足を止める。
 看板には「博多うまかもん処」と書かれている。

「ここでいいにゃ?」

「う、うん」

 博多は私の故郷だ。普通なら行ったことのない都道府県の料理を選ぶべきなのだろうが、「博多」という看板に吸い寄せられるように立ち止まってしまった。