「六十二社目……嘘でしょ」

 最寄駅から自宅へと戻っていく道の真ん中で、リクルートスーツに身を包んだ私は、思わずその場で足を止めた。
 スマホの画面に映し出された、【選考結果のお知らせ】という件名を見るだけでなんとなくメールの内容は察していた。でも実際に本文に【稲葉美似衣(いなばみにい)様の採用を見送らせていただくことになりました】という決定的な一文が含まれているのを見ると、足元がぐらりと地面から崩れ落ちていくような感覚に襲われる。

 これで、落選六十二社目だ。
 大学四年生の六月三十日。
今日で六月が終わり、明日から七月が始まろうとしている。大学のゼミの友達はみんなとっくに二社も三社も内定をもらっていて、今はどの会社の内定を受諾しようか迷っている、なんていう贅沢な悩みを口々に話していた。そんな彼らの話についていけず、研究室の隅っこで居場所を失くした私は今もこうしてリクルートスーツに身を包み、とある企業の一次面接から帰って来たところだった。

「もうあと一社しかない……」
 
 たった今面接を受けてきた人材派遣会社だけしか、選考途中の会社が残っていないという事態に陥り、目の前の光景がぐらりと歪む。
 
「だ、大丈夫よ……また応募すればいいだけの話……」

 選考に落ちたなら、気を取り直してまた別の会社の採用試験に応募すればいいのだ。
 今は人手不足の時代。就職率95%超えの東京の有名私立大学であるW大学に通う自分ならきっと大丈夫。大丈夫な、はずだ。

 ……と頭では分かっているのだけれど。
 何度も何度も面接やグループディスカッションで選考に落ちるたび、まるで自分という人間そのものを否定されたような心地にさせられた。採用試験に落ちたのは、企業と自分の特性がマッチしていなかったせいだと最初は割り切って考えていたはずなのに、いつのまにか心が憔悴していた。

 落ち着け、私。
 こんな道のど真ん中で我を忘れるわけにはいかない。

 ふう、と息を吐いて空を見上げると、曇天の空がまるで自分の心を映し出しているようだった。そのまま、自宅の方向とは少しずれた路地裏の道へと歩き出す。途中、現れた小さな薬局や公園を横目にたどり着いたのはとある神社だった。

 結宮(ゆいみや)神社。

 住宅街にひっそりと紛れ込む小さな神社だ。名前からして縁結びの神様が祀られているのだろうとは想像がつくけれど、実際のところはどうなのか知らない。私がここを訪れるのは初めてではなかった。
 就活が始まり、自分を否定され続ける日々の中で、最初は願掛けのためにお参りをしに来たのだけれど、いつしかこの場所を心のシェルターのように感じてしまっていた。
 神社の中に足を踏み入れると、本殿のすぐそばに石でできた小さな椅子が据え付けられていた。どうしてこんなところに椅子があるのか分からない。が、以前アルバイトの仕事でミスをして落ちて凹んでいた際に、そこに座ってぼうっと空を眺めていると、心が幾分か和やかな気持ちになった経験があった。
 それ以来、嫌なことがあるたびにこの場所を訪れて、椅子に腰掛けて無為の時を過ごすことが増えた。

「ていうかやっぱり、名前がだめだと思う。“みにい”って見るからに頭悪そうじゃん」

 就活がうまくいかないことを、名前のせいにしている自分は愚か者だ。
 と分かっているのだけれど、やっぱり自分の趣味であのねずみのキャラクターの名前を子どもにつけた母親を恨んでしまう。

「いやキャラクター自体は可愛いんだけどさ、子どもにはつけないでしょふつう!」

 足元の小石を小さく蹴りながら愚痴を吐き出す。
 こうでもしないと、どの会社からも受け入れてもらえないやるせなさを発散する術が他にないのだ。

「あーあ、せっかく高いお金出してもらってW大に入ったのに。就職できないんじゃ意味ないじゃんっ」

 昔から、勉強はちょっぴり苦手なほうだった。だけど、「明るい将来のため」と高校時代に一念発起して勉強を頑張った。その甲斐あって、メキメキと成績が伸びてW大学経済学部に受かるレベルに達したのだ。
 すべては将来、就きたい職業に就くため。
 そう思って頑張ってきたけれど、私のやりたい仕事ってなんだろう?
 就活を始めた頃は、なんとなく「衣食住」のどれかに関わる仕事がしたくて、不動産やアパレル会社、食品会社を中心に会社を探していた。が、多くの採用試験に落ち続ける中で、「希望業界、職種を広げなければ無理だ」と思い始めるようになった。その後は「衣食住」の会社に関わらず、雑多な業界に浅く広く手を伸ばしては、自分のやりたいことを見失っている気がする。

「もう、誰でもいいから私を必要としてよ」

 努力ならいくらでもするから。
 全然興味がない仕事の内容でも、一端の社会人として会社や社会に貢献できるように頑張るから。
 だから、誰か私を救って——。

 心の叫びがつい口からこぼれ落ちる。と同時に、一粒の雨がぽつり、と頭に落ちてきた。「あっ」と思った時にはもう遅い、ざあああっと激しい梅雨の雨が降り始め、慌てて本殿の屋根の下に逃げ込んだ。

 まさに泣きっ面に蜂状態で濡れた身体をハンカチで拭う。
 顔に張り付いた水滴が雨粒なのか涙なのか判別がつかなくて、胸が塞がっていくような心地がした。 
 このまま、雨に溶けて消えてしまいたい。
 就活がうまくいかないぐらいで大袈裟な、と思われるかもしれない。だけど、鼻をつくペトリコールの匂いも、耳の奥に響くずっしりとした雨音も、すべて煩わしく感じて仕方がなかった。
 
 何も感じないようにゆっくりと瞼を閉じる。
 心の中で願い事をゆっくりと唱えた。

 これ以上、傷つかなくて済みますように。

 今一番願っていることは、もうそれだけだった。
 就職試験に受かることでも、立派な社会人になれることでもない。
 ただただ、心が擦り減っていくのを誰かに止めてほしかった。