路線図を見たり、窓の外を眺めたりしているうちに、またたび特急はどんどん進んでいく。

「終点ー、終点ー、黒猫城です。お忘れものなどございませんよう、お気をつけください」

 聞き慣れはじめた三毛猫車掌の声に、リクルートバッグのチャックを閉めて切符を手に持つ。その瞬間、ガタンという音が鳴り、さっきまで開かなかったコンパートメントの仕切りが開いた。おどろいて、うわっと声を上げる。

「降りていい、ってことだよね?」

 あたりを見渡しながら仕切りから出て、出口へと向かった。駅のホームに降り立つも、ひとっ子ひとり見当たらない。標識に従って、改札を通り抜けようとすると、またもや制帽をかぶった猫がとてとてと近寄ってくる。

「切符をお見せください」

 猫が話しているのにはまだ慣れないけれど、とりあえず受け入れることはできるようになってきているようだ。私はかがみこんで猫に切符を渡す。くるりとしっぽが円を描く。

「確かに拝見しました。それでは、素敵なひとときになりますように」

 猫は丁寧にこう言って、切符を返してくれる。私は礼を言って立ち上がり、猫が前足で示した方角へと足を向けた。
 駅の外に出ると、目の前には大きな古いお城が立っていた。尖塔がいくつも天をつき、月明かりを受けてかがやいている。お伽話の世界の住人になったようで、感動のため息が出てくる。
 空を見上げれば、あたり一面満点の星空。建物はお城と駅舎しかなく、お城の周りにはお花畑が広がっている。そこに涼しい風が吹き抜けて、草花がさわさわと揺れている。
 最近私たちを苦しめている、暑くて不快な夏の気候ではなく、春のような快適で過ごしやすい夜だ。両手を広げ、風をからだ全体で受け止めてみる。ああ、とっても心地いい。
 しばらく外の空気を堪能したあと、いざ入らん! とお城の門へ歩みを進める。装飾が施された立派な門の前には、サバトラ猫が2ひき、槍を加えて斜めにクロスさせてかまえているではないか。

「切符を」

 少し太い声で片方のサバトラが言う。私は例によって例のごとく、かがんで黄色い切符を見せた。すると、2ひきは槍を地面に置き、立ち上がって恭しく礼をする。

「お入りください。どうぞ、素敵なひとときを」
「ありがとうございます」

 丁寧な対応は嬉しいのだけれど、猫が太い声でしゃべったり、恭しい態度で接したりするのがどうにもおかしくて、笑いをこらえるのに必死だった。
 美しい庭園の真ん中をつらぬく石畳をまっすぐ進み、お城の入り口にたどり着く。すると、私が入り口の前にいるのを察したかのように、タイミングよく重いとびらが内側から開いた。
 執事のような格好をした白猫が、またもや丁寧に礼をする。

「ようこそ、黒猫城へ。わたくしは案内猫のブランと申します。いまから、あなたをこの城の主人であらせられるノクティアさまのお部屋へ案内いたします」

 案内猫という単語をさも当たり前のように使うブランという猫に、また笑いが込みあげてくる。無理やり押さえこんで、よろしくお願いします、となんとか口にした。
 ブランは私の前をしゃなりしゃなりと美しく歩く。その洗練された佇まいに、思わず背筋がピンと伸びた。
 夜だというのに、お城のあちらこちらを猫たちが慌ただしく歩き回っている。いや、猫は夜行性というし、夜だからこそ、なのだろう。
 
「にゃにゃ?」
「にゃーん」

 私の姿を不思議そうに見上げ、少なくとも人語ではない猫らしい言葉で会話する猫ちゃんたち。そんな猫たちをたしなめるように、ブランがにゃおーんとひと声大きく鳴いた。すると、廊下にいた猫たちが一斉に壁によって整列し、(こうべ)を垂れはじめた。

「失礼いたしました。新人教育がなっておりませんでした」
「い、いいえ? 大丈夫ですよ」
「あなたさまのお心が広くて助かりました」

 なんだか人間味のある会話だ。ふふっと笑いがこぼれてしまう。
 次の瞬間、壁ぎわに並んだ猫たちが金色の光を出し始める。その光は私の頭から降り注いだ。

「これは?」
「祝福でございます。あなたさまが猫神様のご加護を得られますように、と猫たちが魔法をかけているのです」

 ほんのりと心があたたかくなるのを感じる。祝福の効果はわからないけれど、優しさを向けられているのはわかる。それが就活に侵されて凝り固まった心をほぐしてくれる。
 屋内の廊下を抜け、今度はお庭の横の廊下を通る。そこでも、猫たちがせっせと仕事をしているようだった。ある猫が前足を合わせてパチンと音を立てると、あちらこちらに枝が伸びていた植えこみのかたちが完ぺきな四角に整えられる。

「す、すごい……」
 
 ——魔法だ。
 ここに来るまでも、何度か魔法らしき経験をしたけれど、実際に使っているところを見ると、ファンタジーをより一層強く感じる。
 別の猫がつぼみにキスををひとつ。すると、ゆっくりと花が開いた。かわいらしい猫ときれいな花の組み合わせに癒される。
 ブランはスタスタと進んでいく。もう少し見ていたかったけれど、慌ててついていく。
 今度は厨房の近くなのだろうか。美味しそうな香りが漂ってきた。先輩と夜ごはんを食べてから、結構時間が経っている。そこに食べものの匂いがあいまって、空腹を感じた。
 すると、コック帽をかぶった猫が1ぴき、銀色にきらめくクローシュつきのお皿を浮かせて出てきた。厨房のとびらが開いた瞬間、ぶわっと香りが高まる。猫はお皿を浮かせたまま、器用に運んでいく。

「美味しそうな匂い」
「お腹が空いていらっしゃいますか? ノクティアさまのお部屋で何かお出ししましょう」
「あ、ありがとうございます」

 なんだか恥ずかしい。卑しいと思われてはいないだろうか。
 でも、猫たちが作ったものを食べてみたい気もして、厚意に甘えることにした。