文化祭当日、天文部の展示は理科室前の小さな黒板に書かれた「天文部活動報告」の文字が、ただ一枚ぶらさがっているだけの細やかなモノだった。
誰も期待していないし誰も足を止めない。
——でも、それでも、僕は展示を準備した。
いくつかの星図と、星にまつわる豆知識のパネル。
そして、一枚の模造紙に描いた自作の星座の物語。
星座の名前は、《コウモリ座》。
『飛べない夜に、迷子になったひとりぼっちの星が、空を見上げて手を伸ばした。すると、空の上からもうひとつの星が降りてきて、そっと手を握る。星は言った。
「だいじょうぶ、君の夜に、もう“ひとりじゃない”って名前をつけてあげる」
そしてふたりは、夜空の中で並んで、いちばん星に向かって羽を広げた——』
くだらない話かもしれない。
でもこれは、夏目くんに出会ってからの夜に心の中で少しずつ書いていた、僕だけの物語だ。
パネルを眺めていた何人かの後輩たちが、笑いながら通り過ぎていく。
それでいい――この話は、たった一人だけに届けばいいと思っていたから。
「……これ、俺のことですよね」
ぼんやりと星図の隅を見つめていた僕に、ふいに声が落ちてくる。
振り返ると、そこに夏目くんが立っていた。
文化祭用のTシャツの袖からのぞいた手首には、星のチャームがついたミサンガ。
先週、一緒に選んだやつだ。
「勝手に、モデルにしたよ」
「怒ってないです。寧ろ嬉しい」
彼は展示された星図をそっと指でなぞり、それからまっすぐ僕に向き直った。
「でも、やっぱり……言葉で聞きたいです。先輩の気持ち」
人のいない時間を見計らって、僕がこっそり用意していたこの場所。
それを、こうしてちゃんと見に来てくれた彼に——僕は、伝えたくなった。
「……わかってる。ちゃんと言うよ」
深く息を吸って、それから、静かに口を開く。
「好きです、夏目くんが。真っ直ぐで、眩しくて、ちょっと押しが強くて……自分では気づけなかったうれしいや楽しいを教えてくれた人。僕にとって、そういう存在が君でした」
夏目くんは、目を細めて、照れくさそうに笑った。
「……ずるいなぁ。最後の最後で、全部持ってくじゃないですか」
「そんなつもりじゃ——」
「ありますよ。だって、めっちゃ嬉しいですもん。もう、世界の終わりまでこの瞬間だけでいいって思うくらい」
「……すごく、大げさだね」
「本当ですって」
僕らは並んで立ったまま、しばらく展示を見つめていた。
夕方のチャイムが、校舎のあちこちに響いて文化祭の終わりを静かに告げる。
「……このあと、天文室、行きませんか?」
「うん……いいよ」
「じゃあ、いこっか」
彼が手を差し出してくる。
今度は、僕の方からその手を取った。
観測ドームの天窓はすでに開いていて、夜空には夏の星たちがまた静かに光り始めている。
僕は、自作の星座のスケッチを指差しながらそっと言う。
「ねえ、知ってる?星って、一度名前がつくと、たとえ消えてしまっても記録に残るんだよ」
「そうなんですか?」
「うん。誰かが見つけて名前を呼んだっていう証になる。つまり……誰かの空に、確かに存在していたってことになるんだ」
「へぇ……それ、すごくいいですね」
「だから——僕の空にも、君の名前……ちゃんと残しておくね」
その言葉に夏目くんは一瞬、何かを考えるように視線を落としてから、ふわっと息を吐くように笑った。
そのまま、そっと僕の肩に手を回す。
その手は、柔らかくて暖かくて、そして迷いのない手だった。
耳元で少しだけ低くなった声が、静かに落ちてくる。
「じゃあ……俺の空にも、先輩の名前——でっかく残しときますね」
たったそれだけの言葉が、なぜだか胸の奥で長く響いた。
名前を呼ばれることも、誰かの空に残ることも。
今までの僕には、想像したことのない『未来』だったのだから。
二人で、目を合わせて小さく笑いあう。
それから、夜空に視線を向けた。
観測ドームの天窓の向こうに広がる空には、夏の星たちがちいさな花みたいに音もなく咲いている。
ゆるやかに瞬くその光たちは、まるで僕らの頭上を祝福のようにそっと照らしてくれているみたいだった。
星は、今日もきれいだった。
でも、それよりもずっと——手をつないだままの彼のぬくもりの方が今の僕には、眩しい。
夜空に残る星の名前みたいに、きっとこの瞬間も僕の記憶にずっと残るんだと、感じるのだった。
誰も期待していないし誰も足を止めない。
——でも、それでも、僕は展示を準備した。
いくつかの星図と、星にまつわる豆知識のパネル。
そして、一枚の模造紙に描いた自作の星座の物語。
星座の名前は、《コウモリ座》。
『飛べない夜に、迷子になったひとりぼっちの星が、空を見上げて手を伸ばした。すると、空の上からもうひとつの星が降りてきて、そっと手を握る。星は言った。
「だいじょうぶ、君の夜に、もう“ひとりじゃない”って名前をつけてあげる」
そしてふたりは、夜空の中で並んで、いちばん星に向かって羽を広げた——』
くだらない話かもしれない。
でもこれは、夏目くんに出会ってからの夜に心の中で少しずつ書いていた、僕だけの物語だ。
パネルを眺めていた何人かの後輩たちが、笑いながら通り過ぎていく。
それでいい――この話は、たった一人だけに届けばいいと思っていたから。
「……これ、俺のことですよね」
ぼんやりと星図の隅を見つめていた僕に、ふいに声が落ちてくる。
振り返ると、そこに夏目くんが立っていた。
文化祭用のTシャツの袖からのぞいた手首には、星のチャームがついたミサンガ。
先週、一緒に選んだやつだ。
「勝手に、モデルにしたよ」
「怒ってないです。寧ろ嬉しい」
彼は展示された星図をそっと指でなぞり、それからまっすぐ僕に向き直った。
「でも、やっぱり……言葉で聞きたいです。先輩の気持ち」
人のいない時間を見計らって、僕がこっそり用意していたこの場所。
それを、こうしてちゃんと見に来てくれた彼に——僕は、伝えたくなった。
「……わかってる。ちゃんと言うよ」
深く息を吸って、それから、静かに口を開く。
「好きです、夏目くんが。真っ直ぐで、眩しくて、ちょっと押しが強くて……自分では気づけなかったうれしいや楽しいを教えてくれた人。僕にとって、そういう存在が君でした」
夏目くんは、目を細めて、照れくさそうに笑った。
「……ずるいなぁ。最後の最後で、全部持ってくじゃないですか」
「そんなつもりじゃ——」
「ありますよ。だって、めっちゃ嬉しいですもん。もう、世界の終わりまでこの瞬間だけでいいって思うくらい」
「……すごく、大げさだね」
「本当ですって」
僕らは並んで立ったまま、しばらく展示を見つめていた。
夕方のチャイムが、校舎のあちこちに響いて文化祭の終わりを静かに告げる。
「……このあと、天文室、行きませんか?」
「うん……いいよ」
「じゃあ、いこっか」
彼が手を差し出してくる。
今度は、僕の方からその手を取った。
観測ドームの天窓はすでに開いていて、夜空には夏の星たちがまた静かに光り始めている。
僕は、自作の星座のスケッチを指差しながらそっと言う。
「ねえ、知ってる?星って、一度名前がつくと、たとえ消えてしまっても記録に残るんだよ」
「そうなんですか?」
「うん。誰かが見つけて名前を呼んだっていう証になる。つまり……誰かの空に、確かに存在していたってことになるんだ」
「へぇ……それ、すごくいいですね」
「だから——僕の空にも、君の名前……ちゃんと残しておくね」
その言葉に夏目くんは一瞬、何かを考えるように視線を落としてから、ふわっと息を吐くように笑った。
そのまま、そっと僕の肩に手を回す。
その手は、柔らかくて暖かくて、そして迷いのない手だった。
耳元で少しだけ低くなった声が、静かに落ちてくる。
「じゃあ……俺の空にも、先輩の名前——でっかく残しときますね」
たったそれだけの言葉が、なぜだか胸の奥で長く響いた。
名前を呼ばれることも、誰かの空に残ることも。
今までの僕には、想像したことのない『未来』だったのだから。
二人で、目を合わせて小さく笑いあう。
それから、夜空に視線を向けた。
観測ドームの天窓の向こうに広がる空には、夏の星たちがちいさな花みたいに音もなく咲いている。
ゆるやかに瞬くその光たちは、まるで僕らの頭上を祝福のようにそっと照らしてくれているみたいだった。
星は、今日もきれいだった。
でも、それよりもずっと——手をつないだままの彼のぬくもりの方が今の僕には、眩しい。
夜空に残る星の名前みたいに、きっとこの瞬間も僕の記憶にずっと残るんだと、感じるのだった。



