その日、なのはな組ではみんな、夕真くんの持っているカプセルトイを見て「何これー?」と興味津々な様子だった。
人形を眺めては「変なのー」とおかしそうに笑う女の子や、「ぼくにも貸して」と夕真くんにお願いをする男の子がいた。私はできるだけ人形がなくなることのないように、隙あらば夕真くんのことを見守るようにしていたのだが、彼は四六時中人形を離さない。他の先生たちから注意されても、ポケットに入れて肌身離さず持っている。たまに彼の手の中にあるそれを見つめると、人形が私のほうをじっと見ているような気がしてすこしだけ背中が寒くなるような心地がした。
夕方になると、園児たちが次々と帰っていく。基本的には十六時までなので十六時にはクラスの三分の二の園児が降園していく。延長保育の子どもも十八時まではそれぞれのクラスで預かることになるが、十八時から十九時になると朝と同じ「預かり室」で一斉に見ることになる。「預かり室」で残っているのは現在五人だ。
ちなみに、保育士もシフト制で、朝一から入っている保育士は今日の私のように通常夜まで残ることはない。が、今日の私は溜まっている仕事が多かったので、園長に許可をもらった上で残業というかたちで最後まで残っていた。
夕真くんのお母さんは、やっぱり今日も一番最後に迎えにやってきた。
「遅くなってすみません」
十八時五十七分。ぎりぎりのお迎え時間で、彼女の額には汗が浮かんでいる。髪の毛は頬に張り付いていて、ここまで走ってきたことが窺えた。
「いえいえーいつもお疲れ様です」
ふと、違和感に気づく。
夕真くんのお母さん……こんなに身長が低かったっけ。
私の身長は158cmで、成人女性ではわりと平均的なほうだ。一方、夕真くんのお母さんは推定165cmほどある長身の女性だった。だが、なんとなく今日は私と同じくらいか、私よりほんの少しだけ大きいぐらいに見える。
気のせいだろうか、と彼女をじっと見つめる。夕真くんに「お靴履いて」としゃがんで靴を履かせるところを見ても違和感は覚えない。だけど、ひとたび立ち上がるとやっぱり前より身長が縮んでいるような気がするから不思議だった。
が、さすがにそんなことを本人に尋ねるわけにはいかず、私は今日のカプセルトイについての話をしようとした。
しかし、灰谷さんは思いの外急いでいる様子で「今日もありがとうございました。それでは失礼します」と足早に去っていった。去っていく夕真くんのポケットは膨らんでいて、そこにカプセルトイが入っていることは一目瞭然だった。
注意しそびれてしまった。
でもまあ、連絡帳にも書いたから大丈夫か。
うちの園では保護者との間で連絡帳をやりとりしていて、そこに毎日それぞれの園児たちの様子を書き込むようにしている。
お昼寝の時間に、夕真くんがカプセルトイを持ってきていることを書いておいた。家に帰ったらお母さんがその連絡帳の欄を見るはずである。だから、明日はきっと夕真くんもカプセルトイは持ってこないだろう。
ふう、と息を吐くとスマホの通知音がピロリンと鳴った。
夫からLINEだった。
【ごめん、今日やっぱり迎えに行けない】
「ええっ」
今日は仕事が夜までかかるから、十八時に娘の美奈の保育園のお迎えを夫に頼んでいた。が、今になって行けないと連絡が来た。さらにスマホを確認すると、十八時に娘の通っている保育園から着信が四回来ている。
「もう、なんでもっと早く連絡してくれないのよ」
つい愚痴がこぼれ落ちる。
夕真くんの家庭のことを心配している場合ではなかった。
私はダッシュで勤務先の保育園を離れ、美奈を迎えに奔走するのだった。
人形を眺めては「変なのー」とおかしそうに笑う女の子や、「ぼくにも貸して」と夕真くんにお願いをする男の子がいた。私はできるだけ人形がなくなることのないように、隙あらば夕真くんのことを見守るようにしていたのだが、彼は四六時中人形を離さない。他の先生たちから注意されても、ポケットに入れて肌身離さず持っている。たまに彼の手の中にあるそれを見つめると、人形が私のほうをじっと見ているような気がしてすこしだけ背中が寒くなるような心地がした。
夕方になると、園児たちが次々と帰っていく。基本的には十六時までなので十六時にはクラスの三分の二の園児が降園していく。延長保育の子どもも十八時まではそれぞれのクラスで預かることになるが、十八時から十九時になると朝と同じ「預かり室」で一斉に見ることになる。「預かり室」で残っているのは現在五人だ。
ちなみに、保育士もシフト制で、朝一から入っている保育士は今日の私のように通常夜まで残ることはない。が、今日の私は溜まっている仕事が多かったので、園長に許可をもらった上で残業というかたちで最後まで残っていた。
夕真くんのお母さんは、やっぱり今日も一番最後に迎えにやってきた。
「遅くなってすみません」
十八時五十七分。ぎりぎりのお迎え時間で、彼女の額には汗が浮かんでいる。髪の毛は頬に張り付いていて、ここまで走ってきたことが窺えた。
「いえいえーいつもお疲れ様です」
ふと、違和感に気づく。
夕真くんのお母さん……こんなに身長が低かったっけ。
私の身長は158cmで、成人女性ではわりと平均的なほうだ。一方、夕真くんのお母さんは推定165cmほどある長身の女性だった。だが、なんとなく今日は私と同じくらいか、私よりほんの少しだけ大きいぐらいに見える。
気のせいだろうか、と彼女をじっと見つめる。夕真くんに「お靴履いて」としゃがんで靴を履かせるところを見ても違和感は覚えない。だけど、ひとたび立ち上がるとやっぱり前より身長が縮んでいるような気がするから不思議だった。
が、さすがにそんなことを本人に尋ねるわけにはいかず、私は今日のカプセルトイについての話をしようとした。
しかし、灰谷さんは思いの外急いでいる様子で「今日もありがとうございました。それでは失礼します」と足早に去っていった。去っていく夕真くんのポケットは膨らんでいて、そこにカプセルトイが入っていることは一目瞭然だった。
注意しそびれてしまった。
でもまあ、連絡帳にも書いたから大丈夫か。
うちの園では保護者との間で連絡帳をやりとりしていて、そこに毎日それぞれの園児たちの様子を書き込むようにしている。
お昼寝の時間に、夕真くんがカプセルトイを持ってきていることを書いておいた。家に帰ったらお母さんがその連絡帳の欄を見るはずである。だから、明日はきっと夕真くんもカプセルトイは持ってこないだろう。
ふう、と息を吐くとスマホの通知音がピロリンと鳴った。
夫からLINEだった。
【ごめん、今日やっぱり迎えに行けない】
「ええっ」
今日は仕事が夜までかかるから、十八時に娘の美奈の保育園のお迎えを夫に頼んでいた。が、今になって行けないと連絡が来た。さらにスマホを確認すると、十八時に娘の通っている保育園から着信が四回来ている。
「もう、なんでもっと早く連絡してくれないのよ」
つい愚痴がこぼれ落ちる。
夕真くんの家庭のことを心配している場合ではなかった。
私はダッシュで勤務先の保育園を離れ、美奈を迎えに奔走するのだった。



