深夜一時、夫と娘が深い眠りについたのを確認した私は、娘が枕元に置いていた人形と、玄関横の倉庫に使わずに置いてあった()を持ち、そっと自宅を出た。
 相変わらず不気味な人形が、私の手の中から私をじっと見ている。
 
 自宅のマンションから歩くこと十分。真夜中の商店街にたどり着いた私は、商店街の中にあるおもちゃ屋の前で、深く息を吸う。

『ねがいをかなえるカプセルトイ』

「やっぱりここにあった」

 この地域一帯でまことしやかに囁かれている『願いを叶えるカプセルトイ』だが、撤去されたはずの機械がまだこの場所に設置されているというのを、ネットの記事で読んだ。だが、“見えるひと”と“見えないひと”がいるらしく、“見えるひと”でないと、このカプセルトイの機械を見ることができないという。

「私はもうそちら側に引き込まれているということね」

 手にしていた娘の人形を機械の上に置き、持っていた斧を振りかざす。そのまま下へと振り下ろそうとした瞬間、“何か”によって手首を掴まれた私はぎょっとして振り返った。

「なに!?」

 振り返った先にいたのは、紛れもない“雪音”の姿だった。
 
「コワスナ……」

 “雪音”の口からおどろおどろしい声が漏れる。長い黒髪がぼさぼさに乱れて、隙間から覗く瞳はひどく虚ろだった。一目でこの世のものではないと悟った。

「邪魔しないで! これをどうにかしないと、私も美奈も危険なんだからっ!」

「ヤメロ」

 “雪音”が私の手首を掴む手に恐ろしいほどの力を入れる。「ぐっ」という呻き声が私の口から漏れる。ありえない……こんな力、普通の女性にこんなに強い力が出るはずがない。人ならざるもの。まさに、彼女はそういう存在だった。

「ワタシハ、ユウマト、ズットイッショニイル」

「うるさい!」

「ジャマヲスルナ」

「うるさい!」

 夜の静寂の中で、私の叫び声と、彼女の怨念のこもった声が響き渡る。やがて彼女はもう一方の手で私の首を締め始めた。

「うゔ……っ……ぐはあっ……」

 このままでは、息が……。
 もはやこれ以上なす術がないと諦めかけた。でも、脳裏には美奈の笑顔が浮かぶ。私が死んだら、美奈がどれだけ傷つくだろうと思うと、いてもたってもいられなくなって、斧を落とし、私の首を絞める彼女の手を引き剥がそうとした。

「ゆきね……さん。あなたは……もっと、ゆうまくんと……いたかったんですね……」

 なんとか言葉を搾り出すと、ふと彼女の手が緩む。大きく咳き込んだ私は、さっと身を避けて続けた。

「夕真くんと一緒にいたいのに、仕事をやめるわけにもいかなくて、ずっと罪悪感を抱えていたんですよね。その気持ち痛いほどよく分かります。そのあなたの強い想いがカプセルトイに憑依して、人形になって夕真くんのそばにいようとしたんですよね? でもだからといって、無関係のひとたちを呪いに巻き込むのは優しい雪音さんがすることではありません。雪音さん、私はあなたがちゃんと夕真くんのことを愛し、育てていたことを知っています。だからお願いです。これからも正しいかたちで夕真くんのそばにいるために、こんなことはもうやめてください。夕真くんはずっと、あなたことが大好きなんですから」

「夕真……」

 彼女の口から、愛しい息子の名前が紡ぎ出される。その瞬間、ふっと魂が抜けたかのような空っぽの表情をすると、その後すぐにいつもの“彼女”のような優しい母親の顔つきになった。
 そして、彼女は消えた。
 私は、落とした斧を再び握りしめ、カプセルトイの機械に振り下ろす。
 ガチャン、ガチャン、ガガ、ガン、と鋭い音が商店街にこだまする。美奈の持っていた人形もろとも壊して、肩でぜえぜえと息を吐いた。

 一度自宅に戻り、ゴミ袋を持参する。粉々になったカプセルトイの機械と中身のカプセルトイを袋に詰めて、自宅のゴミ捨て場に捨てた。

 これでもう誰も、カプセルトイの呪いを受けることはないだろう。
 ほっと胸を撫で下ろした私は、しばらくの間その場から動くことができなかった。