両想い10%

 静かな空間が好きだ。
 その場にいる誰もが他人に無関心で、自分の時間を大切にしているように感じるから。
 それだけの理由で、僕は大学から少し離れたところにある、古民家のような喫茶店をバイト先に選んだ。
 そろそろバイト歴も二ヶ月になろうとしていて、仕事には慣れてきたと思う。常連さんにも顔を覚えてもらえたし。
 今日もまた、平穏な時間だ。
 そう思ったときだった。

「最低!」

 落ち着いた喫茶店には不釣り合いな罵声が聞こえてきた。
 何事かと店内を見渡すと、ちょうど派手な男が目の前に座る女にビンタされているところだった。
 うわ、痛そ。

「今すぐ呼び出して」

 盗み聞きはよくないとわかっているけど、これは静かな空間で痴話喧嘩を始めたほうが悪いと思う。
 女は男に向かって右手を差し出している。
 呼び出してと言いながら、なにかを受け取ろうとしているその動作はなんだ?
 僕は不思議に思いつつ、会計作業を行う。

「私以外にも相手がいるんでしょ?」

 なるほど、浮気がバレたのか。
 そんな不誠実な男、さっさと切ってしまえばいいのに。

「君、自分が俺の一番だと思ってたんだ?」

 うわ、最低。
 レジから男の顔は見えないから、どんな表情をして言ったのかはわからない。
 だけど、女が怒りマックスみたいな顔をしているから、相手をバカにした表情を見せているのだろう。
 本当、最低だな。

「じゃあ教えてよ。瑞月(みづき)の本命!」

 まあ、そうなるよな。
 でも、その男に本命がいると思うのか? そんなに軽薄な男なのに。
 なんて思っていたら、男が徐に立ち上がった。
 こいつ、逃げる気か。どこまで最低なんだ。
 しかし男がどうするのか気になって目で追っていると、男と目が合ってしまった。
 その瞬間、男がにやりと口角を上げる。
 たしかに顔は整っているけど、僕ならこんな男、選ばないな。
 僕はもっと一途で、僕を大切にしてくれそうな男が……

「この子だよ」

 男がふと言った。
 僕の隣に立って。
 女に向かって。
 この子だ、と。
 ……今、なんの話をしていた?

「……ふざけないでよ! 男じゃん!」

 女は過去イチの叫び声を上げた。
 当たり前だ。
 本命がいるんだろと言われて、それを僕だと言ったのだから。
 遊び人(であろう男)の本命が、男。
 誰が信じるんだか。

「でも、君より可愛いでしょ」

 それなのに、男は火に油を注いだ。
 すると、彼女の怒りが僕に向いたように感じた。僕は鋭い視線から逃げてしまう。
 僕のお気に入りの場所で痴話喧嘩をするのも勘弁してほしかったけど、こうして巻き込んでくることはもっと勘弁してほしい。

「もういい!」

 女はやっと吹っ切れたのか、そう言って店を出て行った。ドアベルがあんなにも乱暴に鳴ったのは、初めて聞いた。

「災難だったね」

 男はまるで他人事のように言う。

「いや、全部あんたのせいでしょ」

 僕は相手が客であることも忘れ、つい言ってしまった。
 結構冷たく言ったはずなのに、男はけたけたと笑っている。

「でも安心して。本当に付き合ったりはしないから」

 あれがその場しのぎの嘘であることなんて、僕が一番知っているから、僕がフラれたみたいな空気を出すのはやめてほしい。
 あんたみたいな男は、こっちから願い下げなんだ。

「わかってますよ。だから、二度と来ないでくださいね」

 僕が全力の作り笑顔を見て、男はさらに笑った。

「君、名前は?」

 教えるつもりは一切ないのに、男がレジカウンターで雑談を続けそうな雰囲気を感じた。

「……浅木(あさぎ)ですけど」

 僕としてはさっさと帰ってほしくて、不愛想に答えた。

「下は?」
「……晴也(はるや)
「了解、晴也くんね」

 男はあっさりと僕の下の名前を呼んだ。
 友達も少ない僕からしてみれば、下の名前を呼ばれることなんて滅多にない。
 ゆえに、不覚にもドキッとしてしまった。
 こんな男に。

「俺は瀬乃(せの)瑞月。晴也と同じ大学の二年」

 男は聞いてもいないことをぺらぺらと話していく。
 って、待って。

「同じ大学?」
「多分。俺、学内で晴也のこと見かけたことがある気がするんだよね」

 僕は全然ない。
 というか、これだけ目立つ先輩がいれば、噂にはなっていただろうけど……僕にはそれすら入ってこないくらい、僕はボッチを貫いていたということか。
 悲しくなるから、これ以上は考えないでおこう。

「あのー……」

 すると、先輩の後ろから女性が様子を伺うように声をかけてきた。彼女の手には伝票がある。
 僕は彼女の目的を察すると、先輩を押しのけた。少し抵抗する声が聞こえた気がするけど、気にしない。

「お会計ですね。お預かりします」

 そして慣れた手つきで会計作業を済ませると、女性は店を後にした。
 先輩は横からじっとそのやり取りを見て来ていた。
 若干その視線は感じていたから、ちょっとだけ手元が狂うかと思った。

「……なんですか」

 先輩のほうを向くと、先輩は柔らかく笑っていた。
 それがバカにしてきているようにも見えて、僕は面白くなかった。

「晴也くんって、可愛く笑うよね。本当に付き合ってみる?」
「は?」

 ときめき度が高い言葉に、僕は一瞬戸惑った。
 僕と先輩が付き合う?
 ……いや、ないな。

「僕、誠実な人がタイプなので」
「えー、俺好きな子は大切にするよ?」

 嘘はほどほどにしてほしい。
 今さっきのやり取りを見せられて、はいそうですかと信じるバカがどこにいる。

「まあいいや。また来るね」

 先輩は自分たちの食事代を置いて店を出て行った。
 僕としては、もう来てほしくない。
 というか、同じ大学なんだっけ。会わないように気を付けないと。
 余計な心労が増えたことに、僕はため息をつかずにはいられなかった。

 しかし僕はこのときのことを後悔している。
 僕が「違う」「付き合う気はない」とはっきり言っていれば、あんなにも面倒なことには巻き込まれなかっただろうから。