祗園青空下上ル〜人嫌いの俺がくちづけするまでの、怒涛の七十七日〜




 誰かと一緒に住むことが、こんなにも濃いものだとは知らなかった。
 まだ数週間だけど。
 それでも去年の俺に「来年おまえはシュウ以外の男と暮らしている」と事実を伝えても、200㌫信じないと思う。
 
 俺は蒔田と同じ室内で寝起きすることは、蒔田のココロに入ることだと初めて思った。
 大学の構内で、教室で、メインストリート並木の下で語り合うことで互いに少しずつデータを交換していたけれど、同じ空間で髪を乾かしたり、食事の準備をしたり、1㍍の距離を保ったまま眠りに落ちたりする時間の中で語られる言葉でデータ容量のギガ数が増した感じになった。



 蒔田がシェルブルー東山101号室を一目見て「ここがいい」と下宿先として即決したのは、その狭さだと言う。
 変わってる…と俺は自分のことを棚に上げて、蒔田の語りを聴いた時に不思議に思った。

―狭いの…好きなン?俺みたいに。
―残念ながら違う。俺は本当は広い空間がいい。
―え?じゃあ窮屈ちゃうん。俺…おったら。
―文哉がいて密度が高まるのは別。嬉しい。
―密度って…。
―広い空間でも文哉とくっついて窮屈でいたい。
―うわぁ。
―父親との二人暮らしの時のこと。忘れないようにしたいんだ。
―お父さん…。東京やんな?
―うん。実父な。養父母が長浜でどデカい家に住んでて、実父が今もせっまい部屋に住んでる。伯母のとこの養子になるまで、そこに俺も居たんだけどさ。

 
 実父のもとを実母が去ったのが、蒔田が中学校を卒業した日だと言う。
 その時、蒔田は実母がこれ以上実父から暴力を受けなくて済むという深い安堵と、自分がもう子どもじゃいられないという焦燥を同時に感じたようだ。
 蒔田は持ち前の切り替え精神で「人生いろいろあって上等!」 と、涙を流しながら手を振って自宅を出ていった実母を見送りながら声に出してみたらしい。 
 そういう蒔田の逞しさは、俺も日々の暮らしの中で垣間見ている。
 俺は素直にすごいと思う。
 特にリスペクトするのは、蒔田の小学生時代のエピソードだ。
 飲酒した時に人が変わったように暴力を振るったり暴言を吐く実父から逃げるべく、実母が押入れから客用蒲団やコタツを出して身を隠したときのこと。
 俺は灯りを消した部屋でラグに横たわる蒔田を見ながらベッドに寝そべって話を聴いていたけれど、その話で幼い蒔田を想像して胸が痛んだ。泣いている実母の横で、10歳の蒔田は怖かったり悲しかったりしただろうって。
 でも、そうじゃなかった。
 リトル蒔田も逞しかった。
 蒔田はこの時、言葉で世界が変わるという真理といくつかのことに気付いたようだ。

―母さん。僕もバリケードごっこする!

 悲惨な状況にユーモアを足して見方を変えたり、自分を鼓舞するために言葉を口に出すことの大切さを。
 実母が蒔田の言葉に笑い、笑い出した実母を見て実父が我に返ったようだ。
 言葉はある瞬間、魔法になる。
 前に進む、力になる。
 誰かに想いを伝える、甘い果実にもなる。
 そんな幼少期を経て蒔田が言葉を紡ぎ、詩を創るようになったんだと俺はモスグリーンのベッドで眠りに落ちる直前に知ったのだった。


「蒔田くん。どんな仕事してたん?」
「あぁ。アパレルで働いてた。裏方だよ。高卒でも採ってもらいやすいんだ」
「東京やんな?」
「そ。物流倉庫での軽作業。 商品の仕分けとか値札付とかさ」
「大人や…」
「店舗やオンラインショップへの出荷作業とか納品された商品の検品とか」
「俺の知らない世界」
「棚入作業してる時とか頭ン中で詞を作ってるもんだから。ミスしちゃったりしたなぁ」
「そんな時どうするん」
「平謝りするよ。リスク対応票書かされて。反省文みたいなやつ」
「大人も反省文を書かなアカンの?」
「そうなの。大人もツライの。文哉」
「蒔田くんはハタチ過ぎてるけどお酒飲まへんな」
「うん。嫌いじゃないけど。一人で呑みたくない」
「…飲んだらどうなるん?」
「楽しみにしてて。そのうち一緒に飲めるだろ?」
「もうすぐ」
「待ってる」


 夏になって。
 蒔田のそばで眠るようになって。
 俺は、手を伸ばせば蒔田に触れられるという暗闇の中で俺自身の手のひらを眺めることがある。

 俺が、銀色のピアスを作ることが出来たら。
 手渡す前に。
 手を繋げたらいいのに。
 俺から。
 俺から先に手を差し出すことができるやろうか。
 蒔田くんみたいに俺も逞しくなって。