「さっきくちづけって言ったのはさ」
「…うん」
シェルブルー東山に向かいながら、俺たちは鴨川沿いを歩いていた。
五条から七条大橋に向かう鴨川は、先程までの喧騒が嘘のように人影がなかった。
下駄で痛くなった足を味わいながら、俺たちは南に南にと鴨川を下っていた。
ようやく見えた星空の下で。
手を繋いで。
「この古風な言葉が好きなんだ。好きな歌のタイトル」
「好きな歌?」
「くちづけってタイトルの曲は山ほどあってさ」
「…そうなん?」
「そう。好きな相手とは一番したいことだろ?」
「…そう。かもしれん。まぁ。たぶん。きっと」
「ふはは」
蒔田が体を折り曲げて笑い始めたので、俺は「またはじまった…」と文句を言った。
「はよ下駄脱ぎたいから帰ろ」
「…うん。俺も早く部屋に戻りたい」
蒔田が体を起こして俺に顔を近付けてきた。
俺は繋いでいないほうの左手で蒔田の額を押さえ、「部屋に帰ってから」とストップを掛ける。
この言葉を言った俺。
甘い予感を含んだ言葉を言えた俺。
かなり成長してる、と俺の中に住む妄想小人たちが一斉に拍手をした。
「coccoが“ くちづけ ”って歌の中で書いたフレーズに俺がガツンと来たことがあって」
「フレーズ?どんな?」
「うん。すごいんだ。恋心を見事に表してる」
「…恋心」
「そう。俺。こんな歌詞を紡ぎたいと思った」
「蒔田くんにぴったりきたんや」
「まさにそう」
「俺の文哉への恋心」
「…え?」
「待ち焦がれて身が爆ぜる」
「…ぉわぁ」
「文哉にココロ持ってかれた時はまだ働いてたし大学入学して再会できるかも分からないしで。俺はかなりジリジリしてたよ」
「身が爆ぜたらあかんやん…」
俺は蒔田の言葉に胸が熱くなって照れ隠しのような言葉しか口に出来なくて。
俺たちは柔らかく手を繋いでいて、そっと触れたり離れたりするのが横を流れる鴨川の水の揺れに似ていた。
「さっきの花屋でダリア買う時びっくりした」
「何が?」
「文哉の誕生日にもあの店で花を買いたいと思ったから開店してるかどうか聞いたんだ。そしたら文哉の生まれた日、誕生花がダリアだって」
「…え。俺。そんな日に生まれたん」
「うん」
「7月29日の誕生花。考えたこともなかったわ」
「スタッフが丁寧に教えてくれたよ。ダリアにはたくさんの花言葉があって「優雅」「気品」「華麗」とかポジティブな花言葉が多いのも特徴なんだって。花言葉は全てダリアの存在感のある花姿から取られているって聞いて着物姿の文哉のこと思い出した」
「…蒔田くんは花が好きなん?」
「普段は気にもしないよ。不思議なんだけど2年前に初めて文哉に会った時、花を渡したいなって思ったんだ」
「え?」
「もうその日から東京に帰っても文哉の姿が頭から離れなくて。心落ちつかせるために作詞した。à gaucheが既に歌ってる」
「もしかして…。“ 花を渡そうか ”って曲?」
「うん」
俺はどうしてこんなにも蒔田とのやり取りで声が震えてしまうんだろう。
怖くもない、愛しいと心から思える男の前で。
「…俺のことやったん?あの歌で花を渡したい相手」
「うん」
「ヴォーカルの彼に蒔田くんが花を渡そうかって思ったんやって想像して。俺さっき嫉妬でどろどろやってん」
「どろどろの文哉もサイコー」
「なんでやねん」
「なんか誤解してるなって花屋で気付いた」
「…うん」
「だから花を手渡すのが今になったってワケ」
そう言って蒔田が立ち止まる。
ゆるく繋いでいた手が優しくほどけた。
鴨川の流れを背にした蒔田が俺にダリアを手渡してきた。
「…あ」
大きなデコラティブ咲きの白いダリア。
俺、顔が埋まりそう。
花もらったの。
俺の人生で初めて。
「蒔田くん。ありがとう」
「à gaucheこれから聴けるだろ」
「…うん。聴く。聴きたい。ヴォーカルの彼にはもう嫉妬せぇへん。花は俺がもらった」
「ふはは」
「蒔田くんが触れたい相手も俺」
「…文哉。可愛いがすぎるわ」
「可愛いって言わんといて!」
語りたいこと言葉にできない
伝えたいのにココロ手渡せない
だけど君ばかり追う この目は
きっと無邪気に澄んでるんだろう
花を渡そうか
どんな花がいいかな
星を見上げようか
隣に君を誘って
詩を歌おうか
僕の想いをなぞる詩を
どうすれば
君に触れられるかな
ここにきた 理由は聴かない
心が騒ぎ出すまで待てばいい
甘辛ミックスな君のStyle
Needsは自分が大事にされる空間
いつか君に声を掛けるから
その時は僕の想いを聴いて
渡せる花は何か分からないよ
君の声を聴いてから決めるんだ
まだ瞳を覗き込めていない
僕の声も聞かせてはいない
君が振り向いてくれた時
僕のからだのどこか欠片でも
気に入ってくれたらいいのに
君が好きになってくれた欠片を
僕は最大限に強みにするから
だから
僕の強みに触れて
花を受け取って
僕の愛の甘やかさを
どれだけ君に焦がれているかを
飲み込んでくれたらいいのに
二十光年の星たちが
あれこれ僕に指図をする
たかだか二十年の人生で
相思相愛を手に入れるなよ
もし手に入ったら
それは奇跡なんだから
星の海にかづけ
磨きあげろ 手を離すな
花を受け取って
僕の愛の甘やかさを
どれだけ君に焦がれているかを
飲み込んでくれたかな
じゃあ時は充ちたから
君に今から触れられるかな
俺は心に蘇ってきたà gaucheのヴォーカルの歌声に背中を押された。
時は充ちた。
蒔田が目を細めて俺を見ている。
胸がまた熱くなる。
左手にあるダリアを見て、俺は深く息を吐いた。
今まで背を向けていた北を向いて、俺は力いっぱい右足の下駄を放り投げた。
「おい!文哉。何してる?」
蒔田が慌てた声を出す。
「足痛くなったんやって」
祇󠄀園に向かって放物線を美しく描いた俺の下駄が、ガランと落ちた。
「明日は晴れる」
俺は左の下駄も思い切り放り投げてやった。
子どもかよ。
そう自分で突っ込みながらも俺は爽快な気分だった。
右の下駄が鼻緒を上に向けていた斜め向こう側で、左の下駄がガランと裏向きに落ちた。
「雨が降るかもしれん」
「文哉」
「人生と同じや。晴れの日もあれば雨の日もある」
「だな」
「雨に降られてもいつかは晴れる」
「虹だって出るしな」
下駄を捨てた俺は、蒔田を10㌢以上見上げないといけなくなった。
それでもいい。
それがいい。
俺は蒔田に身を寄せた。
蒔田の目を見上げながら、蒔田の浴衣の衿元を右手で荒々しく掴む。
左手にダリアの花を捧げながら、俺は蒔田の全身を俺に引き寄せた。
俺の渾身の力で激しく。
祇園祭で蒔田からされたカツアゲ逆バージョン。
人生上等。
祇園祭帰りの誰かに見られてもええわ。
俺の額が蒔田の額に近付く刹那、蒔田の瞳が閉じられていくのを俺は見た。
目を閉じられた蒔田の整った顔をもう一度見上げて、俺もゆっくり瞳を閉じる。
夜空の下で起こったことは。
きっと。
菊丸くんだけが知っている。



