ひとりじめ

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 夢を見ていた。大切で、懐かしい記憶。

「ほら莉々愛、ご挨拶して?」

 一家で引っ越してから、遥香と初めて会った日のこと。お母さんに促されて「こんにちは」と言ったけれど、遥香にそっぽを向かれたことは、今でも覚えている。幼いなりに勇気を出した結果がそれだったから、ほんの少しショックだった。
 でも、あれは緊張していただけだと、仲良くなってから教えてもらった。遥香は、私以上に人見知りだった。

 そんな遥香が私に心を開いてくれたのは、私の粘り勝ちとも言えるかもしれない。正直、初対面で冷たい反応をされたことで、意地になっていただけかもしれないけど。

「……なんで、そんなに私に拘るの」
「遥香ちゃんと仲良くなりたいから!」

 今なら、遥香が鬱陶しそうにしていたのだとわかる。でも、あのときの私はそれが見えていなくて、まっすぐそう言い切った。
 それからだと思う。遥香は少しずつ、私といるときに笑うようになってくれた。遥香の笑顔を見るたびに、私の心もますます明るくなっていって、本当に楽しかった。

「リリアは、私の一番の友達だから」

 どういう流れでそう言われたのか、覚えていない。
 だけど、遥香からそんな言葉が聞けるなんて思ってもいなくて、私は驚きが隠せなかった。その反応は遥香を余計に照れさせて、「やっぱりなし」と言われてしまった記憶がある。耳まで真っ赤にしている遥香は、きっといつまでも忘れないだろう。

 私たちは一番の友達で、親友。

 それは永遠に揺るがないんだと、私は勝手に信じていた。

 私たちの関係が変わったのは、中学校のときだと思う。
 幼稚園、小学校とほとんど持ち上がりだったけれど、いくつかの小学校から生徒が集められた中学校では、私たちの世界が容赦なく広げられた。簡単に手を繋げる距離にいたはずなのに、ひとり分の隙間ができて、手が届かなくなって、気付けば遥香は私の隣にいなかった。

 その要因のひとつは、クラスがわかれたこと。そしてもうひとつは、部活動だろう。身体を動かしたかった私はバスケ部に、静かに過ごしたかった遥香は美術部に入部した。
 強制的に遥香と引き離されたことで、初めは違和感があった。急に、私の隣が空席になった感覚。それでも私は、その席を誰にも渡すつもりはなかった。いつでも遥香が戻ってこれるようにしようと、勝手に思っていた。

 だけど、遥香は戻ってこなかった。

 ずっと戻るつもりがないんじゃないかと勘繰ったのは、廊下ですれ違ったとき、遥香が私から目を逸らしたのがきっかけだ。
 それまでは、手を振り返すことはなくとも、柔らかく笑顔を返すくらいはしていたのに。それすらもなくなった。

 そこで私はようやく気付いた。
 私たちの間には、埋められない溝ができてしまっていたことに。
 それでも私は、遥香に一番の友達だと言ってもらえたことが忘れられなくて、何度も遥香を遊びに誘った。
 遥香が頷いたのは、私と一対一で遊ぶときだけだった。バスケ部員やクラスメイトとの約束に誘ったときは、絶対に断られた。もしかすると、私が仲良くしている人のなかに、遥香の苦手な人がいるのかもしれないなんて勝手に思い込んで、私はその理由を聞かなかった。

 さすがに同じクラスになっても遥香と話せなかったときは落ち込んだけど、そのときの私には仲良くしている人がたくさんいたから、私が独りになることはなかった。
 それに、どれだけたくさんの人と仲良くしても、私の中での一番は遥香であることは変わらなくて。勝手に遥香もそう思っているんだって、私は驕っていた。

 だから、遥香からあの言葉を告げられたときは、信じられなかった。
 同じ高校に進学することは知っていた。また遥香と一緒でいられることを、私は喜んでいたのに。

「あのさ……高校では距離を置きたいんだけど」

 それは、私の部屋で春休みの課題をやっていたときのことだった。もうそろそろ解散しようかというときに、遥香がそう切り出した。
 それまでの楽しかった時間が、一気に止まった。遥香が発した言葉は知っているもののはずなのに、私は理解できなかった。

 嘘だよって。今日はエイプリルフールだしって。そう言って笑ってよ。

 だけど、混乱していても、それは遥香の嘘ではないんだとわかった。
 遥香の苦虫を潰したような顔。私と交わらない視線。
 きっと、覚悟を決めてそれを言ったんだと思った。
 でも、それがわかっても、私はそれを受け入れられなかった。

「……じゃあ、そういうことで」

 遥香は私の答えを待たずに、帰って行ってしまった。私はその背中を呼び止めることもできなかった。
 私たちの間に溝ができてしまっていたことは、自覚していた。だからこそ、高校ではそれを埋めて昔のように親友に戻りたいと思っていた。

 でもそれは、私だけだったらしい。
 私は、どこで間違えたんだろう。なにをするのが正しかったんだろう。
 ずっと、遥香の親友でいられると思っていたのに。
 隣にいることが当たり前じゃなくなったときから、私たちはきっと、親友ではなくなった。
 私は、そういう環境になったせいだと思っていた。でも、私たちが少しずつ離れることになったのは、遥香が私のことを嫌になったからなのかもしれない。
 嫌われるようなことをした記憶はない。だけど、私がなにかしていないと、遥香のあの表情の説明がつかない。

 それなら謝りたかった。謝って、元の関係に戻りたい。そう思ったけど、なにに対して謝罪をしているのと問われれば終わり。きっと、遥香は無意味な謝罪なんて求めていない。
 だからこそ私は、なにもすることができなかった。

 それから高校に入学しても、私たちは他人のように振る舞った。同じクラスになったことを喜びたくても、その喜びをかみ殺して。廊下ですれ違っても、意識的に視線を逸らして。登校するときは、一番気を使った。同じ場所から同じところに向かっていれば、時間が重なるのは当然のこと。それでも、私たちは無関係なんだというふりをして。
 なんで、こんなことになったんだろう。
 何度考えても、その答えは見つからない。
 わかったのは、私は、知らないうちに人を傷付けてしまうような人なんだってこと。

 自分の思うままに行動して誰かを傷付けてしまうのなら。それならいっそ、周りが思うような人でいよう。周りが期待する対応だけしていよう。
 遥香といられなくなった時点で、私の本音なんてどうでもいい。
 ただひとつ、もう誰も傷付けないように。それだけを考えて、私は藍川莉々愛を作り上げた。

 それなのに。
 どうして私は、また間違えてしまったんだろう。
 鈴ちゃんの、涙を隠したような笑顔。

「唯人さんの相手が莉々愛でよかった。めちゃくちゃお似合いだよ」

 きっとあれは、本心じゃない。

「裏切り者」

 その笑顔を浮かべたまま、鈴ちゃんが言った。

「……偽善者」

 次は、遥香だ。そう言った遥香は、あの日のように私に背を向ける。
 違う。私は、そんなつもりじゃなくて。待って、独りにしないで。
 私は泣き叫ぶのに、誰にもその声は届かない。
 夢奏も、鈴ちゃんも、ゆきちゃんも。みんな、私の傍から離れていく。

 私は、この広くて真っ暗な世界にひとりなんだ。味方なんて誰もいない。
 こんなの、悪夢だ。
 これがこの先に待っている世界なら、もう目覚めたくない。

 このまま、闇に飲み込まれてしまい。