ひとりじめ


――今日は藍川莉々愛とその取り巻きが鬱陶しかった。誰も藍川莉々愛のこと好きじゃないのにね。自分が好かれてるって勘違いしてる、可哀想な人。

 “Y”というアカウントによる投稿。あれは、夢だったのかもしれない。眠たい頭で見てしまった、悪夢。

 そう信じたくて、私はベッドの中でStory Nowを開き、フォロー欄からあのアカウントを探した。アカウントを作成した日、ひたすらフォローを返したから、どのタイミングで“Y”をフォローしたのか、覚えていない。
 なかなか見つけられなくて、やっぱりあれは気のせいだったのだろうかと思ったとき、個性あふれるアイコンが並ぶ中、初期設定のアイコンが目についた。アカウント名を確認すれば、“Y”とある。

 その瞬間、あのときの恐怖が、一気に甦った。

 ちゃんと、存在している。気のせいでも、夢でもない。あれは、現実だったんだ。
 だけど、あの投稿は確認できない。“Y”の今までの投稿も見ることができない。
 自分が投稿したとしても、過去の投稿は見れない。それが、Story Nowの仕組みだ。
 本当に投稿されたのかわからないから、あれはやっぱり、悪い夢だったんだ。

 そう思い込むことで、私はようやく重たい体を起こした。

 本当は学校を休みたかった。鈴ちゃんに合わせる顔がないし、なにより、あのアカウントの主が誰なのかわからないけど、学校関係者である可能性は高くて。あんなふうに思われていると知って、その人物の前に姿を現せるほど、私は強くない。

 だけど、仮病で休むのも気が引ける。お母さんや夢奏たちは心から心配してくれそうだから。「大丈夫?」と言われれば、きっと今の私は“Y”の投稿を思い出して、上手く笑えない。それなら、いつも通りに振る舞っているほうがマシだ。

 そして制服を身にまとうと、学校に向かう。今日は少しでも藍川莉々愛でいる時間を減らしたくて、いつもより遅く家を出た。人目が少ない通学路は、どこか知らない場所のように感じて、妙に落ち着いた。

 教室のドアの前に立つと、室内の賑やかな声が聞こえてくる。
 途端に、目の前に立ちはだかるドアが、私とみんなの世界を切り分ける壁のように見えた。楽しそうな声が聞こえるほどに、身体が冷えて固まっていくような感覚。

 私の居場所はない。

 そう突き付けられている気がした。

「大丈夫、私は、独りじゃない……独りじゃ……」

 この中には、夢奏がいる。ゆきちゃんが、遥香がいる。鈴ちゃんとはもう、前みたいに仲良くできないかもしれないけど……それでもきっと、大丈夫。
 何度も言い聞かせ、ゆっくりと深呼吸をした。
 私は、藍川莉々愛。藍川莉々愛に、ならないと……


――誰も藍川莉々愛のこと好きじゃないのにね。自分が好かれてるって勘違いしてる、可哀想な人。


 ドアに手をかけたとき、“Y”の投稿が頭をよぎった。

 その瞬間、まるで静電気が走ったかのように、私はドアから手を離す。
 無理だ。
 もう、帰りたい。このまま、誰にも気付かれていないうちに。いっそ、透明人間になってしまいたい。
 誰も、私を見つけないで。

「莉々愛?」

 誰かに名前を呼ばれ、私は肩をびくつかせた。声がしたほうを向くと、ゆきちゃんがハンカチで手を拭きながら、こちらへ歩いて来ていた。

「おはよ。今日はギリギリだね。寝坊?」

 私の眼には、いつも通りのゆきちゃんに見える。声のトーンも、優しさが滲む表情も。
 それに安心する反面、私が何重にも仮面を被っているせいで、ゆきちゃんのそれもニセモノなんじゃないかと思ってしまった。
 こうして優しいフリをして、陰では私のことを、と。

「莉々愛? どうした?」

 ゆきちゃんはやっぱり優しい。疑ってしまう私がおかしい。
 もう、誰のなにを信じたらいいんだろう。
 私の頭は混乱して、正しい判断なんてできそうになかった。

「熱でも……」

 ゆきちゃんがそう言って、私に手を伸ばしたのと同時に、悪夢の開始を告げる音が鳴った。
 どうして、今なんだ。まだ、藍川莉々愛になりきれていないのに。

「タイミング悪いな……」

 ゆきちゃんは呆れた様子でぼやいた。私の気持ちを代弁したかのような言葉に、少し驚いてしまう。
 そう言えば、ゆきちゃんは昨夜、投稿をしていなかった。寝てしまったのかと思っていたけど、違ったのだろうか。いつものアカウントじゃなくて、別のアカウントで投稿していたからできなかった、とか……

「まあいいや。莉々愛、体調悪いなら保健室行く?」

 ゆきちゃんは、スマホを手にしなかった。それどころか、Story Nowに興味なさそうに見える。
 それとも、私が目の前にいるから、投稿できない?

「莉々愛?」

 私が答えられないでいると、ゆきちゃんは変わらず柔らかい声で私の名前を呼んだ。

「えっと……」

 ダメだ。思考がぐるぐるして、気持ち悪い。こんなにゆきちゃんを疑ってしまっていることも。

「……なんで、投稿しないの……?」

 今、聞くことではないことは、わかっている。
 だけど、ひとつでも信じられる要素を増やしたくて、私はそう尋ねた。

「え? ああ、だって、それどころじゃないし」

 ゆきちゃんはさらっと言った。
 そこに嘘が隠れているようには見えない。
 ということは、ゆきちゃんのこと、私は信じてもいいのだろうか。

「そんなことより、莉々愛、体調が悪いんだったら、無理せず休んだほうがいいよ」

 ゆきちゃんは心から言ってくれている。
 それがわかったからか、私の中に渦巻く不安も少しは和らいだ。

「大丈夫だよ」

 だけど、ぎこちない笑い方になってしまったせいで、ゆきちゃんは余計に心配そうな表情を浮かべる。

「そう? 莉々愛が言うならいいけど……でも、無理はしないでね」

 ここまで言ってくれるゆきちゃんは、“Y”ではない。
 そう、信じたい。

「うん。ありがとう」

 私が言うと、ゆきちゃんは私が開けられなかったドアをあっさりと開け、教室に入っていった。
 私もそれに続いて入ろうとしたけれど、ふと、“Y”がなにかを投稿しているかもしれないことに気付いた。

 本当は見たくない。見たいわけがない。
 だけど、私の知らないところで、私のことを発信され続けるのも怖かった。
 私はカバンからスマホを取り出すと、震える手で操作し、Story Nowを開く。そして、眠たい、と文字を打ち、それに適した顔文字を投稿した。
 なにか投稿しなければ誰の投稿も見れないなんて、不便なアプリだ。
 私の投稿が完了すると、フォローしている人たちの投稿が表示された。その中から“Y”の投稿を探した。

 だけど、どれだけスクロールしても“Y”の投稿は見当たらない。どうやら、今日は投稿しなかったらしい。
 そのことに少しだけ安心した。
 スマホをカバンにしまい、教室に足を踏み入れると、たくさんの目が私のほうを向いた。
 こうして注目されるなんて、日常茶飯事で。いつもなら笑顔を返すのに、今日はなんだか監視されているようで、私は笑顔を作ることができなかった。
 その中で、私は夢奏、鈴ちゃん、そして遥香を見た。

 私を見つけて手を振っているのは、夢奏。鈴ちゃんは私を一瞥して、顔を背けた。やっぱり、昨日の「気にしていない」というのは鈴ちゃんの強がりだったのかもしれない。そして、遥香はそもそも私のほうを見てもいない。
 独りじゃないって思いたいのに、どうしても、みんなが敵に見える。


――誰も藍川莉々愛のこと好きじゃないのにね。


 “Y”の投稿は、何度でも私の頭に過った。
 誰も。私のことなんて。
 すると、ここにいることが急に怖くなって、私はそれ以上教室に足を踏み入れることができなかった。