ひとりじめ

   ◆

――吉良唯人です。さっきは急にごめんね。これからよろしく!
――――よろしくお願いします!
――莉々愛ちゃん、明日、なにしてる?
――――特に予定はないです。
――じゃあさ、デートしない?
――映画観に行くのはどう? 今、人気なやつあるよね。
――――ごめんなさい、映画は今日友達と観てきたんです……
――そうなんだ。じゃあ……甘いものを食べに行くのはどうかな? 最近暑くなってきてるし、かき氷とか。
――――いいと思います!
――じゃあまた明日。待ち合わせは10時に駅でいいかな?
――――はい!楽しみにしてます!

 告白されたのも、付き合うことになったのも、夢だったのかも。そう思ってスマホを見ると、昨日の夜の吉良さんとのやり取りがしっかりと残っていて。
 乗り気ではないことを悟られないように、無駄にビックリマークをつけたメッセージは、今見ても痛々しい。私は小さくため息をつくと、おやすみのスタンプを送りあって終わったトークルームを閉じた。

 憂鬱な気分から抜けられないまま、私はスマホをベッドの上に放置し、準備を始めた。夢奏たちと遊ぶときと同じような服装、髪型、そしてメイクをして、今日も藍川莉々愛を作っていく。夢奏に似合うって言われたファンシーな服装も、少し派手なメイクも、なにもかも趣味ではない。でも、これが藍川莉々愛なんだ。
 玄関先に置かれた鏡と向き合い、口角を上げる。

 大丈夫。今日もちゃんと、藍川莉々愛になれてる。

 いつもの合言葉を心の中で唱えると、私はドアを開けた。今日も一段と暑い。暑さのせいにして部屋に戻ってしまおうか。なんて、そんなことできるわけないけど。
 私は静かにドアの前から離れ、エレベーターまで進んだ。あっという間に一階まで降りてしまうのは気が引ける。でも、三階から階段で降りていると、途中で足を止めてしまいそうで、私は矢印の下ボタンを押した。

 エレベーターが一階に着いて降りると、ちょうど誰かが階段から降りてきた。笑顔を作って挨拶をしようと顔を上げると、そこにいたのは遥香だった。
 その瞬間、私は自分の表情が固まったのがわかった。
 今、遥香には会いたくなかった。こんな、好きでもない格好をして、笑顔の仮面を貼り付けたところを見られるなんて。
 私は一方的に気まずくなり、ほんの少し顔を背ける。

 対して、遥香も私と同じように一瞬驚いた表情を見せ、私をじっと見てきた。
 遥香はなにも言わないのに、私が隠したいことすべてを見抜かれているような気がして、ますます目が見れなくなる。

「今日もあの人たちと遊ぶの?」
「え……」

 遥香に声をかけられ、私は声にならない音を漏らした。てっきり、遥香には無視されると思っていたのに。

「あの人たちって……?」
「西野夢奏。織田鈴菜。あと、篠崎優希音」

 遥香は指を折りながら、確かめるように夢奏たちの名前をひとりずつ挙げていった。
 その誰も間違えることなくフルネームが言えていて、驚きが隠せない。

「……遥香、みんなの名前覚えてたんだ」
「まあ……あれだけ目立ってたら、普通に覚える」

 遥香はもう、私のことなんか興味ないんだと思っていた。だから、私がいつも一緒にいる夢奏のことだって、覚える気もないんだろうって。
 でもそれは少し、違ったのかもしれない。
 そう思っても、遥香のクールな表情は、やっぱり興味なさそうに見える。
 しばらく一緒にいないうちに、私は遥香のことがわからなくなったらしい。
 遥香の瞳が、私を捉える。
 いつから私は、遥香に見られることが怖くなったんだろう。隣にいたいと思う気持ちに間違いはないのに。

 ニセモノの私を、その眼で見ないで。

「飽きないの?」

 私の動揺など気に止めず、遥香は話を続けた。

「飽きるって……?」
「毎日同じ人と、同じようなところに遊びに行って……飽きないのかなって」

 それは嫌味というより、純粋な疑問のようだった。

「飽きない……かな」

 遥香とだったら、絶対に飽きない。
 その本音は、遥香が嫌がるような気がして、言えなかった。
 遥香は、落ち着いた声で「ふーん」と言った。どうやら、私の心の声に気付いていないみたいだ。
 これ以上遥香を困らせずに済んだことにほっとした反面、気付いてもらえなくて落ち込んでいる私がいた。

「私は同じ場所に行ったら、飽きるけどね」

 それもまた、遥香らしい答えだ。ただ、私となら飽きないと言ってほしいと、欲張ってしまうけど。

「ま、楽しんできなよ。私は本屋に行くけど……見かけても、声掛けないでね。あの人たちに目をつけられたくないし」
「あ、今日は夢奏たちと出かけるわけじゃ……」

 私が言うと、遥香は数回瞬きをした。私が夢奏たち以外と出かけることが、そんなに珍しいだろうか。中学の友達と遊ぶとか……いや、その場合はこんな格好はしない。それを、遥香もわかっているのかもしれない。

「じゃあ……」

 遥香は改めて、私の頭から足先までしっかりと見ていった。
 ヘアアイロンを使って緩く巻いた髪。学校に行くときよりも少しはっきりとさせたメイク。少し前の私なら選ばなかった可愛らしい服装。
 変な格好ではないと思うけど、こうしてしっかりと見られると、妙に不安になる。

「……もしかして、デート?」
「え!?」

 遥香からそんなワードが出てくるなんて思っていなくて、声が裏返ってしまった。
 でもそれは、冗談のつもりだったらしい。

「……ガチ?」

 それなのに、私が過剰に反応したから、遥香も驚きが隠せていない。

「ちがっ……わ、ない……」

 口から出かけたのは、否定の言葉。私は、吉良さんと出かけることをデートだとは認めたくないみたいだ。
 吉良さんとじゃなくて、このまま遥香と出かけられたらいいのに。
 そんな、叶いそうで叶わない願いを抱いた。

「人気者の莉々愛に彼氏ができたって知れ渡ったら、とんでもない騒ぎになりそう」

 遥香はそう言って、小さく笑った。
 それは昔よく見た、遥香の自然な笑顔。もう、ずっと見られないんだと思っていたのに。名前だって、呼ばれることはないんだって。

 ねえ、遥香。どうして私、遥香の隣にいたらダメなの? 私、遥香に嫌われるようなことしちゃった? それなら謝るから。また、一緒にいたいよ。

 そんな疑問も本音も、喉に詰まって声にならない。

「じゃあ、私行くね。デート楽しんで」

 遥香は手を振りながら、去っていった。私はその背中が見えなくなるまで遥香を見つめることしかできなかった。

   ◆

 待ち合わせ場所に行くと、吉良さんはすでに待っていた。
 私は手鏡で前髪を整え、一歩踏み出した。いつもの合言葉を胸に。

「吉良さん。遅くなってごめんなさい」
「ううん、そんなに待ってないから、気にしないで。じゃあ、行こうか」

 吉良さんは優しく微笑んで歩き始めた。私に合わせてくれる歩幅。だけど、私の少し前を歩いているから、妙に視線が合わない。

 吉良さんは、本当は私になんて興味がないのかもしれない。

 そんなことが頭をよぎる。
 きっと、気のせいだ。緊張しているとか、そういうことだろう。きっと。
 そして到着したのは、おしゃれなカフェだった。店の前に今日のメニューが書かれた看板がある。ひとりでは絶対に足を踏み入れないであろう大人な雰囲気に、気後れしてしまう。

「どうぞ」

 吉良さんがドアを開けると、私には入らないという選択肢はなくなった。
 木製の壁に、観葉植物。オレンジ調のライト。コーヒーの匂いが漂う店内は、まさに大人の空間だった。

「ここ、僕のお気に入りの席なんだ」

 どうやら、吉良さんには私が戸惑っている姿が見えていないようだった。それとも、私が緊張しているのだろうと思い込んだように、吉良さんもそう完結させているのだろうか。
 吉良さんの本心が見えないことを恐ろしく感じながら、私は吉良さんが案内してくれた席に向かう。そこは、大きな窓ガラスの前にあるカウンター席だった。そこに座ると、街の様子がよく見えた。

「綺麗でしょ?」

 吉良さんは得意そうに言う。
 吉良さんにとっては、この景色はそうなのかもしれない。だけど、私には息の詰まる景色としか思えなかった。目の前を行き交う人に見られていると、リラックスなんてできそうもない。
 確かに息苦しさを感じながらも、それでも私はその席に座った。

「注文、どうする?」

 私は吉良さんからメニュー表を受け取る。
 藍川莉々愛として、なにを選ぶのが正解なんだろう。
 大人らしいコーヒー? それとも、年下らしくココア?

「……カフェモカをお願いします」

 私ははっきりと選べなくて、ほろ苦さと甘さを兼ね備えたカフェモカを選んだ。
 カフェモカは甘くて、思わず頬が緩むほど美味しかった。このお店のコーヒーなら、美味しく飲めるかもしれない。
 そう思ったとき、またあの音が鳴った。日常を切り取る時間だ。

 今は、聞きたくなかったのに。どうして今なの?

「お、ストナウの通知だ」

 すると、吉良さんがその音に反応した。
 嘘だ、と思った。
 私は“今”を切り取ることに抵抗があるのに。吉良さんはスマホを取り出している。

「ねえ、莉々愛ちゃん。写真、撮っていい?」

 私はそれを強く拒否することはできなかった。

「そのまま、街の風景を見てる感じで……うん、いいね。こんな感じになったんだけど、どうかな?」

 吉良さんが見せてくれた画面には、カップを口元に添え、遠くを見つめる私の横顔が写っている。普段よりも大人っぽく演出されたその写真は、悪くないように見える。

「これ、投稿するね」
「え……」

 確認ではなく、事後報告に似た言葉。たしかに、写真は悪くないけれど、投稿するなら話は別だ。
 だけど、吉良さんは私の戸惑う声も聞かず、スマホを操作している。そこに私の意思はないんだと思い知らされる。

「……あ、莉々愛ちゃんってストナウやってるんだっけ?」

 ようやく、吉良さんは私が戸惑っていることに気付いた。

「えっと、一応……」
「ごめんね、アカも教えてないのに投稿とかして」

 首を横に振るけれど、その動きはどこかぎこちない。
 誰かに写真を撮られることも、投稿されることも、経験したことがあるのに。
 私は、私の知らないところで自分の写真が共有されたことを恐れているのだろうか。それとも、この瞬間を切り取られたことで、後戻りできないと怯えているのだろうか。
 私のことなのに、自分でもわからなかった。

「こんな感じで投稿したから」

 吉良さんが見せてくれた画面には、『デート中』という文字と共に私の写真が投稿されたことが映っていた。どうやら、吉良さんの中にはその投稿を削除するという選択肢はないらしい。
 その投稿の閲覧者の中に、見知ったアイコンがあったような気がしたけれど、確認するより先に画面を戻されてしまった。

「莉々愛ちゃんは投稿しなくていいの?」

 Story Nowでの投稿が当然だという空気は、やっぱり慣れない。
 かといって、その空気に逆らうこともできず、私はスマホを取り出した。画面をつけると、Story Nowの通知が届いたのは、ちょうど五分前。つまり、時間切れだ。
 そのことに、ほっとしている私がいた。

「今日は……大丈夫です」

 そう言って私は、スマホをカバンにしまった。