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 夢奏がすべてを語り終えたとき、涙が溢れて止まらなかった。
 その涙の理由は、私にはわからなかった。悲しくて泣いているのは、少し違う気がする。
 ただ流れ続ける涙を拭う私を、話の途中で駆けつけてくれた木崎さんたちは、心配そうに見ている。

「そんなに莉々愛を傷付けて、本気で莉々愛を独り占めできると思ってるの?」

 重たすぎる沈黙の中で、遥香が静かに告げた。

「……うるさい。てか、今さら出しゃばって、なに? ずっと莉々愛のこと無視してたくせに!」

 夢奏の悲痛な叫びは、私の心に深く刺さる。
 ほんの少しだけ、夢奏の言う通りだと思ってしまう私がいた。こんなことになってから味方面されても、と心のどこかで思っていたのかもしれない。

「……莉々愛が、笑えなくなってたから」
「は?」
「私と莉々愛はタイプが違うから……だから、一緒にいないほうがいいと思った。実際、高校に入ってからの莉々愛はどんどん私の知らない莉々愛になっていって。一軍女子になっていく莉々愛の近くにいなくてよかったって思ったよ」

 声が出なかった。
 遥香は、私が聞いてるって知ってるはずなのに、ここまで本音を包み隠さず言うなんて、残酷だ。
 でも、私たちは本音を隠しすぎたから、こんなにもこじれてしまった。これはきっと、その報い。聞きたくなくても、私は耳を塞いではならない。

「無理してるのかなって感じるときもあったけど、それでも莉々愛が笑っていられるならそれでいい。私が口出しすることじゃないって、一方的に線引きして決めつけてた」

 遥香が言うほど、私は心から笑えていただろうか。
 自分に問いかけるまでもない。

「……でも、気付いたら莉々愛から笑顔が消えてて。なんでこんなことになってんの、莉々愛にはたくさんの味方がいたんじゃないのって、不思議でならなかった」

 なにも不思議じゃないよ、遥香。私が高校で築いてきた関係性は、上辺だけのものだった。それは、私が一番よくわかってる。

「それに加えて、篠崎優希音の死でしょ? このままじゃ莉々愛が消えてしまうような気がして」
「……消えないよ。消えさせない。だって、夢奏がいるもん」

 これもまた夢奏の本音なんだと思うと、恐ろしい。
 だから私は夢奏を信じたいと思ったのと同時に、本当に信じてもいいのか、不安になったんだろう。

「あんなことして、まだ」
「だって!」

 遥香の言葉を遮った夢奏の叫び声は、悲しみに染まっていた。
 それはどこか、聞き覚えがあった。
 そうだ。保健室で先生に相談するかどうか、意見が衝突したときだ。
 あのときも、夢奏はこんなふうにゆきちゃんに反論していた。
 どうして私は気付けなかったんだろう。いや、見ようとしなかったんだろう。
 もう、耳を塞いでしまいたかった。これ以上、夢奏の痛みを聞いていたら、私の心が壊れてしまいそうだから。
 でも、ここで逃げるなんて許されない。私が、聞かなければならない。

「だって、そうしないと、莉々愛は夢奏を見てくれないもん……」

 夢奏の表情は見えないけれど、子供のように泣いている姿が想像できた。

「私の知ってる莉々愛は、友達に順位をつけるような人じゃないけど」
「……でも、優先順位ってあるでしょ。きっと莉々愛は、私とアンタを天秤にかけたら、夢奏を選んでくれない」

 ――やっぱり、スズとの付き合いが長いからさ……どうしても、スズの味方をしちゃうっていうか……

 前に、ゆきちゃんはそう言っていた。私もそうするだろうって納得したのを覚えている。
 ……そっか。これが、順位か。

「だから、アンタが邪魔なの」

 だから、死んでよ。
 そう聞こえた。
 遥香まで奪われるなんて、嫌だ。でも、ここで私が間に入ったら、夢奏はどうなるの?
 そう思うと、私は動くことができなかった。

「アンタが“Y”として死んでくれたら、完璧なの。莉々愛は夢奏だけのものになってくれる。だから!」
「残念だけど」

 夢奏の言葉に続けたのは、木崎さんだった。
 目の前にいたはずの木崎さんは、屋上に出ている。

「君の望む未来にはならないよ」

 こうなっては、私も隠れてはいられない。私と赤城さんも続いて二人の前に姿を見せる。
 フェンスの傍にいる夢奏は私に気付くと、大きく目を見開いた。

「莉々愛……? なんで……」
「私が呼んだ」

 遥香が答えれば、夢奏は遥香に鋭い視線を向けた。

「なんで夢奏の邪魔ばっかりするの!? やっと……やっと、莉々愛が夢奏を見てくれるところだったのに!」
「それ、本気で言ってんの?」

 遥香の低い声に、夢奏は肩をびくつかせた。

「莉々愛を平気で傷付けるような人、莉々愛の隣は相応しくないから」

 夢奏はうろたえながら、私に縋るような目を向けてきた。
 なにか、言わないと。
 でも、なにを?
 夢奏をかばうような言葉が、私には出てこない。
 すると、夢奏の頬に一粒の涙が落ちた。

「ごめんなさい……」

 その言葉をきっかけに、夢奏の目から、大粒の涙が溢れ出ていく。

「間違ってごめんなさい……ゆっきー、ごめん……」

 何度も「ごめんね」を繰り返して泣く夢奏は、まるで大きな子供。
 そう思うと、なんだか腑に落ちた。

 自分が一番ではないことが気に入らないのは、弟や妹ができたとき、大人たちが自分を見てくれないことで癇癪を起こす幼児によく似ている。
 自分が世界の中心だと思ったままの夢奏はきっと、その幼いころから抜け出せなくて。

 でも、高校生になったからといって、急に大人になれるわけもない。
 私たちは、まだ子供なんだと、夢奏を見ていると思い知らされる。
 夢奏はただ、私を好きでいてくれた。
 その好意から、選択を間違えてしまった。

 夢奏がしたことは許されないし、許してはいけないとわかっている。
 でも、だからといって、すべてを否定することもできないような気がした。
 私はゆっくりと夢奏に近寄る。

「莉々愛……?」

 私を捉える大きな瞳は、涙でぐしゃぐしゃになっている。
 そこにいるのは、同い年の夢奏だろうか。それとも、小さな夢奏だろうか。
 その判断がつかないまま、私は夢奏の頬に流れる涙を拭う。

「夢奏」

 そして、そっと抱き締めた。

「……私を好きになってくれて、ありがとう」

 すると、夢奏はますます涙を零した。
 その言葉をかけることが正しかったのか、私にはわからない。もっと、相応しい言葉があったのかもしれない。
 でも、私が夢奏に伝えられることは、それしかないと思った。
 夢奏の泣き声を傍で聞きながら、私は静かに頬を濡らした。

 それから、夢奏が落ち着くと、夢奏は木崎さんたちと一緒に屋上から降りていった。

「……西野夢奏のこと、許すの?」

 夢奏たちの姿が見えなくなっても、ただドアを見つめていると、遥香がそう聞いてきた。
 許す。
 許さない。
 その言葉は、妙にしっくりこない。

「……私も、夢奏のことが好きだから」

 それを聞いて、遥香は少し首を傾げた。
 理由になっていないことは、私が一番よくわかっている。
 でも、遥香はそれ以上踏み込んで来なくて、私の頭に手を置き、そのまま髪をぐしゃぐしゃにした。

「ちょっ……え?」

 乱れた髪の隙間から見えた遥香の顔は、微笑んでいるように見えた。

「私たちも帰ろうか」

 そう言って先に階段を降りていく遥香を、私は慌てて追いかけた。