ひとりじめ

   ◆

 翌日、休講のお知らせが届き、私たちは望まぬ三連休を過ごすこととなった。
 といっても、ほとんど部屋に引きこもったまま、寝て起きる、を繰り返していただけだった。ときどき、夏の象徴であるセミの鳴き声が聞こえてくることもあって、そのときは、ブランケットを頭から被り、暗闇に閉じこもり続けた。灯りの下に出ることは許されないような気すらしていた。

 そのせいか、月曜日になっても、学校に行く気力がなかった。

 ゆきちゃんはいなくて。鈴ちゃんとは完全に仲違い。そして、夢奏が“Y”。
 なにも信じられなくなった今、学校に行くのが怖かった。
 このまま、ベッドの中で一日が終わってくれたらいいのに。いっそのこと、世界が終われば。

 そんなふうに思ったときだった。
 遠慮するかのような、ノックの音がした。

「莉々愛、起きてる?」

 その声は、お母さんのものではなかった。

「遥香……?」

 予想外の人物の声に引き寄せられるように、私は身体を起こした。
 遥香は「入るよ?」と言いながら、ドアを開ける。カーテンを閉め切って灯りを遮断していたから、その眩しさに目を細める。

「あらら、まるで引きこもりじゃん」

 そう言って部屋に入ってきた遥香は、まっすぐ窓に向かい、カーテンを開ける。
 その遥香の服装は、制服。今は夏真っ盛りだから、さすがにパーカーはやめたみたいだ。

 ……制服?

「遥香、それ……」
「ん? ああ、学校、行こうと思って」

 随分とあっさり言うから、私が驚いているのがおかしいのかと錯覚してしまう。

「どうして急に……」

 “Y”のことは、なにも解決していない。
 私は遥香が“Y”ではないと確信したし、遥香は夢奏が“Y”だと言うけれど、みんなの中では、遥香が“Y”のままで変わっていない。つまり、今学校に行けば、遥香はゆきちゃんを殺した犯人として、注目されることになる。
 遥香はその視線をうっとうしいと言っていたのに。

 遥香は窓を開けながら、「んー……」と声を漏らす。

「ここまで莉々愛を追い詰めた西野夢奏が、許せない……いや、気になったから、かな。なんのためにこんなことをしたのか。直接聞いてみたいな、と」

 妙な正義感というより、ただの興味本位。それで行動するようなタイプだったなんて知らなかったけれど、たしかに私も、夢奏がなにを考えているのか、そもそも本当に“Y”なのか、ちゃんと知りたい。

「……私も行く」

 私がベッドから降りようとすると、遥香はニヤリと笑った。

「だと思って、迎えに来た」

 なんだか、私が単純みたいで恥ずかしい。

「じゃあ、下で待ってる」

 遥香はそう言って、部屋を出て行った。それからすぐに身支度を整えて下に降りる。

「……どうかした?」

 遥香が私の恰好を凝視するから、変なところでもあるのだろうかと不安になる。
 ああ、でも、今日はいつもの藍川莉々愛用のヘアメイクをしていない。遥香はそれに気付いたのかもしれない。

「いや……行こっか。電車の時間になるし」

 そして遥香は歩き始めた。
 念願の、遥香との登校。それなのに、浮かれ気分にはなれなかった。

「莉々愛も西野夢奏の話、聞きたいんだよね?」

 電車に揺られながら、遥香は小声で尋ねてきた。私が首を縦に振ると、遥香はどこか難しそうな顔をした。というより、迷惑そうにしているように見える。

「ダメなの?」
「いや、ダメって言うか……莉々愛がいたら、西野夢奏の本音が聞き出せないだろうなって思って」

 たしかに、遥香の言う通りかもしれない。完全に私に隠しごとをしている人が、私の前で簡単に素を明かすとは思えない。
 でも、ちゃんと自分の耳で、夢奏の話が聞きたかった。

「ま、莉々愛はこっそり隠れるとかしてればいけるか」

 深刻そうな顔をしていたわりに、あっさりと言った。
 遥香の様子を見ていると、私は考えすぎなのかもしれないと思えてくる。

「でも……どうやって夢奏と話すの?」
「どうって……まあ、向こうから話しかけてくるんじゃない?」

 遥香がそう言ったとき、最寄り駅に着いた。電車を降りたら、今まで通り他人のフリをするのかと思ったのに、遥香は私の隣に並んだままだった。
 喜びよりも驚きが勝り、つい遥香の顔を見つめてしまう。私の視線に気付いた遥香は、首を傾げながら私を見た。

「どうかした?」
「いや、えっと……あの約束、もういいのかなって」
「今日はね。ちょっと試したいことがあって」

 遥香は曖昧に言うだけで、詳しくは教えてくれなかった。

 それから学校に着くまで、私たちは特に言葉を交わしたりはしなかった。どちらかというと、ゆきちゃんや夢奏のことを考えると、雑談をする気持ちにはなれなかったというのが正しいのかもしれない。
 遥香と教室に入れば、一斉にどよめきが走る。

「え……山内さん?」
「なんで藍川と一緒にいるんだよ」
「マジ? どういう神経してんの?」

 みんな小声で話しているはずなのに、やけに大きく聞こえる。やっぱり、噂が落ち着いていないのに、一緒に来たのは間違っていた。

 ざわめきが大きくなるほどに居心地の悪さを感じる中で、遥香が肘で私をつついた。
 視線だけ遥香のほうに向けると、遥香は教室内に視線を動かした。遥香が注目する先にいたのは、随分と険しい表情で遥香を睨んでいる夢奏だった。

 遥香が“Y”だと思って憎しみを込めているのか。それとも、遥香が邪魔だと思って睨んでいるのか。
 前者であってほしいと思っていると、夢奏と目が合った。その瞬間、なにかを堪えたような表情を浮かべた。

 そこには、なにが隠されているの?

「……私、どっか適当なところで時間潰しとくね」

 すると、遥香はそう呟いて、どこかに行ってしまった。
 この状況で置いて行かれても困る。

「莉々愛、大丈夫!? なにもされてない!?」

 遥香の背中を見つめていたら、夢奏がいつの間にか近くに来ていて、私の両肩を掴んだ。その後ろには、夢奏と同じように心配の目をしたクラスメイトたちがいる。

 遥香は、これもニセモノだと言うのだろうか。私にはそう見えないのに。
 でも、それなら、さっきの夢奏の表情は?

「……大丈夫だよ」

 信じるものを見失った私の笑顔は、どこかぎこちなかった。

   ◆

 それから一日、夢奏はボディガードのように私の傍にいた。
 遥香の見込みでは、夢奏から遥香に声をかけるということだったけれど、その気配がないまま、放課後になろうとしていた。
 このまま家に帰るしかないのだろうか。
 そう思ったとき、ひとつのメッセージが届いた。


――西野夢奏に呼び出されたから、屋上行ってくる。


 それは遥香からだった。
 いつ、夢奏は遥香にコンタクトを取ったのだろう。メッセージを読み、不思議に思いながら教室を見渡すと、夢奏の姿がない。
 これは、遥香の予想が当たったということだろうか。

 ――許さないって感情より、邪魔者は消えろ、みたいな……

 もし、それまでも正しいのなら。
 最悪な光景が頭をよぎる。
 同じことが繰り返されてしまうような、嫌な予感。
 その瞬間、私は教室を飛び出した。

 どうか、間に合って。

 ただそれだけを願って、屋上へ急いだ。
 階段を上り終えるときには息が乱れていて、私は大きく深呼吸をした。だけど、心はまったくもって落ち着かない。

「こんなところに呼び出して、なんの用?」

 聞こえてきたのは、遥香の声だ。よく見れば、屋上に出るためのドアがわずかに開いている。私が来ることを見越して、遥香が開けておいてくれたのだろうか。
 盗み聞きはよくないと思いつつも、私は聞き耳を立てる。

「莉々愛に近付かないで」

 遥香は夢奏に呼び出されたと言っていた。つまり、次に聞こえたその声は、夢奏のもののはず。だけど、それはあまりにも普段とかけ離れていて、一瞬、それが夢奏の声だとはわからなかった。

「わざわざ忠告せずに、私のことも殺せばいいのに。篠崎優希音にしたみたいに」

 その言葉に応えるような夢奏の声は聞こえない。
 今、夢奏はどんな表情をしているのだろうか。そんなふうに煽るようなことを言って、遥香は大丈夫なのだろうか。
 二人の前に姿を見せてはいけないことを理解しているけれど、気が気でない。

「……わかってて、殺されに来たんだ?」

 私まで緊張してしまうような沈黙の中、夢奏が言った。
 その言葉に驚きで声が出てしまいそうになり、慌てて口を塞ぐ。
 すると、遥香の乾いた笑いが聞こえた。

「だって、わかりやすすぎるから。朝も、殺してやるってくらいの視線向けてきてたし」

 もしかして、遥香が確かめたいと言っていたのは、夢奏の視線?
 そのためだけに、飛んで火に入る夏の虫みたいなことをしたと言うのだろうか。
 でも、そのおかげと言うか、そのせいで、私もその片鱗を見ることができたわけだけれど。

「てか、演技でも違うって言うのかと思ったんだけど」
「……ここで嘘ついても、すぐにバレるもん」
「それもそうか」

 その会話がなにを意味するのか。
 それはすぐに理解した。
 だけど、信じたくなかった。
 本当に、夢奏がこんなことをしたって言うの? 全部、自作自演の嘘だったってこと? 夢奏のこと、信じたいって思ったのに。

「じゃあさ。死ぬ前に、ひとつ聞かせてよ。なんで私に罪を擦り付けたのか」

 死ぬ。
 遥香は、そのつもりなの?
 ダメ。遥香までいなくなるなんて、許さない。
 どうしたらいいの? どうすれば、遥香を失わずに済む?

 ――なにか思い出したことがあったら、すぐに連絡してほしい。“Y”の正体に繋がりそうなこととかでもいいから。

 そうだ、刑事さんに連絡すれば。

「……莉々愛が」

 カバンからスマホを取り出すと、夢奏の冷たい声が私の名前を呼んだ。一瞬、私のことに気付いたのかと思って、身体が強張る。

「アンタのことを気にしてたから。莉々愛の視線は私のなのに」

 私が、遥香のことを見ていたから?
 それだけで、夢奏はこんなことをしたと言うの?

「独り占めしたいくらい莉々愛のことが大切なのに、莉々愛を一番傷付けることを選んだってことか」

 遥香の声は、その考えを理解できないと言っているようだった。

「そもそも、なんでそんなに莉々愛にこだわってるわけ?」

 遥香が尋ねると、夢奏は静かに語り始めた。