◆
ひとりになると、じわじわとゆきちゃんがいなくなってしまった喪失感が大きくなっていった。夏がやってきたことを告げる蝉の声がやけにうるさくて、耳を塞ぎながら歩く瞬間もあった。泣き叫びたい衝動に駆られながらも、なんとかマンションに辿りつき、私はエレベーターホールに向かう。
「……莉々愛」
上ボタンを押したと同時に、背後から名前を呼ばれた。
振り向くと、そこには部屋着の遥香がいた。だけど、なんだか、私に声をかけることを躊躇ったようにも見える。
「遥香……?」
声をかけても、遥香と視線が交わらない。
やっと目が合ったと思えば、また視線を逸らされた。
「……大丈夫?」
たくさん言葉を探して、遥香はそれだけを言った。
大丈夫って、なにが? ゆきちゃんのこと、知ってるの? どうして? 遥香は、学校に来ていなかったんでしょう?
言いたいことはいっぱいあった。
でも、それ以上に感情が溢れ出た。
とっくに、大丈夫の限界値は超えていた。
遥香に甘えるように抱き着くと、栓が抜けたかのように、涙が流れ続けた。遥香はそんな私の背中にそっと手を回してくれていた。
「落ち着いた?」
遥香の部屋に移動し、私にそう尋ねた遥香の声は、いつになく柔らかかった。この前と同じようにベッドに腰かけた私は、小さく頷く。
「なにか飲み物取って来るね」
遥香はそう言って部屋を出ていった。
こうして落ち着いてくると、子供みたいに取り乱してしまったことが恥ずかしく思えてくる。
すぐに戻ってきた遥香は、ローテーブルに二つのコップを置いた。そういえば、あれからなにも喉に通していなかった。私はベッドから床に移動し、お茶をもらう。
「あの……遥香は、なにがあったのか、知ってるの?」
すると、近くに座った遥香は首を横に振った。
「母さんが、学校から一斉下校のお知らせがあったって教えてくれたんだ。昨日“Y”のことを聞いたばっかりだったし、なんか悪いことでも起きたんじゃないかって心配で。本当は学校に行きたかったけど、すれ違ったら嫌だったから、帰ってくるのを待ってた」
遥香にじっと見つめられ、私は視線を泳がせた。
そんな私を見て、遥香は微笑んだ。
「下で見たときは顔面蒼白でびっくりしたけど、ちょっと元気になったみたいで安心した」
……元気?
遥香からは、そう見えるの?
あんなことが起きたのに、私は、元気になれてしまうの?
「莉々愛?」
自分がどれだけ残酷な人間なんだろうと打ちひしがれていると、遥香が心配そうに顔を覗きこんできた。
「なにがあったの?」
私の普通ではない様子に気付いたようで、わずかに声のトーンが落ちる。
「ゆきちゃんが……」
その名を口にして、止まっていたはずの涙がまた頬に落ちる。
「ゆきちゃん……殺されちゃった……」
「は……?」
遥香の戸惑う声を聞きながら、手で涙を拭う。
「ちょっと待って、殺されたって……誰に? なんで」
遥香はわかりやすく動揺した。
私だって、信じたくない。あれは、なにかの間違いだって。
でも、先生の反応や、刑事さんに会ったことで、それは事実なんだと思い知らされた。
「“Y”が……花壇の傍で倒れてるゆきちゃんの写真を、投稿したの。だから多分……“Y”に殺されたんだと思う。ゆきちゃん、昨日“Y”の正体に心当たりがあるって言ってたから……」
話しているうちに、抱えきれない喪失感を思い出してしまって、涙はますますコントロールできなくなる。そんな私を、遥香はそっと抱きしめてくれた。その温もりでますます涙腺が崩壊する。
ゆきちゃんが“Y”に会いに行ったりしなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。
そもそも、私が“Y”に目をつけられなかったら、ゆきちゃんが命を落とすこともなかった。
「私のせいだ……」
「え……なんで莉々愛のせいになるの?」
私から離れた遥香は、理解できないと言わんばかりの表情だ。夢奏が私を庇うように言う声色とは違う。その状況を俯瞰して見た上で、そう言っているように聞こえた。
「だって……」
たとえ直接的ではなくとも、私のせいであることに変わりはない。ゆきちゃんは、私に恨みを抱いた“Y”に殺されたのだから。
「篠崎優希音を殺したのは“Y”で、悪いのは全部“Y”。ただの逆恨みを自分のせいみたいに思う必要はないでしょ」
だけど、私が言葉を紡ぐよりも先に、遥香が強く言い切った。
そんなふうに言われると、遥香が正しいように思えてくる。
無関係ではないけれど、すべてを背負い込む必要はないのかもしれない。
「それにしても、まさか殺すなんて……正体を見抜かれて、逆ギレでもしたのかな」
その視点はなかった。
ずっと、私を苦しめるために、私の周りを巻き込んでいるのだとばかり。
でも、それがわかったところで。
「一体、誰がこんなこと……」
初めは、私の誹謗中傷だけだったのに。
鈴ちゃんの本音をネットで暴露して。夢奏を怖い目に遭わせて。ゆきちゃんの命までを奪ってしまうなんて。
“Y”の悪意が鎌となり、私の命までも刈り取ろうと、喉元に突き立てられているような気がして、冷や汗が流れる。
「……莉々愛、それ本気で言ってる?」
疑うような視線を向けられるけど、私には遥香が言おうとすることがわからなかった。
「私、“Y”は篠崎優希音か西野夢奏だと思ってたんだよね」
遥香はローテーブルの上に置かれたコップを見つめて言う。
今、なんて?
“Y”は、ゆきちゃんか、夢奏?
「どうして……」
“Y”は、私を恨んでいる人物のはず。だから、私からしてみれば、一番“Y”からかけ離れている二人だ。そんな二人のどちらかが、“Y”?
たとえ遥香の言うことでも、それは容易には信じられなかった。
そんな私の混乱を見抜いているのか、遥香は一切目を合わせようとしない。
「あの二人、異常に莉々愛の味方をしてたでしょ。それがなんか、作りものっぽいっていうか。なにか隠してそうって思ってたんだよね」
たしかに、夢奏に関してはそう見えてもおかしくないのかもしれない。
だけど。
「……ゆきちゃんは、ただ優しかっただけだよ」
「だろうね。あれはたぶん、裏表がないタイプ。だから莉々愛も、篠崎優希音のことだけは、信頼してたんでしょ?」
ゆきちゃんのことだけ。
その部分がやけに強調されたように聞こえた。
「じゃあ……じゃあ遥香は、夢奏が“Y”だって言うの?」
「まあ、そうなるかな」
戸惑う私に対して、遥香は冷静に言う。
どうしてそんな落ち着いてるの?
そんなの、納得できるわけがない。
「でも……夢奏は“Y”に襲われてるんだよ?」
「それはほら、自作自演とか」
そんなこと、できるのだろうか。
でも、ゆきちゃんのときは顔が写っていたけれど、夢奏が襲われたときの写真は、全体像ではなかった。それなら、できるのかもしれない。
それに、本当に“Y”の正体が夢奏なのだとしたら、根拠もなく遥香を“Y”だと言っていたのも納得だ。その理由までは、わからないけれど。
そうして納得しかけたとき、夢奏の笑顔が頭をよぎった。
――夢奏は莉々愛のこと、本当に好きだからね!
それすらも、嘘だったというの?
「私……夢奏にも恨まれてたんだね」
「いや、あれは……逆じゃないかな」
その言葉の意味がわからなくて、私は首を傾げた。
「西野夢奏に“Y”のことで責められたとき、許さないって感情より、邪魔者は消えろ、みたいなのが伝わってきたんだよね。で、“Y”がやってることも、莉々愛の周りから人を減らしてるようなものでしょ? まあ、どうやって私と莉々愛のことを知ったのかはわかんないけど。なんか、重なるなあって」
だから遥香は、夢奏が“Y”だと思っていたのか。
そう思うと同時に、ふと、吉良さんのことを思い出した。
たしか、吉良さんは私の友達が「私のことを一番好きじゃないなら別れろ」って大学まで乗り込んできたと言っていた。それも、夢奏なのだとしたら。
遥香の感覚は、正しいのかもしれない。
それでも私は、信じられない気持ちが強かった。
ひとりになると、じわじわとゆきちゃんがいなくなってしまった喪失感が大きくなっていった。夏がやってきたことを告げる蝉の声がやけにうるさくて、耳を塞ぎながら歩く瞬間もあった。泣き叫びたい衝動に駆られながらも、なんとかマンションに辿りつき、私はエレベーターホールに向かう。
「……莉々愛」
上ボタンを押したと同時に、背後から名前を呼ばれた。
振り向くと、そこには部屋着の遥香がいた。だけど、なんだか、私に声をかけることを躊躇ったようにも見える。
「遥香……?」
声をかけても、遥香と視線が交わらない。
やっと目が合ったと思えば、また視線を逸らされた。
「……大丈夫?」
たくさん言葉を探して、遥香はそれだけを言った。
大丈夫って、なにが? ゆきちゃんのこと、知ってるの? どうして? 遥香は、学校に来ていなかったんでしょう?
言いたいことはいっぱいあった。
でも、それ以上に感情が溢れ出た。
とっくに、大丈夫の限界値は超えていた。
遥香に甘えるように抱き着くと、栓が抜けたかのように、涙が流れ続けた。遥香はそんな私の背中にそっと手を回してくれていた。
「落ち着いた?」
遥香の部屋に移動し、私にそう尋ねた遥香の声は、いつになく柔らかかった。この前と同じようにベッドに腰かけた私は、小さく頷く。
「なにか飲み物取って来るね」
遥香はそう言って部屋を出ていった。
こうして落ち着いてくると、子供みたいに取り乱してしまったことが恥ずかしく思えてくる。
すぐに戻ってきた遥香は、ローテーブルに二つのコップを置いた。そういえば、あれからなにも喉に通していなかった。私はベッドから床に移動し、お茶をもらう。
「あの……遥香は、なにがあったのか、知ってるの?」
すると、近くに座った遥香は首を横に振った。
「母さんが、学校から一斉下校のお知らせがあったって教えてくれたんだ。昨日“Y”のことを聞いたばっかりだったし、なんか悪いことでも起きたんじゃないかって心配で。本当は学校に行きたかったけど、すれ違ったら嫌だったから、帰ってくるのを待ってた」
遥香にじっと見つめられ、私は視線を泳がせた。
そんな私を見て、遥香は微笑んだ。
「下で見たときは顔面蒼白でびっくりしたけど、ちょっと元気になったみたいで安心した」
……元気?
遥香からは、そう見えるの?
あんなことが起きたのに、私は、元気になれてしまうの?
「莉々愛?」
自分がどれだけ残酷な人間なんだろうと打ちひしがれていると、遥香が心配そうに顔を覗きこんできた。
「なにがあったの?」
私の普通ではない様子に気付いたようで、わずかに声のトーンが落ちる。
「ゆきちゃんが……」
その名を口にして、止まっていたはずの涙がまた頬に落ちる。
「ゆきちゃん……殺されちゃった……」
「は……?」
遥香の戸惑う声を聞きながら、手で涙を拭う。
「ちょっと待って、殺されたって……誰に? なんで」
遥香はわかりやすく動揺した。
私だって、信じたくない。あれは、なにかの間違いだって。
でも、先生の反応や、刑事さんに会ったことで、それは事実なんだと思い知らされた。
「“Y”が……花壇の傍で倒れてるゆきちゃんの写真を、投稿したの。だから多分……“Y”に殺されたんだと思う。ゆきちゃん、昨日“Y”の正体に心当たりがあるって言ってたから……」
話しているうちに、抱えきれない喪失感を思い出してしまって、涙はますますコントロールできなくなる。そんな私を、遥香はそっと抱きしめてくれた。その温もりでますます涙腺が崩壊する。
ゆきちゃんが“Y”に会いに行ったりしなかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。
そもそも、私が“Y”に目をつけられなかったら、ゆきちゃんが命を落とすこともなかった。
「私のせいだ……」
「え……なんで莉々愛のせいになるの?」
私から離れた遥香は、理解できないと言わんばかりの表情だ。夢奏が私を庇うように言う声色とは違う。その状況を俯瞰して見た上で、そう言っているように聞こえた。
「だって……」
たとえ直接的ではなくとも、私のせいであることに変わりはない。ゆきちゃんは、私に恨みを抱いた“Y”に殺されたのだから。
「篠崎優希音を殺したのは“Y”で、悪いのは全部“Y”。ただの逆恨みを自分のせいみたいに思う必要はないでしょ」
だけど、私が言葉を紡ぐよりも先に、遥香が強く言い切った。
そんなふうに言われると、遥香が正しいように思えてくる。
無関係ではないけれど、すべてを背負い込む必要はないのかもしれない。
「それにしても、まさか殺すなんて……正体を見抜かれて、逆ギレでもしたのかな」
その視点はなかった。
ずっと、私を苦しめるために、私の周りを巻き込んでいるのだとばかり。
でも、それがわかったところで。
「一体、誰がこんなこと……」
初めは、私の誹謗中傷だけだったのに。
鈴ちゃんの本音をネットで暴露して。夢奏を怖い目に遭わせて。ゆきちゃんの命までを奪ってしまうなんて。
“Y”の悪意が鎌となり、私の命までも刈り取ろうと、喉元に突き立てられているような気がして、冷や汗が流れる。
「……莉々愛、それ本気で言ってる?」
疑うような視線を向けられるけど、私には遥香が言おうとすることがわからなかった。
「私、“Y”は篠崎優希音か西野夢奏だと思ってたんだよね」
遥香はローテーブルの上に置かれたコップを見つめて言う。
今、なんて?
“Y”は、ゆきちゃんか、夢奏?
「どうして……」
“Y”は、私を恨んでいる人物のはず。だから、私からしてみれば、一番“Y”からかけ離れている二人だ。そんな二人のどちらかが、“Y”?
たとえ遥香の言うことでも、それは容易には信じられなかった。
そんな私の混乱を見抜いているのか、遥香は一切目を合わせようとしない。
「あの二人、異常に莉々愛の味方をしてたでしょ。それがなんか、作りものっぽいっていうか。なにか隠してそうって思ってたんだよね」
たしかに、夢奏に関してはそう見えてもおかしくないのかもしれない。
だけど。
「……ゆきちゃんは、ただ優しかっただけだよ」
「だろうね。あれはたぶん、裏表がないタイプ。だから莉々愛も、篠崎優希音のことだけは、信頼してたんでしょ?」
ゆきちゃんのことだけ。
その部分がやけに強調されたように聞こえた。
「じゃあ……じゃあ遥香は、夢奏が“Y”だって言うの?」
「まあ、そうなるかな」
戸惑う私に対して、遥香は冷静に言う。
どうしてそんな落ち着いてるの?
そんなの、納得できるわけがない。
「でも……夢奏は“Y”に襲われてるんだよ?」
「それはほら、自作自演とか」
そんなこと、できるのだろうか。
でも、ゆきちゃんのときは顔が写っていたけれど、夢奏が襲われたときの写真は、全体像ではなかった。それなら、できるのかもしれない。
それに、本当に“Y”の正体が夢奏なのだとしたら、根拠もなく遥香を“Y”だと言っていたのも納得だ。その理由までは、わからないけれど。
そうして納得しかけたとき、夢奏の笑顔が頭をよぎった。
――夢奏は莉々愛のこと、本当に好きだからね!
それすらも、嘘だったというの?
「私……夢奏にも恨まれてたんだね」
「いや、あれは……逆じゃないかな」
その言葉の意味がわからなくて、私は首を傾げた。
「西野夢奏に“Y”のことで責められたとき、許さないって感情より、邪魔者は消えろ、みたいなのが伝わってきたんだよね。で、“Y”がやってることも、莉々愛の周りから人を減らしてるようなものでしょ? まあ、どうやって私と莉々愛のことを知ったのかはわかんないけど。なんか、重なるなあって」
だから遥香は、夢奏が“Y”だと思っていたのか。
そう思うと同時に、ふと、吉良さんのことを思い出した。
たしか、吉良さんは私の友達が「私のことを一番好きじゃないなら別れろ」って大学まで乗り込んできたと言っていた。それも、夢奏なのだとしたら。
遥香の感覚は、正しいのかもしれない。
それでも私は、信じられない気持ちが強かった。



