ひとりじめ

 梅雨のじめじめした空気が消え、頭上に青空が広がる。
 少し前までは太陽の下を歩いていたけれど、今や、日傘なしで歩くのは自殺行為に近い。だから、天気がよくとも、傘が手放せない。傘を差す角度を考えなくていい分、晴れの日でよかったと思う。暑すぎて憂鬱になるときもあるけれど。

「莉々愛、おはよっ」

 明るい声と共に私の日傘に入ってきたのは、西野(にしの)夢奏(ゆめか)。高校生にしてツインテールが似合う夢奏は、まるで太陽の化身。私の憂鬱さすらも吹き飛ばしてしまうほどの元気な笑顔だ。
 私は夢奏がちゃんと日傘に入れるように傘を傾けながら、「おはよう」と返した。

「ね、莉々愛! Story(ストーリー) Now(ナウ)って知ってる?」

 並んで歩を進めて間もなく、夢奏は唐突に尋ねてきた。それは、聞き馴染みのないワードだった。

「スト……?」
「Story Now! 今流行ってるの。知ってる?」

 私が不思議そうに言うと、私よりも小柄な夢奏は、ずいっと私に顔を近づけてくる。夢奏の距離感が近いのは、いつものこと。これが室内であれば大人しく受け入れるけれど、生憎、今は外で、太陽の下にいる。さすがに近距離は暑く、私は少しだけ夢奏と距離を取るように、半歩右に移動した。

「うーん……聞いたことないかな」
「じゃあ、夢奏が教えてあげる!」

 夢奏は楽しそうに、歩を進めた。その足取りは、スキップでもしそうなくらい軽い。
 まだ朝とはいえ、十分暑い中で、これほど元気でいられるのは、正直尊敬する。
 私なんて、雑談をする気力もなく、一秒でも早く建物に入りたいとしか考えられない。

「ストナウはね、一日に一回だけ投稿できるアプリなの。毎日ランダムに通知が届いて、すぐに写真とか動画、あとは文を投稿するの」
「へえ……」

 夢奏の声色は弾んでいるのに対して、私は少し冷めた声を出してしまった。
 夢奏を不機嫌にしてしまうかと思ったけれど、夢奏は気にする様子を見せない。どうやら、気にしすぎたみたいだ。
 それにしても、また新しいSNS。正直、これ以上増やされても困るだけだ。
 また、私を偽る場所が増えてしまう。
 だからこそ、今あるものだけじゃダメなのかな、なんて思ったけど、水を差してしまうような気がして、言えなかった。

「ね、莉々愛もやらない?」

 再び私に向けられた瞳には、期待が込められている。このキラキラと輝く眼を見て、断れる人がいるのだろうか。私には、無理だ。

「夢奏、また莉々愛を困らせてるの?」

 私が答えるより先に、横から声がした。少し日傘を上げると、見知った人がそこにいた。

「ゆきちゃん、おはよう」

 そこにいたのは、呆れた表情を浮かべる篠崎(しのざき)優希音(ゆきね)。強い日差しの中でも日傘を差していないため、肩で切りそろえられた彼女の明るい茶髪が日に透ける。

「おはよう」
「違うよ、ゆっきー! 今ね、莉々愛もストナウやろって、誘ってたの!」

 ゆきちゃんが挨拶を返してくれたのに続けて、私たちの挨拶の声量をはるかに超えてくる反論が、耳をつんざく。その声量に、ゆきちゃんは顔を一瞬顰める。

「声大きいって」

 ゆきちゃんに言われ、夢奏は両手で口を塞ぐ。この素直な反応が、夢奏を憎めない理由のひとつだ。若干眉尻が下がり、反省しているのが見て取れる。

「でも、ゆっきーも莉々愛に始めてもらったら、楽しくなると思わない?」
「それはまあ、そうかもしれないけど」

 私を挟んでそんな会話がされた結果、期待の目が増えてしまった。もう、私にはそのアプリをインストールしないという選択肢はなくなったらしい。

「教室に行ってからね」

 私の答えを聞いて、夢奏は満面の笑みを見せた。
 ときどき、同級生とは思えないくらいの幼い笑顔を見せる瞬間は、本当に可愛らしい。だから、つい妹を可愛がるかのように、甘やかしてしまう。実際は妹なんていないから、世の中のお姉ちゃんが今の私と同じような状況になることがあるのかわからないけど。

 そして私たちは、三人で肩を並べて学校を目指し、校門が見えてきたそのときだった。
 私たちは、ひとりの女子生徒に追い抜かされた。

「あ……」

 登校時間が重なるなんて思っていなくて、つい声を漏らした。
 日焼け対策として、セーラー服の上に黒いパーカーを羽織っている。そんな異質な組み合わせを完璧に着こなす彼女を、私はつい凝視してしまった。

「莉々愛?」

 それを聞き取った夢奏が、不思議そうに私の視線を追った。ほんの少しの好奇心を宿して。
 ……しまった。

「なんでもないよ」

 高校では関わらない。あの子とは、そう約束している。
 正直、律儀にその約束を守る必要はないのかもしれない。だけど、彼女が嫌がることをして、ますます嫌われるなんてことはしたくない。
 だから私は、笑顔で誤魔化して、校門をくぐった。

「あ!」

 昇降口に着き、日傘を畳んでいると、聞き慣れた声が聞こえてきた。
 顔を上げると、声の主の織田(おだ)鈴菜(すずな)が金色のセミロングヘアを揺らしながら、駆け寄ってくる。
 梅雨明けだからか、髪を染め直したみたいだ。湿気もなく、その髪はサラリと揺れ、ピアスホールが見える。今日は、なにも着いていない。先生の怒りを髪色に集中させるつもりなのかもしれない。

「おはよ、スズ」

 一番に挨拶を返したのは、ゆきちゃん。

「おはよ!」

 鈴ちゃんは挨拶したあと、私たちもいることに気付き、手を振ってくれた。私と夢奏は手を振り返して応える。

「そうだ、今日も会ってきたんだ! 王子様!」

 靴を履き替えた鈴ちゃんの声のトーンが、一段階上がる。
 王子様。それは、最近鈴ちゃんが追いかけている男子大学生だ。少し前に最寄り駅で偶然見かけて以来、何度か会いに行っているらしいけど、私はまだ、顔も名前も知らない。

「また寄り道して来たの?」

 ゆきちゃんが呆れた様子で返すと、鈴ちゃんは少しだけ舌を出して威嚇している。そんな二人を見て笑う夢奏。
 私がいなくても、安定している三人。
 それもそうだ。もともと、三人が仲良くしているところに、私は入れてもらっただけ。だから、ときどき疎外感を抱いてしまう。
 なんだか、私とみんなの間に、透明の壁があるみたい。お前は部外者だ、と言わんばかりに。

「莉々愛、行こ?」

 少し離れた場所に立ち尽くす私にいち早く気付いてくれたのは、夢奏だった。流れるように腕を組んで、私を見上げる。
 こうして輪に入れてもらっていながら寂しさを感じるなんて、さすがに被害妄想がすぎる。第一、仲良くしてくれている三人に失礼だ。
 私はほんのわずかな寂寥感を心の奥底にしまい込んで、一歩踏み出す。

「スズは本当に好きだよね、王子サマ」
「……ユキ、バカにしてる?」
「してない、してない」

 先を進んでいた二人は、そんな軽いやり取りをしていた。

「告白しないの?」

 夢奏が問うと、鈴ちゃんはわざとらしく息を吐き出した。

「わかってないなあ、ユメは。イケメンは目の保養。遠くから見るに限るんだよ?」

 夢奏は私のほうを向いて「そういうもの?」と聞いてきたけど、私にはよくわからない感覚で、曖昧に笑顔を作り、首を傾げた。