ひとりじめ

 保健室に着くと、ドアに『外出中』と書かれたプレートがあった。
 だけど、ゆきちゃんはそのドアを開け、中に入っていく。
 丸椅子に夢奏を座らせると、ゆきちゃんは傷を手当できる道具を探し始めた。ゆきちゃんひとりにやってもらうのも気が引けて、私は場所も知らないのに、ゆきちゃんと一緒に探してみる。

「……ねえ、ユメ。今回のこと、先生に相談する?」

 ふと、鈴ちゃんがそう尋ねた。
 夢奏の答えが気になり、私は手を止める。
 鈴ちゃんを見上げる夢奏は、どこか迷っているように見えた。

「莉々愛とか、私のことをネットで晒す程度で済んでいたら、わざわざ言うまでもないかなって思ってたけどさ。これはさすがにやりすぎじゃん」

 鈴ちゃんの言う通りだ。
 夢奏は切り傷程度では済まなかったかもしれない。最悪な事態になっていた可能性だってある。

 だけど、今の状況で夢奏が先生に相談してしまったら、遥香が“Y”と確定されてしまう。これはたぶん、遥香がやったことではないのに。そうなったら、退学になったり、不確定な噂がますます広まることになる。誰にも冤罪だと信じてもらえなくなる。
 それは、避けなければならない。

 でも、先生に話すか否かを決めるのは、私ではない。
 私は夢奏のほうを見た。夢奏はなにか迷っているのか、ほんの少し俯いている。

「私は、なにがあったかだけを言うなら、賛成かな」

 すると、ゆきちゃんが机に救急箱を置きながら言った。

「……ゆっきーは、まだ夢奏の言うことを信じてくれないの?」

 夢奏の声は震え、落ち込んでいることが容易にわかる。
 ゆきちゃんはそんな夢奏の左手首を取り、手当てをしていく。

「だって、山内さんは今日、学校を休んでるんだよ? 夢奏の言うことが正しいなら、山内さんはわざわざ夢奏を襲うためだけに学校に来たことになる。それも、ストナウのタイミングに合わせて。それって、結構むずくない?」

 ゆきちゃんの言葉に言い返す人はいなかった。
 たしかに、夢奏を襲うためだけに学校に来たとしても、いつ届くのかわからないStory Nowの投稿時間に合わせて行動するのは、至難の業だ。それだけでも、遥香が犯人の可能性は低くなる。私の感情論よりもかなり説得力があった。

「でも、放課後まで通知が届いていなかったから学校に来たって可能性も考えられるでしょ」
「じゃあ、夢奏を攫って、その瞬間を待ってたってこと?」

 ゆきちゃんは鈴ちゃんの言葉に冷静に返しながら、手際よく手当てを進める。痛々しかった夢奏の傷は、包帯で隠れていく。
 鈴ちゃんは、それに反論しなかった。その結果、室内は静寂に支配されていった。

「……とにかく、私には山内さんが“Y”だとは思えないんだよ。たとえ、夢奏が見たって言っても。そもそも、莉々愛に嫉妬して誹謗中傷することがあっても、わざわざスズとか夢奏を狙う理由がわかんないし」

 ゆきちゃんがそれを言ったときには、手当ては完了していた。

「だから、学校で誰かに怪我をさせられたって言うのは賛成だけど、それが山内さんのせいだって言うのは反対」

 救急箱を元の位置に片付けるゆきちゃんを見る鈴ちゃんの表情は、ゆきちゃんの意見に納得しているように見えた。
 だけど、夢奏は腑に落ちていないようだった。

「……だったら、なにも言わなくていい。夢奏は、転んで怪我をした。それでいいよ」
「いや、だから」
「だって!」

 夢奏は大きな声でゆきちゃんの言葉を遮った。振り返ったゆきちゃんは、驚きが隠せていない。
 夢奏は今にも泣き出しそうなくらい、瞳が潤んでいる。

「だって……ゆっきーは、夢奏が嘘をついてるって思ってるんでしょ? だから止めるんでしょ?」
「そういうわけじゃ……」

 ゆきちゃんが言い淀むと、夢奏は私のほうを見た。

 “莉々愛は信じてくれるよね?”

 その目はそう言っているようで、私は、視線を逸らしてしまった。
 すると、夢奏が椅子から立つ音がした。

「ユメ!」

 夢奏が保健室を飛び出していくのを、鈴ちゃんが追いかける。
 私もゆきちゃんも、さらに追いかけるようなことはしなかった。いや、できなかったと言ったほうが相応しいかもしれない。

 お互い、夢奏を悲しませてしまったことに対して罪悪感を抱きながら、保健室を出る。

「……莉々愛も、山内さんが“Y”だって思ってないんだね」

 廊下に向かう途中、私は頷いて応えた。

「山内さんは……」

 ――高校では距離を置きたい。

 遥香との約束が頭をよぎり、その続きを言っていいのか、迷ってしまう。
 だけど、ゆきちゃんには言いたかった。夢奏の言葉を鵜呑みにせず、遥香ではない思うと言い切ってくれたゆきちゃんに。

「……遥香は、私の幼馴染だから」
「……そっか」

 ゆきちゃんは一瞬驚いた顔をしていたけれど、小さく微笑んでいた。
 きっと、私の答えは理由になっていない。
 でも、幼馴染の味方をしてしまうと語ったゆきちゃんは、それだけでわかってくれるところがあったんだと思う。

 それからお互いに無言のまま、廊下を進んでいく。ときどき、なにか言わなければいけないような気がしていたけれど、特に話題も見つからず、無言のまま昇降口に着いてしまった。

「私……遥香と話してみようと思う」

 校舎を出て、私がそう切り出すと、少し先を歩いていたゆきちゃんは足を止めて振り向いた。その表情はいつものように優しくて、私の中にあったわずかな不安も吹き飛ばしてくれるようだった。

「私も、それがいいと思うよ」

 そう言ってもらえたことで、校門でゆきちゃんと別れるときには、少し心が軽くなっていた。