ひとりじめ

   ◆

 昼休みの一件があってから、教室内の空気は異様だった。
 私と鈴ちゃんは当然のごとく、目も合わせなくて。夢奏は、ずっと不機嫌な顔をして鈴ちゃんを睨んでいた。それを面白がってか、クラスメイトたちは夢奏になにがあったのかを尋ねていた。私ではなく夢奏に尋ねたのは、夢奏なら全部話してくれるとわかっていたからだと思う。

 その結果、“Y”の存在がクラス中に広まってしまった。放課後となった今では、そこに留まっていないだろうけど。

 そして、“Y”は山内遥香だ、という不確定な情報まで拡散された。
 ただ、夢奏は“Y”のことを話しているときには、遥香の名前を出していなかった。今朝、ゆきちゃんに言われたことで懲りたんだろう。
 だけど、みんなの中でその二つの件が結び付けられるのは、自然のことだった。なんせ、あれだけ派手に騒いでしまったのだから。

 結果、私はさらに同情され、遥香は後ろ指をさされるようになった。
 そのせいで遥香が逃げるように教室を出て行くのを、私は見ていることしかできなかった。

「莉々愛、大丈夫?」
「俺たちは藍川の味方だからさ」
「ネットでしか悪口が言えないような奴のことなんて、気にすんなよ」

 そうやって、みんなが声をかけてくれたけれど、私は曖昧に笑って返すことしかできなかった。それが藍川莉々愛として間違った対応だとわかっていても。
 一体、この中の何人が本心を告げたのだろう。
 鈴ちゃんの本音を知ったことで、私はますます疑い深くなってしまった。
 そんな中で、ゆきちゃんだけが居心地悪そうにしていた。

 帰り支度をしていると、ゆきちゃんは私の席にやってきた。

「……スズのこと、ずっと黙っててごめん」

 静かにそう告げたゆきちゃんとは、目が合わない。
 私は首を横に振る。

「ゆきちゃんはなにも悪くないよ」

 どうして、ゆきちゃんが謝ることがあるのだろう。こうなった原因は、間違いなく私。ゆきちゃんが内緒にしたせいではなく、私が偽り続けたからだ。

「私は、莉々愛のことも大切だって思ってるよ。それは、嘘じゃない」

 ゆきちゃんはまっすぐ、真剣な表情で私を見た。

 信じて。

 そう、必死に訴えているように見えた。
 そのせいか、さっきたくさん聞かされた言葉と同じものなのに、ゆきちゃんのそれは信じられる気がした。いや、信じたかった。
 すると、ゆきちゃんはわずかに俯き、言葉を続ける。

「でもやっぱり、スズとの付き合いが長いからさ……どうしても、スズの味方をしちゃうっていうか……」

 おそらく本音であろうそれを言う声は、珍しく弱々しいものだった。
 ずっと感じていた疎外感。それは鈴ちゃんとの友情ごっこもあっただろうけど、これまで過ごしてきた時間と信頼も理由のひとつだったんだ。

 それにしても、それを聞いたら、ますますゆきちゃんのことが責められなくなった。
 だって、気持ちがわかるから。私も、ゆきちゃんと同じ立場になったらきっと、誰にも言わないだろうから。

「でも、スズはあんなふうに言ってたけど、私は、スズの全部がウソだったとは思えないんだ。だから……」

 ゆきちゃんはそこまで言って、言葉を切った。私と目が合ったら、また下を向いてしまった。

「……ごめん。こんなことになって、スズのことを許してほしいなんて、都合よすぎるよね。忘れて」

 ゆきちゃんはそう言うと、「また明日」と言って教室を出ていった。
 私は、もう仮面を被る気力がなく、教室から人がいなくなるのを待ってから、席を立った。

 あのね、ゆきちゃん。
 私も、鈴ちゃんの全部が噓だったとは思えないんだ。私に見せていた顔は作り物だったかもしれないけど。吉良さんのことで一喜一憂している姿だったり、夢奏とふざけ合っている姿だったり。そのすべては、本当の鈴ちゃんだったと思う。

 全部嘘だったのは、私のほうだ。許してもらうのだって、私。本当の気持ちをすべて隠して、みんなに嫌われないような正しい答えしか言わなくて。断れなかったという理由で、吉良さんと付き合うことになった。

 それは、知らなかったから、なんて言葉では許されない。気付く要素はたくさんあった。それなのに私は、見て見ないふりをしたんだ。

 電車に揺られる中で、ふと、窓の外を眺めた。
 もう夏がやって来たというのに、太陽は厚い雲に覆われている。このまま、雨でも降るのだろうか。いっそ、土砂降りとなって、全部を洗い流してくれればいいのに。
 なんて、こうやってどんなことも他人に頼ってしまったから、こんなことになったというのに、私はどうやら懲りていないらしい。

 今回は、私から動くべきだ。ちゃんと、私の意思で。
 吉良さんに言おう。恋人という関係を終わらせてほしいと。
 鈴ちゃんの本音を知っていながら、関係を続けるなんて無理に決まっているから。といっても、そうしたところで鈴ちゃんと和解できるとは思わないけれど。

 私は、抱えきれない罪悪感から逃げるために。私のために、その選択をする。


――――急にごめんなさい。別れてほしいです。


 家に帰り、早速メッセージを打ちこんだ。
 何度も読み返して、その言葉が変ではないかを確認する。誤字もなく、あとは送信ボタンを押すだけ。
 わかっているのに、なかなか押す勇気が出なかった。
 頭をよぎるのは、あの日の、吉良さんの緊張した面持ち。

 ――……よかったら、付き合ってくれませんか?

 その告白を断れなかったことで始まった関係。
 私からしてみれば、望んだ関係ではなかった。だけど、吉良さんにとってはどうだろうか。
 それを考えると、そう簡単には送れなかった。
 だとしても、抱えきれない罪悪感がある中で、今の関係を続けることはできない。
 私は腹をくくり、震える手でそのメッセージを送った。


――――それ、こっちのセリフ。


 夕飯を終えてスマホを確認すると、吉良さんから返信があった。
 やけに冷たい言葉のように感じた。
 こっちの、セリフ。つまり、吉良さんも私と別れたいと思っていたのだろうか。
 吉良さんから告白してきたのに?


――――君の友達、おかしいんじゃない?


 私が動揺で返事ができないうちに、さらにメッセージが届いた。
 吉良さんが知っている私の友達と言えば、鈴ちゃんだ。
 でも、どうして鈴ちゃんがおかしいと言われているのだろう。吉良さんに好かれたいと思っている鈴ちゃんが、そんな印象を抱かれるようなことはしないはず。


――――君のことを一番好きじゃないなら別れろって、大学に乗り込んできたんだけど。


 それを見て、吉良さんが言っているのは、鈴ちゃんではないと思った。
 鈴ちゃんはきっと、そんなことはしないだろうし、そんなふうに言わない。
 そうなると、吉良さんは一体、誰の話をしているのだろう。
 頭に疑問符が浮かんでいるようで、なんとなく、予想がついた。

 この猪突猛進な感じは、夢奏だ。だけど、そうする理由がわからなかった。夢奏は、私と吉良さんの関係を聞いたとき、楽しそうにはしゃいでいるように見えたから。

 じゃあ、遥香? いや、ない。遥香は、吉良さんの情報をまったく知らないはずだ。
 ゆきちゃんの可能性も考えたけれど、ゆきちゃんもあり得ない。メリットがない。
 私の知らない人が、私の友達を語って、そんなことをしたということだろうか。
 その瞬間、全身に恐怖が走った。


――――悪いけど、もう君には関わりたくない。
――――じゃあね。


 私が一言も送ることなく、吉良さんとのメッセージのやり取りが終わった。
 スマホを枕元に置き、私は枕に顔を埋めた。
 私が知らないところで、なにが起きているんだろう。
 “Y”のことも、吉良さんのことも、なにもかも。

 藍川莉々愛を演じるようになってから、上手くやっていると思っていたのに。それは全部、思い上がりだったのかもしれない。
 こんなことになるなら、藍川莉々愛を演じるなんて、しなければよかった。
 今さらどうすることもできない後悔を抱え、私は眠りにつくことにした。