ひとりじめ

 夢奏の言葉を聞いて、空気が固まった。
 ゆきちゃんと鈴ちゃんは、お互いに顔を見合わせている。

「山内さんって……うちのクラスにいる、山内遥香?」

 鈴ちゃんがはっきりと確認すると、夢奏は首を縦に振った。
 鈴ちゃんがフルネームを確かめなければ、同じ苗字の人だと思うことができたのに。遥香が“Y”だなんて、信じられない。いや、信じたくない。
 今は違うけど、私たちが親友として笑い合った時間は、確かに存在していた。私はその時間がなによりも好きで、まだ未練があるというのに。
 遥香はあんなことをして、すべて打ち壊してしまうくらい、私のことを憎んでいるというの?

 そんなの、嘘だ。

「……どうしてそう思うの?」

 ゆきちゃんは、夢奏の言葉を鵜呑みにしていなかった。それどころか、遥香を“Y”だと言い切ったことに、怒りを抱いているようにも見える。
 いつもなら、夢奏を注意することはあっても、否定することはないのに。そのせいか、夢奏は目を見開き、ゆきちゃんの視線から逃げるように、目を泳がせた。

「だって、山内さん、よく莉々愛のこと睨んでたし……」

 夢奏の語尾はだんだんと小さくなっていった。
 その根拠には、違和感を抱いた。
 私と関わりたくないと言っていた遥香が、学校で私を見ていたとは思えない。
 でも、私が気付いていなかっただけで、夢奏はそういった場面を見かけたのかもしれない。

「それにほら! 山内さんのイニシャルって、Yだよ」

 責められるような空気感の中で、夢奏はなんとしてでも二人に信じてもらおうと、声のトーンを上げた。
 だけど私には、それで遥香だと決めつけるには無理があるように思えた。それはゆきちゃんたちも同じようで、二人はそれを聞いても、夢奏に賛同しなかった。

「それだけで決めつけるのは、よくないんじゃない?」
「てか、イニシャルなら、私も夢奏もYだよ」
「そもそも、本当にYかどうかも怪しいし。ネットなんだから」

 二人の冷静な言葉に、夢奏は眉尻を下げ、しゅんとしてしまった。
 それでも夢奏は自分の意見を肯定してもらうことを諦めていないようで、私に視線を送ってきた。

 いつもの私なら、少しでも重たい空気を和らげるために、夢奏のフォローをしたと思う。
 でも、できそうになかった。そうしてしまうと、私は“Y”が遥香だと認めてしまうことになるから。それだけは、したくなかった。
 私がなにも言わなかったことで、夢奏は静かに視線をさらに落とした。

「とりあえず、通報はしておくけど……」

 鈴ちゃんが言って、私はまだ自分で通報していないことに気付いた。
 ゆきちゃんに教えてもらいながら“Y”のアカウントを通報する。夢奏も黙ったままスマホを操作しているから、通報してくれたんだと思う。夢奏なりに私のことを思って行動していたんだと伝わってくるから、さっき味方してあげられなかったことに罪悪感が芽生えてくる。

「しばらくは様子見だね」

 ゆきちゃんの言葉を聞いて、まだ“Y”のことはなにも解決していないんだと思い知らされた。それは考えるだけでも恐怖に襲われるけど、もう私は独りではないんだと思うと、なんだか心強かった。

   ◆

 翌朝、“Y”のアカウントを見に行くと、フォロワー数が4になっていた。
 フォロワー欄に並んでいるのは、私と夢奏、ゆきちゃんと鈴ちゃんのアカウントだ。どうやら“Y”は、夢奏たちにも見られる環境を自ら作ったらしい。

 これで“Y”の投稿を一人で見ることはないのだと思うと、昨日よりも明確な安心感と、それと同じくらいの恐怖心があった。“Y”がフォロワー数を増やした目的が、あの投稿をほかの人たちにも見せることなのだとしたら。これから先、もっとフォロワー数が増えていって、私の悪評が広まってしまうことになる。それがなによりも恐ろしかった。

 だけど、私には心強い味方がいる。そう思うだけで、学校に向かう足取りは若干軽くなっていた。
 校門に着くころ、見慣れた茶髪が視界に入った。ゆきちゃんだ。ゆきちゃんはすぐに私に気付き、手を振った。

「おはよう、莉々愛」

 私に声をかけてくれたゆきちゃんは、眠そうな様子はなく、むしろ安心した表情を浮かべている。
 ゆきちゃんが暑い中、校門前で待ってくれていたのは、昨日のことがあったからだろう。それでも、その穏やかな表情はいつも通りで。

「おはよう」

 ずっと、ニセモノのように感じていた日常だったのに。これが今の私の日常なんだと思うと、自然と笑みがこぼれた。
 そして私たちは、並んで教室に向かった。周りの笑い声や、視線はまだ怖い。だけど、ゆきちゃんが隣にいてくれることで、私は足を前に進めることができた。

 だけど、教室に近付くにつれて、安心と恐怖が入り混じった。
 今日こそ、ちゃんと藍川莉々愛になれるだろうか。
 そんな不安が込み上げてきたときだった。

「莉々愛のこと嫌いだからって、あんなことするなんて最低だよ!」

 教室から、夢奏の泣き叫ぶような声が聞こえてきた。私とゆきちゃんは驚き、顔を見合わせる。
 慌てて教室に駆け寄ると、夢奏が遥香の席の前に立って憤っている光景が飛び込んできた。ちらりと見えた遥香の横顔は、なにが起きているのか理解できていなさそうだ。

 ああ、そうか。夢奏は、ゆきちゃんたちに諭されても、納得していなかったんだ。それとも、誰も信じなかったから、こうして行動に出たのだろうか。
 なんにせよ、みんなの前で遥香を責めるようなことをするなんて、思ってもいなかった。

 夢奏の声を聞いて、クラスメイトはもちろんのこと、教室の前を通った生徒たちも足を止め、その様子を伺っている。なにが起きているのかわからない人に、何人かが説明しているのが聞こえてきた。その中で、ストナウというワードまで聞いてしまった。
 夢奏は、そこまでみんなの前で言ったのだろうか。“Y”というアカウントが存在する事実と、根拠のない仮説を。
 みんなはそれを信じているというの?

「あのバカ……!」

 私が恐怖で動けなくなっていると、ゆきちゃんの焦った声が聞こえた。ゆきちゃんはそのまま教室の中に入っていくと、二人の間に割って入った。

「夢奏、ちょっと落ち着きなよ」

 そう言われた途端、夢奏は肩に置かれたゆきちゃんの手を払った。

「なんでゆっきーはそんなに落ち着いてるの!? 莉々愛があんなに傷ついてたのに!」

 夢奏の悲痛な叫びが胸に刺さる。

 違う。違うんだよ、夢奏。私は、一緒に誰かを責めてほしくて“Y”の話をしたんじゃない。ひとりでは抱えきれないから、誰かに聞いてほしかっただけなの。だから、こんなこと、望んでないんだよ。

 言葉は溢れ出るのに、私に集まる視線が、それを言わせてくれなかった。
 被害者は私で、加害者は遥香である。
 その構図が、完全に出来上がってしまっていた。
 ここで本音を言ったところで、どうなるというんだろう。遥香が犯人だという証拠がないように、犯人ではないという証拠だってない。過去に親友だったと言ったとしても、私たちの関係性が面白可笑しく脚色されてしまう未来しか見えない。
 これ以上、遥香を追い詰めないためにも、私はなにも言わないという選択肢しか選べなかった。

「やば……陰湿すぎだろ」

 どこからか、そんな独り言が聞こえてきた。

 ……どっちが。ちゃんと真偽も確かめないで、遥香を加害者にしているほうが、よっぽど陰湿だ。

「だからって、やっていいことと悪いことがあるから」

 周りの声に怒りを抱いていると、ゆきちゃんの声が聞こえてきた。
 ゆきちゃんに追い打ちをかけるように宥められて、夢奏は鼻を鳴らしてそっぽを向いている。

「ごめんね、山内さん」

 ゆきちゃんの謝罪を聞いて、遥香は小さく首を横に振った。それは遥香と夢奏の対峙が終わった合図となり、野次馬となっていたみんなが解散し始める。結局、真実も虚偽も明らかにならないままであることは引っかかっているけれど、私にはどうすることもできなかった。
 ゆきちゃんは夢奏の手を引いて、夢奏の席に着席させた。私は周りの視線から逃げるように教室に入り、二人の傍まで進む。夢奏は、わかりやすくふてくされていた。

「夢奏、自分がなにしたのか、わかってんの?」

 その声は、今までに聞いたことのないくらい低い声だった。

「……夢奏、悪くないもん」

 それでも夢奏は口を尖らせている。
 この状況でそんなふうに言ってしまうことが、私には理解できなかった。

「だから……」

 夢奏の態度を見て、ゆきちゃんは深いため息をついた。それを聞いて、夢奏はさらに怒られると思ったのか、肩をびくつかせて身体を小さくする。
 夢奏は、ここまで善悪の判断が鈍い子だっただろうか。ときどき間違えることはあっても、ここまで大きな間違いをすることはなかったはずだ。
 これも“Y”の影響なのだとしたら。
 私が築き上げた日常だけでなく、周りの人すら狂わしていくなんて、許せない。
 でも、その正体に手がかりがない以上、私にはなにもできそうになかった。

「だって……だって、みんな莉々愛のこと、好きだもん……あんな意地悪するのは、莉々愛を好きじゃない人に決まってるもん……」

 夢奏の声は震え、今にも泣き出しそうに聞こえた。

「だとしても」

 それでもゆきちゃんの態度は変わらない。毅然とした声に、夢奏はますます俯いた。
 ゆきちゃんはそんな夢奏の頬を挟み、顔を上げさせた。そのせいか、夢奏は不服そうにゆきちゃんを見上げている。

「あれが山内さんだっていう証拠がないんだから、暴走するなって言ってんの。もし違ったらどうするの? 謝って済む話じゃないんだからね?」

 夢奏は一瞬目を見開き、視線を彷徨わせた。そして夢奏が視線を落とすと、ゆきちゃんは夢奏から手を離した。
 なにか、夢奏を励ますような言葉を。
 そう思うのに、なにも出てこない。今まで、あんなに藍川莉々愛らしくいるためにたくさんの言葉を考えてきたというのに。

 “夢奏は私のために動いてくれたんだよね。ありがとう”

 きっと、それを言えば、丸く解決する。
 でも、頭で理解していても、どうしても言えなかった。それを言ってしまったら、夢奏の言動を肯定したことになるから。
 そうして迷っているうちに、予鈴が鳴った。

「とにかく、もう暴走しないでよ?」

 ゆきちゃんが夢奏に言うと、私は自分の席に移動した。
 そこから見える夢奏の背中は小さいままだった。