ひとりじめ

   ◆

 目が覚めると、動悸がしていた。

 夢見が悪かったことは覚えているけれど、どんな夢を見ていたのか、思い出せない。だけど不思議と、思い出したくないとも思った。

「莉々愛」

 誰かに名前を呼ばれて、私は保健室にいることに気付いた。保健室の奥、窓際のベッドで寝ていたらしい。
 身体を起こして時計を見れば、もう十二時を過ぎていて、昼休みであることがわかった。午前中、ずっと寝ていたことに自分でも驚いた。きっと、昨日上手く寝付けなかったせいだろう。

「よかった、朝より顔色がよくなってる」

 ゆきちゃんは私と顔を合わせて、そう言った。それは偽りのない言葉に聞こえ、改めて、こんなにも私を心配してくれる人を疑ってしまったことに、心が痛む。
 ゆきちゃんの後ろには夢奏と鈴ちゃんがいた。鈴ちゃんへの後ろめたさはまだ消えていなくて、私は鈴ちゃんと目を合わせることができない。

「莉々愛、体調大丈夫?」

 私が勝手に感じている気まずさを打ち壊すように、夢奏は私の傍に駆け寄ってきた。そしてベッドに腰かけ、上目遣いで私を見つめてくる。

「うん。寝て回復したよ」

 その可愛らしさに、ほんの少しだけ癒された。すると、夢奏は安心したように表情を緩める。

「莉々愛、ストナウでも眠たいって投稿してたもんね。昨日、寝れなかったの?」

 ストナウと聞いて、私は一瞬固まってしまった。今、そのワードは聞きたくなかった。
 寝不足の理由。正直に言ってしまいたい。“Y”が私の悪口を投稿していて、怖くなって眠れなかったって。

 だけど、証拠がない。スクショもできず、過去の投稿が見れない以上、私の虚言と思われるかもしれない。
 それに、みんなに話してしまうと、あれが実際に起きたことなんだと認めてしまうことになる。
 私はまだ、あれは夢だったのだと信じたかった。

「……本が面白くて、やめられなかったんだよね」

 だから、適当な嘘を言って、笑って誤魔化した。
 でも、今の作り笑いこそ疑われているのだと、ゆきちゃんの眼を見て思った。夢奏はいつも通り「そっかあ」と信じてくれたのに、ゆきちゃんの表情から心配の色が消えていない。
 今日はやっぱり、調子が悪いみたいだ。こんなにも藍川莉々愛の仮面を被れないなんてことは、今までになかった。
 あの投稿は、私の築き上げてきた日常のすべてを壊してしまうものだったらしい。

「ねえ、莉々愛……なにかあったなら言ってよ? 私たちは莉々愛の味方なんだから」

 ゆきちゃんは真剣な眼差しで言う。疑う余地もないほどに、まっすぐな瞳だ。
 その眼と視線を交えていると、どうしても気持ちが揺らいだ。
 ゆきちゃんならきっと、すべてを聞いてくれる。私の味方でいてくれる。
 そう思うのに、どうしても“Y”の言葉が頭をよぎる。

 誰も私のことなんて、好きじゃない。だから、味方なんて一人もいないんだ。私は、独り。

 その途端、私は得体のしれない孤独感に襲われた。
 夢奏たちがここにいるってわかっているのに、私の周りには誰もいないような気がした。

「莉々愛?」

 すると、夢奏が心配そうに私の顔を覗きこんできた。
 この表情は、本物だろうか。その奥に、私に見せられない感情を隠していたりしないだろうか。
 疑いの気持ちはまったくもって消えなかった。
 これでは、私の心が疲弊するだけだ。
 いつものように、私の感情なんて押し殺すんだ。私は、藍川莉々愛になる。笑顔を絶やさない、誰からも好かれるような子に。

「大丈夫だよ」

 私が言えば、夢奏は鏡写しのように口角を上げた。
 よかった、ちゃんと笑えた。

「じゃあ、お昼食べに行こ!」
「ちょっと夢奏、莉々愛は体調悪かったんだから、そんな飛びつかないの」

 夢奏が勢いよく私の肩に抱き着いてきたのと同時に、ゆきちゃんが夢奏の襟を掴んで、私から引き離した。夢奏はわかりやすく頬を膨らませている。

「ユメは子供だなあ」

 そんな様子を見て、鈴ちゃんが笑う。そこにぎこちなさなんてなくて、自然な表情だった。
 私がいても、鈴ちゃんがこうして笑顔を見せてくれたことに、勝手に安心した。
 それでも鈴ちゃんとは目が合わなかったけど、私は気付かないふりをし続けた。

「あなたたち、元気なら教室に戻りなさいよ?」

 すると、私たちのやり取りを見守ってくれていた保健室の先生に注意された。私たちは顔を見合わせ、夢奏が人差指を唇に当てた。
 保健室を出れば、夢奏はいたずらがバレた子供のように笑う。

「怒られちゃったね」
「ユメが子供みたいに騒ぐから」
「えー、夢奏のせいなの?」

 夢奏と鈴ちゃんは言い合いをしながら、前を歩いている。
 二人が並んでいる様子を見るのは珍しい気がする。いつだって、鈴ちゃんはゆきちゃんの隣にいたから。

「……ねえ、莉々愛」

 どうして今日は、夢奏の隣なんだろう、なんて考えていたら、ゆきちゃんに声をかけられた。
 それは、さっき私に味方だと言ってくれたときのように、なにか思いつめたような顔をしている。
 その表情を見ていると、誰かに甘えたい気持ちが芽生えて、仮面が崩れるから、やめてほしい。

「なに?」

 だから私は、ゆきちゃんに「大丈夫?」と言われないように、最大限に明るい声で反応した。
 すると、ゆきちゃんの視線はほんの少し揺らいだ。

「……いや、なんでもない」

 そう返してもらえたこと胸をなでおろして、私はゆきちゃんの隣を歩く。
 昼休みということもあってか、校内は賑やかだ。教室や廊下、中庭から楽し気な声が聞こえてくる。
 みんなが笑えば笑うほど、私の気力が奪われていくような感覚に襲われる。
 そのうち、笑い声が私を嘲笑する声のように思えてきて、どんどん足が重たくなっていった。
 どこからか、視線も感じるような気がしてくる。もしかして、“Y”が私を監視しているのだろうか。

 その瞬間、私の足は棒のように固まり、動かなくなった。
 階段を上っている途中で止まったから、ゆきちゃんたちは不思議そうに私を見下ろす。

「莉々愛、どうかした?」

 その瞬間、私は呼吸が乱れていることに気付いた。
 立っていられなくなって、その場にしゃがみ込む。

「莉々愛!?」

 ゆきちゃんの慌てた声が、どこか遠くで聞こえた気がした。
 呼吸が速くなるたびに、頭の中は混乱していった。
 落ち着かないと。誰か助けて。こんなの、藍川莉々愛じゃない。嫌だ、怖い。笑っていないと。教室に行きたくない。私は……

 私は、なんで笑わないといけないんだっけ?

 目を強く閉じて、考えることを放棄しようとしたとき、背中に優しい温もりを感じた。
 顔を上げれば、ゆきちゃんと目が合う。こんなことになっても、ゆきちゃんは穏やかに微笑んでいる。

「落ち着いた?」

 柔らかい声は、私の頭の中を占拠していた言葉たちを取り払ってくれた。私は重々しく首を縦に振る。夢奏や鈴ちゃん、その周りにいる生徒たちの視線が妙に怖くて、私は顔が上げられない。

「……空き教室、行こうか」
「え……」
「朝も、教室に入ってから体調崩してたでしょ?」

 ゆきちゃんはそう言うと、私に肩を貸してくれた。詳しいことなんてなにも言っていないのに、それだけでそんな提案をしてくれるなんて。ゆきちゃんの観察眼は、私が思っている以上に鋭いらしい。

 そして、私はゆきちゃんに支えられながら、階段を上っていく。その途中、夢奏こちらを振り向いてきたけれど、私は気付いていないふりをした。
 空き教室には昼食を終えた生徒が数人いて、談笑していた。一瞬こちらに視線を向けたけど、気にすることなく、自分たちの話に戻っている。

 私たちは窓際の後ろに行き、ひとつの机を四人で囲んだ。その空気はとても雑談を楽しめる雰囲気ではない。
 それもこれも、私があんなふうに取り乱したせいだ。こんなことになるくらいなら、大人しく学校を休んでおけばよかった。

「……莉々愛、まだなにがあったのか、話したくない?」

 ゆきちゃんに聞かれても、私は机の上に並んだ弁当箱を見つめるだけで、動けない。
 だけど、そうして私が固まっていると、私たちの周りだけ静寂に支配されていく。
 いつまでもこの沈黙の中にいると、また同じことを繰り返してしまいそうな予感がした。

 私はスカートのポケットからスマホを取り出してStory Nowを開くと、“Y”のアカウントを表示させる。みんなはそろってスマホの画面をのぞき込んだ。

「……昨日、このアカウントが投稿してて」

 自分でもはっきりとわかるくらい、私の声は震えていた。
 また呼吸が乱れてしまわないように、ゆっくりと深呼吸しながら、あの言葉を口にする。

「誰も私のこと好きじゃない。私は、自分が好かれてるって勘違いしてる可哀想な人だって……」

 それを言うと、空気が固まった。
 やっぱり、こんな話を聞かされても困るだけだった。実際の投稿を見せているわけでもないし、信憑性だってない。
 言わなければよかった。

「……なに、それ」

 そんな私の不安を打ち消すような、静かな怒りの声を漏らしたのは、ゆきちゃんだった。
 一気に、私の視界に一筋の光が見えたような気がした。

「そんなわけないじゃん! 夢奏たちは、莉々愛のこと本当に好きだもん!」

 夢奏は泣き叫ぶように言った。

「てか、このアカウントのフォロワーって莉々愛だけなの? 随分と悪質なことするね」

 鈴ちゃんは冷静なトーンだ。鈴ちゃんに至っては、私のことを憎んでいたっておかしくないはずなのに、そんなふうに言ってくれるだけで嬉しかった。
 三人のことを信じたい。心からそう思った。

「莉々愛、泣かないで?」

 夢奏に言われて、私は自分が泣いていることに気付いた。こんな優しさに触れて、泣くなと言うほうが無理な話だ。

「ごめん……ありがとう」

 疑ってごめんなさい。心配してくれてありがとう。
 その思いを込めて、私は笑顔で言った。これは、藍川莉々愛としての笑顔ではない。私の、心からの笑顔だ。
 みんなの前で自然と笑えたことで心が軽くなり、私はようやく安心することができた。それと同時に、お腹が空いていることに気付き、私たちはお弁当を開く。

「それにしても、あのアカウント、どうする?」
「え……どうにかできるの……?」

 ただ黙って見張ることしかできないと思っていたから、ゆきちゃんの言葉に驚いてしまった。

「通報くらいはできるんじゃない?」

 鈴ちゃんに言われて、その手があったことに、今さらながらに気付いた。

「ただまあ、莉々愛しかその投稿を見てないから、私たちが通報しても意味ない気がするけど」

 そうだ。いまだ、あのアカウントの投稿を見れるのは、私しかいない。この状況が変わらない限り、私はひとりであの恐怖に襲われ続けることになる。

「とりあえずフォロリク送ってみたけど……」
「承認してくれるか、怪しいだろうね。私たちは莉々愛の周りにいる人間だし」

 ゆきちゃんと鈴ちゃんは冷静に話を進めていく。
 私はひとりではないんだとわかるだけで、ここまで心強くなるなんて、思っていなかった。これなら、躊躇わずにもっとはやく相談しておけばよかった。私は、余計な心配をしすぎたみたいだ。

「てか、この“Y”って誰なんだろうね」

 鈴ちゃんはスマホを机に置きながら言った。
 それは、私も考えていたことだ。だけど、まだ答えが見つかっていない。
 そのせいで、ゆきちゃんを疑ってしまったくらいだ。

「……夢奏、あの子だと思う」

 すると、夢奏が神妙な様子で切り出した。

「あの子って?」

 ゆきちゃんが尋ね、鈴ちゃんはほんの少し興味津々に夢奏を見つめる。
 私はというと、まだ心の準備が整っていなかったから、聞きたくないという気持ちが強かった。

「えっと、いつも黒いパーカーを着てる……」

 夢奏は空を見つめ、名前を思い出そうとしている。
 黒いパーカー。この学校でその恰好をしている人物は、ひとりしか思い当たらない。
 そんな、まさか。
 ……その先は、言わないで。聞きたくない。

「あ、そうだ、山内さんだ」

 夢奏は容赦なくその名を口にした。
 その瞬間、息が止まった気がした。