安心してください、先輩。
 この思い、絶対に伝えたりしませんから――。



 南ヶ丘大学理学部石橋研究室。
 そこでは今日も、研究室らしからぬイイ匂いが漂っていた。


「じゃーん! 今日の夜食はコレでーす」

 桜庭律(さくらば りつ)先輩がうきうきと持ってきたのは、ラップに包まれた黒い板状の物体だった。

「なんですか、それ」
「おにぎらずだよ。切り口が可愛いってSNSで流行ってんだって」

 はい、と渡されたそれは切り口なんてどこにもない。

「切ってないですよね?」
「包丁出すの面倒くさいもん」

 先輩は切っていないおにぎらずにかぶりつくと、「うまぁ」と満足げに目を細めた。

 それを横目に俺もおにぎらずを食べる。具は、おかかとチーズとレタスだろうか。醤油の風味が芳ばしく、確かに旨い。
 おかかとチーズって合うんだな。レタスが後味をさっぱりさせてくれるし……良いな、これ。

 もう一口。
 うん、他にも応用出来そうだ。ツナマヨとかハムとか卵とか……焼き鳥とかもイケそう。

 俺がしみじみ味わっていると、先輩が顔をぐいっと近づけてきた。

「はい、アーン」

 当然のように目の前で口を開ける先輩に、俺はため息をつく。

「同じの食べてるじゃないですか」
「違うの。俺のはスパム卵だけど、ハルくんのはチーズおかかだもん。ほら、ちょーだい」

 再びアーンと開かれた口に、仕方なくおにぎらずを押しつけた。

「ん! 我ながら美味しー」
「二つずつ用意してくださいよ」
「だってハルくんが食べてると、そっちが美味しそうに見えるんだもん。欲しくなるでしょ」
「どっちも美味しいですよ。どっちも律先輩が作ってるんだから」

 同じ人が作っているからクオリティは同じだって意味だったんだけど、先輩は嬉しそうに俺の肩にガシッと腕を回した。そしてそのまま頭をワシャワシャと撫で回す。

「嬉しいこと言ってくれるじゃーん」

 律先輩の身体が触れているところがじんわりと熱い。
 ……あんまりベタベタしないでほしい。エアコンもそんなに効いていないんだから。

 俺は深呼吸をして胸の高鳴りを押さえつける。

「離れてください。今日もご馳走様でした」
「いえいえ。ハルくんは美味しそうに味わって食べてくれるから、作り甲斐があるよ」
「先輩の作るご飯、好きですから」

 俺が先輩を引き剥がしながらそう言うと、先輩はにんまりと微笑んだ。

「俺ってば、ハルくんの胃袋掴んじゃったもんね?」
「その言い方やめてください」
「えー? でもハルくんが真面目に研究するようになったのって、俺のおかげでしょ? 俺のこと大好きじゃーん」
「はいはい」

 先輩の戯言を適当に流す。
 ……流せていただろうか。



 本当はその通りなので言い返せないだけだ。
 俺――山村春樹(やまむら はるき)が、こうして卒業研究を真面目にやるようになったのは、先輩のおかげだから。
 研究だけでなく、律先輩への恩は数え切れない。

 そんな先輩のこと、いつの間にか好きになってしまっていた。