閑話 立花さんの苦悩

「くっ……はぁ……はぁ……」
 ようやく人気のなくなった美術室で、私・立花(たちばな)芽衣子(めいこ)は暴れる心臓をなだめるように制服の上から手で押さえた。制服越しでもわかるほど心臓がどくどくと鼓動を鳴らすせいで、息もまともに吸えない状態に陥る。
 どうにかこうにか必死に呼吸を整えていると、窓の戸締りを終えた未希ちゃんが呆れた顔でこちらに近づいてきた。彼女は、中学時代3年間同じクラスにはなったことはないけれど、同じ美術部でずっと一緒に切磋琢磨してきた仲間だ。
 眉の上で揃えられたぱっつん前髪と一つにまとめた黒髪ストレートがトレードマークの可愛い私の親友。思ったことをはっきり言える未希ちゃんが、私は大好きだ。
「まだ発作治まらないの?」
「無理! 無理無理無理無理、全然治まんない! ずっと我慢してたんだから! 未希ちゃんだって聞いたでしょう? 可愛いと綺麗が同居してる発言……! なにあれ、無自覚なの? 無自覚であの惚気発言はヤバいって! しかも冴木くんもさあ! あの照れは反則! もはや生きる核兵器並みの破壊力! あーもう! 不意打ちの供給過多はアナフィラキシーショック起こすって! 殺す気⁉」
 うんざりした未希ちゃんなんかお構いなしに、私は鼻息荒く一気にまくし立てた。
 私は、俗にいう腐女子にカテゴライズされる人種であり、普段からイケメンを見ると脳内で勝手にBLワールドが展開されてしまう。その中で妄想を繰り広げるのを日々の楽しみとして生きている。
 高校に入学したら、なんと超がつく程の美形男子・冴木くんがクラスメイトで、さらに彼を周囲の有象無象から必死に守る爽やかなイケメンナイト・小林くんまで同じクラス。
 そしてそして、前後の席の二人を間近で見守れる、冴木君の隣という特等席を当てがわれた私は、二人の日頃の会話に側耳を立てつつ、あれやこれやと脳内BLを楽しんで、それはそれはもう毎日薔薇色になるくらい幸せな高校生ライフを過ごしていたの。
 基本穏やかな二人は、空気感もおっとりとしていてとにかく優しくて、もう見てるだけで癒されるし、時おり見せる二人にしかみせないような表情とか……もうごちそうさまです土下座。
 それだけでも十分美味しい思いをさせていただいていたのに、さっきの授業中二人と同じグループになった私は、授業の課題という大義名分を得て気兼ねなくイケメンが描ける! と意気揚々と筆を執ったわけだけど……。
 話せば話すほど、この二人、とんでもない沼だった――!
 なんなの、幼なじみで10年ぶりの再会で同居中⁉
 しかも同じクラスで前後の席⁉
 これがフラグでないならなんなのか!
 私の脳内BLワールドが一気に展開・拡張し、あんなことやこんなことが次から次へと浮かんでもう大渋滞!
 私の描いた冴木くんの似顔絵を見て、

 ――はるの綺麗と可愛いが同居してる感じがよく出ててすごいと思う。この絵俺が欲しいくらい。

 なんて殺し文句を素で口にしちゃうなんて!
 そして私に止めを刺すような、あの冴木くんの照れ顔!
 白磁のように白い肌をリンゴみたいに真っ赤に染めて……、驚いた顔をしていたけれど、見開かれた薄茶色の瞳には確かに喜び(・・)が滲んでいた。
「えっ、もしかしてもしかしてもしかしなくても、あの二人ってすでにデキてる⁉ ねぇ未希ちゃん、どう思う?」
 私の前を素通りしようとする未希ちゃんの腕をがしっと掴み、めんどくさい、と書かれた顔を覗き込んで意見を求めた。
「……んー、どうだろうねぇ。小林くんの感じだと、もし付き合ってたら可愛いとか綺麗とか人前で言わなそうだけどー」
 わかんない、とそっけなく腕を振りほどかれてしまう。
「じゃ、じゃぁさ、どっちだと思う? 冬春(ふゆはる)? 春冬(はるふゆ)? 私の理想は冬春なんだけど……でも、でも、逆もありなんだよ、あのCPはさぁ……、あーん、どっちも捨てがたい!」
「あーもうわかったから、戸締りして職員室行くよ! りっかの妄想に付き合ってたら休み時間どころか日が暮れちゃう」
 美術部だからと、美術の先生に戸締りを言いつけられた私たちは、教室の鍵を閉めて職員室に届けなければならなかった。手際よく鍵を閉めてすたすたと先に行ってしまう。
 置いていかれまいと、私も急いで後を追いながら人知れず神に祈った。

 ――あぁ、神様。私を、二人を見守る壁にしてください。

 どうか、できるだけ長く今のベスポジで二人の壁で居られますように――……

 これから1年間、あの二人をクラスメイトとして見守れるのかと思うと、胸がまたドキドキと早鐘を打ち始めた。