3
春斗が我が家にやってきてから一日一日があっという間に過ぎ、待ったなしで高校生活がスタートを切った。
なんと、春斗とは同じクラスで、しかも小林冬璃と冴木春斗で席も前後というスーパーミラクルが起きる。が、どうやら春斗の両親が学校側に「家族と離れて暮らすことになり不安だから、できたらクラスは冬璃くんと同じにしてほしい」と願い出ていたらしい。そういうのが「配慮」として通るのは、さすが私立校といったところだ。
この高校は、俺の通っていた公立中学校の学区内にあることから、同中の生徒の割合が一番多い。だからクラス内には五十嵐のほかにも仲のいい友だちや見知った顔がちらほら居て俺も一安心だった。
残念ながら郁実とはクラスが別れてしまったが、隣のクラスだからいつでも会えるだろう。
現に、入学式の帰りに俺のクラスにやってきて、五十嵐と一緒に春斗を紹介しろとうざ絡みしてきた。
渋々紹介したが、春斗は「よろしく」と一言で終了。その後、二人が話しかけるも、会話は盛り上がるどころか盛り下がる一方で、あたふたする二人が面白かった。
ずっと気まずかった春斗との関係は、文房具を買いに一緒に出かけたのをきっかけに壁がなくなったというか、角が取れたというか、笑顔も増えてとても良好な関係を築けている。(と俺は思っている)。
初期の氷のような対応など嘘のように穏やかで、春斗のほうから話しかけてくれることもあって、すごくいい感じだ。
それはとても喜ばしいことなのだけど……。
「ねぇ冬璃、はるちゃんの笑った顔可愛過ぎない?」
春斗が風呂に行った後、ソファに座ってテレビを見てる俺に耳打ちしてきた母親に、俺は「そうなんだよ!」と内心で叫ぶ。声に出さなかった俺を、誰か褒めて欲しい。
「んん……ま、まぁ……そう、かも?」
動揺を悟られまいと、咳払いをしつつ曖昧に返す。
「最初の無表情のはるちゃんも独特な雰囲気のある子だなぁとは思ったけど……笑った顔なんか、昔のまんまで懐かしい~! 一気にあの頃にタイムスリップしちゃったわぁ」
と、うっとりとどこか遠くを見つめる母親に、俺は呆れた顔を向けるが、首がもげる勢いで頷きたい衝動に駆られていた。
本当になんなんだ、あの可愛さは。
俺の心臓を再起不能にする気か。
くしゃりとした笑顔をカフェで見せて以降、時折笑う春斗に、俺はやられまくっていた。
可愛いのだ、春斗は。
最初の頃の表情に乏しい春斗は、顔が整っているせいもあってツンと澄ました美少年って印象が強かったけど、笑うようになった春斗はそれこそ春のひだまりのように柔らかくて可愛い。
あれほど必死に可愛いを否定していた俺だったけれど、もう降参。認めざるを得ない。
可愛すぎる春斗がいけない。
きっと春斗の「可愛い」は全人類共通に違いない、と俺は自分の中に生まれるときめきをそう結論づけた。
「ねぇ、学校大丈夫? あんなに綺麗な子、女子が放っておかないでしょう?」
母親の言葉にぎくりとする。
案の定、学校では入学早々春斗の容姿に注目が集まっていた。日本人離れしたハーフっぽい顔の春斗は、誰よりもブレザーの制服が似合っていて、始終俯いた少し憂いを帯びたような表情とその佇まいはほかと一線を画していたように思う。
そんな注目の的になっている春斗を見て、俺は家族でもないのに、内心誇らしさすら感じていた。この高校で春斗の知り合いは自分だけだと、一緒に住んでるんだぞと謎の優越感に浸ってしまうほど。
当の本人は慣れているのか、周囲の目はさほど気にしていなさそうだった。
――のだけど、つい先日事件は起きた。
入学式から数日経ったある日。
休み時間、他クラスの人に呼び出しを食らって話を済ませた後教室に戻ると、俺の後ろの席、つまり春斗の席の周りに人だかりができているのを見て唖然とする。そのほとんどは女子で、教室の入口からは春斗の姿が見えないほどで、あいた口が塞がらない。
な、なにが起きてるんだ……?
「冴木くんて、どこ中だったの?」
「え、芸能事務所入ってたりする?」
「ズバリ彼女いますかー?」
きゃっきゃきゃっきゃと甲高い声が次から次へと春斗へ寄せられているのを見て、俺は慌ててその人垣をかきわけた。
「ストップ、ストップー!」
スポーツ試合の審判よろしく、待ったをかける。笛を持っていたら思い切り鳴らしていたことだろう。「あーあ」「こばくん戻るの早っ」と俺に文句を言った何人かは同中の女子だ。
「はるが困ってるから集団攻撃はやめてください。授業始まるから解散しようかー」
残念そうに散っていく女子たちの群れの中からようやく見えた春斗は、今にも死にそうな顔をこちらに向ける。
「ふゆくん……」
不安げに揺れる二重の瞳と、「ふゆくん」という響きに、俺の心臓が悲鳴をあげた。
くっ……、その合わせ技は反則じゃないか。
「ふゆくん」は、子どもの頃に春斗が付けてくれた俺の呼び名で、春斗だけが使う呼び名でもあった。
再会した日に好きに呼んでいいとは言ったけれど、まさか十年以上経った今もあの頃と同じ呼び方をされるとは思わなかった俺は、初めてそう呼ばれたときにも心臓が止まるかと思った。
しかも、春斗の口から零れた「つい癖で」という言葉に、もしかして会っていなかった間にも俺のことを思い出して、「ふゆくん」と呼んでくれていたのか、とありもしない期待を瞬時に抱いてしまった。
それくらい、春斗の「ふゆくん」にはインパクトがあり過ぎる。
ダメージを受けた心臓を制服の上から擦って労わりつつ、俺は春斗の側に近寄った。
「大丈夫か、はる」
「う、うん、ありがとう。気付いたら囲まれてて……。助かった……」
ふう、と息を吐いた春斗の顔に安堵の色が滲んだのを見て、俺もほっと胸をなでおろした。
極度の人見知りの春斗は、特に中でも女子に苦手意識を持っていると教えてくれた。これだけ容姿がいいのだから、きっと物心ついたころからいろいろな目に遭ってきたのかもしれない。
その辺りは春斗も触れなかったから俺も突っ込んで聞かなかったけれど、そんな春斗が女子に狙われているのは由々しき事態だ。極力一人にならないようにすると言っても限度があるし……。どうしたものか。
頭を悩ませながらも、春斗を落ち着かせる意味も込めてその小さな頭をぽんぽんと優しく撫でてやると、春斗は困ったように眉尻を下げた。それに「ん?」と眉を上げれば「子どもじゃないんだけど……」と文句が返ってくる。
ちょっとふてくされた顔も可愛い。そのほんのりふくらんだ滑らかな頬をつまみたい、なんて考えていると、「すごかったなー冴木」と五十嵐が俺の肩に腕を回して寄りかかってきた。
おかげで春斗を撫でていた手がずり落ちてしまい、隣を睨みつける。が、五十嵐は気にも留めずに笑顔で春斗を見た。五十嵐は俺よりも背が高く、高校デビューで染めた明るい茶髪がクラスでも目立っている。
「冴木なら女子選びたい放題じゃん。うらやまー! 俺にもそのイケメンを分けて――ぐはっ」
阿呆なことを言う五十嵐に腹パンをお見舞いしてやった。気さくで話しやすくていいヤツなのだけど、デリカシーのない発言が玉に瑕だ。
「あの、痛いんですけど……」
「万年色恋沙汰しか頭にないお前と一緒にすんな。大体、見てたなら助けてやれよ。はるは人見知りって知ってるだろ」
「いやいや、あの女子の群れに突っ込んでいって許されるのは、こばみたいなイケメンだけだからな? 俺みたいなモブが行ったらもうどんな目にあうか……」
おー怖い怖いと、五十嵐は自分の体を抱いて震える。
「にしてもこばは過保護だよなぁ。冴木、こばがうざかったら俺に言えな? 居候先という権力を盾に嫌なことされてないか? セクハラパワハラ駄目、絶対!」
「お前な……」
一体俺をなんだと思ってるのか。
呆れて物が言えないでいると、「ふふ」とかすかな笑い声が耳に届いた。春の穏やかな風が頬をかすめるような温かい声に目をやれば、春斗が口元に手を添えてくすくすと笑っている。
「「……!」」
そのあまりに華恋な笑みに、俺はハッとして五十嵐を見る。さすれば奴は、案の定頬を赤らめて春斗の笑顔に見入っていた。
「こば……ここに天使……いや、女神がいる……」
「わーわーわー、見るな見るな! お前は見るな! 席に戻れ!」
「んだよ、いいだろ見たって! 減るもんじゃないし、可愛いものはシェアするべきだ!」
「減る! 減るからだめ! シェアってなんだ、はるは物じゃない!」
「あーうざうざ、うっざ! 保護者かお前は!」
そんな俺たちのやり取りを、春斗はちょっと困ったような、けれど楽しそうに見ていた。
「――ちょっと冬璃、人の話聞いてる⁈」
春斗の可愛い笑顔を思い出していた俺は、母親の声で意識を引き戻される。
「き、聞いてるって。確かに女子から狙われてるけど……まぁ、俺も同じクラスだし、できる限り助けるから」
「やっぱりねー。あんたが同じクラスだから安心だわぁって千佳ちゃんも言ってたんだから、頼むわよ」
これ以上ここに居ると説教が始まりそうだ、と思い「はいはい」と返事をしてソファを立つ。
「はい、は一回!」
背中に母親の小言を受けながら、俺は「はいはーい」とリビングを後にした。
階段を上ると、ちょうど自室に入ろうとしている春斗とかち合った。ボタンのあるシャツタイプのパジャマを着て頭からタオルをかぶったその姿に、またしても胸を撃ち抜かれる。アイドルのオフショットみたいな、気を抜いたアットホームな春斗は学校での緊張した姿とはまた違った可愛さがある。漫画ならば「ほかほか」と周りに湯気をまとっているだろう。
「あ、お風呂出たよ」
お先、と控えめな声が耳朶に心地いい。
「はる、髪ちゃんと拭かないと風邪ひくぞ」
「う、わ」
大股で春斗に近寄った俺はタそのオルに手を伸ばし、わしゃわしゃと頭を拭いてやる。するとシャンプーの香りがほかほかした熱と一緒に鼻をくすぐった。俺と同じシャンプーを使っているはずなのに、香って来るそれはどことなく違う香りに感じるから不思議だ。
風呂上りの春斗は、悲鳴をあげながらもされるがまま、俺が拭きやすいように頭を俯けた。パジャマの衿から見える首筋は、お風呂上りのせいか、ほんのりと色づいていて、いつも白磁のような白い肌よりも妙な色っぽさを感じて慌てて目を逸らした。
「うん、よし」
「あ、ありがとう。……どうかした?」
素直なところも可愛いんだよなぁと、しみじみしている俺を、春斗は不思議そうに見つめて首を傾げる。
「いやぁ、なぁんか、はるは放っておけないっていうか……目が離せないんだよなーと思って」
危なっかしいという言葉がしっくりくるかもしれない。
こうやって髪を乾かさずに歩いているのもそうだし、学校では女子だって軽くあしらえないし。
「え……、それって、どういう」
「んー、あ、あれだ! なんか弟みたいな感じ?」
言い得て妙だなと、ぽんと手を叩く。
「お、とうと……」
「そう、弟! ついつい構いたくなる感じはきっと、それだ。……あ、ごめん、気分悪くした? 同い年なのに弟とか言われて」
むすりと黙り込んだ春斗の顔を覗きこむと、恨めしそうに軽く睨まれる。
「怒ってはない……けどなんか複雑」
「だよな、ごめんごめん。まぁ、なんていうかー、はるともっと仲良くしたいなって話!」
「なにそれ。適当にごまかしたでしょ」
「ばれた? けど、仲良くしたいってのは本心。じゃ、俺も風呂入ってくるわー。おやすみ」
頭の上にぽんと手を乗せてから、春斗の横を通り過ぎていく。すると、やっぱり自分と同じようでいて異なるいい匂いをさっきより強く感じて、なぜか胸がざわざわと落ち付きをなくした。
「おやすみ」
春斗の控えめな就寝の挨拶に振り返ることなく、その香りから逃げるように自室へと入る。
すーはー、すーはー。
ドアを背に寄りかかって、深呼吸。
だけど息を吸って吐いても、心臓はどくどくといつもより激しく血液を送り出して静まらない。
風呂上りの春斗と会話しただけなのに、なんでこんなにドキドキしているのか。
知りたいようで、知りたくないような……。答えを知ってしまうのがなんとなく怖い気がした俺は、思考をシャットダウンした。
きっと母親の小言に付き合わされて疲れたんだろう。
そう決めつけて、俺は寝間着のスウェットを手に風呂場へと急いだ。
春斗が我が家にやってきてから一日一日があっという間に過ぎ、待ったなしで高校生活がスタートを切った。
なんと、春斗とは同じクラスで、しかも小林冬璃と冴木春斗で席も前後というスーパーミラクルが起きる。が、どうやら春斗の両親が学校側に「家族と離れて暮らすことになり不安だから、できたらクラスは冬璃くんと同じにしてほしい」と願い出ていたらしい。そういうのが「配慮」として通るのは、さすが私立校といったところだ。
この高校は、俺の通っていた公立中学校の学区内にあることから、同中の生徒の割合が一番多い。だからクラス内には五十嵐のほかにも仲のいい友だちや見知った顔がちらほら居て俺も一安心だった。
残念ながら郁実とはクラスが別れてしまったが、隣のクラスだからいつでも会えるだろう。
現に、入学式の帰りに俺のクラスにやってきて、五十嵐と一緒に春斗を紹介しろとうざ絡みしてきた。
渋々紹介したが、春斗は「よろしく」と一言で終了。その後、二人が話しかけるも、会話は盛り上がるどころか盛り下がる一方で、あたふたする二人が面白かった。
ずっと気まずかった春斗との関係は、文房具を買いに一緒に出かけたのをきっかけに壁がなくなったというか、角が取れたというか、笑顔も増えてとても良好な関係を築けている。(と俺は思っている)。
初期の氷のような対応など嘘のように穏やかで、春斗のほうから話しかけてくれることもあって、すごくいい感じだ。
それはとても喜ばしいことなのだけど……。
「ねぇ冬璃、はるちゃんの笑った顔可愛過ぎない?」
春斗が風呂に行った後、ソファに座ってテレビを見てる俺に耳打ちしてきた母親に、俺は「そうなんだよ!」と内心で叫ぶ。声に出さなかった俺を、誰か褒めて欲しい。
「んん……ま、まぁ……そう、かも?」
動揺を悟られまいと、咳払いをしつつ曖昧に返す。
「最初の無表情のはるちゃんも独特な雰囲気のある子だなぁとは思ったけど……笑った顔なんか、昔のまんまで懐かしい~! 一気にあの頃にタイムスリップしちゃったわぁ」
と、うっとりとどこか遠くを見つめる母親に、俺は呆れた顔を向けるが、首がもげる勢いで頷きたい衝動に駆られていた。
本当になんなんだ、あの可愛さは。
俺の心臓を再起不能にする気か。
くしゃりとした笑顔をカフェで見せて以降、時折笑う春斗に、俺はやられまくっていた。
可愛いのだ、春斗は。
最初の頃の表情に乏しい春斗は、顔が整っているせいもあってツンと澄ました美少年って印象が強かったけど、笑うようになった春斗はそれこそ春のひだまりのように柔らかくて可愛い。
あれほど必死に可愛いを否定していた俺だったけれど、もう降参。認めざるを得ない。
可愛すぎる春斗がいけない。
きっと春斗の「可愛い」は全人類共通に違いない、と俺は自分の中に生まれるときめきをそう結論づけた。
「ねぇ、学校大丈夫? あんなに綺麗な子、女子が放っておかないでしょう?」
母親の言葉にぎくりとする。
案の定、学校では入学早々春斗の容姿に注目が集まっていた。日本人離れしたハーフっぽい顔の春斗は、誰よりもブレザーの制服が似合っていて、始終俯いた少し憂いを帯びたような表情とその佇まいはほかと一線を画していたように思う。
そんな注目の的になっている春斗を見て、俺は家族でもないのに、内心誇らしさすら感じていた。この高校で春斗の知り合いは自分だけだと、一緒に住んでるんだぞと謎の優越感に浸ってしまうほど。
当の本人は慣れているのか、周囲の目はさほど気にしていなさそうだった。
――のだけど、つい先日事件は起きた。
入学式から数日経ったある日。
休み時間、他クラスの人に呼び出しを食らって話を済ませた後教室に戻ると、俺の後ろの席、つまり春斗の席の周りに人だかりができているのを見て唖然とする。そのほとんどは女子で、教室の入口からは春斗の姿が見えないほどで、あいた口が塞がらない。
な、なにが起きてるんだ……?
「冴木くんて、どこ中だったの?」
「え、芸能事務所入ってたりする?」
「ズバリ彼女いますかー?」
きゃっきゃきゃっきゃと甲高い声が次から次へと春斗へ寄せられているのを見て、俺は慌ててその人垣をかきわけた。
「ストップ、ストップー!」
スポーツ試合の審判よろしく、待ったをかける。笛を持っていたら思い切り鳴らしていたことだろう。「あーあ」「こばくん戻るの早っ」と俺に文句を言った何人かは同中の女子だ。
「はるが困ってるから集団攻撃はやめてください。授業始まるから解散しようかー」
残念そうに散っていく女子たちの群れの中からようやく見えた春斗は、今にも死にそうな顔をこちらに向ける。
「ふゆくん……」
不安げに揺れる二重の瞳と、「ふゆくん」という響きに、俺の心臓が悲鳴をあげた。
くっ……、その合わせ技は反則じゃないか。
「ふゆくん」は、子どもの頃に春斗が付けてくれた俺の呼び名で、春斗だけが使う呼び名でもあった。
再会した日に好きに呼んでいいとは言ったけれど、まさか十年以上経った今もあの頃と同じ呼び方をされるとは思わなかった俺は、初めてそう呼ばれたときにも心臓が止まるかと思った。
しかも、春斗の口から零れた「つい癖で」という言葉に、もしかして会っていなかった間にも俺のことを思い出して、「ふゆくん」と呼んでくれていたのか、とありもしない期待を瞬時に抱いてしまった。
それくらい、春斗の「ふゆくん」にはインパクトがあり過ぎる。
ダメージを受けた心臓を制服の上から擦って労わりつつ、俺は春斗の側に近寄った。
「大丈夫か、はる」
「う、うん、ありがとう。気付いたら囲まれてて……。助かった……」
ふう、と息を吐いた春斗の顔に安堵の色が滲んだのを見て、俺もほっと胸をなでおろした。
極度の人見知りの春斗は、特に中でも女子に苦手意識を持っていると教えてくれた。これだけ容姿がいいのだから、きっと物心ついたころからいろいろな目に遭ってきたのかもしれない。
その辺りは春斗も触れなかったから俺も突っ込んで聞かなかったけれど、そんな春斗が女子に狙われているのは由々しき事態だ。極力一人にならないようにすると言っても限度があるし……。どうしたものか。
頭を悩ませながらも、春斗を落ち着かせる意味も込めてその小さな頭をぽんぽんと優しく撫でてやると、春斗は困ったように眉尻を下げた。それに「ん?」と眉を上げれば「子どもじゃないんだけど……」と文句が返ってくる。
ちょっとふてくされた顔も可愛い。そのほんのりふくらんだ滑らかな頬をつまみたい、なんて考えていると、「すごかったなー冴木」と五十嵐が俺の肩に腕を回して寄りかかってきた。
おかげで春斗を撫でていた手がずり落ちてしまい、隣を睨みつける。が、五十嵐は気にも留めずに笑顔で春斗を見た。五十嵐は俺よりも背が高く、高校デビューで染めた明るい茶髪がクラスでも目立っている。
「冴木なら女子選びたい放題じゃん。うらやまー! 俺にもそのイケメンを分けて――ぐはっ」
阿呆なことを言う五十嵐に腹パンをお見舞いしてやった。気さくで話しやすくていいヤツなのだけど、デリカシーのない発言が玉に瑕だ。
「あの、痛いんですけど……」
「万年色恋沙汰しか頭にないお前と一緒にすんな。大体、見てたなら助けてやれよ。はるは人見知りって知ってるだろ」
「いやいや、あの女子の群れに突っ込んでいって許されるのは、こばみたいなイケメンだけだからな? 俺みたいなモブが行ったらもうどんな目にあうか……」
おー怖い怖いと、五十嵐は自分の体を抱いて震える。
「にしてもこばは過保護だよなぁ。冴木、こばがうざかったら俺に言えな? 居候先という権力を盾に嫌なことされてないか? セクハラパワハラ駄目、絶対!」
「お前な……」
一体俺をなんだと思ってるのか。
呆れて物が言えないでいると、「ふふ」とかすかな笑い声が耳に届いた。春の穏やかな風が頬をかすめるような温かい声に目をやれば、春斗が口元に手を添えてくすくすと笑っている。
「「……!」」
そのあまりに華恋な笑みに、俺はハッとして五十嵐を見る。さすれば奴は、案の定頬を赤らめて春斗の笑顔に見入っていた。
「こば……ここに天使……いや、女神がいる……」
「わーわーわー、見るな見るな! お前は見るな! 席に戻れ!」
「んだよ、いいだろ見たって! 減るもんじゃないし、可愛いものはシェアするべきだ!」
「減る! 減るからだめ! シェアってなんだ、はるは物じゃない!」
「あーうざうざ、うっざ! 保護者かお前は!」
そんな俺たちのやり取りを、春斗はちょっと困ったような、けれど楽しそうに見ていた。
「――ちょっと冬璃、人の話聞いてる⁈」
春斗の可愛い笑顔を思い出していた俺は、母親の声で意識を引き戻される。
「き、聞いてるって。確かに女子から狙われてるけど……まぁ、俺も同じクラスだし、できる限り助けるから」
「やっぱりねー。あんたが同じクラスだから安心だわぁって千佳ちゃんも言ってたんだから、頼むわよ」
これ以上ここに居ると説教が始まりそうだ、と思い「はいはい」と返事をしてソファを立つ。
「はい、は一回!」
背中に母親の小言を受けながら、俺は「はいはーい」とリビングを後にした。
階段を上ると、ちょうど自室に入ろうとしている春斗とかち合った。ボタンのあるシャツタイプのパジャマを着て頭からタオルをかぶったその姿に、またしても胸を撃ち抜かれる。アイドルのオフショットみたいな、気を抜いたアットホームな春斗は学校での緊張した姿とはまた違った可愛さがある。漫画ならば「ほかほか」と周りに湯気をまとっているだろう。
「あ、お風呂出たよ」
お先、と控えめな声が耳朶に心地いい。
「はる、髪ちゃんと拭かないと風邪ひくぞ」
「う、わ」
大股で春斗に近寄った俺はタそのオルに手を伸ばし、わしゃわしゃと頭を拭いてやる。するとシャンプーの香りがほかほかした熱と一緒に鼻をくすぐった。俺と同じシャンプーを使っているはずなのに、香って来るそれはどことなく違う香りに感じるから不思議だ。
風呂上りの春斗は、悲鳴をあげながらもされるがまま、俺が拭きやすいように頭を俯けた。パジャマの衿から見える首筋は、お風呂上りのせいか、ほんのりと色づいていて、いつも白磁のような白い肌よりも妙な色っぽさを感じて慌てて目を逸らした。
「うん、よし」
「あ、ありがとう。……どうかした?」
素直なところも可愛いんだよなぁと、しみじみしている俺を、春斗は不思議そうに見つめて首を傾げる。
「いやぁ、なぁんか、はるは放っておけないっていうか……目が離せないんだよなーと思って」
危なっかしいという言葉がしっくりくるかもしれない。
こうやって髪を乾かさずに歩いているのもそうだし、学校では女子だって軽くあしらえないし。
「え……、それって、どういう」
「んー、あ、あれだ! なんか弟みたいな感じ?」
言い得て妙だなと、ぽんと手を叩く。
「お、とうと……」
「そう、弟! ついつい構いたくなる感じはきっと、それだ。……あ、ごめん、気分悪くした? 同い年なのに弟とか言われて」
むすりと黙り込んだ春斗の顔を覗きこむと、恨めしそうに軽く睨まれる。
「怒ってはない……けどなんか複雑」
「だよな、ごめんごめん。まぁ、なんていうかー、はるともっと仲良くしたいなって話!」
「なにそれ。適当にごまかしたでしょ」
「ばれた? けど、仲良くしたいってのは本心。じゃ、俺も風呂入ってくるわー。おやすみ」
頭の上にぽんと手を乗せてから、春斗の横を通り過ぎていく。すると、やっぱり自分と同じようでいて異なるいい匂いをさっきより強く感じて、なぜか胸がざわざわと落ち付きをなくした。
「おやすみ」
春斗の控えめな就寝の挨拶に振り返ることなく、その香りから逃げるように自室へと入る。
すーはー、すーはー。
ドアを背に寄りかかって、深呼吸。
だけど息を吸って吐いても、心臓はどくどくといつもより激しく血液を送り出して静まらない。
風呂上りの春斗と会話しただけなのに、なんでこんなにドキドキしているのか。
知りたいようで、知りたくないような……。答えを知ってしまうのがなんとなく怖い気がした俺は、思考をシャットダウンした。
きっと母親の小言に付き合わされて疲れたんだろう。
そう決めつけて、俺は寝間着のスウェットを手に風呂場へと急いだ。



