4
母親に春斗をなんとかしろと言われた次の日、俺にチャンスがめぐってくる。
「あの……文具店を教えて欲しいんだけど……」
朝食のときに、なんと春斗の方からそう切り出してくれたのだ。渡りに船だと、俺は食い気味に「俺も欲しいものあるから、一緒に行こう!」と返し、場所を教えてもらえれば一人で行くと言う春斗を押し切って、文具店の開店時間に合わせて家を出る約束を取り付けることに成功した。
本当は近所に文具店があるのだが、そこではあっという間に家に帰りついてしまうだろうと思い街へと繰り出した。だけど、バスに乗って駅ビルまで足を運ぶ間も、春斗は終始無言でなにを考えているのかわからないわ、話しかけても返事だけで会話は全く弾まないわで気まずい空気感は変わらないままだった。
「えっと、ノートとペンだっけ?」
「うん、だけど自分で、」
「あっ、あった! こっちこっち」
本屋のフロアに到着するなり一人で探そうとする春斗を遮って、ノート売り場へと先導する。
「俺もこの辺見てるから、買いたいもの決まったら声かけて」
どれにしようかと品定めする春斗の横で、俺もなにかよさげなものがないか物色する。ちょうど後ろの列がペンコーナーになっていたので、高校で使いそうな蛍光マーカーや使いやすそうなシャープペンなどを数本見繕った。
「お、ペンケースも買うの?」
ふと見ればしゃがんでペンケースを見つめる春斗の姿が目に入る。その横顔は真剣そのもの。ペンケース一つ選ぶのにそこまで悩むなんて、と少し面白くなる。
「使いやすそうなのがあれば……と思ったんだけど、どれがいいのかわからない」
「あー、わかる。最近のって、いろんなのありすぎるしな……もう見た目の好みで選ぶしかなくない?」
「好み……」
春斗はますます唸ってしまったが、俺は春斗と普通に会話ができていることに内心ガッツポーズを決め込んでいた。
なんだか、すごくいい感じじゃないか?
こうして何気ない会話で距離を少しずつ縮めていけば、また昔みたいに心を開いてもらえるかもしれない。と淡い期待に心が躍る。
それにしても……と、俺は春斗の横顔を改めて見つめる。
鼻梁はアルプス山脈のごとく美しい稜線を描き、薄い唇は色付きリップでもつけているのかと思うくらいに血色がよく艶やかだ。少し伏せられた長いまつ毛はくるんと天に向かってカールし、頬に影を落とすほどに長くびっしりと瞳を縁取っている。その日本人離れした横顔に、俺ははるちゃんの面影を見つけて、懐かしくなる。
はるちゃんの長いまつ毛や白い肌と完璧な顔の作りに、本当に同じ人間なのかと、子どもながらに不思議に思ったものだ。
成長して幼さが消えた今の春斗の横顔は、どこをどう取っても隙がなくて俺は思わず見惚れてしまった。
ぼうっと眺める視界の中で春斗が立ち上がり、ハッとする。
「あれ、買わないの?」
春斗の手にペンケースがなくてそう訊ねれば、なぜだか申し訳なさそうに「うん……ごめん」と口にした。
「なんで、ごめん?」
「待たせた挙句、決められなくて……」
その言葉に俺は目を瞬かせる。
意気消沈。そんな言葉がぴったり当てはまる春斗の姿を見ていたら、込み上げてくるものがあった。駄目だ、と思い必死にこらえようとしたけど、それこそ駄目で、俺はとうとう笑ってしまう。
「馬鹿だなぁ。そんなこと、気にしなくていいのに。まぁ、また後でもう一回来てもいいし、とりま必要なのだけ買って休憩しよ」
レジに向かって踵を返した俺だったけど、春斗がついてくる気配がなくて振り返る。
笑ってしまい、気を悪くしたかもしれないと焦ったけど、春斗はどこかぼうっとした表情で怒っている風ではなさそうだった。ほっとしつつ「どした?」と声をかけると、ハッとしたように首を横に振ってから歩き始めたので一緒にレジに向かった。
会計を済ませ文具店を出て向かった先は、同じ駅ビル内にあるカフェ。ここは、ケーキが美味しいと地元で人気の店で、俺も母親に連れられて何度か来たことがある。と言っても、ケーキ一つが千円以上もするため片手で数えられるほどしか連れてきてもらったことはない。
ケーキの値段を目にして尻込みする春斗を半ば強引に連れ込んで、案内された窓際のカウンター席に腰を落ち着けた。
春斗は甘いものに目がない。
という千佳さん情報を入手した母親が、今日出かけることを話した俺に「ここのケーキを春ちゃんに食べさせてあげて」とお小遣いを握らせてくれたのだ。
俺はチーズケーキ、春斗はミルクレープを選んだ。運ばれてきたそれらは、ケーキ屋のケーキよりも一回りは大きくて食べ応えがある。
「どう、美味い?」
「うん……すっごい美味しい……」
ケーキを頬張った春斗のまなじりが下がり、口角はやんわりと弧を描く。
わ、笑った……!
初めての笑顔に嬉しくなった俺は、「チーズケーキも美味いんだ。一口やる」と、まだ手を付けていない自分のチーズケーキを切り分けて春斗の皿に乗せる。
すると一瞬顔が輝くも表情が一転、少し困った顔になってしまった。またしても春斗の気分を害してしまったのか、と冷や汗が出る。
「あ、えっと、も、もしかしてチーズ苦手、とか?」
恐る恐る聞くと、春斗は首を横に振ってそれを否定した。ではなんだろうか、なにか気に障ることをやってしまったのだろうか。冷や冷やしつつ、春斗が口を開くのを待った。
「その……俺のもあげようと思ったんだけど、もう口付けちゃったしどうしよう……。あ、こっちの角から取れば大丈夫?」
そう言いながら春斗は、皿の向きを変えてまだ手を付けていないところをこちらに向けてきた。
どうやら俺に分けてくれようと思案していたみたいで、機嫌を損ねたわけではなかったと安堵するとともにその優しさに胸がほっこりとした。
初対面があんなだったせいか、人見知りのせいかはわからないけど、春斗は家に来てからずっと浮かない顔だったため、どんな性格なのかいまいち掴めないでいた。いくら昔によく遊んだとは言え、あれからもう十年も経っている今、春斗の性格があの頃から変わっていない保障はどこにもないのだ。
だけどそんな俺の心配はどうやら杞憂だったらしい。
春斗は昔と変わらず、思いやりがあって優しい性格だ。
「ありがとな、けど俺それ食べたことあるから大丈夫」
こんなに喜んでる春斗のケーキをもらうなんてできなくて、優しい申し出をやんわりと断った。
自分のチーズケーキを口に運べば、濃厚なチーズの味が舌に溶け、爽やかなレモンの香りが鼻を抜ける。久しぶりに食べたここのケーキは、やっぱり最高に美味しくて頬が緩んでしまうのを止められない。
そんな自分を見られるのは恥ずかしいと思い隣をチラ見すれば、春斗は俺よりも嬉しそうな顔で夢中でケーキを頬張っていて、俺はますます笑みを深めるばかり。
春斗は俺があげたチーズケーキに手を伸ばし、半分に切り分けたのを口に放り込む。もぐもぐと咀嚼して一瞬の後、パッとこちらに顔を向けて「本当だ、これも美味しい!」と笑顔になった。
さっき見せてくれたほんのりとした微笑みではなく、歯を見せてにかっと笑う、まさに満面の笑みで……。
クリクリの二重の目がなくなるくらい、顔をくしゃりとさせた笑顔は、俺の記憶の中のはるちゃんそのものだった。十年もの時を一瞬にして飛び越え、俺の脳裡に鮮明に蘇る可愛いはるちゃんが目の前にいた。
その破壊力のすさまじさといったらもう……。
言葉では言い表せない程の衝撃が俺を襲う。
なんだ、これ。
なんだこれ、なんだこれ!
心臓をぎゅうっと絞られたような痛みに襲われ、思わず胸のあたりに手をやるも、そこはなんの変化もない。もちろんそれが物理的な痛みではないことくらい、わかってる。わかってるからこそ、頭に警報が鳴り響いた。
春斗は、男だ。
はるちゃんだけど、はるちゃんじゃない。
だから、可愛いなんて思うのは間違ってる。
春斗の笑顔が可愛くて胸がときめくなんて、あってはならないことだ。
きっと脳がバグを起こしてるんだ。そうに違いない。
女の子だと思い込んでいた俺の記憶が、春斗にはるちゃんを重ねて可愛いと錯覚してしまっただけだ。
ありがとうと礼を言う春斗にどうにか平静を装って頷きながら、俺は必死に脳内の「可愛い」を否定し続けていた。
母親に春斗をなんとかしろと言われた次の日、俺にチャンスがめぐってくる。
「あの……文具店を教えて欲しいんだけど……」
朝食のときに、なんと春斗の方からそう切り出してくれたのだ。渡りに船だと、俺は食い気味に「俺も欲しいものあるから、一緒に行こう!」と返し、場所を教えてもらえれば一人で行くと言う春斗を押し切って、文具店の開店時間に合わせて家を出る約束を取り付けることに成功した。
本当は近所に文具店があるのだが、そこではあっという間に家に帰りついてしまうだろうと思い街へと繰り出した。だけど、バスに乗って駅ビルまで足を運ぶ間も、春斗は終始無言でなにを考えているのかわからないわ、話しかけても返事だけで会話は全く弾まないわで気まずい空気感は変わらないままだった。
「えっと、ノートとペンだっけ?」
「うん、だけど自分で、」
「あっ、あった! こっちこっち」
本屋のフロアに到着するなり一人で探そうとする春斗を遮って、ノート売り場へと先導する。
「俺もこの辺見てるから、買いたいもの決まったら声かけて」
どれにしようかと品定めする春斗の横で、俺もなにかよさげなものがないか物色する。ちょうど後ろの列がペンコーナーになっていたので、高校で使いそうな蛍光マーカーや使いやすそうなシャープペンなどを数本見繕った。
「お、ペンケースも買うの?」
ふと見ればしゃがんでペンケースを見つめる春斗の姿が目に入る。その横顔は真剣そのもの。ペンケース一つ選ぶのにそこまで悩むなんて、と少し面白くなる。
「使いやすそうなのがあれば……と思ったんだけど、どれがいいのかわからない」
「あー、わかる。最近のって、いろんなのありすぎるしな……もう見た目の好みで選ぶしかなくない?」
「好み……」
春斗はますます唸ってしまったが、俺は春斗と普通に会話ができていることに内心ガッツポーズを決め込んでいた。
なんだか、すごくいい感じじゃないか?
こうして何気ない会話で距離を少しずつ縮めていけば、また昔みたいに心を開いてもらえるかもしれない。と淡い期待に心が躍る。
それにしても……と、俺は春斗の横顔を改めて見つめる。
鼻梁はアルプス山脈のごとく美しい稜線を描き、薄い唇は色付きリップでもつけているのかと思うくらいに血色がよく艶やかだ。少し伏せられた長いまつ毛はくるんと天に向かってカールし、頬に影を落とすほどに長くびっしりと瞳を縁取っている。その日本人離れした横顔に、俺ははるちゃんの面影を見つけて、懐かしくなる。
はるちゃんの長いまつ毛や白い肌と完璧な顔の作りに、本当に同じ人間なのかと、子どもながらに不思議に思ったものだ。
成長して幼さが消えた今の春斗の横顔は、どこをどう取っても隙がなくて俺は思わず見惚れてしまった。
ぼうっと眺める視界の中で春斗が立ち上がり、ハッとする。
「あれ、買わないの?」
春斗の手にペンケースがなくてそう訊ねれば、なぜだか申し訳なさそうに「うん……ごめん」と口にした。
「なんで、ごめん?」
「待たせた挙句、決められなくて……」
その言葉に俺は目を瞬かせる。
意気消沈。そんな言葉がぴったり当てはまる春斗の姿を見ていたら、込み上げてくるものがあった。駄目だ、と思い必死にこらえようとしたけど、それこそ駄目で、俺はとうとう笑ってしまう。
「馬鹿だなぁ。そんなこと、気にしなくていいのに。まぁ、また後でもう一回来てもいいし、とりま必要なのだけ買って休憩しよ」
レジに向かって踵を返した俺だったけど、春斗がついてくる気配がなくて振り返る。
笑ってしまい、気を悪くしたかもしれないと焦ったけど、春斗はどこかぼうっとした表情で怒っている風ではなさそうだった。ほっとしつつ「どした?」と声をかけると、ハッとしたように首を横に振ってから歩き始めたので一緒にレジに向かった。
会計を済ませ文具店を出て向かった先は、同じ駅ビル内にあるカフェ。ここは、ケーキが美味しいと地元で人気の店で、俺も母親に連れられて何度か来たことがある。と言っても、ケーキ一つが千円以上もするため片手で数えられるほどしか連れてきてもらったことはない。
ケーキの値段を目にして尻込みする春斗を半ば強引に連れ込んで、案内された窓際のカウンター席に腰を落ち着けた。
春斗は甘いものに目がない。
という千佳さん情報を入手した母親が、今日出かけることを話した俺に「ここのケーキを春ちゃんに食べさせてあげて」とお小遣いを握らせてくれたのだ。
俺はチーズケーキ、春斗はミルクレープを選んだ。運ばれてきたそれらは、ケーキ屋のケーキよりも一回りは大きくて食べ応えがある。
「どう、美味い?」
「うん……すっごい美味しい……」
ケーキを頬張った春斗のまなじりが下がり、口角はやんわりと弧を描く。
わ、笑った……!
初めての笑顔に嬉しくなった俺は、「チーズケーキも美味いんだ。一口やる」と、まだ手を付けていない自分のチーズケーキを切り分けて春斗の皿に乗せる。
すると一瞬顔が輝くも表情が一転、少し困った顔になってしまった。またしても春斗の気分を害してしまったのか、と冷や汗が出る。
「あ、えっと、も、もしかしてチーズ苦手、とか?」
恐る恐る聞くと、春斗は首を横に振ってそれを否定した。ではなんだろうか、なにか気に障ることをやってしまったのだろうか。冷や冷やしつつ、春斗が口を開くのを待った。
「その……俺のもあげようと思ったんだけど、もう口付けちゃったしどうしよう……。あ、こっちの角から取れば大丈夫?」
そう言いながら春斗は、皿の向きを変えてまだ手を付けていないところをこちらに向けてきた。
どうやら俺に分けてくれようと思案していたみたいで、機嫌を損ねたわけではなかったと安堵するとともにその優しさに胸がほっこりとした。
初対面があんなだったせいか、人見知りのせいかはわからないけど、春斗は家に来てからずっと浮かない顔だったため、どんな性格なのかいまいち掴めないでいた。いくら昔によく遊んだとは言え、あれからもう十年も経っている今、春斗の性格があの頃から変わっていない保障はどこにもないのだ。
だけどそんな俺の心配はどうやら杞憂だったらしい。
春斗は昔と変わらず、思いやりがあって優しい性格だ。
「ありがとな、けど俺それ食べたことあるから大丈夫」
こんなに喜んでる春斗のケーキをもらうなんてできなくて、優しい申し出をやんわりと断った。
自分のチーズケーキを口に運べば、濃厚なチーズの味が舌に溶け、爽やかなレモンの香りが鼻を抜ける。久しぶりに食べたここのケーキは、やっぱり最高に美味しくて頬が緩んでしまうのを止められない。
そんな自分を見られるのは恥ずかしいと思い隣をチラ見すれば、春斗は俺よりも嬉しそうな顔で夢中でケーキを頬張っていて、俺はますます笑みを深めるばかり。
春斗は俺があげたチーズケーキに手を伸ばし、半分に切り分けたのを口に放り込む。もぐもぐと咀嚼して一瞬の後、パッとこちらに顔を向けて「本当だ、これも美味しい!」と笑顔になった。
さっき見せてくれたほんのりとした微笑みではなく、歯を見せてにかっと笑う、まさに満面の笑みで……。
クリクリの二重の目がなくなるくらい、顔をくしゃりとさせた笑顔は、俺の記憶の中のはるちゃんそのものだった。十年もの時を一瞬にして飛び越え、俺の脳裡に鮮明に蘇る可愛いはるちゃんが目の前にいた。
その破壊力のすさまじさといったらもう……。
言葉では言い表せない程の衝撃が俺を襲う。
なんだ、これ。
なんだこれ、なんだこれ!
心臓をぎゅうっと絞られたような痛みに襲われ、思わず胸のあたりに手をやるも、そこはなんの変化もない。もちろんそれが物理的な痛みではないことくらい、わかってる。わかってるからこそ、頭に警報が鳴り響いた。
春斗は、男だ。
はるちゃんだけど、はるちゃんじゃない。
だから、可愛いなんて思うのは間違ってる。
春斗の笑顔が可愛くて胸がときめくなんて、あってはならないことだ。
きっと脳がバグを起こしてるんだ。そうに違いない。
女の子だと思い込んでいた俺の記憶が、春斗にはるちゃんを重ねて可愛いと錯覚してしまっただけだ。
ありがとうと礼を言う春斗にどうにか平静を装って頷きながら、俺は必死に脳内の「可愛い」を否定し続けていた。



