3
その日の夜、自室のベッドで寝転がっているとスマホがポロンと鳴った。メッセージアプリRINEの通知音だ。
『リアルはるちゃんどーだった』
アプリを開くまでもなく、ロック画面にそう表示された文面に自然と溜息が漏れる。それは、中学から部活が一緒で仲のいい班目郁実と五十嵐唯とのグループトークだ。二人とは来月からの高校も一緒で、はるちゃんが今日来ることも、同居生活が始まることも……そして、はるちゃんが俺の初恋で未だに忘れられずにいるということも、すべて話していた。
今日のことも「報告する」と話していたのをすっかり忘れていた俺は、仕方なしに通知をタップしてアプリを開く。すると間髪置かずに今度は五十嵐から『報告はよ』とメッセージが送られてきた。
今日の出来事は、正直もういっそのこと忘れてしまいたいくらい衝撃的なものだった。だから、掘り起こさないでほしい気持ちはあるものの、この、行き場をなくしている胸のうちを聞いてほしい気持ちの方が勝り、メッセージを打った。
『はるちゃんは男だった』
端的にそれだけ送ると、間髪入れずに着信音が鳴った。
「うわ、びびった……。――はいはい」
驚きつつ出れば、スマホの向こうでは大笑いする郁実の声がうるさいくらいに響いてきたものだから、スピーカーに切り替えてベッドの上に放り投げた。そのすぐあとに、五十嵐も通話に加わり声が混ざる。
二人とも腹を抱えて笑っているのが容易に想像できる豪快な笑い声に顔をしかめる。
「切るよ」
こっちはいろいろな意味で傷心中だというのに、それをこんな風に面白おかしく笑われるのは気分がよくないというものだ。
『悪い、……ははっ……いや、ちょ、待てって、どゆこと?』
『ごめ、切らないで! ホント、どういうことよ、こば』
“こば”は俺の中学でのあだ名だ。
「そのまんまの意味。生物学的に男だったってこと。俺が勝手に女の子だと勘違いしてた」
『ま、マジかぁ……。冬璃の初恋は男だったかぁ……ぶははははっ』
『いや、郁実っ、笑いすぎ……くくっ』
再び堪えきれないといった風に噴き出した二人に、俺はもう情けないやら諦めやらで言葉が出ない。
実際、いくら四歳だったとは言え、友だちの性別を勘違いして恋してしまうなんて、自分で自分が情けないったら……。
『ま、まぁまぁまぁ、早めに知れてよかったんじゃないか。お前、告白されても『はるちゃん以外可愛く思えない』って断り続けてただろ。これでもう諦めつくじゃん』
そのどんな女子よりも可愛いはるちゃんが、まさか男だったなんて誰が想像できただろう。
そうだ、俺は悪くない。というか、誰も悪くないんだ。それが余計に俺のやるせなさの原因でもあるのだ。だからこうして二人に聞いてもらいたかったのに、笑われて面白がられて踏んだり蹴ったり過ぎやしないか。
『こばにもようやく春が来たと思ったけど、残念だったな。まっ、高校も始まるし。出逢いなんていくらでもあるっしょ』
「それはそう、だけど……」
なんなんだろうか。この煮え切らなさは。
胸の中に靄がかかったような、どんよりとした曇り空のような、すっきりとしない感じ。今日の今日で気持ちの整理を付けろという方が無理な話だけれど、それにしたってモヤる。
それだけ俺の中のはるちゃんという存在は、俺が思っているよりも大きかったということだろうか。だとしたら目も当てられない。
そんな俺の気持ちなんか知ってか知らでか、はるちゃんが男だったと知るや否や二人はあっけらかんとした声で笑って「じゃぁなー」と通話を切った。
急に静かになった部屋の中、これからの春斗との同居生活を考えて、頭を抱えたくなった。
記憶に残っている春斗は、よく笑ってよく喋る朗らかな子どもだった。
母親同士が高校の同級生で仲が良かったのもあり、最低でも月に一度はどちらかの家で遊んでいたのを覚えている。
『ふゆくん、なにして遊ぶ? はるは、ブロックで猫さんつくろうかなぁ』
『じゃぁ俺は恐竜作る!』
『はるも恐竜好きだよ』
ただでさえ天使みたいな可愛い顔を、くしゃりとさせて笑う顔がたまらなく愛らしくて、その笑顔見たさに春斗の前でよくふざけていた気がする。
あの笑顔、もう見れないのかな。
春斗との同居が始まってから数日が経ったものの、春斗の笑った顔はまだ拝めていない。
食事が済めばそそくさと自室に帰ってしまうので笑うどころか、ろくに話す機会すらほとんどなかった。
寡黙なのか、自分から話題を振るようなこともなく、こちらから話題を振っても返ってくるのは「うん」とか「そう」とか短い返事だけ。荷ほどきも大変だろうと、手伝おうかと名乗り出たがすげなく断られてしまった。
別に、あの天真爛漫な子どもだった春斗を求めているわけではないけれど、かつてを知る身としては、春斗にも笑顔になって欲しいと思ってしまう。
「はるちゃん、ホームシックになってないといいんだけど……」
夕飯の後、ソファに座ってテレビを見てると、母親が心配そうな顔で隣に腰かけてきた。どうやら母親も同じように、春斗が心を開いてくれないことを不安に感じていたらしい。
男だし、まだ両親と離れて数日だし、さすがにホームシックはないだろうけど。
「ちょっと冬璃、もうちょっと話しかけるとか、どこか連れ出すとかしてよ」
「んー、俺もそうしたい気持ちは山々なんだけどさ……」
なんたって、初日にやらかして嫌われてる身としては、なかなか難しいものがあった。
「まさかまだ初恋の話引きずってるとか⁉」
そりゃ、引きずるに決まってるだろう。なんせ十年越しなんだから。
初恋の相手が実は同性でしたーなんて、思春期男子にはマジで洒落にもならない。
だけど俺は、大仰に驚く母親を睨んで、「ちげーし!」と否定しておく。実は引きずってるんだと言ったところで、なんの解決にもならないどころか弱みを握らせるようなものだから口が裂けても言うもんか。
「うーん、千佳ちゃんにも、最初は多分人見知り炸裂すると思うとは言われたから、少しずつ慣れていってもらうしかないかな」
「人見知り? はるが?」
あんなに朗らかだった子が? と訝しむ俺に母親は「そうなのよ」と真顔で返した。俺の中の「はるちゃん」は、いつも笑顔で明るくて人見知りなどとは無縁のイメージだ。
今の春斗だけを見れば、人見知りと言われてもしっくりくるけど、昔のイメージが強い俺としては違和感しかない。
「はるちゃんは昔から人見知りが激しくて千佳ちゃんも大変だったのよ。なぜかあんたにだけは平気で最初から懐いてたけど、私にだって話しかけてくれるようになったのはずっと後になってからだったんだから」
あんたは小さかったからわからなかっただろうけど、と母親は付け足した。初めて聞かされたその事実に、俺は驚いた。それと同時に、俺に向けられていたあのはるちゃんの笑顔は特別だったんだな、と喜びのような嬉しさのような気持ちが滲む。
はるちゃんが男だったと知った今でも、やはりあのときの俺の初恋は色あせることなく初恋のまま。俺の中では特別大切な思い出であることには違いなかったから、はるちゃんにとってもあの時が特別だったのだと思うと嬉しくなるのは不可抗力だ。
なんせこちとら十年もの間引きずっていたんだからな……。
浮かんできた自虐めいた言葉に自嘲していると、母親は「そういうことだから、頼んだわよ」とだけ言い残してリビングを出ていった。
「俺だけ特別だった……かぁ」
だけどそれは十年以上前の話であって、その「特別」はきっととっくに有効期限切れだ。
春斗の冷めきった態度を思い出し、改めて再会した日の失態が身に染みた。
その日の夜、自室のベッドで寝転がっているとスマホがポロンと鳴った。メッセージアプリRINEの通知音だ。
『リアルはるちゃんどーだった』
アプリを開くまでもなく、ロック画面にそう表示された文面に自然と溜息が漏れる。それは、中学から部活が一緒で仲のいい班目郁実と五十嵐唯とのグループトークだ。二人とは来月からの高校も一緒で、はるちゃんが今日来ることも、同居生活が始まることも……そして、はるちゃんが俺の初恋で未だに忘れられずにいるということも、すべて話していた。
今日のことも「報告する」と話していたのをすっかり忘れていた俺は、仕方なしに通知をタップしてアプリを開く。すると間髪置かずに今度は五十嵐から『報告はよ』とメッセージが送られてきた。
今日の出来事は、正直もういっそのこと忘れてしまいたいくらい衝撃的なものだった。だから、掘り起こさないでほしい気持ちはあるものの、この、行き場をなくしている胸のうちを聞いてほしい気持ちの方が勝り、メッセージを打った。
『はるちゃんは男だった』
端的にそれだけ送ると、間髪入れずに着信音が鳴った。
「うわ、びびった……。――はいはい」
驚きつつ出れば、スマホの向こうでは大笑いする郁実の声がうるさいくらいに響いてきたものだから、スピーカーに切り替えてベッドの上に放り投げた。そのすぐあとに、五十嵐も通話に加わり声が混ざる。
二人とも腹を抱えて笑っているのが容易に想像できる豪快な笑い声に顔をしかめる。
「切るよ」
こっちはいろいろな意味で傷心中だというのに、それをこんな風に面白おかしく笑われるのは気分がよくないというものだ。
『悪い、……ははっ……いや、ちょ、待てって、どゆこと?』
『ごめ、切らないで! ホント、どういうことよ、こば』
“こば”は俺の中学でのあだ名だ。
「そのまんまの意味。生物学的に男だったってこと。俺が勝手に女の子だと勘違いしてた」
『ま、マジかぁ……。冬璃の初恋は男だったかぁ……ぶははははっ』
『いや、郁実っ、笑いすぎ……くくっ』
再び堪えきれないといった風に噴き出した二人に、俺はもう情けないやら諦めやらで言葉が出ない。
実際、いくら四歳だったとは言え、友だちの性別を勘違いして恋してしまうなんて、自分で自分が情けないったら……。
『ま、まぁまぁまぁ、早めに知れてよかったんじゃないか。お前、告白されても『はるちゃん以外可愛く思えない』って断り続けてただろ。これでもう諦めつくじゃん』
そのどんな女子よりも可愛いはるちゃんが、まさか男だったなんて誰が想像できただろう。
そうだ、俺は悪くない。というか、誰も悪くないんだ。それが余計に俺のやるせなさの原因でもあるのだ。だからこうして二人に聞いてもらいたかったのに、笑われて面白がられて踏んだり蹴ったり過ぎやしないか。
『こばにもようやく春が来たと思ったけど、残念だったな。まっ、高校も始まるし。出逢いなんていくらでもあるっしょ』
「それはそう、だけど……」
なんなんだろうか。この煮え切らなさは。
胸の中に靄がかかったような、どんよりとした曇り空のような、すっきりとしない感じ。今日の今日で気持ちの整理を付けろという方が無理な話だけれど、それにしたってモヤる。
それだけ俺の中のはるちゃんという存在は、俺が思っているよりも大きかったということだろうか。だとしたら目も当てられない。
そんな俺の気持ちなんか知ってか知らでか、はるちゃんが男だったと知るや否や二人はあっけらかんとした声で笑って「じゃぁなー」と通話を切った。
急に静かになった部屋の中、これからの春斗との同居生活を考えて、頭を抱えたくなった。
記憶に残っている春斗は、よく笑ってよく喋る朗らかな子どもだった。
母親同士が高校の同級生で仲が良かったのもあり、最低でも月に一度はどちらかの家で遊んでいたのを覚えている。
『ふゆくん、なにして遊ぶ? はるは、ブロックで猫さんつくろうかなぁ』
『じゃぁ俺は恐竜作る!』
『はるも恐竜好きだよ』
ただでさえ天使みたいな可愛い顔を、くしゃりとさせて笑う顔がたまらなく愛らしくて、その笑顔見たさに春斗の前でよくふざけていた気がする。
あの笑顔、もう見れないのかな。
春斗との同居が始まってから数日が経ったものの、春斗の笑った顔はまだ拝めていない。
食事が済めばそそくさと自室に帰ってしまうので笑うどころか、ろくに話す機会すらほとんどなかった。
寡黙なのか、自分から話題を振るようなこともなく、こちらから話題を振っても返ってくるのは「うん」とか「そう」とか短い返事だけ。荷ほどきも大変だろうと、手伝おうかと名乗り出たがすげなく断られてしまった。
別に、あの天真爛漫な子どもだった春斗を求めているわけではないけれど、かつてを知る身としては、春斗にも笑顔になって欲しいと思ってしまう。
「はるちゃん、ホームシックになってないといいんだけど……」
夕飯の後、ソファに座ってテレビを見てると、母親が心配そうな顔で隣に腰かけてきた。どうやら母親も同じように、春斗が心を開いてくれないことを不安に感じていたらしい。
男だし、まだ両親と離れて数日だし、さすがにホームシックはないだろうけど。
「ちょっと冬璃、もうちょっと話しかけるとか、どこか連れ出すとかしてよ」
「んー、俺もそうしたい気持ちは山々なんだけどさ……」
なんたって、初日にやらかして嫌われてる身としては、なかなか難しいものがあった。
「まさかまだ初恋の話引きずってるとか⁉」
そりゃ、引きずるに決まってるだろう。なんせ十年越しなんだから。
初恋の相手が実は同性でしたーなんて、思春期男子にはマジで洒落にもならない。
だけど俺は、大仰に驚く母親を睨んで、「ちげーし!」と否定しておく。実は引きずってるんだと言ったところで、なんの解決にもならないどころか弱みを握らせるようなものだから口が裂けても言うもんか。
「うーん、千佳ちゃんにも、最初は多分人見知り炸裂すると思うとは言われたから、少しずつ慣れていってもらうしかないかな」
「人見知り? はるが?」
あんなに朗らかだった子が? と訝しむ俺に母親は「そうなのよ」と真顔で返した。俺の中の「はるちゃん」は、いつも笑顔で明るくて人見知りなどとは無縁のイメージだ。
今の春斗だけを見れば、人見知りと言われてもしっくりくるけど、昔のイメージが強い俺としては違和感しかない。
「はるちゃんは昔から人見知りが激しくて千佳ちゃんも大変だったのよ。なぜかあんたにだけは平気で最初から懐いてたけど、私にだって話しかけてくれるようになったのはずっと後になってからだったんだから」
あんたは小さかったからわからなかっただろうけど、と母親は付け足した。初めて聞かされたその事実に、俺は驚いた。それと同時に、俺に向けられていたあのはるちゃんの笑顔は特別だったんだな、と喜びのような嬉しさのような気持ちが滲む。
はるちゃんが男だったと知った今でも、やはりあのときの俺の初恋は色あせることなく初恋のまま。俺の中では特別大切な思い出であることには違いなかったから、はるちゃんにとってもあの時が特別だったのだと思うと嬉しくなるのは不可抗力だ。
なんせこちとら十年もの間引きずっていたんだからな……。
浮かんできた自虐めいた言葉に自嘲していると、母親は「そういうことだから、頼んだわよ」とだけ言い残してリビングを出ていった。
「俺だけ特別だった……かぁ」
だけどそれは十年以上前の話であって、その「特別」はきっととっくに有効期限切れだ。
春斗の冷めきった態度を思い出し、改めて再会した日の失態が身に染みた。



