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教室を出ると、五十嵐は隣のクラスの前を通って郁実を呼びつけた。そして3人で人気の少ない廊下の隅に身を寄せる。
「ちょうどRINE入れようと思ってたとこ」
スマホをかざして郁実が言う。その目はもの言いたげに俺を見遣った。隣のクラスにまで噂は届いているらしい。
「で、彼女ってどういうことだよ」
「いや……それが、昨日さ、1組の城田さんに告白されたときに『彼女いるから』って言っちゃったんだよ……」
昨日、城田さんからの申し出を断ったのだが、『友達でいいからRINEのID交換してほしい』と食い下がられてしまい、仕方なしに『彼女がいるからID交換もできない』と嘘をついてしまった。
早く帰りたかったし、春斗のこともあってちょっとやけくそになってしまったせいもあるけど。
「それがまさかこんな早く広まるなんて……」
予想外の出来事に多分俺が一番驚いている。
「ったく、これだから無自覚系イケメンは……」
「冬璃は昔っから自分の外見には頓着なかったから仕方ない」
頭を抱える五十嵐の肩に郁実が手をおいた。
これはフォローしてくれてる……のか?
「そんなこと言われても……」
「どーすんの、否定せずこのまま彼女いる体でいく? その方が告白も減っていいかもだけど、冴木には本当のこと言っといた方がいいんじゃね? あ、告るからそのとき言えばいいのか……って、え、なに、なんかあった?」
「あー、それが……、春斗のやつ、後夜祭を過ごす相手がもう居るらしくて……」
五十嵐の問いに、俺の代わりに郁実が昨日の出来事を話してくれた。
「嘘だろ、おい」
本当、嘘ならよかったのに。
「せっかく冬璃が決心したのにな……」
「告白やめるのか?」
「……たぶん」
と濁したけど、俺の気持ちはほぼ確定していた。彼女がいる相手に告白するなんて、迷惑でしかないだろうから。春斗は優しいから、告白を迷惑なんて思わないと思うけど、俺自身がそれは嫌だった。
彼女がいる相手に、振られてもいいからと、自己満足のために春斗に告白することは憚られた。
「こば、ごめん! 俺が後夜祭で告れとか言ったからだ……さっさと告っとけばこんなことにはならなかったかもしれなのに……」
「五十嵐のせいじゃないって。どっちにしても考査前に告るなんて考えてもなかったから、結果は同じだった」
「けど」と引かない五十嵐を、「もう戻ろ」と遮った。実際、すでに予鈴が鳴ってHRが始まる時間だ。
「せっかく応援してくれた二人にはあれだけど、まぁ、初恋は実らないって言うし? 振られて気まずくなるくらいなら、当たって砕ける前にわかってよかったって思うことにするわ」
「冬璃……」
「こば……」
わかってる。たぶん二人には、今の俺がすっごく痛々しく映ってるんだってこと。
だけど、今の俺には、そう自分に言い聞かせて平静を保つことしかできなくて、まだなにか言いたそうな二人から逃げるように、さっさと教室へと戻った。
春斗には敢えて言う必要もないかなと思い、噂については俺から話していない。もし聞かれたら正直に伝えようと思ってはいたけれど、あれからそんな流れにはならなかった。春斗からすれば、俺の恋愛事情なんて興味もないんだと思う。
休み時間には相変わらず立花さんと二人の世界を作ってるし、考査後は絵のモデルもなくなると言っていたのになぜか今日も先に帰ってと言われ、春斗とはほとんど言葉を交わすことなく一日が終わる。
明日は約束していた料理をする日だけど……どうなるんだろうか。
本当なら後夜祭に誘うつもりだった日……。
かすかな希望さえも抱けなくなって、俺の世界は一瞬で色を失ってしまったかのようにどんよりとして楽しくもなんともない。
料理も、もういっかな。
こんな気持ちのまま、春斗と一緒の時間を過ごすのはきっと苦しいに決まってる。
――俺、春斗の幼なじみでいられるのかな。というか、いていいのかな。
時間が解決してくれるんだろうか。
今はとてもそんな前向きには思えないけど……。春斗への恋情を抱えたまま、何食わぬ顔で春斗の幼なじみとして隣にいても、いいのだろうか。
早く気持ちにケリをつけないとなぁ……。
そのためにも、やっぱり明日の料理は断ろうと決め、その理由をどうしようか頭を悩ませていた帰宅途中に春斗からメッセージが届いた。
『明日の約束だけど、急に美術部に文化祭準備のヘルプを頼まれてしまって、一緒に料理できなくなりました、ごめんなさい。文化祭が終わって落ち着いたらまたお願いします』
理由を考える必要がなくなってほっとした半面、春斗が俺との約束よりも立花さんを優先したことに虚しさを覚える。
「はぁ……駄目だなぁ」
文化祭は今しかできないことだし、特にうちの高校は準備期間が短いから春斗も人助けで断れなかったんだと思う。
どっちが大事とか大事じゃないとか、そういう話じゃないけど、凹むものは凹む。そしてこんなささいなことで凹む自分が嫌になる。
俺がそんなことを思う資格なんて、ないのに。
春斗の特別は、俺じゃないんだから。
考えれば考えるほど、どつぼに嵌っていくばかりで、俺は帰宅するなりベッドにダイブした。
試験の疲れも取り切れていないのもあり、俺はそのまま夢うつつに身を任せる。
夢と現実の狭間を漂っていると、玄関のドアが開く音が聞こえて、春斗が帰ってきたんだと頭の端で思う。頭の中は靄がかかったように機能せず、瞼は鉛のように重たくて再び意識が沈みかけたとき。
コンコン、とドアがノックされ、意識が一気に現実に引き上げられた。
「ふゆくん、ちょっといい?」
春斗だ。
明日のことを謝りにきたのかもしれない。
どうしよう、話したくない……。
今、春斗と顔を合わせて話したら、自分がなにを口走るかわからなかった。
このまま寝たフリして過ごしてしまおうと、俺はベッドに横たわったまま春斗の声に無視を決め込む。するとなにを思ったのか、春斗はドアを開けて中に入ってきた。
「寝てる……?」
――そう、寝てるから諦めて。
心の中で返事をして、俺は春斗が出ていくのを息を殺してじっと待つ。
だけれど、春斗の気配は遠のくどころか近づいてきた。
しゃがんだような衣擦れの音がすぐそばで聞こえ、春斗の気配と視線をひしひしと感じる中、俺は心を無にして耐える。
「ふゆくん……」
少し掠れた、今にも消えそうな声で名前を呼ばれ、鼓動が急激に速度を増す。
額になにかが触れたと思えば、最近伸びてきた前髪をかき分けるように流された。その動作から、ひやりと冷たいそれは、春斗の指先だとわかる。
春斗に触れられている。
そう意識したら、体温がぐんぐん上昇していった。
――なんで、そんな風に触れるんだよ。
手つきのあまりの優しさに、込み上げてくるものがあった。
言葉にできない感情が俺に気付かせる。
こんな風に、触れられたり触れたりしたかった。春斗は俺の特別で、俺も春斗の特別でありたいと知らしめるように触れあいたかった。冷たさも温かさも、お互いの温度を感じたかったんだと。
もう、叶わないのに、願ってしまう。
溢れ出る感情を押し込めて、表情に出さないように必死に寝たフリを決め込んでいると、今度はさっきよりも温かな感触が頬に当たる。それは、そっと押し当てられて、そっと離れていく。
「あっ……俺……っ、ごめん……」
勢いよく立ち上がった春斗が出ていき、誰もいなくなった部屋は再び静けさを取り戻した。
足音も聞こえなくなったのを確認して、俺は起き上がる。
今起こったことが信じられなくて、指とは違う感触とぬくもりが残るそこを確かめるように手で触れた。
「……え、今の、なに?」
教室を出ると、五十嵐は隣のクラスの前を通って郁実を呼びつけた。そして3人で人気の少ない廊下の隅に身を寄せる。
「ちょうどRINE入れようと思ってたとこ」
スマホをかざして郁実が言う。その目はもの言いたげに俺を見遣った。隣のクラスにまで噂は届いているらしい。
「で、彼女ってどういうことだよ」
「いや……それが、昨日さ、1組の城田さんに告白されたときに『彼女いるから』って言っちゃったんだよ……」
昨日、城田さんからの申し出を断ったのだが、『友達でいいからRINEのID交換してほしい』と食い下がられてしまい、仕方なしに『彼女がいるからID交換もできない』と嘘をついてしまった。
早く帰りたかったし、春斗のこともあってちょっとやけくそになってしまったせいもあるけど。
「それがまさかこんな早く広まるなんて……」
予想外の出来事に多分俺が一番驚いている。
「ったく、これだから無自覚系イケメンは……」
「冬璃は昔っから自分の外見には頓着なかったから仕方ない」
頭を抱える五十嵐の肩に郁実が手をおいた。
これはフォローしてくれてる……のか?
「そんなこと言われても……」
「どーすんの、否定せずこのまま彼女いる体でいく? その方が告白も減っていいかもだけど、冴木には本当のこと言っといた方がいいんじゃね? あ、告るからそのとき言えばいいのか……って、え、なに、なんかあった?」
「あー、それが……、春斗のやつ、後夜祭を過ごす相手がもう居るらしくて……」
五十嵐の問いに、俺の代わりに郁実が昨日の出来事を話してくれた。
「嘘だろ、おい」
本当、嘘ならよかったのに。
「せっかく冬璃が決心したのにな……」
「告白やめるのか?」
「……たぶん」
と濁したけど、俺の気持ちはほぼ確定していた。彼女がいる相手に告白するなんて、迷惑でしかないだろうから。春斗は優しいから、告白を迷惑なんて思わないと思うけど、俺自身がそれは嫌だった。
彼女がいる相手に、振られてもいいからと、自己満足のために春斗に告白することは憚られた。
「こば、ごめん! 俺が後夜祭で告れとか言ったからだ……さっさと告っとけばこんなことにはならなかったかもしれなのに……」
「五十嵐のせいじゃないって。どっちにしても考査前に告るなんて考えてもなかったから、結果は同じだった」
「けど」と引かない五十嵐を、「もう戻ろ」と遮った。実際、すでに予鈴が鳴ってHRが始まる時間だ。
「せっかく応援してくれた二人にはあれだけど、まぁ、初恋は実らないって言うし? 振られて気まずくなるくらいなら、当たって砕ける前にわかってよかったって思うことにするわ」
「冬璃……」
「こば……」
わかってる。たぶん二人には、今の俺がすっごく痛々しく映ってるんだってこと。
だけど、今の俺には、そう自分に言い聞かせて平静を保つことしかできなくて、まだなにか言いたそうな二人から逃げるように、さっさと教室へと戻った。
春斗には敢えて言う必要もないかなと思い、噂については俺から話していない。もし聞かれたら正直に伝えようと思ってはいたけれど、あれからそんな流れにはならなかった。春斗からすれば、俺の恋愛事情なんて興味もないんだと思う。
休み時間には相変わらず立花さんと二人の世界を作ってるし、考査後は絵のモデルもなくなると言っていたのになぜか今日も先に帰ってと言われ、春斗とはほとんど言葉を交わすことなく一日が終わる。
明日は約束していた料理をする日だけど……どうなるんだろうか。
本当なら後夜祭に誘うつもりだった日……。
かすかな希望さえも抱けなくなって、俺の世界は一瞬で色を失ってしまったかのようにどんよりとして楽しくもなんともない。
料理も、もういっかな。
こんな気持ちのまま、春斗と一緒の時間を過ごすのはきっと苦しいに決まってる。
――俺、春斗の幼なじみでいられるのかな。というか、いていいのかな。
時間が解決してくれるんだろうか。
今はとてもそんな前向きには思えないけど……。春斗への恋情を抱えたまま、何食わぬ顔で春斗の幼なじみとして隣にいても、いいのだろうか。
早く気持ちにケリをつけないとなぁ……。
そのためにも、やっぱり明日の料理は断ろうと決め、その理由をどうしようか頭を悩ませていた帰宅途中に春斗からメッセージが届いた。
『明日の約束だけど、急に美術部に文化祭準備のヘルプを頼まれてしまって、一緒に料理できなくなりました、ごめんなさい。文化祭が終わって落ち着いたらまたお願いします』
理由を考える必要がなくなってほっとした半面、春斗が俺との約束よりも立花さんを優先したことに虚しさを覚える。
「はぁ……駄目だなぁ」
文化祭は今しかできないことだし、特にうちの高校は準備期間が短いから春斗も人助けで断れなかったんだと思う。
どっちが大事とか大事じゃないとか、そういう話じゃないけど、凹むものは凹む。そしてこんなささいなことで凹む自分が嫌になる。
俺がそんなことを思う資格なんて、ないのに。
春斗の特別は、俺じゃないんだから。
考えれば考えるほど、どつぼに嵌っていくばかりで、俺は帰宅するなりベッドにダイブした。
試験の疲れも取り切れていないのもあり、俺はそのまま夢うつつに身を任せる。
夢と現実の狭間を漂っていると、玄関のドアが開く音が聞こえて、春斗が帰ってきたんだと頭の端で思う。頭の中は靄がかかったように機能せず、瞼は鉛のように重たくて再び意識が沈みかけたとき。
コンコン、とドアがノックされ、意識が一気に現実に引き上げられた。
「ふゆくん、ちょっといい?」
春斗だ。
明日のことを謝りにきたのかもしれない。
どうしよう、話したくない……。
今、春斗と顔を合わせて話したら、自分がなにを口走るかわからなかった。
このまま寝たフリして過ごしてしまおうと、俺はベッドに横たわったまま春斗の声に無視を決め込む。するとなにを思ったのか、春斗はドアを開けて中に入ってきた。
「寝てる……?」
――そう、寝てるから諦めて。
心の中で返事をして、俺は春斗が出ていくのを息を殺してじっと待つ。
だけれど、春斗の気配は遠のくどころか近づいてきた。
しゃがんだような衣擦れの音がすぐそばで聞こえ、春斗の気配と視線をひしひしと感じる中、俺は心を無にして耐える。
「ふゆくん……」
少し掠れた、今にも消えそうな声で名前を呼ばれ、鼓動が急激に速度を増す。
額になにかが触れたと思えば、最近伸びてきた前髪をかき分けるように流された。その動作から、ひやりと冷たいそれは、春斗の指先だとわかる。
春斗に触れられている。
そう意識したら、体温がぐんぐん上昇していった。
――なんで、そんな風に触れるんだよ。
手つきのあまりの優しさに、込み上げてくるものがあった。
言葉にできない感情が俺に気付かせる。
こんな風に、触れられたり触れたりしたかった。春斗は俺の特別で、俺も春斗の特別でありたいと知らしめるように触れあいたかった。冷たさも温かさも、お互いの温度を感じたかったんだと。
もう、叶わないのに、願ってしまう。
溢れ出る感情を押し込めて、表情に出さないように必死に寝たフリを決め込んでいると、今度はさっきよりも温かな感触が頬に当たる。それは、そっと押し当てられて、そっと離れていく。
「あっ……俺……っ、ごめん……」
勢いよく立ち上がった春斗が出ていき、誰もいなくなった部屋は再び静けさを取り戻した。
足音も聞こえなくなったのを確認して、俺は起き上がる。
今起こったことが信じられなくて、指とは違う感触とぬくもりが残るそこを確かめるように手で触れた。
「……え、今の、なに?」



