一難去ってまた一難。
 あの二人に相談できて、拒絶されなかったまではよかったのに、今度は目の前に「告白」の二文字を突き付けられて頭を抱えていた。
 好きで、意識するあまりぎこちない態度になってしまって、情けない気持ちと春斗に申し訳ない気持ちと板挟みになってどうしたらいいのかわからなくて……。助けてほしい一心で二人に打ち明けたのだけど、自分が春斗にこの気持ちを伝える、なんて選択肢は持ち合わせていなかった。
 恋愛にポンコツ過ぎる自分が情けないにも程がある。
 だけど、告白しても振られて気まずくなる未来しか見えなかった。
 ここ最近、春斗と立花さんはますます一緒にいることが多くなった。前までは休み時間や昼休みだけだったのが、ここ数日、春斗は放課後まで立花さんの部活に付き合っている。文化祭に展示する美術部の課題で、春斗の絵を描いているらしい。
 写真じゃ駄目なのかとか、どうせ一緒にいるための口実じゃないのかとか、性格の悪いことを考えてしまう。
 そして、周囲は近づいた二人を当然のように噂していて、数人の女子や男子から「あの二人って付き合ってるの?」と聞かれることが増えた。その度に俺は「知らない」と返しているけれど、心の中では「俺が知りたいっつーの」とぼやいていた。
 きっと、立花さんと付き合ってるのかと聞けば、春斗は教えてくれるだろう。
 だけど春斗の口から「付き合ってる」と肯定されるのが怖くて、俺から立花さんの話は聞けないままだった。
 それに例え立花さんと付き合っていなくても、「今は誰とも付き合うつもりはない」と言って告白を断っているのだから、俺が気持ちを春斗に伝えたところで御多分に漏れず断られるのが関の山だろうし。
 ただのクラスメイトだったならまだしも、俺は春斗と一緒に暮らしているのだ。
 断られた後も一つ屋根の下で生活していくなんて、お互いに気まずすぎる。なにより俺がツラい。
「告白なんて無理だってぇ……」
 ――あいつら、簡単に言いやがって。
 なんて恨みがましく思ってしまう。
「はー駄目だ、集中切れた」
 テスト勉強をしていたのに、気付けば春斗のことを考えていて手が止まっている。これ以上やっても集中できそうになくて、頭を切り替えるためにシャワーを浴びようと風呂場に向かった。
 しかし、風呂場のドアに手を掛けた瞬間、「冬璃ー! ちょっとパン粉足りなくなっちゃったから買ってきて!」と、タイミングを見計らったように指令が飛んできた。
 確か今日はトンカツだって言ってたから、これは拒否権のないやつだな……。
 まあ、ちょうど気分転換もしたかった俺はちょうどいいか、とおつかいに出ることにした。
「駅前のスーパーで、パン粉と安かったらレタスよろしくー」
「安かったらって、大体いくらだよ」
「んー、今なら130円くらいかなぁ。あと好きなアイスでも買っておいで。あ、はるちゃんの分もね」
「はいはい。って、はるは?」
「そういえば、まだ帰ってきてないわね。珍しい」
 二人してリビングの時計を見遣る。もう少しで19時になるところだった。
「冬璃から連絡しておいてくれる? 大丈夫だと思うけど念のため」
「……わかった」

 お金とエコバッグを受け取り家を出た俺は、春斗に何時頃帰るのかRINEでメッセージを送ってからチャリで駅を目指す。日が長くなって、もうすぐ夜の7時だと言うのに外はまだほんのりと明るい。
 それでも風は幾分か涼しくて、チャリのスピードも加わって頭がすっきりする。さっきまでもやもやしていた気持ちも少しだけ晴れた心地になった。
 5分も走らせれば、目的地のスーパーが視界に入る。ちょうど駅前の信号で止まったとき、なんとなしに見た駅のロータリーに春斗の姿を見つけた。
「なんで……」
 高校は、通学路からちょっと外れたところにあるため、普通に帰る分には通ることはない。ということは、春斗はなにか用があって来たんだろう。と思ったところで、立花さんが電車通学だったことを思い出して、またさっきのもやもやが息を吹き返した。
 駅前には大きな噴水があって、それをぐるりと囲うようにローターリーが設けられている。このスクランブル交差点をまっすぐ渡れば間違いなく春斗と行き合うけれど、斜めに渡れば気付かれないかもしれない。
 そうしようと、チャリのハンドルを動かして向きを変えたのと同じタイミングで、春斗が俺を呼んだ。
「ふゆくん!」
 駆け足で道路沿いまで来た春斗が、片手を高く挙げて振ってくるので仕方なく俺も手を振って返す。信号が青になり、チャリから降りて春斗と合流した。
「ふゆくんどうしたの、こんな時間に」
 春斗は当然のように俺の隣に並んでついてくる。こちらを見上げる春斗を視界の端に捉えながらも、やっぱり俺は顔を合わせられない。前方を見ながらスーパーへ歩を進める。
「買い出し頼まれた。パン粉切らしたんだと。はるこそ遅かったな」
「うん、絵のモデルやってたらこんな時間になっちゃったから、立花さんと曽根さんを駅まで送っていったとこ」
「そっか……」
 二人きりじゃなかったというだけで、胸がすっと軽くなる。渦巻いていた嫉妬が風に流されていく。それでももやもやが全部なくなったわけでもなくて。
 ちょっとしたことで沈んだり浮いたり(せわ)しない感情に振り回されるこの状態が、結構しんどかった。
 恋って、こんなに苦しいんだ。
 もっときらきらして、楽しいものだとばかり思っていた。
 はるちゃんに恋していたときは、こんな風に会うどころか話すことすらできず、ただ想いを馳せるだけだったからきっと苦しくなかったのだろう。
 こうして身近な距離で、想いを寄せている相手と相対する恋は、苦しさや切なさを伴うものなのだと初めて知った。
「てか、買うもの少ないから先帰ってていいよ。疲れただろ」
「……俺がついてくと、迷惑?」
「迷惑なわけない。早く帰りたいかなって思って」
「なら俺にも買い物付き合わせて。……最近ふゆくんと全然話せてなかったから、少しでも一緒にいたい」
 春斗の思いがけないストレートな言葉が胸を突く。
 俺が極力避けているのと、春斗が絵のモデルで忙しいのが重なってのこととは言え、後ろめたさが押し寄せたけれど、それを上回る嬉しさがあった。
 春斗が、少しでも俺と一緒の時間を持ちたいと思ってくれていることもだし、それをこうして言葉にして伝えてくれたことが、俺をたまらなく喜ばせる。こんな嬉しさも、近くにいるからこそ味わえる気持ちだった。

 パン粉とアイスを買ってスーパーを出ると、外はすっかり暗くなって月が昇っていた。熱気のこもった空気が足元を漂う。夜独特の匂いと、すぐ隣にいる春斗の存在を感じながら、空の低いところに昇った月を見ていた。
「もうすぐ考査だね」
「だなぁ。はるはモデルで忙しそうだけど、テスト勉してるか」
「全然。来週から本格的にやらないと本気でヤバいかも」
「来週から試験前で部活もできなくなるから時間はできるな」
「うん、多分モデルもひと段落すると思うから……そしたらまた一緒に帰れるね」
 当たり前のように俺との時間を「日常」としてくれているのが、嬉しくもあり、苦しくもある。
「あ、それなんだけど……、俺さ、考査明けからバレー部に入ることにしたんだ。だから放課後は一緒に帰れなくなるかも」
「えっ! それ本当⁉」
 ぱぁっと顔をほころばせた春斗に俺も笑顔で頷く。
「はるのおかげで、決心ついた」
「そっかぁ……よかった……、俺も嬉しい。あ、けど、一緒に帰れなくなるのは残念だな……。それに、土日も部活になるよね?」
「あぁ、そうだな。でも、放課後はともかく、土日ははるも立花さんと出かけたりするんじゃないのか?」
 一言「立花さんと付き合ってるんだろ?」って聞けばいいだけなのに、やっぱり聞けなくて、さぐるような言葉を投げかけてしまう。すると春斗は、目を丸くして不思議そうな顔をした。
「え? 絵のモデルも終わるし、立花さんと出かけるようなことはないと思うけど……?」
「そ、そっか……」
 ――てことは、二人は付き合ってるわけじゃない?
 だからって、俺の思いが通じるわけじゃないのに、自分の都合のいい方に解釈して気持ちが一気に浮上してくる。
「部活は、考査明けの月曜日から?」
「うん、そう。だから土日ゆっくりできるのも残り僅かだなー」
「じゃ、じゃぁ、考査の週の土曜日、前に一緒にご飯作ろうって言ってたやつ、や、やりたい……な」
 駄目?とこちらを覗き込んできた春斗と、半ば強制的に目が合った。反射的に歩が止まり、見つめ合う形になる。
 嫌でも跳ねる心臓。上がる脈拍。チャリのハンドルを握る手に力が籠る。暗い夜道で茶色い瞳は、街灯の光を反射していつもより輝いて見えて、綺麗で……恥ずかしさから目を逸らしたいのに、逸らせない。
「だめじゃ、ない。俺もやりたい」
「やった! ふゆくんの好きなもの作りたいから、それまでになに食べたいか考えておいてね」
 俺の好きなことやものを大切にしようとする、春斗の優しさが温かくて嬉しいのに、胸が苦しくてどうしてか泣きそうになった。