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「ひーっ! お腹痛いっ! もうだめ、腹筋ちぎれるー!」
俺の悲痛な叫びから仕切り直し、ダイニングテーブルを囲ってティータイムとなった。と言ってもダイニングテーブルは四人しか座れないので、俺とはるちゃん――もとい春斗はソファに座っている。
大笑いする母親を横目で睨みながら、こちらのローテーブルに出されたお菓子をつまんで口に放り込む。普段では食べられないようないいお菓子も、今はなんとなく味気ない。
さっきから隣の春斗は仏頂面を決め込んでいる。整っているだけに凄味が増して怖いので、極力視界に入れないようにしていた。
「ちょっと怜ちゃん……、笑い過ぎよ……ふ……ふ……」
そう言って俺の母親を窘める千佳さんも、口をきゅっと結んで笑うまいとしているが堪えきれていないので同罪確定。
「そもそも、千佳が春斗の髪を伸ばして結んだりしてたのが悪いんじゃないか」
春斗のお父さんのセリフに俺は頭を抱えた。
元凶はあなたでしたか、千佳さん。
そうだ、はるちゃんは、どっからどう見ても女の子だったよなと記憶を辿る。
いつだって可愛い髪留めで髪を結んだり編み込んだりしていたし、着ている服だってスカートでこそなかった気はするが、パステルカラーの女の子っぽいものばかりだったはずだ。
「だって、娘の髪を結ったり着飾ったりするのが夢だったんだものー」
「わかるわぁ、男の子って服とか代わり映えしなくてつまんないのよ。私だって、はるちゃんみたいに可愛い息子がいたら千佳ちゃんと同じことしてたわね」
可愛い息子じゃなくて悪かったな……。
さらっと嫌味を言われたので、母親を睨み返しておく。
「でもまさか、ふゆくんの初恋を奪っちゃったなんてねぇ。罪なことをしちゃったわぁ……ふ、ふふ……」
言葉の割には全然反省の色が見えませんけどね。
「仕方ないわね、小さい頃のはるちゃん可愛かったもの。それが、こんなにイケメンに育って! 彼女の一人や二人いるんじゃない?」
「それが、この子ったらそういうの全然ないの! 彼女なんて見たことも聞いたこともないのよ」
「えー? そうなのー? まぁうちもだけどさぁ――……」
ますます盛り上がる母親たちにうんざりして、俺はテーブルに向き直る。ちらっと隣を盗み見るも、春斗は相変わらず無言を貫いていつの間にかスマホをいじりだしていた。
あんまり喋らないのかな。
記憶の中のはるちゃんは、おしゃべりも大好きでいつもにこにこしてるイメージなだけにギャップがすごい。十年以上の月日というのは、こんなにも人を変えてしまうのか。
「なぁ、ほんとに彼女いたことないの?」
母親たちに聞こえないように声を潜めながら少し体を寄せると、春斗はびくっと体を引いて距離を取った。
「……え?」
やっとこちらを見たと思えば、眉間に皺を寄せて害虫でも見るかのような顔だった。やっぱり俺が春斗を女だと勘違いしていたことが気に障ったのかもしれない。
「あっと……、だから、彼女の話……」
圧に気圧されて語尾がしぼんでしまった。
春斗はさらに皺を深くして無言で顔を逸らす。
「あ、ごめん……無神経だったよな……」
いくら昔に面識があるからといって、プライベートな話題に踏み込み過ぎてしまったかも、と今更反省する。たとえ居たとしても、母親にだって言っていないことを俺なんかに言ってくれるはずもないのに。
それきりなにも言えなくなって、二人の間に再び沈黙が訪れた。
一時間前の俺のドキドキは一体どこへやら。
これから春斗と一緒に暮らすんだと考えると、上手くやって行けるのか不安しかない。気が重くなるばかりで、ふわふわと浮いていた気分は、気付けば地の底へと沈んでいた。
「はぁ……」
マジで俺の初恋どこいった……。
口から深い溜息だけが零れ落ちた。
「――ここがトイレでそっちが風呂。タオル類はこの引き出しで、使ったタオルとか着替えはこの籠ん中な」
俺は、春斗に家の中を説明しながら案内していく。両親は、ひとしきり話に花を咲かせたあと春斗の両親を駅まで送りに行っていて、今は春斗と二人きり。
気まずい空気は相変わらずだし、春斗は話を聞いているのかいないのかさっぱりわからない無反応状態だけど、母親から「案内しておきなさい!」と命令が下ったので遂行している次第だ。
『ふゆくん、春ってば今はぶすっとしてるけど照れてるだけなのよ。ずっとふゆくんに会うの楽しみにしてたから……仲良くしてやってね』
千佳さんから帰り際に言われた言葉を思い出す。
いや……これ、照れてるとか、そういうレベルじゃなくね?
目も合わせないし、返事もない。
とても、自分に会うことを楽しみにしていたような反応ではないと思う。
まぁ、悪いのは俺なんだけど……たぶん。
「んで、ここがはるちゃ……」
つい癖で出た呼び方に、春斗が過剰なくらいビクリと反応を見せた。物凄い勢いで顔を背けられてしまう。
「わ、悪い……。さすがにちゃん付けはないよな。えっと、春斗くん、でいい?」
念のためお伺いを立てると、春斗は少しだけこちらに顔を向けて口を開いた。
「……で」
「え? なんて?」
「……はるで、いいから」
「ん、春斗でいい?」
「……はるって呼んでほしい……」
「お、おぉう……」
そこは、愛称で呼んでいいのか。
そういえば千佳さんもはるって呼んでたな、と頭の片隅で思う。ちょっとだけ壁が薄くなったような気がして、安堵の気持ちが胸に生まれた。
「じゃー、はるって呼ぶわ。俺のことは好きに呼んでくれていいから。で、ここがはるの部屋な。隣は俺の部屋だから、なんかあれば声かけて」
きっと疲れているから早く一人で休みたいだろう。自分のことを女だと思い込んでいた気持ち悪い俺とはさっさと離れたいだろうと思い、案内も簡潔に切り上げることにした。
そもそもごく一般家庭の家で迷って困るなんてことはないだろうし。
「あ、あと、さっきはごめん」
十年ぶりとはいえ、ひどい態度を取ってしまったことに謝罪していなかったのを思い出し一言だけつけ加える。
「女だと勝手に勘違いされてて、しかも初恋だとか言われたら誰だって嫌だし気持ち悪いよな」
「あ……いや、」
「でも、はるはもう男だってわかったし、初恋って言っても昔のことで俺の中では過ぎたことだし」
春斗はなにかを言いかけた口を閉じて、眉間にしわを寄せて顔をゆがめる。俺の言っている意味が上手く伝わってないのかもしれない。どうにか誤解を解こうと頭をフル回転させる。
「……えっと、なにが言いたいかと言うと、はるのことをそういう対象で見ることはないから、そこは安心してくれってこと! これから一緒に暮らすんだし、友達として仲良くしてもらえたら嬉しい。よろしくな!」
じゃ、と片手をあげて、自室へと逃げるように駆け込む。もし、友達としても拒絶されたらと思うと怖くて、春斗の返事を聞くのが怖かった。
閉じた自室のドアにもたれかかり、どっと押し寄せてきた疲れを吐き出すように深呼吸をする。
期待……してたんだな、俺……。
思い描いていたものとはかけ離れてしまった再会に、落胆を隠しきれない。
恋愛に発展するかも……と一ミリも期待しなかったと言えばうそになる。だけど、友達として仲良くやっていきたいと考えていたのも本心で……。
春斗が男だったところで、俺の大事な幼なじみだという事実は変わらないし、十五歳で両親と離れて暮らすなんてきっと心細いだろうから、できることなら少しでも春斗の助けになりたいという自分の気持ちも変わっていなかった。
あ……そういえば、はるの笑った顔、まだ見れてないや。
十年の時を経て、イケメンになった春斗の笑った顔はどんなだろうかと、幼なじみのまだ見ぬ笑顔に思いを馳せた。
「ひーっ! お腹痛いっ! もうだめ、腹筋ちぎれるー!」
俺の悲痛な叫びから仕切り直し、ダイニングテーブルを囲ってティータイムとなった。と言ってもダイニングテーブルは四人しか座れないので、俺とはるちゃん――もとい春斗はソファに座っている。
大笑いする母親を横目で睨みながら、こちらのローテーブルに出されたお菓子をつまんで口に放り込む。普段では食べられないようないいお菓子も、今はなんとなく味気ない。
さっきから隣の春斗は仏頂面を決め込んでいる。整っているだけに凄味が増して怖いので、極力視界に入れないようにしていた。
「ちょっと怜ちゃん……、笑い過ぎよ……ふ……ふ……」
そう言って俺の母親を窘める千佳さんも、口をきゅっと結んで笑うまいとしているが堪えきれていないので同罪確定。
「そもそも、千佳が春斗の髪を伸ばして結んだりしてたのが悪いんじゃないか」
春斗のお父さんのセリフに俺は頭を抱えた。
元凶はあなたでしたか、千佳さん。
そうだ、はるちゃんは、どっからどう見ても女の子だったよなと記憶を辿る。
いつだって可愛い髪留めで髪を結んだり編み込んだりしていたし、着ている服だってスカートでこそなかった気はするが、パステルカラーの女の子っぽいものばかりだったはずだ。
「だって、娘の髪を結ったり着飾ったりするのが夢だったんだものー」
「わかるわぁ、男の子って服とか代わり映えしなくてつまんないのよ。私だって、はるちゃんみたいに可愛い息子がいたら千佳ちゃんと同じことしてたわね」
可愛い息子じゃなくて悪かったな……。
さらっと嫌味を言われたので、母親を睨み返しておく。
「でもまさか、ふゆくんの初恋を奪っちゃったなんてねぇ。罪なことをしちゃったわぁ……ふ、ふふ……」
言葉の割には全然反省の色が見えませんけどね。
「仕方ないわね、小さい頃のはるちゃん可愛かったもの。それが、こんなにイケメンに育って! 彼女の一人や二人いるんじゃない?」
「それが、この子ったらそういうの全然ないの! 彼女なんて見たことも聞いたこともないのよ」
「えー? そうなのー? まぁうちもだけどさぁ――……」
ますます盛り上がる母親たちにうんざりして、俺はテーブルに向き直る。ちらっと隣を盗み見るも、春斗は相変わらず無言を貫いていつの間にかスマホをいじりだしていた。
あんまり喋らないのかな。
記憶の中のはるちゃんは、おしゃべりも大好きでいつもにこにこしてるイメージなだけにギャップがすごい。十年以上の月日というのは、こんなにも人を変えてしまうのか。
「なぁ、ほんとに彼女いたことないの?」
母親たちに聞こえないように声を潜めながら少し体を寄せると、春斗はびくっと体を引いて距離を取った。
「……え?」
やっとこちらを見たと思えば、眉間に皺を寄せて害虫でも見るかのような顔だった。やっぱり俺が春斗を女だと勘違いしていたことが気に障ったのかもしれない。
「あっと……、だから、彼女の話……」
圧に気圧されて語尾がしぼんでしまった。
春斗はさらに皺を深くして無言で顔を逸らす。
「あ、ごめん……無神経だったよな……」
いくら昔に面識があるからといって、プライベートな話題に踏み込み過ぎてしまったかも、と今更反省する。たとえ居たとしても、母親にだって言っていないことを俺なんかに言ってくれるはずもないのに。
それきりなにも言えなくなって、二人の間に再び沈黙が訪れた。
一時間前の俺のドキドキは一体どこへやら。
これから春斗と一緒に暮らすんだと考えると、上手くやって行けるのか不安しかない。気が重くなるばかりで、ふわふわと浮いていた気分は、気付けば地の底へと沈んでいた。
「はぁ……」
マジで俺の初恋どこいった……。
口から深い溜息だけが零れ落ちた。
「――ここがトイレでそっちが風呂。タオル類はこの引き出しで、使ったタオルとか着替えはこの籠ん中な」
俺は、春斗に家の中を説明しながら案内していく。両親は、ひとしきり話に花を咲かせたあと春斗の両親を駅まで送りに行っていて、今は春斗と二人きり。
気まずい空気は相変わらずだし、春斗は話を聞いているのかいないのかさっぱりわからない無反応状態だけど、母親から「案内しておきなさい!」と命令が下ったので遂行している次第だ。
『ふゆくん、春ってば今はぶすっとしてるけど照れてるだけなのよ。ずっとふゆくんに会うの楽しみにしてたから……仲良くしてやってね』
千佳さんから帰り際に言われた言葉を思い出す。
いや……これ、照れてるとか、そういうレベルじゃなくね?
目も合わせないし、返事もない。
とても、自分に会うことを楽しみにしていたような反応ではないと思う。
まぁ、悪いのは俺なんだけど……たぶん。
「んで、ここがはるちゃ……」
つい癖で出た呼び方に、春斗が過剰なくらいビクリと反応を見せた。物凄い勢いで顔を背けられてしまう。
「わ、悪い……。さすがにちゃん付けはないよな。えっと、春斗くん、でいい?」
念のためお伺いを立てると、春斗は少しだけこちらに顔を向けて口を開いた。
「……で」
「え? なんて?」
「……はるで、いいから」
「ん、春斗でいい?」
「……はるって呼んでほしい……」
「お、おぉう……」
そこは、愛称で呼んでいいのか。
そういえば千佳さんもはるって呼んでたな、と頭の片隅で思う。ちょっとだけ壁が薄くなったような気がして、安堵の気持ちが胸に生まれた。
「じゃー、はるって呼ぶわ。俺のことは好きに呼んでくれていいから。で、ここがはるの部屋な。隣は俺の部屋だから、なんかあれば声かけて」
きっと疲れているから早く一人で休みたいだろう。自分のことを女だと思い込んでいた気持ち悪い俺とはさっさと離れたいだろうと思い、案内も簡潔に切り上げることにした。
そもそもごく一般家庭の家で迷って困るなんてことはないだろうし。
「あ、あと、さっきはごめん」
十年ぶりとはいえ、ひどい態度を取ってしまったことに謝罪していなかったのを思い出し一言だけつけ加える。
「女だと勝手に勘違いされてて、しかも初恋だとか言われたら誰だって嫌だし気持ち悪いよな」
「あ……いや、」
「でも、はるはもう男だってわかったし、初恋って言っても昔のことで俺の中では過ぎたことだし」
春斗はなにかを言いかけた口を閉じて、眉間にしわを寄せて顔をゆがめる。俺の言っている意味が上手く伝わってないのかもしれない。どうにか誤解を解こうと頭をフル回転させる。
「……えっと、なにが言いたいかと言うと、はるのことをそういう対象で見ることはないから、そこは安心してくれってこと! これから一緒に暮らすんだし、友達として仲良くしてもらえたら嬉しい。よろしくな!」
じゃ、と片手をあげて、自室へと逃げるように駆け込む。もし、友達としても拒絶されたらと思うと怖くて、春斗の返事を聞くのが怖かった。
閉じた自室のドアにもたれかかり、どっと押し寄せてきた疲れを吐き出すように深呼吸をする。
期待……してたんだな、俺……。
思い描いていたものとはかけ離れてしまった再会に、落胆を隠しきれない。
恋愛に発展するかも……と一ミリも期待しなかったと言えばうそになる。だけど、友達として仲良くやっていきたいと考えていたのも本心で……。
春斗が男だったところで、俺の大事な幼なじみだという事実は変わらないし、十五歳で両親と離れて暮らすなんてきっと心細いだろうから、できることなら少しでも春斗の助けになりたいという自分の気持ちも変わっていなかった。
あ……そういえば、はるの笑った顔、まだ見れてないや。
十年の時を経て、イケメンになった春斗の笑った顔はどんなだろうかと、幼なじみのまだ見ぬ笑顔に思いを馳せた。



