一人で帰宅した俺は、音を立てないように玄関ドアをそーっと開けて、まるで泥棒のように静かに家に入った。しかし、そこにあるはずの春斗のローファーがないことに気付き、肩透かしを食らったような気分になる。
 それでも春斗と顔を合わせずに済んでほっとしている自分もいて、足早に靴を脱いで自室へと駆け込んだ。
 俺より先に帰ったはずの春斗がまだ帰っていないことを不思議に思うも、なんだかどっと疲れが押し寄せてベッドに崩れるようにうつ伏せになる。制服も脱がないといけないのに、体が言うことを聞かなかった。
 宿題もあるし、テスト勉強もしないといけない。
「あー駄目だ、なにも考えたくない」
 あれだけ検索して情報収集したにも関わらず、これといったものは得られなかったし、気持ちの整理も全くつかなかった。
 考えるのも嫌になって、頭を強制シャットダウンさせようと目を瞑れば、意識も一緒に閉ざされた。

 つぎに目を覚ましたのは、母親の俺を呼ぶ声。
 案の定皺になった制服を脱ぎ部屋着に着替えてリビングへ行くと、そこには夕飯の支度を手伝っている春斗の姿があった。
「ふゆくん、もしかして寝てた?」
 ついいつもの癖で目が合って、ドキリと心臓が跳ねる。
「え、なんで」
 どうしてバレたのか、寝癖でもついたかと頭に手をやる俺を春斗は柔らかく笑った。
「帰ってきたら家の中すごい静かだったから、そうかなって」
「あぁ……」
 できるだけ平然を装おうと思うのに、恥ずかしさやら緊張やら後ろめたさやらがないまぜになってそっけない態度になってしまう。視線を逸らして、俺も夕飯の支度を手伝った。
「あら、今日は一緒じゃなかったの? はるちゃんのが遅くなるなんて珍しい」
「ちょっと友だちに頼まれごとされて学校に残ってたんです」
「それって、立花さん……?」と思わず口をはさんでしまう。聞いてどうするんだ、と自分を殴ってやりたくなる。
「うん、そう」
 やっぱりそうだよな。
 どうせそうだろうとわかっていたのに、いざ現実を知ると胸がズキズキと痛んで、どうしようもない自分の馬鹿さ加減に辟易としてしまった。
「そう、仲のいいお友達ができたのね。冬璃がかまってちゃんだからはるちゃんの交友関係邪魔してないか心配してたのよ」
 ――なんだよかまってちゃんって。
 母親の言葉にちょっとイライラしながらも、肉じゃがの入った皿をダイニングテーブルに置く。文句を言ってやりたいところだけど、そんなことを言ったら最後、つらつらと正論を並べ立てられるのは目に見えているのでここはぐっと我慢。
 実際問題、春斗が可愛くて構ってしまってるのは俺の方だし、郁実や五十嵐からも「過保護」と言われている身としては反論したくてもできないのだけど。
「違うよ怜子さん、構ってもらってるのは俺の方だから……いつもふゆくんに頼ってばかりで」
 相変わらず優しい春斗のフォローに、胸がジーンと熱くなる。
 なんていい子なんだ、春斗は。
「もー! 優しい子! 冬璃のことなんか気にしないでその辺ほっぽっておいていいんだからね?」
 あまりにも酷い言い草に眉を顰めるが、母親はこっちなんか見てもいない。推しでも見るような目で春斗に釘付けになっている。そりゃ俺みたいな可愛くない息子より、春斗みたいに素直で優しい息子の方が可愛いのは当たり前だ。
 ようやく夕飯がテーブルの上に揃い、「さ、食べましょう」と着席が許された。三人でいただきますをして、各々が料理に箸を伸ばす中、寝起きで喉が渇いていた俺は、料理の前に麦茶を一気に呷った。
「でも俺、ふゆくんと一緒にいるのが一番落ち着くし、す、好き、だから……」
「ブッ……ごほッ……ごほッ」
「あーもうっ、冬璃、汚い」
「ごめっ」
 春斗の口から出た『好き』というワードに過剰反応してむせてしまう。
 ――落ち着け、俺。俺を好きなんじゃなくて、一緒にいるのが好きってことだから! しかもそれはLIKEの方! LOVEじゃない!
 思わず勘違いしそうになる自分を説得するように、強く言い聞かせる。今日の今日で春斗の口から繰り出されるそれの破壊力たるや、すさまじいものがあった。
 むせたのと恥ずかしいのとで、顔が焼けるように熱い。
 そんな顔を見られたくないのもあり、隣に座る春斗を見れない。
「せっかくはるちゃんが嬉しいこと言ってくれたのに」
 頼むから話を蒸し返さないでくれよ。
 俺の心境なんか知る由もない母親に八つ当たりしたくなる。
「大丈夫?」
 覗き込んでくる春斗の視線から逃れたい一心で、ティッシュで乱暴に口元を拭う。
「俺が変なこと言ったから……ごめんね」
「大丈夫だから……。そ、それに、俺も、はると一緒にいるのは……す……」
 自然と思っていることが口をついて出た。別に変な意味じゃなくて、友達として春斗と一緒にいるのが好き。そう言ったところで春斗も母親も、別の意味で受け取るわけがないんだからそのまま言ってしまえばいいのにどうしても言えなくて口が動かなくなった。
 二人の視線を一身に浴びているこの状況がたまらなく気まずくて、
「すごく楽しいから、ありがとな」と早口に言い切る。
 本当だけれど、本当じゃない言葉を口にして食事を再開した。
 ――けどさ、俺が一番なら、なんで俺より立花さんと一緒にいるんだよ。
 春斗を(なじ)ってしまいそうになる自分が嫌だ。
 本当の気持ちを言いたいのに言えないのも、春斗を見たいのに見れないのも、想像以上にツラかった。