「で、冬璃はなんで告白断ってんの?」
 昼休み、またしても告白の呼び出しから戻ると、唐突に郁実に訊ねられた。
「なんだよ、急に」
「ちょうど今、なんでこばは彼女作らないんだろうなって郁実と話してたんだよ」
 俺たちは三人で屋上へと続く階段の踊り場で昼飯を食べていた。春斗は、例のスケッチとやらで絵のモデルの続行を頼まれ、立花さんと美術室で食べている。
「なんでって……、好きでもない相手と付き合えないだろ」
 今日告白してきてくれた人は、隣のクラスの子だったけど、話したこともなければ名前だって知らなかった関係だ。
 それを、好きだと言われたからと付き合うのは違う気がするし、付き合いたいとも思えなかったから申し訳ないけれどお断りした。
「好きでもないってなぁ……、RIMEのID交換すらも断ってるヤツがよく言うわ、好きになる気もないだろ」
「それは……」
「さすがに初恋のはるちゃん(・・・・・)はもう吹っ切れただろ? ちょっといいなって思う子がいたら、試しに付き合ってみればいいじゃん」
 矢継ぎ早に二人から詰め寄られ、俺はむっとする。二人には、藤本のことで礼を言わなきゃいけないのだが……、また折を見て伝えよう。
「試しにとか、そういうの俺は無理。俺のことはもうほっといて」
「つまんねーの」と文句を垂れる二人を無視して、俺は弁当を勢いまかせにかきこんだ。

 午後の授業中、退屈な日本史の話を耳に流しながら、郁実の言っていたことについてつらつらと考えていた。
 はるちゃん(・・・・・)のことを吹っ切れたかと聞かれると、正直なところ、NOだ。
 どんなに見た目の整った子に告白されても、相変わらず俺の心は一ミリも動かない。
 そして、もっと厄介なことに、告白されるとき頭に真っ先に浮かぶのは、春斗(・・)の顔だった。
 気づけば春斗のことばかり考えている自分がいる。
 ――だってさ、あんなん反則だろ……。昔となんにも変わってないんだもん……。
 春斗が俺に『幸せな方を選んでほしい』と言ってくれた日から早数日。
 春斗の言葉は、自信のなかった俺を優しく包み込んで、そっと背中を押してくれた。前に進んでもいいんだ、と思わせてくれた。
 なにより、郁実に藤本のことを聞いてくれたり、こうして言葉を尽くしてくれたりと、春斗が俺のことを思ってしてくれたことに胸がいっぱいになった。
 そもそも、春斗のことを外見で好きになったわけじゃない。もちろん、見た目も可愛くて好きだったんだけど……。
 だから、昔と変わらない、俺の好きな春斗がこんな近くにいて、吹っ切れるわけがなかった。
 春斗の存在が、俺の中で膨らんでいくのと比例するように、春斗が立花さんと仲良くなっていくことへの不安も大きくなっていく。

 ――春斗が立花さんと付き合ったらどうしよう。

 女子が苦手だと言っていた春斗が、誰かと付き合うという可能性を想像すらしなかった俺は、五十嵐にその可能性を指摘されて目から鱗が落ちた。
 春斗が、立花さんのことを知り、打ち解けて好きになったら、二人はきっと付き合うのだろう。
 女子とは必要最低限の対応で終わる春斗が、立花さんにだけは自分から話しかけるし、話しているときの表情はすごく穏やかで、声を立てて笑うくらいに楽しそうだ。その笑顔も、愛想笑いとかではなくごく自然な……。
 そう、俺といるときみたいに気を許した笑顔だった。

 ――俺だけが春斗の特別。

 優越感があっけなく崩れていき、胸が締め付けられる。
 春斗が立花さんと付き合ったら、きっと休み時間も昼休みも、もしかしたら登下校も彼女と一緒になるかもしれない。それどころか、休日だって彼女と二人で出かけることになって……。
 手をつないで一緒に歩き、好きなものを食べて「美味しいね」って笑いあって、同じ時間と感情を共有するんだ。
 ――その相手が、立花さんじゃなくて俺ならいいのに。……って、
「えぇっ⁉」
 自然と頭に浮かんできた自分の願いに驚いて、授業中ということを忘れて大きな声が出てしまった。慌てて手で口を押さえるも時すでに遅し。周囲の視線が俺に集まる。
 もちろん、先生も。
「なんだ小林、質問か?」
「あ、いや、なんでもないです」
「ほう、授業中に考え事とはいい度胸だなー」
「す、すみません」
 先生の咎めるような軽口にクラスが沸くけれど、それどころじゃない。
 ――今、俺、なんて思った……⁉
 脳内でイメージされていた、春斗と立花さんの微笑ましいデートシーンが、いつの間にか春斗と俺の二人にすり替わって再生され、その光景をごく自然に受け入れている自分がいた。
 それどころか、思い浮かんだことが現実になればいいのに、と望む自分が存在することを、自分自身に突き付けられた。
 ――そっか……俺、春斗のことが、好きなんだ。
 すとんと腑に落ちた感情を、俺はもう見て見ぬふりできなかった。
 距離を縮める春斗と立花さんの姿を見て感じた胸のもやもやや、特別でいたいと願う気持ちが、名称を伴って姿を表す。パズルのピースが綺麗にはまるように、やっと自分の胸の奥に身を隠していた気持ちを、今はっきりと理解した。

 すっきりしたのもつかの間、今度は違う問題の存在に気づく。
 それは、俺も春斗も男だということ。

 ――俺って、男が恋愛対象だったの……?

 今は、男とか女とか性別は関係ないって言うし、俺自身もそう思っていた。
 だけど、いざ自分が当事者となると、話は別問題だった。
 唐突に突きつけられたその可能性に、半ば呆然自失となる。これまで自分の性的指向なんて気にしたこともないし、女の子のはるちゃんに思いを寄せていたことから、普通に異性が好きだと思っていた。
 それが、ここにきてひっくり返されて、頭が真っ白になる。
 足元が崩れていくような感覚に襲われ胸の底がすくみ、動悸がして教科書を掴む手が震えた。
 これは、俺のアイデンティティに関わる問題だ。
 春斗が男でも女でも、春斗が大事だという俺の気持ちは変わらなかったはずだけど、それは結果論でしかない。
 はい、そうですかと簡単に受け入れられるレベルの問題じゃないのは確かで、とてもじゃないけど冷静に授業を受けている場合ではない。
 俺はポケットからスマホを取り出し、検索画面を開いてゴーゴル先生に助けを求める。
 とにもかくにも、情報が不足していた。
『同性を好きになった』『ゲイとは』『同性愛者 ゲイ』『性的指向 診断』
 思いついた言葉を片っ端から検索し、授業もそっちのけでネット記事を読み漁る。
 同性を好きになる=同性愛者で、男の自分はゲイという分類になるのだと思っていたが、調べているうちにそうとも限らないということを知る。
 特定の同性を好きになる例外があるだとか、同性異性どっちも好きになる両性愛者(バイセクシャル)、性別関係なくその人だから(・・・)好きになる全性愛者(パンセクシャル)なんてものまで出てきた。
 ――この中だと、これが一番しっくりくる気はする……。
 全性愛者(パンセクシャル)は、相手の性別に関係なく好きになる。だとすれば、春斗を女性だと思っていた昔と男性だと認識している今も同じ「好き」な俺の今の状況が当てはまる気がした。
「ふゆくん、帰らないの?」
 耳によく馴染む声に顔をあげると、不思議そうな顔の春斗が目の前に立っていた。さっきまで頭の中を占領していた張本人の登場に心臓が飛び跳ねる。
 いつの間にか授業も帰りのHRも終わり、教室内は帰り支度を済ませたクラスメイト達でがやがやと騒々しくなっていた。
「あ、あぁ、帰る……けど……」
 心臓が馬鹿みたいにどくどくとうるさく鳴って、スマホを持つ手が震える。
 ――え、どうしよう、俺……春斗のこと……、うわぁ……
 急にパニックになって、これまでどう接していたのか頭からすっ飛んでしまった俺は、目を白黒させた。
 口をパクパクさせて、阿呆面を晒しているに違いないが、言葉が出てこない。
 自分は、春斗のことが恋愛対象として好きで、付き合えたらと願っていて……。手をつないだり、恋人みたいなことをしたいと望んでいる自分に気付いてしまった今、春斗に対してどんな顔で相対すればいいのかわからなくなった。
「けど?」と春斗は首をひねり、話を促す。「ど」の発音で少し丸く象られた口元に目が吸い寄せられた瞬間、「キス」の二文字が頭の中に降って湧いた。
「キっ」
「き?」
 俺の奇行に春斗は不思議そうに目を丸くする。そんなあどけない顔も可愛すぎて駄目だ。
 一気に顔に熱が集中して、頭が沸騰した。
 わー!と叫びたい衝動に駆られる。
 ――嘘だろ嘘だろ! 俺の馬鹿! なに考えてるんだよ!
「あ、そう、えっと、ちょっと郁実と約束があったの忘れてた! 今日は先帰ってて! ごめん!」
「え、ふゆくん⁉」
 じゃぁ!と鞄を引っ掴み、春斗の声と視線から逃げるように走って教室を出た。

 心の中で何度も春斗に謝罪しながら、俺は隣の教室へと向かうも、郁実はすでに部活に向かった後で教室には居なかった。
 逡巡したのち、春斗と鉢合わせては元も子もない、と昇降口とは反対に向かって当てもなく歩を進める。
 その間に春斗には改めて謝罪のメッセージを送っておいた。
『急にごめん。用事あるの忘れてて』
 土下座のスタンプも押しておく。
 春斗には申し訳ないが、今は一人になって落ち着ける時間が必要だった。
 気づけば、特別棟につながる渡り廊下の前まで来ていた俺は、人の邪魔にならないように一番近くの階段を上り、廊下からは死角になる踊り場に座る。この上の階は、化学室や多目的室などのためよほど用のある人しか通らないはずだ。
「はぁ……」
 まだ心臓が激しく鼓動を打っていて、怒涛の嵐にみまわれたかのように頭も心もパンク状態だった。
 ただでさえいっぱいいっぱいだったのに、追い打ちをかけるかのごとく春斗が現れて……。
「キ……キスしたいって……」
 そう、思ってしまった。
 さっき見た春斗の薄い唇が、瞼に焼き付いて消えてくれない。
 ――あーもう、どんな顔して春斗に会えばいいんだ……。
 しばらくその場で時間を潰したけれど、なに一つ解決策など浮かばなければ、気持ちの整理もつかなかった。