「ふゆくん……、本当はバレー続けたいんだよね……?」
「え……、なに、急に」
 ついさっきちらっと考えていたことが話題に上って、俺は動揺してしまう。
「だって、バレーやってるふゆくん、すっごく楽しそうだった。きらきらしてた」
「……この前、話したじゃん、理由……」
 絞りだした声は、自分でも信じられないほど震えていた。
「藤本くんね、高校でもバレー続けてるんだって」
「……なんで、それ……」
「郁実くんに頼んで、五十嵐くんにも手伝ってもらって、友だち(づた)いに聞いてもらったの。勝手なことしてごめん! ……でも、ふゆくんに藤本くんとの話聞いて、俺なんだかやるせなくて……」
 まさか春斗が俺のためにそんなことまでしてくれていたなんて。驚きで言葉が出ない。
 それに、あの試合のあと、部活に一切来なかった藤本がバレー部に入ったと言うのも初耳だった。本当は気になっていたけど、もし高校でもバレーを続けていなかったら……と思うと怖くて誰にも聞けなかった。
 バレー部に入ったと聞いて、胸の内から込み上げたのは、安堵。俺のせいで藤本がバレーから離れてしまったことに対して、ずっと後悔が消えなかった。藤本もバレーが好きだって知ってたから、本当によかった。
「そっか……、またバレーやってるんだな……よかった……」
「だからね、」
「でも、だからって、俺がバレーをやるのは……」
 春斗が言わんとしていることを理解した俺は、それを遮った。結果的に、藤本はまたバレーに戻ったからよかったけど……、もしかしたら戻らなかったかもしれないし、実際バレーから遠ざかってしまった期間は消えない。
 だから、怖いんだ。
 また、俺の浅はかな言動で誰かを傷つけてしまうことが。
 スポーツ大会みたいに、その場限りの関係なら全然平気だけど……、チームワークが求められる部活でやっていくのは、怖くてたまらない。
 想像しただけで這い上がってくる恐怖感に、俺は膝の上の手をぎゅっと握りしめる。爪が食い込むほど力を込めたそれに、春斗の手がそっと重ねられた。
「俺ね、ふゆくんには、幸せな方を選んでほしいんだ」
 鼓膜を撫でる優しい声音と、触れた手から伝わる温もりが、強張った体を少しだけ緩ませてくれる。
「自分の心が、楽しい、嬉しい、幸せだって感じる方。藤本くんは、もう前を向いてる。だから、今度はふゆくんが自分の幸せを探す番だと思う」
 俺の、幸せ……。
 本当は……、ずっと、バレーをやりたいって思ってた。
 でも、こんな自分にバレーを続ける資格なんかないって思って、その気持ちに蓋をした。
 いいのだろうか……こんな俺が幸せな方を選んでも……。
「でも俺……怖いんだ。もしまた同じようなことになったらって」
 もちろん、バレーができるなら、やっていいなら、そっちを選びたい。だけど……、やりたい気持ちと同じくらいの恐怖心が俺の中から消えてなくならない。
「はるも、郁実とか五十嵐も、みんな俺のこと優しいって言うけど……違う、俺は弱いだけなんだよ」
 こんな弱音を吐くなんて、本当に情けないけど……どうしてか、春斗の前では口が勝手に動いて本音が零れてしまった。
 俺のために藤本のことを聞いてくれて、こうして俺の気持ちを受け止めてくれた春斗の前で、もう気持ちを隠すことなんてできやしなかった。
「ねぇ、ふゆくん。子どもの頃に初めて会ったとき、俺に11匹の犬の絵本読んでくれたの覚えてる?」
 急に10年も昔の話を振られて戸惑った俺が、「え、あ、そ、そうだった……かな?」と曖昧に返すと、「やっぱり忘れてると思った」と春斗は笑う。
「一言も喋れないでいる俺の隣にきて、絵本を読んでくれたんだよ。俺、人見知りでなんにも反応できないのに、話しかけてくれてずっと側にいてくれたの……。あれ、本当に嬉しかったんだよ。幼稚園のころ上手く友達と話せなくて、いっつも『喋んないからつまんない』って言われて誰も俺の相手してくれなかったんだ。だけど、そんな喋れない俺にも根気強く寄り添ってくれたのは、ふゆくんだけだった。再会してからもそう。人見知り発動しためんどくさい俺にも根気強く話しかけてくれて、優しく接してくれたよね」
「そ、そう、か……?」
「そうだよ。それにね、俺思うんだ。起きたことはもう取り消せないけど、失敗しちゃったからもう終わりじゃなくて、これから先、同じことを繰り返さないように頑張ればいいんじゃないかって。確かに、また失敗したらって考えると怖いかもしれないけど……、人に寄り添える優しさを持ってるふゆくんならきっと大丈夫。誰よりも、俺はそう信じてる」
 と、春斗はまっすぐ俺の目を見て言った。その声には、どこからくるのか、揺るぎない自信が感じられた。
 さらに、春斗は穏やかな微笑みを浮かべて言った。
「だから、ふゆくん、我慢しないで、躊躇わないで、幸せな方を選んで」
 その言葉はまるで魔法のように、俺の心に温かく、そして深く響いた。


「昨日は、ありがとな」
 翌朝、若干の気恥ずかしさを伴いながら、リビングで出くわした春斗に挨拶をしたあとお礼を言った。
 今日も休みだから、朝食は各自。
 普段より少し遅い時間に降りていくと、ちょうど春斗がテーブルで食パンをかじっているところだった。母親は出かける身支度で寝室に行き、父親は朝から接待ゴルフだと家を出ている。
 俺は食パンをトースターに放り込んで、コップ一杯の水を飲んだあと、牛乳とボトルコーヒーを注いでカフェオレを作る。冷蔵庫からバターを出してカウンターに置いた。
「俺の方こそ、部外者なのに出しゃばってごめん」
 藤本のことを俺に伝えるのは、すごく勇気がいることだったと思う。ただでさえ自分の意見を主張するのが苦手そうな春斗が、思っていることを伝えてくれたのだと思うと、嬉しさが増した。
「ううん、春斗が俺のこと考えてくれてるの伝わってきて嬉しかった。俺、ちゃんと前向きに考えるよ、部活のこと」
 正直な今の気持ちを伝えると、春斗は「よかった」と相好(そうごう)を崩した。その顔が、子どもの頃のまんまで心が和む。
「俺のこと、昔と変わらないって言うけど、はるも昔のまんまだよ」
 出来上がったトーストを乗せた皿とコップを手に春斗の向かい側に腰を下ろす。目線が合った春斗は、なんとなく不服そうな顔だ。なんか変なこと言ったか?と考えた俺が、あっと自分の失言に気付いたのと、春斗が反応したのはほぼ同時だった。
「……まんまって、見た目のこと?」
 女の子だと思い込んでいた俺が「昔のまんま」なんて言えば、その外見のことだと思うのは当たり前のことなのに。俺は慌てて「違う違う!」と否定した。
「顔じゃなくてさ……。はるって、自分のこととなると消極的なのに、人のことになると積極的なとこ」
 昨日のこともそうだけど、俺は昔にあった出来事を今でも忘れられずにいる。
「はるは覚えてないかもだけどさ、子どものころ一緒に遊園地に出かけたことがあって」
「お、覚えてる! 機関車ハリーのテーマパークあるとこでしょ」
「そうそう! そこでさ、俺、うさぎの着ぐるみと写真撮りたかったんだけど、恥ずかしかったのと、はるも千佳さんに誘われてやだって言ってるの見てたから言い出せなかったんだよ。そしたら、俺がずっとうさぎを見てることに気付いたのか、はるが『うさぎさんと一緒に写真撮りたい?』って聞いてきてくれて」
 それでもやっぱり恥ずかしくて、肯定も否定もできないでいた俺の手を春斗が掴み、着ぐるみのところへ駆け寄ったのだった。『ふゆくんと一緒にうさぎさんと写真撮って!』って親に言ってくれたあのときの春斗は、見た目こそ女の子みたいだったけど、今思えば俺のヒーローだった。
「そういえば、そんなことあったかも……。俺、着ぐるみも怖かったんだよね……。でも、ふゆくんと一緒だから大丈夫だったんだろうね」
「ほら、そういうとこ。立花さんに頼まれた絵のモデルだってそうだよ。はるが絵のモデルとか、絶対嫌がりそうだもん。自分が苦手なことでも人のためなら頑張れるのって、すごいと思う」
「そ、そうかな……。自分ではよくわかんないけど、ありがとう」
 照れてる春斗をかわいいなぁと眺めながら、久しぶりに静かな朝を満喫した。