桜の木が薄紅色から青々とした新緑へと衣替えを済ませ、穏やかだった日差しが少しばかり鋭くなる4月の終わり。
 不安ばかりだった春斗との同居と高校生活は、至って平和な日常と化していた。
郁実(いくみ)重たい」
 昼休み、天気がいいからと中庭の一角に陣取って昼食を取っていると、一足先に食べ終えた郁実が俺を背もたれ替わりに体を預けてくる。ぐっと力を入れて押し返そうにも、俺よりもガタイのいい郁実の体はびくともしない。
「んー、ちょっと寝させて」
「無理、5分も持たねぇよ。マジで食いにくいからやめい」
 本気で嫌がると、「ちぇ」と舌打ちをして離れていってくれて解放される。春斗はそんな俺たちのやり取りを穏やかに見守りつつ、お弁当をゆっくりと食べていた。こうして、昼休みは、俺と春斗と郁実と時々五十嵐やほかのクラスメイトを交えて過ごしている。
 1か月が過ぎて、春斗もようやくクラスの男子に慣れてきたらしく、軽い雑談を交わせるほどになっていた。
 いい傾向だと思う。だけどそれと同時に、春斗が巣立っていってしまうような寂しさに襲われていた。俺だけに懐いていた猫が、周囲にも打ち解けて行動範囲を広げていってしまって寂しい、みたいな。
 自分以外の人と楽しそうに話す春斗を見ると、みぞおちの辺りがなんだかもやもやする自分に俺は困惑していた。
「じゃあ春斗に膝貸してもーらお」
 俺の背中を諦めた郁実が、そう言って春斗の膝に頭を乗せて寝転がるのを見て、またもやもやが顔を覗かせる。
「郁実、はるが困ってる」
「春斗は冬璃と違って優しいからなー」
「お前な……。はる、その頭押して落としていいぞ」
「はは、俺は大丈夫だよ」
 ほらな、と得意げに言う郁実を睨みつけるも、奴は早々に目を閉じて昼寝体勢に入ってしまった。いっそ眠れないくらい大声で喋り続けてやろうか、と意地の悪い考えが頭に浮かぶ。それくらい、気に入らない。
「嫌なことは嫌って言っていいからな?」
「うん、わかってる。ありがと、ふゆくん」
 郁実が眠り、俺と春斗の間には穏やかな空気が流れ、春斗の笑顔で俺の中を占拠するもやもやが消えていく。ちょっと目を細めて笑う、そのふんわりとした笑みは、俺だけに向けられるものだ。いくらクラスメイトや郁実に慣れたとはいえ、俺に対する態度と周囲への態度には雲泥の差がある。
 俺だけが春斗の特別。
 そう優越感を抱いてしまうくらいには、春斗は俺に気を許してくれていると思う。
 そのことが、たまらなく嬉しかった。
 これからも、春斗の特別な存在でいたい。
 そんな風に思いながら、春斗と他愛もない会話をしていると、「あの」という声と共に俺たちの間に影が差した。
「冴木くん、今少し時間貰えたりする?」
 俺たちのすぐそばに、一人の女子が立ってまっすぐに春斗を見ていた。
 ゆるくウェーブのかかった茶色い髪が目を引く、綺麗系の女子生徒だ。ちょっと大人びたその雰囲気は上級生だろうと思いながらネクタイに目をやると、なんと3年生の色をしていた。
「えっと……」
 春斗は自分の膝の上で寝る郁実に視線を向ける。
「すみません、今はちょっと。放課後でもよければ……」
「ありがとう、じゃあ、放課後またここに来てくれる?」
 頷く春斗を見て嬉しそうな顔をした彼女は、最後に俺にちらりと視線を向けると「邪魔してごめんね」と去って行く。春斗を見ると目が合って、恒例行事となりつつあるこのやり取りにお互い苦笑いが漏れる。
「というわけだから、ふゆくん先に帰ってていいよ」
「いいよ、待ってる。どうせすぐ終わるだろ?」
 暗に「断るんだろ」という意味を込めて聞くと、春斗は気まずそうに眉尻を下げるだけだった。
 少し前から、隙を見てはこうして春斗に告白しようとする女子が後を絶たない。俺とは比じゃないくらいに。
 毎回、今は誰とも付き合うつもりはない、とはっきり断っているというのに、この学校には我こそはと名乗り出るツワモノ達が多いらしい。
 いい加減無理だって諦めないものなのだろうか。
 春斗も春斗で、女子が苦手と言いつつも、呼び出し自体を断ることはせず、毎回律儀に応じている。
 少し前に、いっそのこと「彼女がいる」ということにしたらどうかと郁実が提案したことがあった。けれど、嘘をつくのも、「どんな子なのか」と周囲に聞かれるのも嫌だからと却下したんだよな。
「てか、そもそも呼び出し全部に応じる必要もないと思うけど」
 春斗の負担になっているんじゃないかと心配で、ついそんなことを口にしてしまった。
「んー……でも、気持ちを伝えるってすごく勇気がいることだと思うから……、受け入れることはできなくても、せめて受け取ることくらいはしたいと思ってて……」
 いかにも春斗らしい返事に感心すら覚えた。断ればいいなんて、意地悪なことを言った心の狭い自分が恥ずかしい。
「俺のこと心配してくれたんだよね、ありがとう」
 そう笑う春斗は、子どもの頃と同じ、相手を思いやれる優しいはるちゃん(・・・・・)のまま。
 そんな春斗の隣は穏やかで、再会した今も心地よくてずっと側に居たいと願う自分がいることに俺は気付いていた。
 こうして春斗が何度も告白を受ける度に、もし春斗が告白を受けてしまったらどうしようと不安でいっぱいになるんだ。春斗に彼女ができたら、きっと今みたいな関係ではいられなくなってしまうから。
 まだ再会して2か月弱しか経っていないのに、俺の中で春斗の存在は膨れ上がってしまっていた。