※晴翔視点に戻ります※

 俺のドキドキは帰宅するまで続いた。

 そして、やっと一息ついたところで、リビングの方から母の声がした。

「晴翔。晴翔、ちょっとお願い」

 夕飯には、まだ早い。嫌な予感がしながら、俺は自室から顔を出した。

「母さん、何?」
「これ、蓮君のとこに持ってって欲しいの」
「げッ」

 普段なら喜んで行く。『蓮の部屋着姿が見れてラッキー』と、率先して行くのだが、今日は気まずい。

 バックハグされた後に、『好き』とまで言われたのだ。全ては“恋人ごっこ”の演技なのは分かっている。分かってはいるのだが、蓮の演技が上手すぎて、本当に好かれているのではと勘違いしてしまう。

 とにかく、そんなことがあった後に、平然とお裾分けなんて持って行けそうにない。

「今、勉強中。母さんが持ってってよ」

 断れば、母さんも大きな声で言った。

「今、油使ってるから手が離せないの」

 だったら、終わってから持って行けば良いのに……なんて考えには辿り着かない。いや、辿り着けない。

「分かった。行ってくる」

 俺は重い腰を上げて、隣にある蓮の家に行くことに——。

◇◇◇◇

 ピンポーン。

「……」

 ピンポーン。

「……」
「あれ? 留守かな。おばさんにサッと渡して帰ろうと思ったのに」

 中身を確認していなかったので、扉にかけておいても大丈夫な物かどうか分からない。一旦持って帰って出直そうとすれば、扉がカチャッと開いた。

「ごめん晴翔、お風呂入ってた」

 よりにもよって、蓮が出てきた。しかも、髪はまだ濡れており、上半身裸で腰にタオルを巻いたままの状態の、何ともエロい姿で出てきた。目のやり場に困る。

「れ、蓮。そんな格好で出てくんなよ。俺じゃなかったら通報もんだぞ!」
「インターフォンのカメラで確認したから大丈夫だよ」
「いや、だからって……てか、急がなくても、後からまた来たのに」

 目線をずらしながら、蓮に袋を差し出した。

「と、とにかく、これ母さんから。お裾分けだって」
「ありがとう」

 蓮は袋を受け取らずに、俺の腕を取った。

「え、蓮?」
「とにかく、上がってってよ」
「わ、良いって。今日はすぐ帰るから」

 拒否するが、蓮は有無を言わさず引っ張ってくる。

「晴翔んち、晩御飯まで三十分はあるじゃん。この間読んでた漫画の最新刊もあるし、読んでったら?」
「え、マジ?」

 漫画は読みたい。ただ、自動的に蓮の部屋に入ることになる。しかも、タオル一枚の色気MAXな蓮がセットで付いてくる。

 放課後の教室でも変なスイッチが入りそうになっていたのに、蓮の部屋に入って大丈夫だろうか。

 でも、漫画の続きも読みたい——。

「三崎も貸してって言ってたから、早く読まないと先に貸しちゃうかも」
「う……晩御飯出来るまでな」

 誘惑に負けた。

 蓮に手を引かれながら、俺は蓮の家の中に足を踏み入れた。

◇◇◇◇

 蓮の部屋に入って十分。

「晴翔。今日、漫画読むの遅くない?」

 ベッドの端で、壁にもたれ掛かって読んでいる漫画を蓮が覗き込んできた。

「そ、そうかな?」
「うん。なんかさっきからソワソワして落ち着かないみたいだし」

 そりゃ、蓮を意識しまくっているから……なんて言えるはずもない。

 なんなら、漫画の内容よりも、今からこのベッドに押し倒されて……みたいな妄想が頭の中に繰り広げられている。

 妄想を消し去る為、俺は漫画を閉じて話を逸らすことにした。

「そ、それより、その部屋着新しく買ったのか?」
「分かる? でも、これ。さっき晴翔が持って来たやつだよ」
「え、さっきのって服だったんだ。お裾分けって言うから、食べ物かと思った」

 蓮が、ジェスチャーで四角を描きながら言った。

「おばさんからのメモに、『二着で安売りしてたから、良かったら着てね。晴翔とお揃いだよ♡』って、書いてあった」
「マジか……」

 嬉しいような、恥ずかしいような。
 お揃いの服なんて、まるで……。

「まるでカップルみたいだよね」

 思っていることを蓮に言われ、照れが優った。

 そして、蓮の顔が更に見れなくなってしまう。俺は再び漫画を開いて、視線を落とした。

 すると、急に視界に影が入ってきた。

「晴翔」
「……蓮?」

 蓮が俺の前から、壁に手をついた。いわゆる、これが壁ドンというやつだろう。

 驚きのあまり視線を上にあげると、バッチリと蓮と目が合った。物凄い至近距離で、戸惑いの余り視線を斜め下にずらした。

「晴翔」
「な、何?」
「今日さ、全然目見てくんないよね? 何で?」
「み、見てるよ」

 と言いつつ、目線は下だ。

 今朝、三崎が山田にされていたように、蓮に顎をクイッと持ち上げられた。数センチで唇と唇が触れ合いそうだ。

「ほら、これでも視線が合わない」
「さ、さっきあったじゃん」

 ほんの一瞬だったけど。

(もう勘弁してくれ、心臓が破裂しそうだ)

「晴翔はさ、僕の役に立ちたいんだよね? 何でも……してくれるんだよね?」
「そ、そうだな」
「じゃあさ、このままキスして良い?」
「それは……」

 顎クイをされている時点で、それは何となく覚悟している。むしろ、同意なんて取らないで欲しい。恥ずかしすぎる。

「で、でも、ここでしても、誰も見てないから意味ないんじゃ……?」
「晴翔って、大胆なんだね」
「え?」

 確かに、これではまるで、人前ではキスして良いみたいな言い方だ。

「あ、そういう意味じゃなくて……」

 言い訳を考えていると、蓮が親指で俺の唇をなぞりながら言った。

「僕さ、キスしたことないんだよね」
「お、俺もないよ」
「だからさ、練習して良い? こういうお願いは、ダメ……かな?」

 蓮はずるい。

 俺の気持ちも知らないで——。

「良いよ」

 断る理由なんてない。ただ、無駄にドキドキして、後から切ない思い出になるだけ。こんなことしなきゃ良かったと、後悔するだけ。それでも、俺は蓮が好きだから。

 なんだ、俺の方がずるいじゃん——。

 蓮の唇が、俺のそれと重なった。