翌々日の朝。

 昨日今日と学校は休みなので、俺は布団を被って部屋から出ていない。

 トントントン。

「晴翔、今日も出てこないの?」

 母さんだ。
 今は誰の顔も見たくない。
 布団の中から、雑に返事をする。

「俺のことは気にしないで、早く仕事行って来なよ」
「あら、珍しく起きてる」

 自分から訪ねておいて失礼な母親だ。

「晴翔、何があったかくらい聞かせてよ」

 何が……彼氏と別れた。
 なんて、言えない。

「もう、意地っ張りね。誰に似たんだか」
「母さんだよ。大事なプロジェクトあるって言ってたじゃん。頑張って」
「ま、良いわ。海斗君、お願いね」
「え!?」

 蓮じゃなくて良かったが、何故海斗が?

 とにかく、俺は思わず布団から顔を出してしまった。バッチリと海斗と目が合い、再び布団の中へ。

「誰とも会いたくないって言ったじゃん」
「そういう訳には行かないでしょ。理由も教えてくれないんだから。ちょうど海斗君が来てくれて助かったわ。友達なんでしょ?」
「友達……だけど」

 今、一番会いたくない友達だ。
 海斗の胸をびしょ濡れにする程泣いてしまった挙句、それが周りにバレたことで、俺は逃げるように走って帰ったのだ。申し訳が立たない。

「とにかく、今日は誰とも話したくないから」
「そんなこと言って、学校で何かあったんでしょ? 悩みを解決させないまま、明日学校行けるの?」
「行ける……けど、マスクとサングラス買っといて」

 母さんが溜め息を吐いた。

「蓮君も呼んで来ようかしら」
「ダメ! 蓮だけはダメ!」

 蓮に会ったら揺らいでしまう。せっかく諦めようと覚悟したのに。
 蓮からは、何度も着信が残っており、メールもきている。けれど、その全てを無視して、訪ねてくる蓮も追い返している。

「あ、お母さん、おれに任せといて下さい。悩み、聞き出しときますから」
「ごめんね。じゃ、晴翔。しっかり海斗君に悩み聞いてもらいなさいね」

 母さんは部屋から出て行った——。

 つまり、部屋には俺と海斗の二人きり。

 俺は布団から少しだけ顔を出して、申し訳無さそうに言った。

「この間は、衣装濡らしてごめん」
「ええねん、ええねん。洗わず記念に取っとこ思うてるから」
「は?」
「冗談やって。何ドン引いてんねん。てか、何でメッセージ送っても電話しても出ぇへんの?」
「それは……」

 いつものヘラヘラした顔から一変、海斗は儚げな表情で言った。

「おれは悪もんか? 晴翔ん中で、おれは悪役やったんか? 悪役には何も話せんって?」
「そういうんじゃ……」
「これからも、アイツとの仲を邪魔する悪役とでも思うてんのか?」
「違ッ」
「違わへんやろ? せやから、そうやって連絡も無視して一人で思い詰めてんのやろ? あいつから晴翔奪いたいのはあるけど、その前に、おれは晴翔の友達や。友達が悩んどったら聞くのが友達やろ」
「海斗君……」

 海斗は、修学旅行で初めて会った時も、学校でも、俺を助けてくれた恩人。そして友人。それなのに、俺は無意識の内に海斗を悪役にしていたのだと思い知らされ、心が痛い。

「ごめん……なさい」
「謝られたら謝られたで辛いな。フラれた気分や」

 海斗が、枕元にストンと腰を下ろした。そして、優しく頭を撫でられた。

「晴翔、何があったんや?」
「実は……蓮と別れた」
「は? マジで? ほんまなん?」

 こくりと頷けば、海斗は目を丸くさせて持っていた袋を床に落とした。

「あ、すまん。アイス買ってきてんねやったわ」

 思い出したように、海斗は袋をポンッとベッドの上に置いた。

「晴翔、アイス食べよ」
「わざわざ買ってきてくれたの?」

 俺は布団から出て、袋の中のアイスを取り出した。

「これって……」
「修学旅行ん時に約束したやろ。今度はチョコも食べよなって」
「覚えてたんだ」
「当たり前やろ」

 そう、俺と海斗は札幌の街でアイスを食べた。バニラとチョコレート、どちらも捨て難いが、俺は無難にバニラを選んだ。そして、海斗はチョコレート。しかし——。

『アカン! 財布バスん中や。おっちゃん、作るんちょい待って』
『あ、俺が出そっか? 助けて貰うお礼に』
『それはアカン! 金の切れ目は縁の切れ目や。金の貸し借りは絶対アカン!』
『でも……』

 俺は既にバニラを頼んで手に持っている。
 一人で食べるのも悪い気がして言った。

『二人でシェアして一緒に食べよ。それならお金の貸し借りじゃなくなるよ』
『エエのん?』
『もちろん……あ、でも俺が食べたやつなんて気持ち悪いよね』

 あの頃は前髪で顔を隠して、陰キャそのもの。気持ち悪がられるに決まっている。

 俺は、一度出した手を引っ込めた。しかし、海斗は気にした素振りも見せずにアイスをパクリと食べた。

『うまッ! ほら、君も食べてみ』
『うん』

 ペロッと舐めれば、それはもう甘くて美味しかった。つい、頬が緩む。

『今度はチョコも食べよな』
『今度……』
『その時は、おれの奢りやから』
『でも、金の切れ目は縁の切れ目って』
『おれが出す分には問題ない』

 海斗の言い分は滅茶苦茶だが、もう会うことはないから良いか……と、笑っていた。

『それに、シェアすれば問題ないやろ。約束やで』

 指切りまでしてしまった。
 ま、二度と会うことはないし——。

 そんな海斗と二人でアイスを食べる日が来ようとは。

「コンビニので堪忍な。流石に札幌まではいつ行けるか分からへんし」
「うん。ありがとう」

 カップの中で少し溶けたアイス。それを海斗が一口食べた。

「んー、青春の味やな」
「青春ってどんな味なの」

 苦笑した俺の口に、海斗がアイスを掬って入れてきた。

「これが青春の味や」

 青春の味は、甘くてほんのりほろ苦かった。

「でも、何でまた別れたん? フリちゃうって聞かされたんやけど」
「蓮には、元々好きな人がいたから」
「それが晴翔やろ?」
「ううん。違ったみたい。もっと、自分の悩みを打ち明けられる大人な人だよ」
「へぇ、意外やな」

 他人に話すことで、少し気分が落ち着いた。何なら、全てを話した新城先生にもう一度相談してみようと思ったくらいだ。

「聞いてくれてありがとう」
「失恋した時は、海でも……って言いたいとこやけど、ちょい距離あるしな。プラネタリウムとかどうや?」
「あ、それなら家にあるよ」

 押し入れを開ければ、今は使っていないガラクタでいっぱいだ。その中を漁ってみる。

「え、あの家庭用のやつ? 晴翔持ってるん?」
「うん、前に蓮と……」

 探す手がピタリと止まった。
 過去の楽しい思い出が蘇る。

「何をしてもダメかも。蓮との思い出が多過ぎる」
「もう、泣くなや……って、泣きたい時は泣いてもエエねん。また、胸貸そか?」
「ありがとう。大丈夫」
「おれ、アイツ一発殴ってきたるわ。隣やろ?」
「気持ちは嬉しいけど、暴力はやめて」

 本気で蓮の部屋に乗り込もうとする海斗を必死で止める。

「それに、蓮は俺と別れたくないって言ってくれたんだ。一瞬でもそう思ってもらえて嬉しかったよ」
「晴翔は良い子過ぎんねん」

 頭をクシャクシャッと撫でられた。

「まぁ、気分転換に散歩でもしよや。ずっと家におったら気分も滅入るやろ」
「うん」
「ほな、アイス食べてしまお」

 アイスを食べた俺と海斗は、外に出ることに——。