翌朝。

 耳元で囁かれた。

「晴翔、朝だよ」
「ん……」

 薄っすら目を開ければ、蓮の姿があった。これは、毎朝の光景。

 両親は早朝から仕事で、俺が起きる前に家を出る。だから、朝が弱い俺の為に、わざわざ蓮が心配して起こしにくるのだ。

 しかも、時短だからと俺の上に跨って、パジャマのボタンまで外してくれる。

「れん……むにゃむにゃ」

 起きなきゃと思いながらも、再び目を閉じる。すると、優しく頭を撫でられながら、蓮に耳元で囁かれた。

「晴翔、起きないとキスしちゃうよ」
「ん」

 蓮が何を言ったのか理解するのに時間がかかった。しかし、理解が追いついた時には、チュッと額に蓮の唇が当たっていた。

「なッ」

 俺の目は、パッチリと開いた。そして、顔はみるみる真っ赤になっていく。口をパクパクさせながら額を押さえた。

「あ、えっと……蓮、今……あの」
「あーあ、残念。口にする前に起きちゃった」

 本気で残念がっているように見えるのは気のせいか。気のせいだろう。男が男にキスをして嬉しい訳がない。

 蓮が俺から退いたことで、少し落ち着いてきた。ひとまず起こしてくれたことに感謝をすることに。

「蓮、毎朝サンキュ。でも何で、キ、キ、キスなんて」
「だって、僕ら昨日から付き合ってるんだよ。恋人同士なんだから」
「いや、そうかもだけど……それは学校で告白を断る口実だろ? そこまでしなくても」

 ずっと蓮とキスしたかった。もっと触れ合いたい。けれど、あくまでも恋人のフリ。毎朝キスなんてされたら、自制がきかなくなりそうだ。
 というより、額でこれだけドキドキなのに、口になんてキスされた時には、心臓が破裂しそうな気がする。

 そんな俺の気持ちも知らない蓮は、学生服をクローゼットから取り出し、ワイシャツを広げて持ちながら言った。

「でもさ、少しは恋人らしいことしないと、ボロが出てバレちゃうよ」

 俺も慣れたように、そのワイシャツに袖を通しながら応えた。

「そうかな……でも、俺はともかく、蓮が嘘つき呼ばわりされるのは嫌かも」
「だからさ、少しずつ恋人らしいことしようよ」

 蓮がズボンをおろしてこようとしたので、断った。

「ズ、ズボンは良いから。ズボンは自分で履くから」
「そう? いつもは履かせてあげるのに」
「いつもは……まだ、寝ぼけてるから」

 しっかり覚醒した今、脱がされるのも履かせてもらうのも恥ずかしい。何なら、この部屋で見られているのも恥ずかしい。

 それより、自立しないと。いつまでも蓮に甘えていられない。蓮の好きな人が、もし振り向いてしまったら……新たに蓮に好きな人が出来たなら……確実に俺になんて構ってくれなくなる。

 それに、こんな朝も一人で起きられないようなダメダメな俺のことなんて、嫌いになるに決まってる。

「明日から頑張って起きよ」

◇◇◇◇

 そして、いよいよ学校。

「聞かれたら……聞かれたら言えば良いんだよな」
「晴翔、緊張し過ぎ」
「だって俺、恋人なんて出来たことないし。他人に紹介出来るかな」
「別に全員に言わなくたって良いんだよ。こういうことは、一人に言えば広まるんだから。気楽に行こ」
「そうだけどさ……」

 ソワソワしながら教室に入る。いつものように俺は、蓮以外の数少ない友人、三崎と山田に挨拶した。

「おはよ」
「はよー」
「晴翔、今日三崎んちでゲームするんだけど、お前も行く?」
「今日はパス、予定あるんだよね」

 応えたのは俺じゃない。蓮だ。

 そして、俺は放課後に予定なんてない。
 
「何だー。予定ありかぁ。まさか彼女出来たとか?」
「まさか、晴翔に彼女なんて二十年早いって」

 三崎と山田がケラケラ笑う中、俺は蓮と顔を見合わせた。そして、蓮が俺の肩を抱き寄せた。

「実は僕ら、付き合うことになったから。放課後は二人で初デート」

 蓮は平然と言ってのけたが、俺は、顔が耳まで真っ赤だ。

 蓮と恋人になったこと、ゲイだとカミングアウトしてしまったこと、全てフリだと分かっているのに羞恥でいっぱいだ。

 それを聞いた三崎と山田は、スマホを眺めたまま変化がない。驚く素振りもドン引かれた様子もない。

 もしかして、今の聞こえていなかった?

「二人とも聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
「おう、おめでとー」
「反応薄ッ! え、何でそんな反応薄いの!?」
「反応薄いっつーか……なぁ、山田?」

 三崎が山田を見れば、山田も興味なさそうに頷いた。

「そういうのは、エイプリルフールにした方が良いぞ。十月にされても寒いっつーか」
「は?」

 エイプリルフール? ってことは、信じてない?

 意を決して言ったのに。いや、言ったのは蓮だけど、これでは意味がない。

「本当なんだって!」

 ややムキになって言えば、蓮がいつものようにヘラヘラと笑って言った。

「なんだ、バレバレだったかぁ。驚くと思ったんだけどなぁ」
「蓮……」
「晴翔、ここは全部話しちゃお」
「話す?」
「こうなった流れ。で、その上で協力してもらう方が無難かなって。今みたいに信じない人が多かったら、逆に面倒だし」
「あー、確かに」

 友人にまで嘘を吐く必要はない。あくまでもフリなのだから。

 そして、数分後——。

 三崎と山田は口々に言った。

「それなら、リアリティが大事だろ」
「だな。仲が良いのは見てて分かるからさ、密着してみるとか?」

 首を傾げて聞き返す。

「リアリティ? 密着?」
「手を繋いだり、ハグしたり……キスしたりとかさ。色々」
「き、キス!?」

 口元を手で覆えば、蓮がドヤ顔で言ってきた。

「ほら、僕が朝言ったじゃん」
「そ、そうだな。てか、二人とも何やってんの?」

 山田が三崎の顎をクイッと持ち上げている。

「こういうシーンを見られる方が、リアリティ出て勝手に噂広がりそうじゃね?」
「なるほど……」

 出来る自信はないが。

「あとは、教室の放課後に二人でヤッちゃうとかな」
「ははは、それ、もうフリじゃねーじゃん」

 楽しそうな三崎と山田。二人に完全に遊ばれている。話すべきではなかったのではないかと思えてきた。
 しかし、蓮は二人の意見を取り入れるようだ。ニコッと笑って言った。

「じゃあ、晴翔。今日の放課後残ってみよ」

 すると、俺ではなく三崎と山田が興奮し始めた。

「え、マジでやんの!?」
「オレも、見たい見たい!」

 興奮気味の二人に、蓮は苦笑で応えた。

「はは、手繋いだりとか、ハグしたりとか。そっちを取り入れようかなって」
「なーんだ」
「それなら、オレは良いや」

 俺もホッとした反面、フリでも蓮と繋がりたいと思ってしまった自分がいる。流石に蓮は嫌だろうけど。

「先生来たから席着こう」

 蓮に背中を押され、俺は自分の席に着いた。

 放課後、蓮と手を繋ぐのかと思うと、今日の授業は集中出来なさそうだ。