屋上の扉には、鍵がかかっていた。

「まぁ、そうだよな。こういうイベントごとでは鍵かけるか」

 扉を背に、地べたに座った。
 屋上には行けなかったけれど、ここはここで人が来ないからちょうど良い。

 何も考えたくはないのに、蓮と松田先輩のことばかり考えてしまう。
 何故、蓮は松田先輩の素顔を知っていたのか。松田先輩は、誰に何と言われてマスクを外すことを決意したのか。想い人とは……。

「同志だと思ったのにな……」

 俺が前髪で顔を隠しているように、松田先輩にもコンプレックスがあった。内容については互いに言及しなかったが、それでも何となく分かり合っていたつもりだった。俺には心を開いてくれていると思った。俺は開いていた。それなのに——。

「おや、君は……」
「ん?」

 声がしたので、上を見た。

「わ! し、新城先生!? す、すみません。俺、まだ屋上には出てません! てか、鍵がかかって出られません!」

 風紀委員の新城先生を前に、言い訳じみた謝罪をせずにはいられない。
 身だしなみを確認し、他に怒られる要素がないか考える。
 新城先生は、その様子を真剣に眺めながら言った。

「はぁ……とうとう我が校でもイジメか。目を光らせてたのに、ダメだったか」
「イジメ?」
「確かに、この生徒は突然髪を切ったり、最近目立っていた。この髪も、無理矢理切られて、それを整えただけなんじゃ……」
「先生?」
「先生の悩みを聞いて欲しいくらいだが、悩みなら聞くぞ」

 俺の頭上で、鍵が差し込まれた。それは、ガチャリと音が鳴って開かれた。

「さ、外で聞こうか」

 紳士的な新城先生に促され、俺は屋上に出た。
 雲ひとつない晴天。肌寒いが、ひんやりと冷たい風が頬に当たって心地良い。
 フェンスの方に向かって歩けば、新城先生に止められた。

「そっちには行くな。テレビドラマのように格好良くは助けられん。一緒に落ちて死ぬのがオチだ」
「助ける? 落ちる?」
「さぁ、こっちへ」

 屋上の鍵を外から掛け直した新城先生に、両手を広げられた。

「えっと……」

 戸惑っていると、新城先生の方から歩み寄ってきた。そして、どうして良いか分からない俺を抱きしめた。それはもう、優しく。それでいて力強く。

「辛かったな。先生の前では泣いて良いんだぞ」
「先生……」

 これは、何やら勘違いされているようだ。

「先生、俺、イジメなんて」

 訂正しようとするも、背中をトントンと優しく叩かれた。

「先生がどうにかするから安心しろ。告げ口したなんて言わせないから。百パーセント、イジメる奴が悪い」
「そうじゃなくて、先生。話を……」
「そうだな。聞こうか」

 新城先生は、そっと俺から離れた。ひとまず安堵する。
 屋上に一つだけ設けられた長椅子に座るよう促され、新城先生と並んで座る。

「先生、俺。イジメなんてされてません」
「イジメにあっているやつは、大抵そう言うんだ。大丈夫。誰にも言わないから」

 そう言って、俺の手の上に新城先生の手がおかれた。

「安心しろ。先生が付いている」
「あ、えっと、その……」

 思った以上に生徒思いの先生だ。そして、思い込みの激しい先生のようだ。

「先生、さっきからセクハラです」

 何にせよ、せめて手は離してもらわなければ。

 しかし、新城先生の手は、緩まるどころかぎゅっと強く握ってきた。

「イジメられた人間は、人の体温に触れることが大切なんだ。だから、イジメられた生徒には、ハグして手を握って、自分は味方なんだと分かってもらう。故に、これはセクハラではない……と、本に書いてあった」

 最後の方、自信なさそうだ。
 生徒を思ってくれているのは、身をもって分かった。しかし、違うのだから訂正するしかない。

「俺、ゲイなんです」
「え……」

 新城先生がドン引いたのが分かった。手も一瞬離れかけた。
 しかし、ギュッと握り直された。

「最近は、LGBTに偏見をもっちゃいかんのだ。理解を深めなければ……」
「無理しなくて良いですよ」
「無理などしていない。さぁ、話してみなさい。それが原因でイジメられているのか?」
「イジメられてはいませんが、悩みの種はそれです。話しますから、手も離して下さい」
「温もりは?」
「十分感じましたから」

 新城先生は、手を離してくれた。
 このまま逃げたいが、勘違いしたままの新城先生は、思った以上に暴走しそうな気がする。そして何より、鍵は新城先生が持っている。観念して、俺はこれまでのことを話した。

「実はですね。俺、幼馴染がずっと好きだったんです。それで、————」

 静かに、それでいて熱心に聞いてくれるものだから、思っていることを思ったまま伝えた。

「それは……イジメではないのでは?」
「だから、最初からそう言ってるじゃないですか!」
「しかし、三角関係……いや、四角関係は、ややこしそうだな」
「そうなんですよ。ただでさえ、友人の誤解が解けてないのに」

 新城先生は、分析するように顎に手を当てて真剣な表情をしている。

「佐倉の彼氏には、元々本命がいたのだろう? 話を聞く限り、その相手は、中学時代の先輩の可能性が高いな。そして、その先輩もまた彼のことを」
「やっぱり? 俺もそう思うんですよ。だから、ここは身を引くべきですかね? 両思いなのに、俺が邪魔してますよね」
「うーん……まぁ、このまま付き合っていても傷付くだけなら、佐倉を一番に思ってくれている友人の元に行く方が良い気もするな」
「そう……ですよね」

 本当は、蓮の手を離すなと言って欲しかった。諦めるなと。昔はどうであれ、今の蓮は、俺を愛してくれているからと。

「って、俺、新城先生に何話しちゃってんだろ。恥ずかしすぎる」

 両手で顔を覆って俯けば、新城先生にポンポンと背中を撫でられた。

「先生の勘違いで悪かった。フェアにする為、先生の悩みも打ち明けよう」
「は?」

 顔を上げると、新城先生は困った顔で話し始めた。

「実はな」
「いやいやいや、別に俺、新城先生の悩みなんて聞きたくないです。俺にそんなもの聞かせないで下さい!」

 拒否するが、新城先生は勝手に話し出す。

「さっき、昔から弟だと思っていた相手に告白されたんだ。嬉しいけれど、相手は男だ。馬鹿なことを言うんじゃないと突っぱねた」
「だから、別に新城先生の恋愛事情なんて……」
「笑ってどこかへ行ってしまったが、佐倉の話を聞いたら、もっとしっかり話を聞くべきだったと後悔している」
「左様ですか……」

 もう、これは聞くしかない雰囲気だ。諦めよう。

「そいつは暫くの間、マスクをして全く喋ってくれなかったんだ」
「マスク……」
「嫌われたと思っていたんだ。しかし、五年前くらいかな、突然マスクを外して喋ってくれるようになった。先生は嬉しかったんだが、何せその時は新米教師だったから。忙しくて相手をしてやれなかった」
「……」
「最近は、向こうが大学受験やらで忙しく、すれ違いが続いていた。だから、今日の文化祭誘ってみたんだ」
「新城先生が誘ったんですか? それは、誰でも脈アリかと思っちゃいますよ」
「いや、でも相手は男だし」

 ノンケからしたら、これが普通の反応だ。俺が恵まれていただけだ。蓮も同じゲイだったから。だから、俺は選ばれた。ただ、それだけだ。

光希(みつき)は大切な人だから……幸せになってもらいたいんだ」
「先生……」

 俺だって、蓮には幸せになってもらいたい。

「先生は、どうすれば良いと思う?」
「え、それ、俺に聞くんすか?」
「だって……自分じゃ決めかねて」
「気持ち、痛いほど分かりますけど」

 蓮の幸せ……それを考えるなら、俺は蓮を諦めるべきだ——。