「んんッ」

 頭や頬をすりすりと何かに撫でられ、心地良い。

 薄っすらと目を開ければ、いつもの光景。蓮の美しすぎる顔面が、視界いっぱいに広がった。

 頭も徐々にクリアになっていく。

 そうか。結局昨日は蓮と同じ部屋で眠ったのか。ベッドは別々だったけれど、朝起こしてもらうには、丁度良かったのかもしれない。

「蓮、ありが……」
「しー」

 蓮が、俺の唇に人差し指を置いた。そして、チラリと視線だけ後ろに向けて小声で言った。

「まだ、みんな寝てるから」
「え?」

 良く見れば、まだ部屋は真っ暗……とまではいかないが、早朝を思わせるような暗さ。

「せっかくだからさ、大浴場行く? 今なら誰もいないよ」
「でも……」

 俺達学生が大浴場で入浴して良い時間は、夜の二十一時まで。それを超えるようなら、自室の部屋のシャワーを使うように言われている。朝の大浴場なんて以ての外だ。

「良いから良いから」

 蓮に体を起こされ、そのまま手を引かれる。俺達は手を繋ぎながら、そっと足音を立てないように部屋から脱け出した。

 既に準備していたのか、蓮は小さなバックを手に持っている。

「蓮」
「しー。話すのは着いてから」

 言われるがまま、口をつぐんで歩く。
 エレベーターをおりて三階に行けば、『湯』の文字が。

 小さい頃は家族と一緒に入ったが、最近はそういう機会もめっきり減っている。
 そして、悪いことをしているみたいで、ややテンションが上がる。いや、実際悪いことをしているのだが。

「じゃ、僕。誰か来ないか見張りしとくから」
「え、一緒に入んないの?」
「晴翔のえっち」
「なッ、違うだろ」

 揶揄われて、顔が赤くなる。
 ムッとしていると、蓮が笑って言った。

「ごめんごめん。一緒に入りたいけど、両想いって分かったらさ、それこそお風呂で自制が効かなくなりそうでさ。晴翔には、ゆっくり入ってもらいたいから」
「どっちがえっちなんだか……」

 そして、それは気を遣われているのか……そうでないのかも分からない。

「じゃ、急いで入ってくる」
「うん、ゆっくりしてきて」

 入り口に蓮を置いて、俺は脱衣場に——。

 早朝五時だからか、誰もいない。
 こんなに早起きしたのも、朝からお風呂に入るのも、ましてや大浴場に一人なんて初めてのことなので、気分はウキウキだ。
 しかし、蓮を待たせていることもあり、動きは素早い。

 一通り体を洗い、髪は……湯船につけなければ良いか。髪は洗わず、ちゃぷんと浴槽に肩までつかった。

「ハァ……気持ち良い」

 気持ちは良いが、一人だとつい考えてしまう。

 三崎のアレは予想外だったが、蓮と恋人になれるなんて夢のようだ。

 もしや、今までのはドッキリだったりするのだろうか?
 お風呂から出たら、【テッテレー】と蓮が看板を持って立っていたりして。蓮は真面目そうに見えるが、意外と遊び心もあったりする。あるかもしれない。
 そうでなかったとしてもだ。修学旅行という、普段と違う環境下で起こった出来事。一時の気の迷いだったりして。
 自信が無くなってきた。

「もう出よ」

 湯船から出た俺は、タオルで体に付いた水気を拭き取り、そのまま脱衣場に向かった。

 さっきよりもテンションが下がり気味で着替えをしていると、蓮が顔だけ覗かせた。

「晴翔」
「わッ! 入るなら一言言えよ」

 急いでバスタオルで体を隠す。

「隠さなくても良いのに。いつも見てるじゃん」
「いや、そうだけど……」

 蓮とは、中学の頃までは一緒にお風呂に入ったり、プールに行ったり……と、まぁ、裸の付き合いは何度もしてきた。

 今までは、蓮が俺なんて眼中にないと思っていたから。恋愛対象は女だとばかり思っていたから、何とも思わなかった。
 しかし、そうではないと分かった今、妙に裸を見られるのが恥ずかしい。

「晴翔、そろそろ急いだ方が良いかも」
「あ、うん。ごめん」

 恥ずかしがっている場合ではなかった。急がないと——と、手を動かした矢先に、脱衣場の外から声がした。

「おい、そこで何してるんだ?」
「ヤバッ。時間稼ぎしとくから、急いで」

 蓮は、出していた顔を引っ込めた。
 同時に俺は、マッハで準備されていたスウェットを着た。少しだけ濡れた髪は……まぁ、良いや。

 とにかく、そぅっと脱衣場から顔を出す。
 すると、風紀委員の新城先生と蓮が話をしていた。どうやら、新城先生は見回りに来ていた様子。朝から大変だ。

 何て言い訳しようか考えていると、新城先生が俺に気が付いた。

「佐倉、忘れ物は見つかったのか?」
「え、忘れ物?」

 蓮を見れば、新城先生には見えないようにウィンクされた。

 今ので俺のハートが撃ち抜かれたことはさて置き、慌てて話を合わせる。

「あ、はい。ありました」

 持っている手荷物を後ろ手に隠すように持ち、蓮の隣に並べば、新城先生に怪訝な顔を向けられた。

「ん?」
「ど、どうかしました?」
「髪、少し濡れてないか? それに、何だかホクホクした感じが……」
「き、気のせいじゃないですかね?」

 やはり、髪を乾かして出るべきだったか。
 しかし、体のホクホクはどうしたって取れない。

「お前、まさか風呂入ったんじゃ……?」
「ま、まさか」

 俺の目は泳ぎまくっている。
 そんな時も、やはり助けてくれるのは蓮だ。

「先生。晴翔は、さっき部屋の風呂使ってただけですよ。いつも寝癖ひどいから、軽く濡らすだけじゃ直らなくって。だからじゃないですかね?」
「佐倉、本当か?」

 コクコクと頷くが、新城先生の疑いの目は晴れない。
 けれど、新城先生は、俺と蓮を交互に見て言った。

「ま、お前らは真面目だからな。この時間に部屋を出たことは問題だが、他の先生には内緒にしといてやる。早く部屋に戻れ」
「「はい。ありがとうございます」」

 蓮と二人でお辞儀をして、俺達は足早にエレベーターに乗った————。

 エレベーターに乗るなり、俺達は目を見合わせてフッと笑った。

「もう、蓮。焦っただろ」
「出るのが、もうちょい遅かったらバレてたね」
「普段から真面目に過ごしてて助かったぁ」
「だね」

 ルールを破ったと言っても、風呂に入っただけだが、平凡な男子高校生にはスリル満点な出来事だった。

 吊り橋効果まではいかないだろうが、蓮との距離が縮まれば良いのに……と、心の中で願う。

「なぁ、蓮」
「ん?」
「俺達って……」

 本当に付き合ってるの?
 ドッキリじゃない?
 修学旅行で気分が盛り上がっただけ?

 なんて怖くて聞けない。
 聞いてしまったら、もう終わってしまいそうだ。

 チンッ。

 エレベーターが五階に着いた。

「晴翔? 何か言いかけてなかった?」
「何でもない」

 俺は、蓮と手を繋いだ。

 何を考えたって、今の蓮は俺の恋人だ。
 蓮にフラれるその日まで、俺はこの手を離さない——。